#’13 討伐、開始


 ブルーが足を止めた先に、山の斜面に立つ岩盤と岩盤の間にあるうろを見つけた。


 ── 寝座ねぐらだ。


「風下に移って暫らく待機。戻るか出て来たらブルーと私が狩る.

 君は、周囲を警戒ってことで。人型以外の戦闘は未経験でしょ?」

「はい…。自意識としても、ですとほぼ素人ですし」

「素人は謙遜しすぎ。私を打ち負かしたのをお忘れです?」

「い、いえ、滅相もござりませぬ」


 あの時は必至だった、そして優位性があった。僕の術理はこの世界では珍しい、もしくは存在しないのだろう。とは言え、勝たせていただきました。はい…。


「ふふっ、なにそれ。とにかく君は待機で。手で合図するから、そしたら出てきて?」

「わかりました」


 ここは了承以外はないだろう。

 彼女がこれからするのは、本当の命のやり取りだ。

 落ち着きのあるリラックスした様子は決して油断では無く、だ。そんな彼女の足手まといにはなりたくない。


「ここからがしんどいよ。

 なにせ、いつ現れるか予想は出来ても確定は出来ないから。神経を擦ることになる」




 その発言の通り、忍耐との戦いだった。

 森のあちこちでは、偵察用の使い魔 十数匹が駆け回っている筈だ。当然、使い魔は僕によるものでは無い。

 使い魔の反応が有れば必要に応じて移動。

 こちらに近づいているならば、そのまま待機だ。




「……ん。」

「…どうもです」

「待つって、結構大変でしょ?」

「いえ、まだまだ平気です」


 水筒をミコトから受け取り、口に水を含んだ。


 ああ言って強がってはみたが、生きた森の音が時の経過を遅くし、神経はじりじりと擦れていく。

 状況が状況じゃなければ森林浴に身を置けるであろう筈の環境も、今は戦地と変わらない。



 待機する。

 風が吹く。


 待機する。

 葉が落ちる。


 待機する。

 待機する。

 ………………。




 ─── 来た。




 葉擦れや鳥の鳴き声。

 これまで絶えず何かしらの音が満ちていたが、この瞬間、この言葉だけが空気を揺らすようだった。


「使い魔に反応が有った。何か咥えてる。」


 頭を過ったのは昨夜、兵から聞いた話。


 ───昨日、行方不明者が見つかりまして。欠損部分から、動物の仕業だと………。


「それって人の…」

「たぶん。獲物を隠す場所があるんだろうね。食べやすい部分は先に食べて、他は横取りされないように埋めたりして、後でお持ち帰りするつもりだったんでしょう」

「賢いんですね」

「そう。だからこそ本来は人里には近寄らないの。なにか、イレギュラーが無い限り」


 会話をしながら、今一度装備を確認する。

 武器に苛立たせる獣腑イリテータ、予備のナイフ。

 防具に、左腕を覆う手甲。


 非常にシンプルだが、無暗に防具を付ければいいというものでは無い。牙に耐え得る必要最低限の機能を持ち、機動性を損なわない装備の選択はミコトの判断だった。

 ブルーも伏せの状態から既に臨戦態勢にある。


「………。」


 小さい詠唱をミコトがする。使い魔に使っていた魔力を回収しているらしい。


 やがて不規則な自然の音色の中に、規則性のある音を聞き見つけた。

 葉擦れの音が近寄り、

 僕らの集中力が跳ね上がる。


 そして、


 茂みが割れ、一頭の四足獣が姿を見せた。

 くすんだ橙の毛に、不規則な黒い縞。


 件の、人食い虎だ。

 口には人間の腕と思しきものを咥え、ゆっくりと凱旋するところである。


(隻眼……?)


