第11話 西瓜
夕日の映える廊下を、やけに上機嫌の気持ち悪いおっさんが歩いていた。
まぁ俺だけど。
その顔には他者が見ればドン引きするような笑みを浮かべ、スキップでも始めそうな軽やかな歩調は、周りの表情を曇らせるほどの気持ち悪さだ。
しかしそれが今の俺だ。
だが、気にしない。
なにせ気分がいいのだから。
だって仕方ないじゃないか。
高校教師になって数年、当初の予定では女子高生にチヤホヤされながら満喫した毎日を送るはずだった。
痛々しい妄想でしかなのは分かっている、分かっているのだがそういう夢を見ていたかったのだ。
それが現実はどうだ? 若い子達からは親しみを持たれる事はあるにしろ、一回りも違う子供達から「草加っち」などと友達のように呼ばれ、敬語を使う生徒の方が少ない有様だ。
別に悪い訳ではないが、皆敬意というものが足りない。
数少ない敬語を使うような生徒も、やれ問題が多かったり俺と関わりを持たない生徒だったりと、まぁ早い話教師としての尊厳みたいなものを確立できていなかったのだ。
そして当然俺の思い描いた理想の教師生活というものは、夢のまた夢……と諦めていた所に、今日! 一つの夢が叶ったのだ!
男なら誰しも、女の子から手作り弁当なんて都市伝説級の代物を頂戴すれば、こんな風に気持ち悪くなっても致し方ないと思われる。
そんなお花畑状態の思考回路を抱いたまま、いつも通りの時間に旧校舎を訪れた。
昼休みに黒家が何か言ってた気がするが、まぁ細かい事はいいだろう。
何せ気分がいいのだから!
言われた内容さえも記憶に残っていない状態ではあったが、たまには部長様も寛大な心で許してくれるだろう。
手荷物を肩に掛けながら、鼻歌交じりに旧校舎の廊下を歩いていく。
もう少し歩けばオカ研の扉が見えてくる、という所で唐突に足を止めた。
「んん……?」
普段はとても静かなこの廊下、だが今日はどこからか人の声がする。
どこかで生徒達が騒いでいるのか? なんて事も考えたが、どうにも自分の進行方向から聞こえてきている気がしてならない。
この旧校舎は別に立ち入りが禁止されている訳ではない、なので生徒がどこかで遊んでいようがダベっていようが特に問題ないのだが……俺の目の前にある廊下、この先にある部屋なんてただ一つ。
紛れもなく『オカ研』の部室だけなのだ。
ではあの部屋で誰が……なんて考える必要もない、普段からあの部屋には黒家しか居ないのは分かり切っている。
「あいつ……何騒いでるんだ? まさか大声で独り言喋ってる訳じゃあるまいな」
もしかしたら新しい降霊術とか何か、またおかしな事をやっているという線も捨てきれないが……そこまで残念女子になっていない事を切に願う。
気配を殺し、聞き耳を立てながら扉の前まで近づいていく。
傍から見ればそれこそ不審者である事は間違いなしだが、ここは旧校舎。
見ている人が居なければ問題にはならないのだ。
「ですから、そんな事言われても——だってホラ、揉めば大きくなるという訳でも——」
マジで何喋ってんのコイツ。
電話でもしているのかと思い始めたところで、別の声が聞こえてきた。
「——だっておかしいでしょ、そのスイカ。——ていう訳でもあるまいし、ちょっと触っていい? 実は詰め物とかじゃ——」
おや珍しい、お客さんのようだ。
所々聞き取れないが、スイカの差し入れを持ってきてくれているらしい。
夏のこんな陽気だ、夕方とは言えスイカが美味しい時期であることには間違いない。
なんとも殊勝な気遣いが出来る生徒が居たもんじゃないか。
というか何故こんな部活に差し入れ? なんて思わなくもないが、そういう事なら彼女達に全部食べられてしまう前に俺も御馳走になるとしよう。
そうと決まれば何の迷いもなく、目の前の扉を開いて声を上げた。
「うっす、来たぞー。何だか旨そうなモン食って——」
「ちょ、ちょっと! どこ触ってるんですか!!」
俺の挨拶は途中で黒家の悲鳴でキャンセルされてしまった。
が、目の前の光景にビシッと効果音が立ちそうな勢いで停止する。
部室の中に居たのは二人の女子生徒。
もちろん一人はいつもと同様黒家であったが、もう一人は今日の俺に夢と希望を与えてくれた早瀬だった。
これまた意外な組み合わせだったが、それ以上に目の前に広がっている二人の状況。
中年の俺は理解が追い付かない姿を晒していた。
「あっ、草加先生。お疲れ様です」
何でもない様子で、早瀬が挨拶を交わしてくる。
しかし彼女は黒家の制服の下から手を突っ込み、あろうことかドデカいそのスイカを揉みしだいていた。
「あ、あぁ……スイカ……スイカね」
なるほど納得したと言わんばかりに、うんうんと頷きながらその様子を観察する。
「ぁ、あの……先生……?」
普段は絶対に見られないであろう真っ赤な顔をした黒家が、フルフルと震えている。
なかなかどうして、珍しいものを見れた気がするな。
若干目に涙を溜めているというのも普段見られない光景だが、手を突っ込まれる事により捲くれ上がった衣服。
そのせいで露になった真っ白な肌、非常に残念な事にお腹くらいしか見えないが、これはこれで——。
「出て行ってください!!」
黒家の叫び声と共に、左の頬を衝撃が走り扉の向こうまで吹っ飛ばされる。
バタンッと大きな音を立てて閉まった扉を視界の端に収め、天井を見上げた。
いや、見上げると言うより……視線を真っすぐ前に向けると天井が映る。
これはアレだ、今廊下に寝転がってるわ俺。
まるで少年漫画のようなラッキースケベイベントじゃないか。
恥ずかしそうに真っ赤になった顔、乱れた服と胸元を隠した彼女が放ったのは……。
「悪くない……右ストレートだった」
正直とても痛い。
普通さ、違うよね? こうじゃないよね?
ああいう場面に遭遇したら「キャーえっちー!」とか叫んで、バチーン! って良い音がするんじゃないの?
明らかに黒家が放ってきたのは、パーじゃなかった。
そうだよ、普通はビンタだよ。
あの子グーで思いっきり来たよ?
バチーンとかじゃなくて、ゴッ! って鈍い音がしたよ?
え、何? 最近の若い子は皆ボクシングでもやってるの? 凄く怖いんだけど。
先程起こった出来事を頭の中で整理しながら、改めて左の頬に触れる。
相変わらずとても痛い……なんて言葉しか出てこないほどに、ジンジンとした鈍い痛みが残っていた。
さっきまでは鼻歌なんか歌いながら、この場所に訪れたというのに。
なんともまぁ。
「不幸だ……」
その一言に尽きる。
こうしてお花畑の思考回路をまき散らしていた俺は、強制的に冷静な状態へと戻されたのであった。
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