第37話 新たなる異能


 「普通に考えたらさ、女子高生二人が部屋の中にいるってだけでヤバイよな」


 もちろん、世間体的な意味で。

 なんて下らない事を考えながら車を走らせていた。

 予定より随分と早い帰宅となってしまったが、二人に怒られてしまうだろうか?

 とはいえ仕方のない事だろう。

 あのままファミレスに滞在すれば、冷たい視線に晒され続け、下手すれば有りもしない援交容疑を掛けられかねないのだ。

 それだけはどうしても避けなければならない。

 俺の人生、こんな所で終わってしまうなんて地獄絵図は勘弁して頂きたい。

 椿の話じゃないが、自分だっていい歳なのだ。

 せめて結婚の一つでもしたい所だが……生憎と相手がいない。

 全く、我ながらこのモテない体質をどうにかしたいと思うのだが……これといって良い案は浮かばず、こうして歳だけ取ってきてしまった訳だ。

 そんな悲しい現実を改めて実感しながら、夜の街中を車で走る。

 などど言っている内、すぐ我が家が見えてくるくらいに近い距離なのだが。

 その時だった。


 「——え、ちょ!?」


 車のヘッドライトに照らされた道路に、小さな影が飛び出して来た。

 小さいとはいっても猫や犬の類ではなく、まごうこと無き人の姿。

 飛び出してきた子供? も車の前まで来てようやくこちらに気づいたのか、両手で頭を守るように抱えながら、その場で蹲ってしまった。


 「くっそがぁ!」


 出来れば後ろに飛びのいてほしかったが、そんな事を言った所で今更事態が好転する訳も無い。

 ブレーキを踏んだところで到底間に合う距離ではないのは明白、であれば……

 すぐ目の間に迫る人影から視線を反らさない様にしながら、思いっきりハンドルをきった。


 「唸れ俺のドラテクぅぅ!」


 叫んではみたが、別段ドライビングテクニックを持っている訳ではない。

 自慢出来る事と言えば5年間無事故無違反でゴールド免許というくらいなものだ。

 とはいえとりあえず叫んじゃったが、もはやそれどころではなかった。

 タイヤの甲高いスキール音を聞きながら、車体が傾いたのではないだろうかという程の横加重を感じる。

 そんな中どうにか飛び込んできた来た人物に視線を送り、車体の横に掠るんじゃないかと思える距離で見送った。

 ”見送った”のだ、つまりは避けられたという事なのだろう。

 相変わらず道路に蹲るその姿は、どうやら目の前の出来事を認識していないらしくピクリとも動かない。

 目でもつぶっているのだろうか? とにかく人身事故にならなくて良かった……。

 などと安心する間もなく、今度は目の前にガードレールが迫ってくる。

 人を轢くよりかはガードレールに突っ込んだ方が何倍もマシなのは分かっているが、それでも目の前の光景は運転手を絶望させるには十分な迫力があった。

 現時点で飛び出してきた大バカ者は怪我もなく、無事に事態は収拾されるだろう。

 だが俺はどうだ?

 ガードレールの弁償に保険を使わされ、車の修理費は涙を呑んで実費で払うしかなくなるのだ。

 何より明日から職場に通う足さえなくなってしまうではないか。

 つまりは、俺ばかり不幸な出来事のオンパレードに遭遇するということだ。


 「ふっざけんなぁぁ!」


 まるでスローモーションの様に流れる光景の中、走馬灯のようにとある光景を思い出した。

 『サイドブレーキを引け、初心者はこれに限る。そんでもってケツが出たらアクセル全開だ』

 どこかの映画で、若い子がそんな事を言っていた。

 『カウンターステアが遅いんだよなぁ……』

 多分同じ映画で、主人公の車捌きを見ながら釣りをしているおじさんが呟いていた。

 つまり今の俺に必要なのは、そういう事なのだ。

 多分。

 よくわからないが、わかった気がする。

 

 「今度はスポーツカー買うから今だけは曲がってくれぇぇ!」


 ハンドルを今までと反対方向へ切り直し、サイドブレーキを引く。

 後輪が固定されたことにより、クルマの後方だけが遠心力に流されスリップし始めた。

 今だ! と言わんばかりにサイドブレーキを下ろして、間違った知識の下アクセルを踏み込んだ。

 結果。


 「ちょちょちょ! 待て待て待て!」


 スリップだけならまだしも、アクセルを踏みっぱなしの車は道路に大きな円を描きながら、再び先程避けた筈の人物の元へと戻って行く。

 いわゆる定常円旋回と呼ばれるドリフトテクニック、だったら良かったのだが。

 もちろん偶然であり、これからどうすれば良いのか全く分からない。

 生まれたウミガメが海に入った瞬間泳ぎ始めるように、ドリフトを始めた中年は直感と感覚だけでどうにか車を制御しようと奮闘する。

 自分自身は非常に焦っているのだ、困っているのだ。

 でも止まれない。

 もう一度蹲った人を避けても、後輪が滑りまくる車は再び相手の元へと戻って行く。

 もはや訳が分からない。

 ちなみに俺の愛車は、なんとも怪しい馴染みの中古車屋から破格の値段で買い取ったもの。

 乗っている当人も良く理解出来ないカスタムが施されていると聞いた事はあったが、まさかそのせいか?

