第39話 羽ばたいた男の浪漫


 皆さまこんにちは、草加浬です。

 突然ですが、皆はポルターガイストって知ってるかな?

 物が勝手に動いたり、飛んで行ったりする不思議現象だ。

 え? そんなものは存在しないって?

 大丈夫だ、君たちの言いたいことは分かる。俺だって同じ気持ちだよ。

 幽霊なんて居ないさ、きっと何かしらの原因がある。

 そうだろ? そのはずだ。

 特番でやっている様な怖い話は嘘っぱちだし、ホラー映画なんてもっての外だ。

 あんなもの怖がらせるための演出、そう演出さ。

 だってそうじゃなきゃ説明がつかないだろう?

 君たちは目の前で物が急に飛び交った事を見た事があるかい?

 ないだろう? あぁ、俺だってそうだ。

 ——今、この瞬間までは。

 扉を開けた瞬間、飛んできたんですよ。

 いや、その時はね? 何が迫ってきたのかわからなかったよ?

 でもね、顔面にぶつかったんですよ。

 ビチッ! て音を立てながら。

 そりゃもう驚いたし、さっき人を轢きそうになった以上に心臓止まるかと思いましたよ。

 思わず叫び声を上げそうになったんですよ。

 でもね? 顔から剥がれて床に落ちたソレが、視線に入った瞬間……声なんて出せなくなっちゃったんですよね。

 だってそれは。

 ——ピンク色をした女物の下着だったんですから。


 「…………」


 なんて、頭の中で怖い話風にまとめてみた結果。

 どうしてこうなった? これしか頭に浮かんでこなかった。

 唖然としたまま床に落ちたパンツを見つめるも、その後変わった様子はない。

 まごうこと無きパンツだ、空を飛んで来たが。

 今はピクリとも動かない、むしろ動いたら凄い。

 もしも動いたなら、虫籠に入れて羽ばたき始めるまで観察したいほどだ。

 いや待て、今はそんな事を言っている場合じゃない。

 どう見たってこいつはパンツだ。

 それがこの部屋に居た内のどちらの物かなんて考える前に、もっと頭を回転させる必要があるはずだ。

 なんたって、目の前の浴室に電気がついているのだから。

 そして見る限り二人は他の部屋にはいないご様子。

 つまり、そういう事だろう。

 改めて言おう、どうしてこうなった? なんでコイツは飛んで来た?


 「うん、まって? きみたちなんでおふろはいってるのかな?」


 ブリキの人形上等といった具合で、体が安物のオモチャのような動きを始める。

 それに伴い声帯も同レベルになってしまったようだ。

 もはや俺の頭では理解が追い付かない。


 「あ~、えっと。すみません、お風呂借りてます」


 浴室の中から聞こえてくる黒家の声。

 だが彼女は分かっているのだろうか?

