第41話 こっくりさんと狐憑き 3


 どれくらい時間が経っただろう?

 ふと目を開けてから、自分が眠っていた事に気が付いた。

 視線を動かせば、ケモミミを生やした早瀬さんが泡をシャワーで洗い流している姿が見える。

 そこまで時間は経っていない様だ。

 とはいえ、時間を無駄にしてしまったのは確かだった。

 体のほうも相当疲れているのか、未だ眠気が遠のいてくれない。

 一日の内に幽霊の集団から追われたり、デカい狐の口に収まったりしたんだから当然と言えば当然かもしれないが。

 なんて言い訳したところで事態は好転しないのは分かり切っている。

 今までだって危ない経験はしてきたし、これくらいでへばってはいられないのだ。


 「あー、えっと早瀬さん」


 私がこんな状況で居眠りをかましたというのに、彼女は嫌な顔一つせず「ん? どしたの?」と、笑いながら振り返った。


 「すみません、少し眠っていたみたいです」


 「ちょっと、気を付けてね? お風呂で寝ると危ないよ?」


 まるで日常会話だ、今のおかしな状況で話す内容とは思えない。

 彼女だって心身ともに大丈夫という訳ではないだろうに。

 私が感情をぶちまけた瞬間、鏡に映る彼女の顔はとてもじゃないがお気楽なソレには見えなかった。

 早瀬さんだって色々考えているのだ。

 こんな状況になって一番困惑し、一番怖いのは誰かと聞かれれば、先ず間違いなく彼女だろう。

 そんな中彼女は「気を張るな」と言わんばかりに笑い、無理やり平静を装っていた様に見える。

 呆れもしたが、その余裕が羨ましくも思えた。

 もしかしたら余裕なんかなくて、無理にでも絞り出した笑みだったのかもしれないが。

 だとしても、絡まったように答えの出せない私の思考回路を、一旦止めて落ち着かせてくれたのは確かだ。

 早瀬さんは強い人だと、改めてそう思う。

 まったく、敵わないな……。

 彼女が初めてヤツらと向き合うと決めたその日に『上位種』と遭遇し、『迷界』に連れていかれた。

 それでも彼女は折れず、涙も見せても最後まで立ち向かってみせたのだ。

 当時私が初めて『上位種』と出会った時とは比べ物にならない。

 泣いて震えて、何も出来なかった私とは大違いだ。

 そんな彼女の異能の『眼』、私なんかよりずっと先生の隣に立つのに相応しいとさえ思ってしまう。

 私の半端としか言えない『感覚』と違い、彼女の瞳には0か1しか映らない。

 もしも何かがその瞳に映ったのであれば、先生がそれを殴れば良いだけ。

 何と効率のいい組み合わせだろう。

 素晴らしい、最高じゃないか。

 ヤツらに怯える事も、普段から警戒する必要もない。

 最適化されたその組み合わせが叶った瞬間、私の居場所なんて無くなるんだろうが。

 自傷気味な笑いが零れる。

 結局いつもこうだ。

 私が巻き込み、周りが被害を受ける。

 足掻けば足掻くほど、周りの人が傷ついていく。

 今回だってこんな降霊術を始めなければ、彼女だって……なんて事を思っていたら、ふと思い出したように早瀬さんが明るい声を上げた。


 「そういえばさ、さっき……っていう程さっきじゃない気がするけど。私の事名前で呼んでたよね? 夏美って」


 「はい?」


 完全に予想外な発言に、思わず思考が止まった。


 「だからさ、名前呼んでくれたじゃん? なのに今は苗字呼びに戻ってるし……何か妙に気になっちゃって。あとそれから、巡が投げたピカーッて光るヤツ。あれ何投げたの? 防犯グッズでも見た事ないけど」


