第193話 勧誘


 「失礼、少しよろしいですか?」


 駅中を歩いていると、急に後ろから声を掛けられた。

 振り返れば狐の様な目をしたスーツ姿の男の姿。

 何かのセールスか、それとも勧誘の類だろうか?

 こっちは昨日会社に泊って、今やっと帰ってこられた所なのだ。

 そういう面倒な事はご遠慮願いたい所なんだが……。


 「なんでしょう、今疲れているので出来れば後にしてほしいんですけど」


 はぁ……と無遠慮にため息をつきながら「迷惑だ」と態度で表すが、男は気にした様子もなく笑いながら頭を下げて来た。


 「お時間は取らせませんよ。少しだけ私の言葉を聞いて、全く興味が湧かなければそのままお帰り下さい」


 「あっそ。で、何?」


 今すぐにでも帰ってしまおうとも考えたが、何となく男の自信ありげな態度が気になってしまった。

 セールスの類ならもっと金持ちそうな人間に声を掛けるだろうし、ナンパならもっと若い子に声を掛けるだろう。

 だとすると、やはり宗教の勧誘か何かか?


 「随分とお疲れですね、そして強い憤りを覚えていらっしゃるご様子。もしもその元凶を、貴方の悩みの種を無くす事が出来るとしたら、どうしますか?」


 よれよれのスーツ、目元には大きなクマ。

 そんな私の姿を見れば疲れているのも、ストレスが溜まっているのも分かるだろう。

 やっぱり宗教の勧誘だったか?

 なんて思ってみるが、何となく雰囲気が違う。

 大体そんな場合は「貴女が幸せになれる」みたいなセールストークだった筈。

 なのにコイツは今何て言った? 悩みの種を無くす?

 まるで私がどうというより、私のストレスの原因の方に目を向けているように聞こえる。


 「随分物騒な事言うのね。なに? 貴方にお願いすれば、私の上司を殺してくれるとでも?」


 私の上司はクソヤロウだ。

 禿げ散らかして臭いと言うのに、やけに距離が近い。

 それだけならまだしも、平然とセクハラしてくるし面倒な仕事は全てこちらに押し付けてくる。

 そして私が成果を上げれば、全てアイツの手柄になってしまう。

 そんな寄生虫の様な奴でも、口が上手いのだ。

 だからこそ営業では仕事を取ってくるし、新規顧客の獲得も早い。

 ソレは確かに凄い、でも本当にそれだけなのだ。

 気前よく良条件を口にして客は取るが、後処理は全て私。

 仲間達からも、顧客からも、協力会社からも突っつかれるのは私の仕事で、何か問題が起これば私のせいにされる。

 そんな毎日が、もうどれくらい続いているのか。

 疲れた、辞めたい。

 というかもう、死にたい。

 そんな事ばかり考えていた気がする。


 「私が手を下す訳ではありませんが、結果はあながち間違ってはいませんよ? 貴女がそれを強く望めば、ですが」


 そう言って男は黒い石? の様な物を差し出してきた。

 こんな怪しい状況、普通だったらすぐに逃げ出すか通報する事態だろう。

 でも何故か、私はソレを手に取ってしまった。

 男の瞳を見つめていると、どうしてかそうする事が自然な事の様に思えてしまう。


 「それを持ったまま日常生活を送っていただくだけで構いません。貴女の恨みが段々とその石に溜まっていき、十分な感情が溜まれば貴女の願いは叶うでしょう」


 囁くように呟く男の声が、脳に染み渡っていく。

 コレを持っていれば、私の嫌いな奴が居なくなる。

 まるで現実味のない言葉だというのに、何故か疑う気持ちが湧いてこない。


 「……わかったわ」


 「では、よろしくお願いしま――」


 「「どらぁぁぁぁぁ!」」


 会話の途中で、そんな大声が響き渡った。


 「え?」


 野太いその声が鼓膜を揺らした瞬間、ハッと目が覚めた様な感覚に襲われた。

 今まで私は何をしていた?

 何故こんなおかしなモノを受け取っている?

 改めて相手の男の顔を睨めば、彼はこちらを見ていなかった。

 怯えた様な表情を浮かべ、冷や汗を流しながら震えている。


 「ば、ばかな……なんだアイツは……」


 彼の視線を追って、駅のロータリーの方へと目を向ければ。


 「どうしたどうしたぁ! 結局もやしっ子かテメェはぁ!」


 「ぬぅぅん! まだまだぁ!」


 「くっ、やるじゃねぇかぁ!」


 ガタイの良い2人が、何故か炎天下の中腕相撲をしていた。

 その周りには人だかりが出来ていて、紙束を胸に抱えたお姉さん達がオロオロと周りを見回している。


 「ちょっとあの、困りま――」


 「まって、これはチャンスよ! これだけ人が足を止めているのよ!? 今の内に私達のノルマを終わらせるわよ! なにか菓子袋買って来て! アンケート後のプレゼント品を増やすわよ!」


