#’4 Fortes fortuna adjuvat 4/6


 #4───



 確か、その日は祝日だった。




 ───……あれ?




 目の前の光景に体が硬直する。

 たくさんの、それは途方も無いほどたくさんの、人々の往来の声。硬い街並みに響く人工的な鳥の鳴き声。そんな街の匂い。


 黒い道の両端は白のラインで区切られているが、今はその効力は不必要なものとなり、そこには歩行者のみが闊歩する。


 いろいろな会話が聞こえる。


 足音が入り混じる。


 聞こえる。


 混じる音。




 はた、と、視界の端に幼な子を抱いた夫婦が見えた。


 そして、


 僕の血の気が瞬く間に引いて行った。まるで、大津波の前触れに、海が干上がるかの様に。



 ……。いや、



 その後に起きる事実を以てば、悪厄と言う意では合っていた。





 *




 #4、揺影 - black fogu -




 ………夢を見ている。



 ……生々しく、至って平凡な日常に、

 自分はうなされている。

 覚醒と睡りとの狭間で苦しく息を喘いでいる。

 その日常が悪夢に繋がっている。

 近い筈のその景色を余りにも遠く感じる。


 不意に、ある顔が浮かんだ。形相は、まるで人のものでは無い、別の何かの様だ。

 羽虫の蠢きの様な音で、それが何かを言っている。


 ノ、

 マ、、、ガ、


 だが、大凡おおよそ理解できない筈のその音を、僕は理解出来てしまった。


 オマエラ、

 ガ、キタ、セイダ。


 恨めしく、繰り返し呟いている。

 ……僕を睨むその顔が村長のそれだと気づいたのは、言葉を理解した後だった。


 その顔が消える。


 あ……。


 黒い、靄だ。

 それは僕へと手を伸ばす。


 ……ああ、そっか。


 何かに納得した時、僕の意識は浮上した。





 雲の隙間から覗くうっすらとした光をたよりに視界に映ったのは、心配そうに僕を見つめるホノカの顔だった。


「シューユ君…!気分どう?凄い汗だよ」

「夢を…見てました。どんなのか、覚えてないですけど。」

「そう…お疲れ様。汗拭くね。あ、それとも、お水飲む?」

「……水、ください」


 確かに重い倦怠感だ。酷い寝汗による軽い脱水と、あとは、自分が見た夢の内容のせいだろう。


「……あれ、ヤスは…?」


 そういえば最期の記憶では、湯上りに屋根に登り風を浴びながら、ヤスと昔話に花を咲かせていた筈だ。

 ホノカは、僕から視線を外した。


「ヤストキは…イサミさんと一緒にヤクトさんを呼んで来るって」

「そう、ですか。」

「うん。って言うか2人共、どうやってあんな所に登ったの?君を下ろすの大変だったんだよ?」


 そう言いながら、彼女は僕の額をヒヤリと濡れた布で拭う。


「すいません……」

「あ…ううん。大丈夫。男手2人いたから。」


 布を水に浸け、絞る。

 このやり取りの間でも、やはり目は逸らされたまま合うことはない。…気にし過ぎだろうか。



 現状に気づくのが遅れた原因は、そもそも僕の知る天井が、診療所と、兵舎の2つだけだった事が大きい。



 ぱん……。と、何かが弾ける音が微かに、遠くの方から聞こえた。

 そして、近くでは葉擦れの様な音。僕らからでは無い。


 別の誰かが、複数人、同じ空間にいた。


「ホノカさん……?」


 彼女は俯き、止まった。


「ここは何処なんですか…?みんなは…!?」

「静かに。」


 冷静な声色で答えたのは、メデイだった。


「ここは村長の家よ。今は…仮のになってるの」

「え……?」


 それは、どう言う……。

 僕が次の疑問を口にする前に、メデイが続けざまに嘯いた。


「門の近くでちょっとあったみたいでね、近くの非戦闘要員は、念の為、こうして避難しているの」


 彼女の声は努めて冷静だった。……その冷静さが、僕の不安を助長した。

 慣れてきた目で部屋全体を見渡す。


 そして、確信してしまった。


「……嘘だ。」


