第42話 女狐


 「駄目だ、眠い……」


 高く上る日の光が、職員室の窓から煌々と降り注ぐ。

 ある者は次の授業の準備を、ある者は忙しそうに自らの机に向かっていたり。

 そんな中、この室内では若輩者に部類されるであろう俺だけが再び机に突っ伏していた。

 その原因は寝不足であり、事情の半分くらいは自己責任だが、あと半分は例の”部活動”のせいなのだ。


 昨日の夜。

 アパートに帰ってからの空飛ぶパンツ事件……は、まぁいい。

 あんなの序の口だ。

 何故か部員二人して風呂に入っていたあいつらは、事もあろうかバスタオル一枚で脱衣所から顔を出しやがった。

 お前ら仮にも男の部屋に上がり込んでる事を忘れているのか、なんて説教してやろうかと思ったが、どうやら俺が洗濯機の操作をミスしてあいつらの服をまとめて洗濯してしまったらしい。

 当然洗濯が終わってから乾燥、という順番になるのでそれなりに時間が掛かる。

 その間バスタオル一枚で過ごせと言う訳にもいかず、俺の服を貸す事になったのだが……なんて言いますか、独身の一人暮らしとしては破壊力が絶大だったのだ。

 いや絶大過ぎた。

 何故か部屋の中がガンガンに冷房でも入れていたのかという程冷え切っていたので、TシャツやらYシャツではなく、二人揃ってパーカーとジャージのズボンを提供した訳だが。


 「ズボンは大きすぎてずり落ちちゃうので」


 なんて言いながらパーカーのみで二人が俺の部屋に登場した。

 生涯言われてみたい台詞にランクインしそうなソレを淡々と吐きながら、余った袖を引っ張り上げて、腕まくりしている黒家。

 恥ずかしそうに服の裾を引っ張って、どうにか足を隠そうとしている早瀬。

 誰しも男なら夢見た事があるだろう、女の子が男物の服一枚で登場するアレである。

 男物の服は彼女達には大変大きかったようで、一枚だけでも結構隠れる訳だが……所謂萌え袖状態でチマチマ歩く早瀬と、主張の激しい胸部によりミニスカのような格好になっている黒家。

 はっきり言って目のやり場に困る。

 拷問かな?

 なんて思えてくる状況だが、予想外な事に黒家は随分とお疲れらしく「乾燥が終わるまでベッド貸してください」なんて一言を残し、人のベッドでスヤスヤと小さな寝息を立て始めた。

 おい女子高生、そんな貞操観念で大丈夫か?

 真顔でそんな事を言いたくなったが、幸い早瀬は起きている。

 間違いなど起こるはずもない。

 そう思っていたのだが……数時間後。


 「ホラッ! 草加先生そこっ! あっ、そこだってば!」


 「え? あ、ここか? いやこっちの方が……あ、やべぇ!」


 「だからホラ、ちょっと右の方に……あっ」


 「あっ……」


 「「ス〇ーーーク!」」


 「……アンタら何やってんですか」


 俺たちの声が騒がしかったのか、黒家がベッドから体を起こした。

 目を擦りながら、未だ眠いのか欠伸をかみ殺している御様子。

 ちょっと新鮮な光景ではあるが現在の恰好を忘れているのか、無防備な裾周りが非常に心もとない。


 「あ、ごめん巡。うるさかった?」


 隣に座る早瀬が、苦笑いを浮かべながら黒家の方を振り返る。

 現在俺たちは敵軍の基地に単独で潜入するステルスミッションの真っ最中なのである。

 もちろんゲームの話だが。


 「いや、まぁ……いいんですけど」


 実は寝起きが弱かったりするのか、黒家の視線はまだゆらゆらと揺れ動いており、頭も船をこぐようにフラフラしている。

 ベッドに座るのはいいが、まず腰回りを隠してほしい。

 未だ無防備に晒されているふとももが、非常に目の毒なのだ。

 

