第3話 独りかくれんぼ


 『先生、そろそろ始めませんか? ねぇまだですか?』


 もう待ちきれないと言わんばかりに、ウキウキした声が俺のスマホから聞こえる。

 もし何もない普通の……それはもう普通の生活をしていれば。

 そしてもし俺がもう少し若ければ、こんな時間に女の子が連絡をくれる事にちょっとドキッとしたかもしれない。

 しかし残念な事に俺は既におっさんであり、現在の時刻は深夜だ。

 この歳ではもはや『時間考えて連絡しろや』と言いたくなってしまうお年頃である。


 「あぁー、もちっと待て。もう少しで飲み終わるから」


 ハンズフリーで通話中という状況にも関わらず、お構いなしに晩酌を続ける。

 聞いてる側としては食事の音なんて耳障りなだけだろうに、黒家は気にした様子もなく通話を続ける。


 『うーん……了解です。その間に手順でも確認してますから、お気になさらず……でも少し早めにしていただけると嬉しいです』


 こういう意味では、お互いに慣れてしまった感じが凄まじい。

 お互いが相手の生活リズムを大体把握できてしまうほどに。

 下手したら帰ってからからずっと通話してないか? なんて事だって結構あったりする。

 通話したまま風呂に入ろうとして注意を促したことも……今や懐かしい思い出だ。

 ちょこっと間違えてビデオ通話にでもなればと思った事もあったが、アイツなら普通にやりそうで怖いので止めた。

 これだけ聞けばまるで若い恋人同士のような状況ではあるが、話している内容が内容だけに喜べない。

 本当にもったいない、残念な少女である。


 『あっ、終わりました? それじゃ始めましょうか。私が渡した荷物確認して貰っていいですか?』


 特に何も声を掛けずとも缶チューハイをベコッと潰した瞬間に、待ってましたと言わんばかりに声を上げる黒家。

 自分の趣味興味の為なら備品などなど全て用意するほどに気が利くのだが、いつもこういう役目を俺にばかり押し付けてくる、肝心な所は気を使わない奴だ。

 今度マジでビデオ通話しながら風呂にでも入って貰う条件でも出してやろうか。


 「あいよ、一回全部出すからちょっと待ってな」


 そう言ってから部活後に渡されたボストンバッグをひっくり返す。

 こんなにいるの? ってくらいに色々な物が出てくる。

 噂や映画でそれなりに知識はあるものの、少し首を傾げてしまうものまでゴロゴロ出てくる。

 そりゃもうゴロンゴロンと。


 「なぁ、ペットボトルとか必要だっけ? しかも2リットル」


 『幽霊に見つからない為に食塩水を口に含む必要があるみたいですから、念には念をと思いまして。それだけあれば飲み込んだって問題ありませんよ』


 2リットルも食塩水飲んだら高血圧になってしまうわ。


 「なぁ、やけに懐かしいヌイグルミが出てきたんだが。バス停で傘代わりに葉っぱ持ってるやつ」


 『今回の生贄ですね、彼には私たちの実験の被験者となっていただきます』


 小さな子供達が揃って泣き出すわ、こんな実験。


 「なぁ、お前らの世代で知ってるのが珍しいレベルのベルトが入ってるんだが。すっげぇ光る上に、今や懐かしいガラケーが装着出来るヤツ」


 『いざという時はソレを使ってキックして下さい、弟から無断で借りてきました。それ以外の時は懐中電灯代わりにでも使って下さい』


 無断かよ、後で弟が泣くぞ。

 もはや真面目にやる気があるのかないのか、少し判断に困るラインナップだ。

 まぁ真面目にやられても困るのは俺なんだが、それにしたって色々と口を出したくなる小物が多すぎるのではないだろうか?

 2リットルのペットボトル片手に、口いっぱいの食塩水を含み、国民に愛される愛らしいヌイグルミに対して、ラ〇ダーキックをかます三十路の男性を想像してほしい。

 はっきり言って見れたものではない上に、俺だって見たくもない。

 そんな誰が見ても得しない儀式は、個人で個室でひっそりとやって頂きたいものだ。

 いや、まぁ個人で個室でひっそりとこの儀式をやる訳だが、俺が。

 それでもスマホ越しに観客がいるのだ、それを忘れておかしな真似をしようものなら、この歳になってまた一つ黒歴史が増えてしまうというものだ。

 あれ……? むしろこのまま行っても黒歴史になりそうな気がするのは気のせいか?