 無意識のうちに僕は呟いた。立ち上がり部屋の外へと急ぐ。体から落ちた毛布が脚に絡まるのも気にせず、待ってと誰かが制止するのも厭わずに。

 扉を開けたそこもまた、薄暗く月明かりが覗くだけであった。

 廊下の窓が外側から木材で塞がれているらしい。

 何を目指す訳でもなく歩き出すと、上へと続く階段が目に入っり、そのまま思考する間もなく駆け上る。


 上階の窓は、内側から物を置いただけの簡易的なバリゲートがあるだけだ。

 障害を排除し、外を覗こうとする。

 が、

 袖を掴まれた。


「待って……! お願い…!」


 ホノカの必死の表情に、冷静になれ、と、自分に言い聞かせる。


 冷や汗が。悪寒が身を燻る。


 窓から見える光が、蒼い月明かりだけで無い事に、その時ようやく気が付いた。

 物と窓との間に漏れる、橙色の、揺れる光。


 そっと窓の外を伺う。

 それは、

 赤い火柱が上がるのと同時だった。


 火柱は、昼に見た倉庫を貫いていた。


 その煌々とした光に揺れる影は入り乱れ、争い合っているのは明らかだ。


「嫌な予感が当たったのぅ。」


 嗄れた声は続ける。


治外賊ラプトル共の襲撃よ。

 ヤクトめは漂流者は吉兆だと言っておったが、老人の勘もないがしろにはしておらんでな。その為に男手に剣を教えておったのかのう。」


 ……ヤスと、イサミの事だろう。


「……2人は…どこへ?」


 村長の姿は見ずに、背中越しに問うた。


「ここはメデイの張った目隠しの魔術結界が施されておる。街へ出した使いが軍の助けを連れて来るまで、ここに居さえすれば安全だろうよ」


「質問に答えろ!」


 僕の叫びは静寂に飲み干され、代わりに答えたのは、母親のように語りかけるメデイの声だった。


「2人は、逃げ遅れたヒロコちゃんを探しに行ったわ。……ごめんなさい。みんな止めたの、でも……」


 問答を続ける余裕は無い。ホノカの手を振り解き、僕は駆け出していた。

 村長の介助をするメデイとすれ違う時、彼女が何か言おうとした気配があったが、それよりも、体は動いて止まらなかった。




「追うな。」

 その一言は、怯える女子2人を止めるのに、十分な力を発揮していた。


「でも、お父さん、」


 それでも、隣の一人娘は、動けずとも必死に抵抗しようと口を開いた。


「いつから母親になった?」


 顎で、先ほど出て行った少年と同じ境遇の者を指す。少年は、衛兵長のヤクトでさえ見た事の無い武芸を見せたと言う。

 あの少女もそうだ。魔術を教わり僅か5日で低級魔術を覚え、その素養の片鱗を見せた事を聞いている。


 老人は、そんな漂流者たる彼らを危険視せずには、どうしてもいられなかった。


「お前はコイツらのなんだ? 親か? 親類か? 違う…! コイツらは、愚か、アーブルの人間ですら無い。

 分かるか? 十年間、彼奴らは準備していたんだ。儂が右足を引き換えに退けてから、彼奴らは十年にも及びこの時を待っていた! そんな賊に襲撃を受けている今、余所者に使う労力は無い。

 頼む……、理解しわかってくれ。」


 断固として言い切った老人の言葉は重く、震えていた。





 *



 夜。哨戒や村の畑に近づく魔物の狩りといった仕事を終えた部下からの報告を残らず聴き終え、本日の彼の仕事は一応の終わりを迎えた。

 ……後は、資料の作成と整理か。


「ヤクト義兄にいさーん、ちょっといいですか?」


 羊皮紙に今日の出来事を書き綴ろうとした矢先、何とも気の抜けた声で若者が訪ねてきた。

 仕方なく、ため息混じりに答える。


「……あのなぁ、ギラ。俺はまだ仕事中だ。」

「もう日は落ち切りましたんで。って言うか、また姉さんに怒られますよー?仕事でなかなか帰って来ないって」

「…ほっとけ」


 ギラは…年齢こそかなり離れてはいるが、ヤクトの義弟に当たる。勤務帯は上司と部下の仕切りを崩しはしないが、それ以外では昔からこうだ。

 彼の長所はスタミナの多さと、当人の姉でヤクトの妻 メデイ譲りの人懐っこさ。ギラは次期副兵長として、実力を皆に認められている。(朝に弱いのが致命的なのだが…。)