 「えっと、巡大丈夫? もう少し寝る?」


 心配そうに黒家に近づく早瀬。

 思いの他盛り上がってしまったゲームの影響で緊張感が途切れたのか、彼女の方も結構危ない。

 片方の肩に何とか引っかかっている程度で支えられているパーカー。

 それは引っ張ればずり落ちてしまいそうな程、首元が露出している。

 ということはもちろん肩周辺やら鎖骨辺りは随分とオープンワールドされており、黒家と比べればまさに健康的という言葉が似合う肌色がおっさんアイには眩しいのだ。

 さっきまではゲームで何とか気を紛らわしていたが、気にし始めるとどうしても視線が行ってしまう。

 動く度に揺れ動く衣服を思わず視線が追いそうになるが、という事で自分の額に拳をぶち込むことでなんとか平常心を保っていた。

 もう早く元の私服に戻ってくれ……なんて思った所で、やっと思い出した。


 「……なぁ、そういやもう乾燥機終わってるんじゃないか?」


 「あぁ、そういえば……そうでしたね」


 乾いた笑いを浮かべる早瀬に連れられて、黒家もフラフラと脱衣所に姿を消した。

 その後早瀬から、服のボタンが取れたからパーカーをこのまま貸して欲しい、なんて言われた事以外は特に問題なくその日の部活動は幕を下ろした。

 二人を車で家まで送り、俺は帰って来てすぐにベッドに転がってしまった。

 随分と遅くまで掛かってしまった上、すっげぇ疲れた。

 さっさと寝て明日に備えないと。

 そう、思っていたのに。


 「なんだ……この匂いは……」


 ベッドからは、普段嗅ぎ慣れない香りが漂っていた。

 普段とは違う匂いに、中々寝付けずにいた俺。

 当然俺は香水なんてつけない、芳香剤もあまり好きではない。

 だから原因なんぞ分かっている、黒家がここで寝ていたからだ。

 とは言えたった数時間だぞ? こんなに変わる物か?