 いくら浴室の扉が曇りガラスになっているからとは言え、こちらから肌色のシルエットが見えている事に。

 しかも扉とかなり近い位置に立っているのか、安物の曇りガラスには彼女の体のラインがはっきりと映っている。

 思わずむせ込みそうになるのを押さえながら、どうにか喉の奥から声を引っ張り出した。


 「あーうん。みればわかる……あ、いや見てねぇよ!? 本当に見てないからな!?」


 途中から失言をした事に気づき、慌てて思考回路を通常の物に置き換える。

 あぶねぇ……ブリキのままだったら、何を口走ってた事か。


 「あ、はい。それはいいんですけど、ちょっと時間掛かると思うので少し待っていて頂けますか? あっ、早瀬さんも一緒に入っているのでご心配なく」


 「ご、ご心配なくー!」


 それはいいってどういう事!? なんて思考回路がブリキに戻りそうな所で、何とか欲望を押しとどめる。

 いかん、これはすぐにでもこの場を離れなければ。


 「あ、うん。ごゆっくりー」


 なんて声を上げた所で気づいた。

 いや、思い出した。

 足元に転がるこのパンツ、どこから来やがった。

 というか飛んで来たが。


 「な、なぁ黒家」


 「はい、なんでしょう?」


 いつも通りの口調、いつも通りの彼女の声。

 大丈夫だ、アイツなら多少変な事を言っても分かってくれる筈。

 そう信じるしかない。

 だってこのまま放置して、俺が下着漁ったとか思われたらヤバイじゃん。

 後になって「いや、これは! 飛んできたんだよ! そう、このパンツ飛んだんだよ!」なんて言って見ろ。

 白い目で見られるどころじゃねぇ、一巻の終わりだ。


 「えーっと、そのだな。えっと、服が、ですね」


 「はい? どうしました?」


 ええい、どうにでもなれ。


 「いや、脱衣所にパン……服が転がってるんだが、これはいいのか? タオル出しておくけど、上にでも置いておくか?」


 ダメでしたぁ! 言えるか!? お前らどっちかのパンツ落ちてるとか言えるか!? 無理だろ!

 とはいえ、これ以上トラブルを起こさない素晴らしい言葉選びだったと思うだが、どうだろう?

 誰に聞いているのか自分でも分からないが、とにかく俺は危機を脱したと思われた。

 こういっておけば、後々変に思われる事はないだろう。

 それが例えパンツだったとしても。


 「あ、すみません。急いでいたもので……先生の家の洗濯機って、乾燥機付きでしたよね? お手数ですけど、まとめて乾燥してもらっていいですか? ちょっと濡らしちゃいまして」


 な ん だ っ て ?

 落ち着け、冷静になるんだ。

 アイツはここに落ちているのが下着だとは気づいていないはず。

 そもそもなんでコイツが飛んできた? まぁ今はどうでもいい。

 とにかくソレを、黒家は洗濯機に放り込めと言っているんだ。

 俺が、この”ブツ”を、持ち上げてポイッと洗濯機に放り込めと?

 ……マジか。

 しかも濡らしちゃったってなんだ。

 落ちている物が物だけに、ちょっと不味い妄想が膨らんでしまうではないか。


 「先生? 聞いてますか?」


 返事をしなかった俺に不信感を抱いたのか、黒家は再び声を掛けてきた。

 不味い、このまま確認の為なんて言って扉を開けられたらとてもよろしくない事になってしまう。

 一刻も早く任務を遂行しなければ。


 「だ、大丈夫だ。わかった、洗濯機掛けておくから」


 声を張りながら、慌てて床に落ちていた代物を掴んだ。

 その手に感じる感触は。

 ビシャッ……。

 水の滴るなんとやら、どころではない。

 絞ったら雑巾の如く水分が出てきそうなソレに、いろんな意味で思考が停止した。


 「……んと、服着たままどっかで泳いで来たりしたか?」


 「え? 何か言いましたか?」


 「いや、何でもない。タオル置いておくから」


 もはや何の感情も無く、手に持ったピンク色のソレを洗濯機に放り込むと同時に洗濯機のスイッチを押した。

 ゴウン、ゴウンと唸り始める我が家の洗濯機を眺めながら、静かに目を閉じた。

 お前ら、ホント人の部屋で何やってたの? どうしたらこんな事になるの?

 ねぇ、君たち本当に服着たまま風呂入ったりしてないよね?

 そんな降霊術ってあったっけ?

 思わず浴室の扉を開けたくなる衝動に駆られるが、それをやったら俺の人生が終わる。

 ここは、我慢だ。

 いつもの事じゃないか、黒家がおかしな事をするのなんて。

 それに早瀬が加わっただけだ、大丈夫。

 多分大丈夫、良く分からない事やってても俺にはきっと被害はないから。

 そんな切実な願いを込めて、そっとバスタオルを準備する俺。

 お願いだから、前みたいに部屋を水浸しにするような結果にはならないでくれと、そう強く願うばかりであった。

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