第2話 オカルト研究部


 「あぁぁ~……帰りてぇ」


 そんな呟きが、人気のない廊下に響き渡る。

 目の前の扉にぶら下がっている札を指で弾きながら、そんな呟きを漏らすのは何度目の事だろうか。

 もう数えるのも飽きてしまったくらいには繰り返しているため息と共に、即興で作られたとしか思えない掛札を人差し指で弄んだ。

 右にゆらゆら、左にゆらゆら。

 そんな事をしたところで札に書かれた文字が変わる訳でもないという事は、ここ一年で良く理解している。

 ……そう、一年だ。

 放課後、ある程度仕事を終えた後、この場所に訪れるようになってから、もう一年以上が経とうとしている。

 普段使われない旧校舎。

 さっさと取り壊してしまえばいいものを。この学園のお偉いさんは、後生大事にこの校舎を保管している。

 そしてその一室を与えられた部活動、それが。


 「オカルト研究部、かっこ……超常現象同好会、かっこ閉じ、ねぇ……訳分からん」


 まず正式な部活なのか同好会なのかはっきりしてほしい所だ。

 人数的には同好会だろうと予想はしてるが、一年経った今でも未だ何も言われない上に、しっかりと部費も出ているという訳の分からなさ。

 当人達もこれといって成果を上げている訳でもないのに、なんだろうこの扱いは……なんて思うくらいには、無駄な詮索をしてしまうというものだ。


 「ま、今更なんだよなぁ」


 そう、この際どうしたって変わらない。

 もう一年もこの部室に入り浸ってしまったのだ。

 今すぐ扉を開いて、ここ辞めるわ! なんて言ってやりたい気分だが、そういう訳にもいかないのが現実というものだ。

 むしろそれをいうなら、明日から俺は学校そのものに来たくない。

 家でダラダラ過ごしたい、そんなお年頃なのだ。

 そんなこんなを考えている内に、向こうから勝手に扉が開いた。

 ギギィ……なんて古めかしい音を立てながら開いたその扉の向こうから、いつもの見慣れた顔の少女が顔を覗かせる。


 「毎日毎日何してるんですか? 先生……さっさと入ってくださいよ」


 何やってんだコイツ。

 みたいな事を言いたげに、半分しか開いていない瞳を俺に向けながら首を傾げ、肩まで伸びた髪を揺らす女子生徒。

 いつもの光景だ。

 夕日が映えるこの部室の扉から、こいつが顔を出す。

 こんな部活に入り浸ってなければ、それこそ男受けも良いだろうという整った顔立ち。

 高校生という若さを主張するようなきめ細かい白い肌と、無駄に出るとこ出ているようなスタイルの持ち主。

 それがこいつ、黒家 巡くろや めぐる

 そんな少女と同じ部屋で活動しようが何しようが、変に気を使わないでいられる理由……それがまあ、彼女が言った通り俺が教師であり、アラサーのオッサンだからである。

 別に枯れている訳ではないが、小娘相手にどうこうなんて考える程旺盛でもない。

 そもそも教師という立場でそれをやったら、社会的な絶望が待っているのは明らかだ。


 「いや、今日はどうやったらサボれるかを考えてたんだがなぁ」


 なんて台詞を吐きながら、いつも通りにため息を漏らす。

 これもまた恒例行事というものだろう。

 それでも彼女はムッと頬を膨らませて言い放つのだ、いつも通りに。


 「顧問だとしても、無断欠席は許されませんよ? それがこの部活の掟です」


 プリプリと怒りながら、現部長の黒家が頬を膨らませる。

 正確に言えば部長も何も無いんだがなぁ、なんて。

 本人の前で言ったら多分また怒られるだろうが。

 このオカルト研究部(超常現象同好会)略してオカ研には、彼女と俺しか居ない。

 部員一名と顧問一人という謎の部活動なのだ。

 普通なら即廃部になりそうな勢いではあるが、校長からも部員増やしてねぇ~? なんて軽く言われている程度である。

 そんな不思議一杯な部活動の本拠地に、俺……草加 浬くさか かいりは足を踏み入れる。

 見た目はいいのに色々と残念な女子が、今日は何を言い出すのかと早くも胃を痛めながら。

 毎日の事とは言え、こればかりは一年間慣れる事はなかった。

 さて、今日はどんなおかしな事をやらされるのか……なんせここは、『オカルト研究部』なのだから。


 ————


 はっきり言おう。

 俺は幽霊や超常現象というものを信じていない。

 あんなものは物書きやらテレビに出る奴らが、稼ぐために演出しているだけのフィクションに過ぎないのだと断言できる。

 だって俺見た事ないもん。

 もしもそういったものが実在するというなら、俺はこんな部活の顧問を務めているというのに、一向にそれらしい現象に見舞われないのも不思議ではないか。

 この一年を通して様々な降霊術だのスポット巡りだの体験したが、それらしい現象が起こった事は未だにない。

 だからこそ言おう、オバケなんて嘘さ! と。


 「何か遠い目をしてますけど、始めますよ? ミーティング」


 呆れ顔の黒家が、やれやれとため息を吐きながら席につく。

 1ルームのアパートより狭いであろうこの部室。

 会議用の長テーブルと椅子を置けば、他の物も相まって部室のほとんどが埋まってしまう。

 部屋の奥に置かれているソファ、部屋の壁を狭めるように置かれた本棚。

 なんともまぁ、狭っ苦しい部室である。

 そんな状況にも既に慣れ、自然と相向かいの席に腰掛ける形になるのも、もう随分と当たり前になってしまった気がする。