 嫌いな匂いじゃないし、むしろ普段のベッドより何倍もいい香りがしているのだろう。

 だというのに……


 「ね、眠れる気がしねぇ……」


 トラブル続きで脳みそにアドレナリンがドバドバしているのもあるかもしれないが、それ以外の要因も大きい。

 時間があるからといって、早瀬とゲームなんぞ始めなければ洗濯機の事を忘れる事もなかっただろう。

 黒家にベッドを貸さなければ、布団に入った瞬間こんなにも眼が冴える事はなかっただろう。

 そして何よりいちいち口うるさく注意してやれば、アイツらだってあんなにも無防備に肌を晒したりしなかったであろうという事だ。


 といういくつものミスが重なり、現在寝不足の俺は机に突っ伏しているのである。

 だからどうか、この場で眠る事を許してほし——


 「ごほんっ!」


 またか、まだ風邪気味なのかハゲ。

 もはやその咳を聞くだけで誰か分かってしまう。

 例の如く教頭先生な訳だが、以前はしばらく声を掛けなかった事に腹を立てられてしまったようなので、お利口に背筋伸ばして上半身を起こした。


 「はい、どうしました教頭先生」


 少し勢いを付け過ぎたのか、ビクッと肩を震わせた教頭先生は改めてゴホンッと咳をかましてくる。

 だからマスクをしろというのに、パンデミックでも起きたらどう責任を取るつもりだ。

 などと規模の小さい感染爆発の事態を気にしながら振り返ると、教頭先生はやれやれと肩を竦めた。


 「はぁぁ……とりあえず、机に突っ伏さない様に。生徒もチラホラ入ってきているからね」


 「はい教頭、了解であります」


 「君って妙に体鍛えてたり、動きが変な所で俊敏だったりするけど……元自衛官だったりするのかい?」


 「いやぁ、それはないっすね」


 「あっそう」


 それだけ言うと、教頭先生は頭に手を当てながら去って行った。

 頭痛だろうか、お大事に。

 さっさと風邪くらい治してほしいものだ。

 とはいえ俺も人の事は言えない。

 体調不良ではないが、とにかく眠気が酷い。

 もはやこれは緊急事態だ。給湯室に逃げ込んでこっそり寝るか、誰が持ち込んだか知らないコーヒーでも拝借して目を覚まそう。

 欠伸をかみ殺しながら給湯室の扉を開くと、そこには既に先客が座っていた。

 流し台に腰を預け、艶めかしく足を組みながら。


 「あら、草加君。随分と眠そうね」


 「チッ、椿か」


 「なんで舌打ちする、冷たいなぁ。あっ、コーヒーでも飲む?」


 「飲む」


 「あいよー」


 現在いろんな意味で会いたくない奴に、最悪の場所で遭遇してしまった。

 いつも通り面倒な事でも持ち掛けられないか少しだけ不安になりながら彼女を見ていたが、特に何も言わず俺の分のコーヒーを淹れ始める。

 今日は安全な日か? 本当に大丈夫な日か?

 口に出したら二秒で鉄拳が飛んできそうな事を考えながら、恐る恐る椅子に腰かけた。


 「砂糖とミルクはー?」


 「いらんでござる」


 「承知、どうした草加殿、睡眠不足でござるか」


 妙に上機嫌な様子でノッてくる椿に対して、多少不信感が薄まる。

 こういうテンションの時の彼女は多分大丈夫だ。

 色っぽく責めてくる時は大体面倒事なので注意しなければならないが、学生時代の悪友みたいな感じで接してくる時は問題ない。

 単純に機嫌がいいだけだろう。

 

 「はい、ブラック。……どした? 私の顔に何か付いてる?」


 「あぁいや、なんか妙に上機嫌だなと思ってさ」

 

 俺の一言がきっかけになった様で、彼女は薄い胸を張りながら両手を腰に当てて笑みをを浮かべた。

 その顔はとてつもなく鬱陶しいドヤ顔である。


 「実はね、私のクラスの子で部活に入ろうか迷ってるって相談を受けちゃったの。それでたまたま、たまたま私がよく知っている人が顧問をやってる部活だったから仲介を頼まれちゃったのよ!」


 そりゃまた、随分と信頼されているご様子で。

 確かに椿は生徒からの人気は高いし、普段から猫被ってるので相談なんかは結構持ち掛けやすい雰囲気らしい。

 表面上は俺なんかよりずっと”教師らしい教師”ってやつだ。

 そんな彼女が相談事を持ち掛けられたくらいで、こんなにテンションが上がっているのは珍しくも感じるが……そこはやり受け持ったクラスの生徒からの相談だからなのだろうか?

 だとすると彼女は実にいい先生なんだろう。

 普段猫を被っているとしても、アイツらの期待に応える事にこれだけ喜べるのだ。

 こればっかりは手放しに褒めてやりたい気持ちになってくる。


 「それでね? その部活は二年生しか居ないから、やっぱり不安みたいなのよ? だからその子が馴染めるように私が副顧問名乗り出たら、校長からも一発OK貰ったの! 凄くない!?」