 今やアクセルとブレーキを踏み間違える古典的な事故加害者の如く、俺は焦ってアクセルを連打していた。


 「待って待って待って、さっきからあの子の周り回ってるって! これやばいって! 煽り運転どころじゃないって!」


 片側二車線道路じゃなかったら間違いなく壁に激突していたであろう奇跡の旋回を見せながら、当の本人は非常に焦っていた。

 いい加減アクセルから足を離せば勝手に止まるんだが、それに気づくにはまだ時間が必要なのか、車は小さな人影の周りをグルグルと回り続けたのである。


 ————


 「や、やっと止まった……」


 ようやく自分が踏んでいたのがブレーキではなく、アクセルだった事に気づいて慌てて足を離し、やっとの思いで息をはいた。

 結果としては飛び出してきた相手の周りを2、3回グルグルした程度ですんだのだが、本人にはとてつもなく長い時間に感じたのは言うまでもない。


 「結局、轢いてねぇよな? 大丈夫だよな?」


 辺りには自身の車が巻き起こした白煙が立ち上り、非常に視界が悪い。

 しばらく車の中で唖然としていたが、風が吹くにつれて煙は消えていった。

 その中から姿を現したのは、中学生? くらいにしか見えない程度の小さな少女。

 ちなみにまだ頭を抱えて震えていたりするわけだが。


 「あっちゃー……」


 轢いたわけではないにしろ、こいつは色々とマズイ。

 ただでさえ煽り運転でも一発免停の時代なのだ。

 もはやそれどころではない事態なのは、目に見えて明らかだった。

 とにかくいつまでもジッとしている訳にもいかず、とにかく車から降りて少女の元へと駆け寄ってみた。


 「お、おい。大丈夫か?」


 恐る恐る声を掛けると、少女はビクッと肩を揺らしてから顔を上げた。


 「ご、ごめんなさい。飛び出した事は謝りますから殺さないで……」


 「いや殺さねえよ!?」


 「ひっ!」


 思わず突っ込んでしまったが、相当さっきの車の挙動が怖かったらしい。

 まぁ当たり前だと言えば当たり前だが。


 「あぁ~いや、こっちこそスマン。避けたまでは良かったんだが……色々と暴走した。怪我はないか?」


 少女を威圧しないように改めて声を掛けると、彼女は恐る恐る顔を上げた。

 大きな目に涙を溜めて……ってこれは俺のせいだな。

 きめ細かい髪を腰辺りまで真っすぐ伸ばし、闇夜に溶けてしまうんじゃないかというほど真っ黒な髪を揺らす。

 その格好は黒いパーカーに黒い短パンと、全体的に真っ黒な少女だった。

 ……こりゃライトが当たるくらい近づかないと気づかないわ。

 なんてため息を漏らしながら、手を差し伸べた。


 「えぇっと、余計なお世話かもしれんけど……もっと明るい色の服着た方がいいぞ? その恰好で飛び出したら下手すりゃ轢かれる……ていうか今も轢きそうになったし」


 あ、はい……なんて小さな声を漏らしながら、彼女は俺の手を取って立ち上がった。

 立ち上がって改めて思うが、本当に小さい。

 もしかして小学生だったか? なんて思う程の身長だ。


 「えっと、改めてごめんなさい、急に飛び出して。グルグル回られたのは怖かったけど、避けてくれた……んですよね? 多分。飛び出した私にイラついて、とかじゃないですよね?」