 困った。

 悩んでいた内容や、現在考えるべき内容の斜め上……どころか全く関係ない質問が飛び出してきた。

 思わず「何言ってんだコイツ」みたいな目で彼女を見てしまったが、当の本人は特に気にしていないご様子で、私の返答を待っている。

 なんだろうな、うん、なんだろう。

 こんな人、今まで周りには居なかった。

 誰しもが私に嫌悪感を示し、近づいてさえ来なかった。

 だというのに、彼女はどうだろう。

 さっさと教えろとばかりに耳を揺らし、尻尾をぶんぶん振っている。

 あぁ、なんというか……相手の感情が目に見えて分かるというのは、とても便利だ。

 ため息の後に、思わず笑ってしまった。


 「投げたのはお手製の閃光手榴弾モドキ……みたいなものです。売っていたHIDが太陽光に近いとか書いてあったんで、使えるかなと思って作ってみました。当然目や耳に影響が出る程強力な物じゃありませんから安心してください」


 「え、なにそれ怖。そんな材料どこで買ってくるのよ」


 「最近のホームセンターって便利ですよね」


 若干引き気味な彼女に、笑顔で答えた。

 しかし何故かよりドン引きされた様で、ちょっと心外だ。

 元々売ってる物を組み合わせて作ったのだから良いじゃないか、更にそのお陰で実際助かっているのだ。

 ホームセンター様様、というか崇めてもいい状態だと思うんだが、どうした事だろう。


 「まぁそっちの話はいいや。ほら、最初の話! 名前で呼んでくれてたじゃん、これからは名前で呼んでよ」


 「嫌です」


 「なんでさ!」


 キシャー! とばかりに毛を逆立てて怒る早瀬さんを見ながら、やれやれと肩を竦める。

 正直呼び方なんてどうでもいいじゃないか。

 あの時は緊急事態だったし、正気に戻すにはやっぱり名前の方がいいのかなぁ……なんて思って呼んでみたりした訳だが。

 まぁ確かに? 以前早瀬さんに名前を呼んでもらった時、ほんの少しだけ……うん、ほんの少しだけ、嬉しかった気がしないでもない……とは思うが。

 改まって言われると、ねぇ?


 「もしかして巡、照れてる?」


 「だ、誰が!」


 あっ、と思わず口から零れた。

 自分でも予想以上に過剰な反応をしてしまった……これは不味い。

 見るからに早瀬さんの口元が吊り上がっていくし、笑いを堪えているかのように肩がプルプルしている。

 自らの顔に熱が籠っていくのが分かる。

 思っていた以上に『図星を突かれた』という表現がしっくり来てしまって、もはやまともに顔が見れなくなってしまった。


 「巡ってそういう可愛い所あるよねぇ。ほらほら、呼んでよ~」


 「こ、こいつは……!」


 調子に乗ったにやけ顔が近づいてくるのがちょっと頭に来て、思わず脳天にチョップを叩きこんだ。

 多分昼間と同じくらいか、もしかしたらもっと力を込めて。


 「いったぁぁ……くない? え?」


 「あれ?」


 はて、どうした事だろう? 昼間はアレだけ痛がっていたというのに。

 さっきすっ転んでタイルに顔面から行った際に、痛覚が逝ってしまったか?


 「ていっ」


 「あいたっ」


 試しにもう一度。


 「いや、あのね? 昼間のより痛くないかなってだけで、全然痛くない訳じゃないから止めて? その振り上げた手刀を下ろそう、そうしよう?」


 ふむ、どうやら痛覚が死んだ訳じゃないらしい。

 となるとやっぱりケモミミの影響だろうか?

 本当に何なのコレ、耳と尻尾だけじゃ飽き足らず、身体強化とかされちゃってるんだろうか?

