#’8 洗礼。


 瞼の向こう側に淡く光を感じ、薄く開けた。

 夕暮れだ。日が傾き、蒼い月明かりとのコントラストが映える。映える、えっと、昔風に言うと、いとおかし。か。

 体に痛みや痺れは見られない、あの施術は上手くいったらしい。

 ほんのりと感じる喪失感は、たんに寝すぎたからだろう。言うなれば、前日早く寝たのに休日の昼過ぎに目が覚める、のような。


 ぼぅとした思考。でも、多少くだらない事でも考えないと、怒涛に過ごした時間を思い出しそうだった。


 ……特に、人を刺した感触なんて。



「起きましたか、漂流者」


 努めた無機質な声。ドアの前に黒髪の小柄な少女がランプを片手に立っている。

 見覚えのある顔は、あの夜暴走した僕がマギーに襲いかっかた時、間に入り、攻撃を止めたその人だ。


「……顔に何か付いてます?」

「なにも! えと、おはようございます」

「おはようございます。じゃなくて、言わんとすることは分かります。この顔ですよね」


 しまった、突然の来訪に思わず顔を見たまま止まってしまった。あるいは見とれてしまった、とも言える状況だっただろう。


「祖父が漂流者なんです。だからあなたと似た顔つきなの」

「え……」


 幸い、誤解を解かねばならぬ認識はされていなかった。

 しかし祖父が漂流者か……。と言う事はイサミの予想通り、あの世界に戻る手立てなど無いのだろうか。だとすれば、戻りたいと願う人にはかなり酷な事実になる。僕は……どうなんだろう。


「暫定的だけどあなたの監視役になりました、ミコト・ラティアです。見ての通りここは監獄ではないですが、あなた、危険なので。」


 部屋の景色は確かに監獄などのそれでは無い。どうやら宿舎の一室らしい。


「シューユです。その、よろしくお……」

「名前は聞いてます」


 ……ばっさり、だ。


「警戒に値する人物ですので慣れ合うつもりはありません。不審な動きをすれば殺しますので、覚えておいて」


 目は冷酷に、まるできっさきだ。


「起きたのー?」


 ……擬音をつけるならひょっこりと新顔が現れた。こちらは緊張感は微塵もなく、興味津々、といった感じか。


「……何しに来たの、ヒルデ。」

「ん-、どんな人かなって興味本位? 夜だったから、あの時はよく見えなくてさ」

「で、冷やかしにきたと」

「マギーがミコより強いってんだから、どんな躰か興味涌くっしょー?」


 そう言うとヒルデと呼ばれた人は僕に近づきまじまじと……。鼻先をきれいな橙色の髪が触れた。

 えと、あの……、


「ち、かく、ないですか……?」


 まじまじと、それはもうまじまじと見つめられている。……そして彼女はなかなかの長身であり、ラフな服装で前かがみをしている。この気まずさを語るのに三日三晩を要することは野郎なれば知れたことだろう。誰に語ってんだ僕は。


「ほどほどにしときなさい?」

「んー…」


 あ、無理に止める気は無いらしいです。慣れた様子は何時ものことなのだろうか。しかし初対面でこれは、いったいどういう洗礼なのか…。

 とりあえずはどうにもできず、目を瞑って満足するのを待った。

 …………心臓がうるさい。


「へぇ…」


 布が擦れた音を聞き、薄っすらと目を開けた。


「いい躰してるね君、細いけど、ミコより強いんだ?」

「あ、の……」


 未だ前かがみを崩さず彼女が問う。

 見つめられ、視線を外す。……思わず、綺麗で。


 しかし求める答えは何なのだろう?