 「は、はい!」


 どういう状況なのかさっぱりわからないが、お姉さんの一人がコンビニに向かって走り始め、もう一人が大きな声で周囲に集まったギャラリーに満面の笑みを向け始めた。


 「すぐそこの753結婚相談所でーす! アンケートお願いしまーす! 良かったら最後に、この腕相撲どちらが勝つか予想をお願いしまーす! 見事予想的中させた方には粗品プレゼントでーす!」


 本当に、何が始まったのだろう。

 はて、と首を傾げながら視線を戻せば、さっきの男は姿を消していた。

 どこにいったんだろう、最後何か凄く慌てていたみたいだけど。

 まぁいいか、知らない人だし。


 「あ、そういえば何か石……って、あれ?」


 掌に視線を落とせば、そこには真っ二つに割れた黒い石。

 さっきまではこんな状態ではなかった気がしたけど……これ、どうしよう。


 「あ、そちらのお姉さんもよろしければお願いします! アンケートだけでも結構ですので!」


 さっきのお姉さんがいつのまに近寄って来ていたらしく、バインダーごと一枚の用紙を渡されてしまった。

 思わず受け取ってしまい目を向ければ……。

 “753結婚相談所”

 今の生活に満足していますか?

 運命の相手は待っていても見つからない! 動くなら自分から! 掴もうその手で幸せを!

 凄いグイグイ来る内容が書かれていた。

 その下には「ご結婚はなされていますか? 好みのタイプは?」みたいな質問事項がズラリ。

 ほとんど〇×で答えるモノだったので、そこまで時間はかからないだろう。

 普段ならお断りする所だが……。


 「結婚、かぁ……」


 呟いてから質問事項をスラスラと答えていき、最後の項目「何かご意見があれば」という所にたどり着いた。


 「あ、特になければソコは今やってる腕相撲の予想とか感想とかでも」


 お姉さんが嬉しそうにニコニコ笑顔で促してくる。

 では、言われた通りに。


 『腕相撲している二人の様に、子供みたいに元気で、毎日を楽しそうに送る人が良いです』


 とだけ書いて、バインダーをお姉さんに返した。


 「ご協力ありがとうございます!」


 「入会します」


 「え?」


 「待っていても変わらないんでしょ? そう書いてありましたし。だから、入会してみようかなって」


 そう言うと、お姉さんは満面の笑みで頭を下げた。


 「ありがとうございます! ではご案内……は、あの勝負が終わってからの方がいいですかね?」


 「ですね、私もちょっと興味あります」


 二人して笑い合い、腕相撲大会の近くまで歩み寄る。

 途中、ふと思い出して左手に握られている割れた黒い石に視線を落とした。


 「いーらない」


 何となく上機嫌で、近くにあったゴミ箱にその石を放り込んだのであった。


 「その筋肉、神に返しなさぁぁぁい!」


 「おまえ! ちょ、捻るのはずるいぞ! あ、ちょ、のああぁぁあ!」


 腕相撲は、若い方の人が勝った。


 ――――


 「さて、それじゃ最後の質問の答えだ。“異能は消せるか”。結果から言えば、無理だね」


 奏さんの言葉に、一瞬思考が止まった気がした。

 いけない、しっかり話を聞かなくては。

 一度深呼吸してから、眼鏡をクイッと持ち上げる。


 「しかしさっきの想いは力、みたいな理論からすると不可能ではない気が……」


 「それとコレは別だよ。異能ってのは生まれ持った才能みたいなもんだ、小娘の様に呪われて発現する場合なんかだったら何とかなるかもしれないけどね。違うなら手詰まりだ、諦めな」


 「ちょ、ちょっと待ってください! それは呪いを受けた場合限定なんですか!? 先天的な異能の持ち主と、後天的な持ち主の違いとかは……」


 自分で言いながら、決定的に勘違いしている事に気づいた。

 そもそも後天的な、なんて考えが間違いなんだ。

 黒家さんは呪いによって“感覚”を得た。

 それ以外の“後になって異能を得た”と感じられる人物というのは、後になって発見されただけ。

 元から持っていたモノが、使い方が分からないからこそ使えなかっただけなのだ。

 そして話を聞く限り、“異能”とは全てが呪いから生まれている訳ではない。

 それこそ一部の人間が発症する持病みたいなものだ。

 多分、そういう事なんだと思う。


 「その顔だと、自分が言っている事に意味がないって分かってるみたいだね。過去の事例でも“意図的に”能力を消したって話はないよ。呪いを消すと同時に、力も失ったって話はあるけどね」


 項垂れたまま、奏さんの言葉を受け止めた。

 もしかしたら別の方法があるかもしれない、それを試せばいいじゃないか。

 まだ見つかっていない方法や、隠している何かがあるかもしれない。

 そんな事ばかりを考えるが、頭の中は依然真っ白のままだった。

 しかし。


 「だが、弱くすることは出来る。回数を重ねれば、ほとんど普通の人間と変わらないくらいにね」


 え?