 とはいえ今から試しに走ってこいとか言えないしなぁ、そもそもケモミミだし裸だし。


 「よくわかりませんが、とりあえず今は早瀬さんの石頭や、呼び方がどうとか言ってる場合じゃありませんね。はやくその耳と尻尾をどうにか切除しましょう」


 「だから言い方……っていうか切除は止めて、めっちゃ痛そう。それから、名前呼びー!」


 まだ言うか。

 もはや呆れを通り越してどうでもよくなってきた。

 耳と尻尾がどうにもならなかったら、先生には早瀬さんがコスプレに目覚めたとでも言っておこう。

 そうすれば最悪家に帰るまでは時間が稼げる、もうそれでいいや。


 「あーはいはい、分かりました。じゃあ私がお風呂から出る前までに、その耳と尻尾どうにか出来たら呼んであげますよ」


 「ほんとに!?」


 「ホントホント。それじゃ私は先に出ますね、そろそろのぼせそうなので」


 「はやいはやいはやい、もうちょっとだけ待ってってば!」


 わざとらしくため息をつきながら、上げた腰を再び浴槽の中に沈める。

 あと数分待ったところでどうにかなるとは思えないが、彼女は必死に耳を引っ張ったり頭の中に押し込もうとしたりと、様々な方法を試している。

 やっぱりもう先生に引っこ抜いてもらうのが一番な気がしてきた。


 「はい後十秒ー」


 「えぇ!? ちょっと、ホントに!?」


 これ以上は時間の無駄だろう、なら制限時間でも付けてさっさと終わりにしようなんて思ったのだが……効き目は予想以上にあったらしく、早瀬さんが唸ったり拝んだりといった奇行を始めてしまった。

 ちょっと可哀想に思いながらも、カウントはもちろん進める。

 そうすれば彼女の奇行も収まるだろう。


 「ごー……よーん……さーん」


 「あぁもう! 出てげとは言わないから、とりあえず引っ込んでよ! 耳! 尻尾ぉ!」


 もはやヤケクソなんだろう。

 やれやれと肩を落としながら私は目をつぶった。

 気が抜けたのもあって、結構眠気が迫ってきている。

 このカウントが終われば、非常に眠気を誘うお風呂から出られるのだ。

 先生の家のお風呂を一晩借りる訳にもいかないので、さくっと済ませてしまおう。


 「にーい……いーち……はい終了ー。お風呂あがって、先生に見てもらいますか」


 「そ、そんなぁ」


 一度大きく体を伸ばしてから、瞼を擦る。

 流石にこれ以上は不味い、本当に眠ってしまう。


 「もしかしたら先生の『腕』ならなんとかなる、かも……え?」


 「なに?」


 眠気が一気に吹っ飛んだ気がした。

 目を開けて、真っ先に視界に飛び込んできたのは……徐々に徐々に、早瀬さんの体の中へと入っていくケモミミと尻尾。

 それに合わせるかのように彼女の髪の色も、段々と元の色を取り戻していっている最中だった。


 「キモッ!」


 「ひどっ!? って何が!?」


 何か耳とかモゾモゾ動きながら頭の中に入っていくし、尻尾だって掃除機のコンセント収納みたいににゅるにゅる戻っていくし。

 もうちょっとまともに……というかこう、パッと出てスッと消えるみたいなのを想像してたんだけど。

 怪異のソレっていうより、亀とかが殻に籠るときみたいな動きだ。

 やっぱりちょっとキモイ。


 「あぁーえっと早瀬さん、おめでとうございます」


 「だから何が?」


 「鏡を御覧なさいな」


 未だ事態を飲み込めてない彼女は、頭の上に「?」マークが飛び交っていそうな表情だ。

 しかし鏡を覗き込んだ所で、目を見開いたまま「おぉぉぉぉ!」なんて言いながら今まで耳の生えていた辺りを撫でまわしている。

 うん、よかったよかった……のかな?