 「そんで、今日は何をやらかすんだ? 心霊スポットか? それともミステリーサークルでも校庭に作るのか?」


 諦め気味に乾いた笑いを漏らしながら、大袈裟に両手を広げた。

 そう、諦めるしかないのだ。

 こういう案件になると、彼女は満足するか飽きるまで絶対に引かない。

 いくら反対しようとも、時間が深夜に差し掛かろうと最後まで続けてしまう。

 ある時は星の輝く寒空の下、屋根もない廃墟にランタン一つで潜入してみたり。

 ある時はヤバイと噂のトンネルを、何十往復もダッシュで駆け抜けてみたり。

 そんなこんなでこの一年間、退屈はしなかったが充実もしていなかった。

 ただただ疲れた、の一言に尽きるのだ。

 俺は普段から低燃費で過ごしたいと思っているような人間なので、もはや彼女に常識を説いたり、反対意見を言って無駄に時間を使うような事はしない。

 はっきり言ってしまえば、さっさとやってさっさと帰った方が有意義であるという事をこの身で覚えたのである。


 「なんか無駄に清々しい感じの表情が癪に障りますが、まぁいいでしょう。なんと、今日はあの有名な都市伝説! ひとりかくれんぼ、です!」


 無駄に清々しいのはどっちだと言いたくなる。

 さっきまでの仏頂面はどこへ行ったのか、溢れんばかりの笑顔で自信満々にそう宣言する黒家。

 普段からそういう表情をすればいいものを、なんて事を何回思った事だろうか。


 「あー、あれだよな? 前に映画にもなってた、なんかヌイグルミ使うやつ。マジであれやるの? すげぇ嫌なんだけど……」


 いつかは来るだろうと予想していた、かの有名な降霊術。

 一見子供の遊びに見えるが、実際やると本気でヤバイものを呼んだり、その後の後処理に困ったりするらしい絶対やりたくない逸品だ。


 「だからこそ試してみる価値があるんじゃないですか! ちょっと旬を過ぎちゃった感じはありますが、有名であり実体験のレビューも多い! なら試す以外どんな選択肢があるというのですか!?」


 あるよ選択肢。やらないっていう至極真っ当な選択肢が、目の前に転がってるよ。

 そもそも旬てなんだ、心霊現象にも活きがいい時期とか美味しい季節みたいなものがあるのか。

 実体験レビューなんて皆悲惨なのばっかりだよね? 活きがいいのは君だけで、皆死屍累々としてるのばっかりだよね? 下手したら息してなくてレビュー出来ない人だって居るかもしれないよね?


 「で? 誰が、誰と、どこで、いつやるわけ?」


 「もちろん先生が、一人で。先生の家で、今晩やるわけですよ」


 「ふ ざ け ん な」


 こういう会話だってもう何度目かわからないくらい繰り返したが、正直こういう類はご遠慮したい。俗にいう、本当にヤバイ系の類。

 少し前にも言った通り、俺は幽霊だの怪奇現象なんぞを信じてはいない、信じちゃいないのだが……いざお化け屋敷だのなんだのに入れば驚きもするし、『そういう儀式』まがいな事をすれば気味悪くもある。

 今まで体験したことがないから次も平気、なんてお気楽に考えられない小心者なのだ。

 信じていないから怖くないなんて、怖いと思ってる奴らのいい訳でしかない。

 人間怖いものなんていくらでもある。

 実際出てくれば幽霊だって怖いし、そういうスポットに行けば変質者だって出てくる可能性もある。

 今までにも何度か遭遇した事があったが、アイツらはヤバイ。

 そういう場所に潜んで、人を追い回したりするんだ。

 俺一人ならまだしも、そんな場所に生徒を連れて行きたくはない。

 とてもじゃないが何かあった時責任が取れないし、いちいち相手をしたくもない。

 そんなわけで生きている人間が一番怖いと思うわけだが、はっきり言ってそんなものに関わろうとする気が知れない。というのが俺の意見だ。


 「いいじゃないですか、どうせ一人暮らしなんですから」


 やれやれと言った調子で胸の下で腕を組み、無駄に育った胸部が強調される。

 ちくしょう、いつか揉みしだいてやるからな……とかなんとか言っても、立場というものがあるんだから無理なものは無理なんだが。

 そんな事をすれば一発逮捕だ、社会から放り出される未来まっしぐらだ。

 などと考えながら視線を送っていると、ふむ……と声を洩らしてから自分の胸に視線を下ろす黒家。


 「別に好きに触って頂いて結構ですけど、ひとりかくれんぼ、やってくださいね?」


 まるで食事中に「少し食べてみますか?」くらいの気軽さで、さらっととんでもない事を言ってくる。

 うん、まぁなんというか。これもいつもの事ではあるが。


 「……いいよ、やるよ、やってやるよ。だからそういう魅力的な条件付けるんじゃねぇよ、現役女子高生。マジで揉むぞ」


 なんてお小言を漏らしながら、本日の予定は決まった。

 ため息を一つ溢しながら、黒家が用意した『ひとりかくれんぼを行う手順!』とやらに目を通していく。

 男なんて基本そんなものだ、お金とおっぱいには弱いのだ。特に俺みたいなモテないおっさんは特に。

 とはいえ揉んでないぞ? 触ってもいないぞ? 本当だぞ?

 なんて言い訳を誰に対してでもなく考えながら、部活の時間は過ぎていく。

 沈む夕日はゆったりと部室を染めて、その全てをオレンジに塗り潰していく。

 あぁ、まだ夏は始まったばかりだ。

 一年で一番この少女のテンションが高くなる時期が、今年はまだ……始まったばかりなのである。

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