 「……まぁいい。それで、どうするんだっけ」


 『まずはぬいぐるみを切り裂いて、中の綿を全部取り出してください』


 「三枚おろしでいいか? ワタを取り出すのは基本だな」


 『やめてください美味しくなってしまいます。そのワタじゃありません』


 「んで、次は焼くのか? それとも煮るのか?」


 『ある意味では煮る、に近いかもしれませんね、お風呂に入れますんで。ヌイグルミにお米を詰めて、先生の髪の毛を入れてから赤い糸で縫い合わせて、その後お風呂に沈めます』


 「俺、今のところ赤い糸に縁がないんだわ……」


 『そう言うのいいですから。あと今時の若い人は下手すると伝わりませんからね、そういうネタ』


 マジかよ、嘘だろ? 言うだろ運命の赤いなんちゃら。

 ていうかお前も今時の若い人に分類されるんですけど。

 そして非常に残念な事にバッグの中にお米は入っていなかった。

 入っていれば残りは俺が貰うのに、むしろこれに使ったヤツも食べるのに。

 仕方がないと諦めて、我が家のキッチンから米を密閉パックに丁寧に包み、ヌイグルミにぶち込んでいく。

 元通り……には程遠い形にヌイグルミが膨らんでいるが、まぁ二合も入れれば十分だろう。

 そして髪の毛はまぁ……丁度白髪を見つけたのでソレを入れておけばいいか。

 元気な髪の毛を入れるなんてとんでもない。

 三十路で一人暮らし、そして独身男性にとっては、どちらも国宝級に貴重な代物である。

 それら二つを無駄に消費するなんて事は、全世界の独身男性に対する冒涜に他ならない。

 バチが当たってしまうというものだろう。


 『先生……なんか余計な事とかしてませんよね?』


 全く酷い言いがかりである。

 こちとら指示通りに作業を行い、可愛い教え子の代わりにある意味人体実験紛いな事をやらされているというのに。

 無言のまま作業を進め、用意されていた赤い糸でヌイグルミの傷跡も完全修復だ。


 「……大丈夫だ、問題ない」


 まさに完璧、なんの問題もないはずだ。

 小学の家庭科の時間、裁縫だけは褒められた俺を舐めるなよ。

 しっかりと返し縫いまでしてやったぜ。


 『やけに長い間無言になったのが凄く気になりますけど、まぁいいです。では次にそのヌイグルミに名前を付けましょう、覚えやすい名前にしてくださいね? 後でその名前を呼ぶことになりますから』


 名前……名前か。

 正直ネーミングセンスには自信がないので、ネットゲームなんかをする際などは手近な物から名前を拝借したりしているわけだが……どうしよう。


 「なぁ、そのままじゃ駄目なのか? トト……」


 『駄目です、子供が泣きます』


 じゃあなんでこれ用意したんだよ、他になかったのかよ。


 「じゃぁ省略して、トを一つ減らして……」


 『それじゃ大手ゲーム会社に喧嘩を売ることになりますが』


 あぁいたね、そういえば。

 あんまりあのマスコット登場するゲームやった事ないから忘れてたわ。

 だが困った、これでは今夜はこのままお開きになってしまう。

 いや、その場合俺的にはありがたいが、黒家の奴がそんな事を許すとも思えんしなぁ……どうしたものか。

 ト〇ロ……米……密閉パック……俺の白髪……。

 あ、そういえば風呂に沈めるとか言ってたな。

 中に入っている米は大丈夫だろうか? 熱で中途半端に炊けたりしないか心配になってきた。

 更に言えばいくら密閉パックに包んであったとて、その口が開いてしまっては元も子もない。

 とはいえ、今更縫った糸を解いて確認するなんてとてつもなく面倒である。

 そんなもしも、もしもな事態が発生した場合を想像してしまった。

 ヌイグルミの糸を取り払い、その中には……ホカホカの白いご飯と俺の白髪が一本。

 先ほどまで『中途半端に炊けたご飯』なんて自分で想像したものの、まだ腹が減っているのか、浮かんでくるのは旨そうな白米である。

 そしてその上には、俺の白髪が一本。

 その髪の毛は除外する事にして、そのイメージはまさに……。


 「俺の白髪米……か」


 『は?』


 いかん、名前を考えていたはずなのに、あらぬ方向へ思考が脱線した。

 更に独り言を聞かれてしまい、電話越しの黒家から呆れ果てたため息が聞こえてくる。


 『あーじゃあもうそれで、俺の白髪米くんで決定という事で』


 「あ、ちょっと。ちょっと待って、お願い待って。今の無しで……」


 『はいはい、次に進みますよー。えー、次はですねー』


 今のは独り言であって名前じゃないから……なんて言い訳はもちろん聞いてもらえず、黒家が次の行動を支持してくる。

 なんと悲しい事か……彼? の名前は些細な事故によって、ネトゲでいうネタのサブキャラみたいな名前が付いてしまった。

 きっとこのゲーム実験において、名前の変更は許されないだろう。

 アカウント本体から作り直す時間は、もうないのである。

 すまぬ……俺の白髪米、許せ……俺の白髪米。

 そう心の中で謝りながら、俺はヌイグルミを強く抱きしめるのであった。

 ほぼぺったんこなので、抱き心地は微妙だったが。

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