 アレまだ体の中にいるんだよね? 平気なのかな。


 「取れた! 取れたよ巡!」


 「いえ引っ込んだだけです、にゅるって感じで」


 「にゅ、にゅる……」


 その光景を想像したのか、それとも未だ自らの体の中にアレが居るの事を考えたのか。

 苦虫を噛み潰したような表情で、早瀬さんは鏡を睨んでいた。

 まあ仕方ない事だとは思うが、今はどうしようもない。


 「とりあえずお風呂から出ましょうか、あまり先生を待たせておいても可哀想ですし」


 未だ興奮の収まりきらない様子の早瀬さんの後ろを通り抜け、浴室の扉を開けた。

 少し長湯しすぎた影響か、それともさっきまでカレらが居た影響がまだ残っているのか、浴室の外の空気は冷たい。

 しかしその冷たさも、トラブル続きで血が上った頭を冷やすのには良かったのかもしれない。

 さて、この後は出しっぱなしにしてある道具を片付けて、それから——


 「あっ、巡。忘れてる」


 「はい?」


 まだ何かあるのかと、少しげんなりした気持ちで振り返ると、そこには満面の笑みの早瀬さんが。

 忘れているなんて言うものだから、浴室に何か忘れ物でもしたのかと考えたが、彼女の手には何も握られていない。

 というかよく考えれば、二人揃って忙しく逃げ込んできた後服を脱ぎ捨てたのだ。

 特にコレと言って持ち込んだ記憶はないが……。


 「忘れたの? 巡がお風呂あがるまでに耳と尻尾どうにかしたら、名前で呼んでくれるって言ったじゃん」


 「あぁ~、そんな事も言いましたね……」


 「ひどいなぁ、もう」


 ケモミミ収納のインパクトで完全に忘れていた、というかよく覚えてたなこの子は。

 再びため息の一つでも漏らしそうになる所で、彼女は「ホラッ! ホラッ!」と捲し立てる。

 あぁもう、なんかどうでもいいや。


 「別に呼び方なんてどうでもいいじゃないですか……ほら、早く行きますよ。夏美」


 「素直じゃないねぇ巡は」


 貴女が色々真っすぐ過ぎるんですよ……なんて思ったりもするが、もういいや。

 反論するのも面倒くさい、とにかく疲れた。

 長湯しすぎたのか少しだけ顔が熱い気がするが、きっと気のせいだ。

 未だ背後で騒いでいる早瀬さ……夏美に見られない様に顔を反らしながら、私達は先生に用意してもらったタオルを頭から被った。

 後は乾かしてもらっているはずの服を回収して……って、あれ?


 「どうしたの?」


 急に動きを止めた私を不審に思ったのか、長い髪の毛の水分を拭きながら彼女は肩越しに顔を出す。

 これはまた、困った事になったかもしれない。

 もはや何も言うまいと、黙って指さした先にあるのは。

 ゴゥンゴゥン! と未だにデカい音を立てながら回っている洗濯機。

 そのモニターには”脱水中”の文字が光っている。

 つまりこれは。


 「乾燥じゃなくて……洗濯してない? コレ」


 あぁこれはアレだ、しばらく帰れそうにないな。

 思わず二人して乾いた笑いを漏らしてしまった。

 なんだろうな、今日は。

 トラブル続きだ、もはや早く寝たいというのに。


 「とりあえず、先生に何か服借りましょうか……」


 「あぁーうん、それしかないねぇ」


 とりあえず”今日の部活動”は終わった。

 もういろいろグダグダだったが、とにかく皆無事だったんだから良しとするべきか、トラブルばかりの徒労だった考えるべきか。

 正直私にはどちらとも言えるが、もう今日はいいや。

 難しい事は明日考えよう、明日になって部室に集まってからもう一度話し合おう。

 どうせ今日は答えが出ないだろう、もはや頭が回ってくれない。


 「これはアレだね、まさかの彼シャツだね」


 「ほんっと、ブレませんね。貴方は……」


 今度こそ大きなため息漏らし、大きな声で先生に呼びかけた。

 果たしていて彼がどんな服を持ってくるのか、ちょっと興味があったりしないでもないが。

 なんて事を思いながらバスタオルを体に巻き付け、先生の到着を待つ私達。

 その耳に、どこからか鈴の音が響いた気がした。

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