 虎は、片目が潰れていた。知らされていなかった情報。

 だが、成る程。手負いの獣が、基本的に単一では非力な生物、人間を襲うのはあり得る話だ。


「………!」


 短く息を吸う音が聞こえる。そして打ち合わせ通りに二人は飛び出した。

 死角を突き、風向き良し。

 その不意打ちに狩猟目標が咥えていた物を落とす。


「グオ……!」

「っ……!」


 ブルーの攻撃を迎え撃った虎だったが、

 その時には既にミコトの刃が虎の喉元に深く刺さっている。

 重要な血管が裂かれ地を濡らす。


 虎は最後の抵抗を見せているが、完全にブルーに抑え込まれ、ただ地面を僅かに削るだけ。


 抵抗が弱るのにそう時間はかからなかった。

 僅か十数秒の出来事だ。





 手にした短剣きばは獣の喉を裂き、ミコトの手は血で染まる。

 既に幾度もこなしてきた狩りころしの感触。

 それ故、

 肉を貫く刃を伝う僅かな違和感を感じ取った。


(軽い…)


 最後の抵抗をブルーと共に押さえる。事切れたら見聞する必要がありそうだ。


(けど……

    ……そう簡単には、終わらないか)


「止めておきなさい。覗き見なんて悪趣味は」


 はた目には何もいない藪に掛けた問い、

 答えたのは聞き知らぬ声だ。


「気配遮断の被膜に綻びは無かった筈だが……。成る程、なかなかやり手らしい」


 当然、これはシューユが発したものでは無い。


 背景でしかないはずの森の一部が歪み、それは形を成す。

 歪みは、

 白亜のロングコートを着た長身の男に変わった。


(いったい何時から)


 過る疑問を刹那に頭の片隅に追いやった。

 仮にシューユはともかく、ブルーの嗅覚を以てしても、男の気配に気が付いたのは数秒前。


 ミコトが虎の血液で滴った短剣を血振りをし、赤色の点が飛ぶ。

 だが彼女も分かっている。

 気配の遮断などと言うぬるいものでは無く、男の存在そのものを認識出来ていなかった事を。


「これは敬意だよ、うら若き狩り人ヴェナトルよ。無防備な背を刺すことのどれ程簡単なことか。」

「は。治外賊ラプトルが殊勝ね」


 男の佇まいからは、滲み出る害意を感じていた。


「当然だ。私の実験体をこうも簡単に仕留めるんだ。言うなれば、一目惚れだよ。」

「実験体?」


 彼女の問いに、男は飄々と、だが、大げさな身振りで応えた。


「あぁ、解っているとも。説明は必要だろう。しかし、何から話そう。何も大逸れた訳など無いのだが……。

 そう、私は魔術師の端くれでね。日々研究にいそしんでいるが、ここの所マンネリでね。するとある日、手負いの獣と遭遇した。大方、貴族連中の下手糞な狩りにでも巻き込まれたのだろう。


 君は知っているだろうが、こうなっては野生間での生存能力は著しく低下する。さすがに少々哀れでな。」


「……だから、魔術でと?」


「名答。何、ちょっとした実験息抜きだよ。代謝を通常個体より少々あげ、怪我のハンデを覆すために狩りの際に身体強化を強制的に発動させるように調節した。あぁ、それと…、

 …人肉は少し与えたな。」


「………。」


「怖い顔だ。確かに褒められるような崇高な研究では無いな。魔術を探求する者にとってはただの余興にすぎん。これでも趣向は凝らしたのだよ?

 人肉えさは新鮮な………」


「その余興で何人死んだ?」


 冷たく、問う形での言葉だが、返答など求めていない。


「……さぁ? 知らんよ。」

「でしょうね。後は牢屋で聞いてあげる。」

「ほう? 自己紹介も互いにまだだ。つれないことを……」

「安心して。捕まれば沢山喋れるから。言いたくないこと含めてね」


「……これはこれは。年上のお話は聞くものだよ」


 張り詰めていた、コンマの静寂 ────


「「詠唱・短縮スペルレイズ」」


 双方が同時に詠唱を開始した。




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