 そう言うと少女はペコッと頭を下げてきた。

 なんとも、出来た子じゃないか。

 普通なら逆切れしたり、歩行者優先だろうがぁ! 何やってんだテメェ! なんて言われてもおかしない事態だったというのに。

 まさに親の顔が見てみたいと言うヤツだ、お宅のお子さんは素晴らしいと絶賛してあげよう。


 「あぁーまぁそれもあるが、こっちも悪かったな。怖がらせちまって」


 彼女の頭に手を乗せて謝った。

 一見非常に不誠実な行為にも見えるが、こればかりは致し方ない。

 だって凄く手の置きやすい位置に頭があるんだもん。

 ポンポンしたくなるじゃない。

 一見不誠実に見えるも何も、非常識な上に大変失礼な行為。

 黒家あたりが近くに居たら、まず引っ叩かれたであろう。


 「とはいえ、こんな時間に慌ててどうしたんだ? ランニングって雰囲気でもないし、早く帰った方がいいぞ?」


 至極真っ当な意見を口にしながら少女に尋ねてみれば、彼女は困った様に視線を逸らした。

 言っておいて何だが、今我が家に女子高生二人を匿っている事実が改めて胸に突き刺さる。

 しかしこの罪悪感は無視するほかないだろう。

 言ってしまえば特大ブーメランをぶん投げている状況な訳だ。

 んな事偉そうに言うならさっさとアイツらを家に帰せよ、なんて自分でも正直思う。

 でもあいつ等が勝手に部屋に上がり込んだのだ、俺は悪くない。

 多分。


 「えっと、”声”が聞こえたので……良くない事が起きる前にと思いまして」


 「声?」


 真剣な眼差しで答える彼女は、俺の返答に静かに頷いた。

 よくわからないが、もしかしたら近所の子で、悲鳴でも聞こえたって事なのだろうか?

 本人も”良くない事が起きる前に”なんて意味深な発言をしているくらいだしな。

 だとしても少女一人で突っ込むべきではない気がするが……。


 「よく分からんが、一人で行くのは止めた方がよくないか? 警察に頼るとか、親御さんに相談するとかしたほうがいいだろ」


 いまいち事態が読めない俺は、至極真っ当な意見を口にした……はずだったのだが。


 「……はい、今度からそうします。もう”声”も聞こえないので、私帰りますね」


 そう呟いた少女の顔は、とても悲しそうに見えた。

 何か不味い事を言ってしまったのだろうか?


 「えーあーうん。まぁもう夜も遅いし、気を付けて帰れよ? なんなら送って行こうか?」


 微妙に気まずい雰囲気に、思わずそんな事を呟いてしまったが……ある意味車に連れ込もうとしてるヤバイ奴なのでは? なんて後悔が今更襲ってくる。

 内心冷や汗を流している俺に対し、彼女は笑いながら一人で帰れるので大丈夫ですと呟いて、さっき飛び出してきた脇道へと向かって歩き始めた。


 「心配してくれてありがとうございます。えっと、それから避けてくれてありがとうございました。危うく死んじゃう所でした。何から何まですみません」


 歩道についた彼女は、そう言ってから改めて頭を下げた。

 それでは、なんて一言だけ残して彼女は走り去ってしまう。


 「気を付けてなー!」


 真っ黒なその姿は、街灯のない脇道の中に溶け込み、すぐ見えなくなってしまった。

 声が届いたかどうかは分からないが、何となくまたこっちに向かって頭を下げていそうだ。

 それくらい律儀で礼儀正しい子だったと思う。

 なんてほんわかした気持ちで振り返ると、そこには目を反らしたくなる光景が広がっていた。


 「あぁー……これはまた、盛大に……」


 道の中央に描かれた歪な円形のタイヤ痕。

 私がやりました! とばかりに円の上に乗っかっている俺の車。

 こいつは、アレだ。

 さっさと退散するに限る。

 罪悪感もあるし、後ろ髪引かれる気分ではあるが、生憎と道路を綺麗にする道具なんぞ持ち合わせていない。

 ここはまぁ、事故が起こらなかっただけ良しとしようじゃないか。


 「うん、帰ろう。そうしよう」


 誰にも見られていない事を祈りながら、いそいそと車に乗り込んだ。

 もはや脱兎のごとく逃げるしかない。

 俺は人を避けただけで、別に暴走行為をしようと思ったわけじゃないのだ。

 結果的に、副産物的にこうなってしまっただけなのだ……うん、なんというかゴメン。

 誰に対してか分からない謝罪を心に秘めながら、車は再び走り出した。

 今も帰りを待つであろう二人の元へ向かって。

 こんな事があったんだ、もしもまだ外に居てくれなんて言われても絶対部屋に引き籠ってやる。

 強い決意と共に、俺は帰路につく。

 今自分のアパートで何が起きているかも知らずに。


 ————


 そんな彼の車が走り去った後、道路の隅に小さな人影が立っていた。

 黒い髪を揺らし、上下とも黒い衣服を纏い、晒される肌は驚くほど白い。

 先ほどおっさんによって命の危機にさらされたその子が、まるで隠れるようにしながら車のテールランプを見送っていた。


 「あの人の周り、全然”声”がしなかった……偶然、なのかな?」


 その呟きは、人気のない暗闇に溶けていったのであった。

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