 「おぉーそりゃまた、随分と思い切ったな。とは言えすげぇじゃん、新しい部活作るのに顧問すら見つからない状況がほとんどだってのに。副顧問が通るなんて」


 「でしょでしょ!?」


 高校生と言えば、興味が向けば全力で突っ走ってしまうお年頃だ。

 やれ軽音部が作りたいだとか、フットサルの部活が欲しいだとか、色んな要望を耳にする。

 とはいえ結局顧問の先生が見つからずに諦める者たちが多いのだ。

 理由は至極簡単で、そこまで余っている教員がいないのである。

 大体はどこかの部活の顧問を受け持っていたり、今までの椿の様に何だかんだ理由を付けて断っている教師がほとんどだからだ。

 こいつの場合は面倒だからだとか定時で帰りたいとか、そんな話を聞いたことがあった気がしたが。

 それでも自らが受け持つクラスの子供たちは、やはり特別なんだろう。

 彼女がここまでやる気になっているくらいだ、それこそ学校側としてもメリットのある部活、というか名前を売れるくらい力を入れている部活の副顧問になったのだろう。


 「それで、どこの部活なんだ? サッカーとか野球はうちの高校弱かったし……バレーとか?」


 お世辞にもウチの高校の運動部は、強豪校なんてとてもじゃないが言えたもんじゃない。

 しかしながら部員達の士気は高い。

 毎年一回戦敗退をしっかり決めてくるが、無駄に暑苦しい少年野球みたいな雰囲気なのだ。

 面倒くさがりの椿がその辺りに行くとは思えないし、やはり女子メインの部活動だろうと予想するが。


 「ずばり! オカルト研究部ですよ!」


 「ん、コーヒー旨いな、サンキュ」


 「おい聞けよ!」


 こいつは何を馬鹿な事を言っているのだろう。

 お忘れかもしれないが、そもそもウチの部活はオカルト研究部(超常現象同好会)なのだ。

 そう同好会なのだ、多分。

 この学校では部員が三人以上いないと、まず部活動としては認められない。

 だかこそ副顧問なんぞ付ける筈もないし、付く必要すらない。

 やる事といえば生徒のお目付け役程度で、多くの人員を割く許可なんぞ下りる筈がない訳だ。

 だというのに、こいつは何を寝ぼけた事を言っているのだろうか。


 「あぁいや、草加君の言いたい事は分かるよ? でも私が連れてく子を入部させれば、しっかり部活になる訳。だったら副顧問が付いても問題ないでしょ?」


 俺が何か言う前にどうにか外堀りを埋めようとしているのか、やけに説明口調の椿。

 もしかして校長やら教頭にも、こんな風に説明したんだろうか。


 「とは言ってもまだ正式に入部した訳じゃない。しかもウチはコレと言った成果を上げている訳でも、学校に貢献してる訳でもないんだぞ? そんな部活に副顧問の許可が下りるとは到底——」


 「草加君さ、合宿許可かなり頻繁に取ってるでしょ?」


 「ぶっ!」


 何故そんな事を知っているのか是非ともお聞きしたい所だが、今のニヤついた彼女から聞き出すのはとても危険に思えた。


 「女の子しかいない部活だっていうのに、色々とマズイんじゃない? その辺りも交渉材料に含ませてもらったけど」


 あぁもう、教師陣には一番触れてほしくない所をよりによって一番上に付きつけやがった訳だ。

 今更どうこう言われることはないかもしれないが、改めて奇異の目で見られるのは辛いものがる。


 「とういう訳で、討論の末私は副顧問を勝ち取ったのであります。はい拍手ー!」


 「わーパチパチー……」


 コーヒーを片手に、言葉通り口だけで拍手を送った。

 もはや意味が分からない、コイツ何を考えてやがる。


 「まぁそういう反応になるのは分かってたからいいけどさ、とりあえずこれからよろしくね! どうしよっか、今日お祝いに飲みにでも行く?」


 なんか妙に機嫌が良い椿を他所に、此方は溜息しか出ない。

 もはやコイツに全て押し付けて、俺は自由の身になれないか何て事も考えたが……多分無理だ。

 黒家も早瀬も椿に対して何故か攻撃的だし、このまま辞めたりすれば二人から非難の嵐を浴びるだろう。

 どうにかこうにか俺が楽になれる方法がないかと思考したところで、多分ない。

 あいつ等が好き勝手暴れまわり、それに振り回された椿が愚痴をこぼす為だけに俺を居酒屋に連行する。

 これはもはや救いなどない、俺だけが損をする負の連鎖だ。

 ここ最近の運の悪さに絶望しながら、俺は項垂れる事しか出来ないのであった。


 「ま、とりあえず今日の放課後その子連れていくから。準備しておいてねー」


 そんな丸投げな台詞を吐きながら、彼女は給湯室から出ていった。

 おかしい、俺は彼女の提案を了承した覚えも、上からそんな話を聞いた覚えもない。

 どうしてこうなった?

 もはや最近口癖になりつつあるソレを呟きながら、一人寂しくコーヒーを喉の奥に流し込んだのであった。


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