 でも、


「自信は無いです。あの時は必至で、実感もなにも、何が何だか分からなくて……。

 マギーさんに封をしてもらったんです。なので、あの夜の事を言っているなら、期待はしないでください」


 そう言って、頭を下げた。

 これは正直な気持ちだ。だって分からないことが多過ぎる。


「けんそん?」

「そんなんじゃないですよ……!」


 不意に顎の下を掴まれ顔を上げられる。

 綺麗と感じた眼が、やはりまじまじと僕を見ていた。


「じゃあアタシと?」

「……ぇ?」

「だって、そしたら自信付くっしょ?」


 自分でも驚くほどか細い声が出た。

 何を言ってんだこの人は。顔に血液が上がっていき、体は固まった。頭がショートしているようだ。


 ため息が聞こえ、室内の空気が揺れて流れ、

 窓を開けたのは確か、ミコトか。


「ブルー、おいで」


 何かを呼んだ。そしてその正体が一陣の風の如く窓から侵入した。


 青黒い毛並み、ナイフのような犬歯。窓の大きさを見るに、そのしなやかさを窺える。肉食の四足獣がそこにいた。

 彼女は一瞥し…


(……微笑んだわらった?)


「ヒルデの相手してやって。」

『ガウ!』


 打てば響く楽器のように猛獣が返事をした。

 そのままさっきまで僕に挑発(?)をしていたヒルデに飛び掛かり……


「わーーー!」


 飛び掛かられた当人は黄色い声を上げて応戦している。と言うか獣と同じ土俵でじゃれ合って、二人してがるるる言ってる。

 ほのぼのしい、のだろうか。


 その様子をただ見ていた僕にミコトが話しかける。


「さっきのだけど、ヒルデの冗談だから真に受けないように」

「それは、はい、もちろんです」


 当然だ。しかも、何か含んだ言い方だったし。


「えー、冗談じゃないのに」


 先程までがるるるしていたはずのヒルデが、仰向けになった獣のお腹をわしわしもふもふしながら顔をこちらに向けた。


「何がよ。新入りが来るたび毎回やってるでしょ」

「でも嘘はいってないしー? 勘違いする方が悪くない?」

「させんな。あと、こいつは鷹旺の新入りじゃない。危険がないようにうちらが管理するだけよ。その意味をわきまえなさい」

「ミコさぁ、」

「なに」


 わしゃもふと戯れるヒルデの顔が悪戯めいた笑みに変わった。


「嫉妬してるんしょ。」

「…意味わかんないんだけど」

「そ? じゃあ何で冷たくしてんの?」

「だから、こいつは危険分子なの。優しくしてやる必要なんてないし、あと、嫉妬なんかしてない。」


 腰に差していた短剣が翻り、逆手にもたれた刃が首筋に突き付けられた。


「こいつはマギーに剣を向けた。それだけで、私にとっては敵なのよ……!」


 その怒気に獣も呼応した。唸り、毛を逆立て、牙を見せている。


「ねぇ、それこそマギーの意思を無視してない?」

「そうだとしたら、こいつはもう土に還ってる」

「人間は分からないを恐怖と感じる。ミコの言葉よ。

 あたし達は彼を。違う?」

「怖がってるとでも?」


 刃は依然、首筋にある。


「それは無いよー。でも、知る必要があると思わない?」


 数秒の間の後、突き付けられた刃が離れていった。


「一理あるか。」

「でしょ?」

「言いたい事は分かった。」 


 短剣を仕舞ったミコトはドアへ向かい、それに獣も続く。

 部屋を出る直前、こちらを振り返る。


「第一修練場、先に準備してるから、後からそいつ連れてきて貰って良い?」

「もち~。こっちも準備させとくね」

「お願い。」


 振り返らずに言い、そのまま部屋を後にした。


「……あの、今のってどういう」

「んー、言葉よりも躰に聞いた方が速いって事かな」

「と、言いますと……?」

「今から君にはミコトちゃんと試合をしてもらいます! 拳を交えば分かるモノもあるって事よ!」


 親指をグッと立て、ウィンクまでして見せている。


 だが言ってる事が脳筋である。

 僕は、友人ヤスに似た何かを感じたのだった。


「大丈夫。使っても木剣だろうから、ケガしても骨折くらいだよ!」



 大丈夫とは?


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