 「聞きたいかい? なんて質問は意地悪だね。この方法はね、異能だけじゃなく“見える力”そのものを弱くするのさ。私も昔はもっと力があったんだけどね、今じゃこの通りさ」


 ため息を吐きながら、両手を持ち上げ軽く笑って見せる。

 どういうことだ? この人もその方法を試したという事か?

 しかし今も彼女は退魔師を続けている。

 一時期はその力を捨てようとしたという事なのか、それとも普通に生きている内に行う行為なのか。

 こればかりは他の皆も食いつき、身を乗り出す様にして奏さんを見つめている。


 「“血を薄める”のさ。文字通りの意味じゃないよ? 血液におかしなもんを混ぜたら死んじまう。そうじゃなくて、子供を作るのさ。その子供には異能が移る……“可能性”もある。だがどっちにしろ、私達の能力は弱くなる。二人三人と子供を作れば、どんどんと“普通”ってヤツに近づいていくんだよ」


 その言葉に、全員が静まり返った。

 え? は? なんて?

 あぁ、あれかな?

 血を分けたーみたいな。

 それでどんどん弱まっていくみたいな。


 「これは男でも女でも一緒だよ。そして異能ってのは不思議なもんでね、親の場合は10から5分けたから、残りは5。みたいに減っていく癖に、子供に5受け渡されるとは限らないんだよ。持っているのが10分の1だったり、8だったりとまちまちだ。もしくは親以上の能力を持って生れてくる子も居る。こういうのは“先祖返り”なんて呼ばれるんだけどね。要は“きっかけ”だけを受け継ぎ、その度に親の力へ減っていくって事だね」


 更に続く説明に、皆目が点になる。

 なにそれ、幸せになれば悩みも減るよ、みたいな?

 つまりあれか?

 こんなにも難しく考えていたこと自体がそもそもの無駄で。

 異能を消したければ、さっさと結婚して子供を作って幸せになれって?

 もしかして、昔の霊能力者が子供を作りたがらなかったって話はココから来ているのか?

 あぁいや、ソレは今どうでもいい。

 落ち着け、落ち着け僕。

 なんて事をやっていると、黒家さんが急にスマホを取り出した。


 「巡、どこに連絡を取ろうとしているのかな? ん?」


 「お気になさらず、脱“見える人”の為に先生に救援を頼もうとしているだけですから」


 「止めんかー! 行動力! なにその行動力! 貞操観念ってものはないの!?」


 早瀬さんと椿先生が、物凄い形相で黒家さんを取り押さえ始めた。

 すごい、行動力が凄い。

 ちなみになんて連絡するつもりだったんだろう。

 ちょっと子供作りませんか? とか言い出しそうなんだけどこの人。


 「ま、まぁ程々にね? アンタ達」


 奏さんも流石にドン引きされておられる。

 因みに伊吹さんは腹を抱えて笑ってるし、部長は顔を真っ赤にしてそっぽ向いてる。

 今更だが、この空間に男一人ってのが凄くいたたまれない。

 お願い先生、早く帰って来て。


 「と、とにかく聞きたい事はこれで終わったかい?」


 「あ、はい。ありがとうございました。また何かあった時お聞きしてもよろしいですか? もしよろしければ、連絡先を教えて頂けると……」


 「ほら、私の番号だ。仕事中以外だったら聞いてやるよ」


 差し出されたのは、なんとガラケー。

 しかもアレだ、ラクラクなんちゃらみたいな奴だ。


 「……なんだい?」


 「いえ、なんでもございません」


 この見た目でも、やっぱり御婆ちゃんなんだな……なんて、言ったら殺されそうだけど。

 大人しく連絡先を登録し、僕の番号も教えた所で玄関から声が聞こえてくる。


 「ただいまぁ、待たせたなー買って来たぞー」


 「遅くなった、すまんなぁ」


 のっしのっしと足音が近づいて来て、開けっ放しの扉の向こうからひょこっと顔を覗かせる草加先生達。

 お待ちしておりました、えぇそりゃもうお待ちしておりましたよ。


 「おう、遅かったね。お疲れさん」


 「ふん、どこで油をうってたんだい?」


 年長組は余裕の表情で二人を出迎えるが、問題はそこじゃない。

 帰って来た二人の視線は部屋の奥へと流れていき、そのまま固まってしまった。


 「なぁ……これどういう状況?」


 「巡ちゃん、なんで取り押さえられてんだ?」


 ですよね、そうなりますよね。

 僕も良く分かんないです。


 「おかえりなさい、先生とお義父様。先生、いきなりで大変恐縮なのですが、子づくりに興味はありませんか?」


 「……熱中症? 大丈夫? 病院行く?」


 今日だけは、草加先生が物凄く常識人に見えたのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る