『直感』

 ヤクトが思うに、ギラの際たる長所はこれだ。…漂流者の5人を見つけたのも、彼だった。


 ……どうせなら、と、ヤクトはギラに向き直る。


「哨戒班1番から3番までの報告だ。目ぇ通してくれ」

「何です、藪から棒に」

「いいから。お前の直感に聞いとる」


 ざっと資料を見たギラが、直ぐに口を開く。


「……ここ数日の、有りますか?」

「おう。」


 今、追加の資料を見つめる彼の目は、普段の子犬のような人懐っこさは無く、完全に職務中のそれだ。


「……魔物含む、動物の出現率が少ないですね。」

「ん、確かにそうだな。気になるか?」

「ええ。漂流者が現れてから親父そんちょうも嫌な予感がどうとか言ってましたが……」

「お前もそれか?」

「あの頑固親父と一緒にしないで下さい。彼らには寧ろ、いい顔をしておくべきです。彼ら一人一人が才能の持ち主ですよ。もし賊に拾われ敵対していたら、想像したくありません。

 そもそもですね、出現数の減少は半月前からです。彼らとの相互関係は無いと見ます。」

「その根拠は?」

「勘です。」


 即答か!と、つい思ったが、いや、直感を充てにしたのはヤクト自身だ。

 だが、その勘だけでギラはここまで語ってのけた鋭さたるや。そして、この考察力である。

 立ち上り、ヤクトは愛用している剣を担いだ。


「馬を。しばらく夜間の警戒網を強化する。今日はお前の小隊も付き合って欲しい」


 若く、頼もしい返事でギラは返した。


「はい。直ぐに!」


 かくして、この直感は不幸にも、


 最悪な形で当たっていた。






 爆音と共に村と外とを隔する門が崩壊したのは、ヤクトがギラの小隊とその門へ向かっている、まさにその時だった。


 立ち上る煙からいくつかの影が飛び出す。


 それは、夜間の哨戒へと赴いたはずの衛兵の、


 焼け黒く成り果てた亡骸なきがらであった。



 一定の距離を保ちつつ、ヤクトは馬を止めた。そして、鞘に収まった剣を抜く。


「何者か!法も誇りも無きこの蛮行、このまま我らが剣の錆となるや否か!」


 答えは無く、一陣の突風が煙を切り裂く。

 其処に現れたシルエットは、ヤクトらが乗る馬の体高を上回る大きさの『怪鳥』。


 その背に、人影をみた。


「コイツぁ……!」


「十年ぶりだな、ヤクト副兵長。俺の右腕を持って行ったあの老兵長は息災かな?」


 ヤクトが副兵長だったのは十年前。そして奴の言う老兵は、嘗ての上官であり現在己の義父であう人物だと容易に検討が付く。

 ── 落ち着いた口調で笑みを浮かべるその顔をヤクトは知っている。


 十年前、アーブルを襲撃し、辛くも撃退した治外賊ラプトル

『ヴァールーズ』の首魁、

 猛禽使いガスト・テイマー、グェン・ヴァール。


「奪え。」


 邪悪な笑みに、背後に集う数十人の盗賊が雄叫びを上げた。





 *




 立ち上る火炎。

 泣き叫ぶ声。



 僕は、脚を止めてしまった。



 目の前に、いろいろなカタチの『死』。



 這い蹲はいつくばった子どもの傍らに、折れた剣を持った屍体。

 小さな手を伸ばすその瞳が捉えているのは、


 


 伸ばされた手と、

 赫く染まった欠片記憶が重なって、



 赫色は、余りにも鮮明に僕の脳を犯す。




 それは途方も無いほどたくさんの、人々の往来の声。硬い街並みに響く人工的な鳥の鳴き声。そんな街の匂い。


 俗に、歩行者天国と呼ばれる場所にいた。


 いろいろな会話と足音が入り混じる。


 混じる。


 混じる。


 はた、と、視界の端に幼な子を抱いた夫婦が見えた。


 そして、


 甲高い悲鳴が、それまで平和であったはずの日常を破壊した。


 違う。

 これは自動車のブレーキ音だ。


 次に金属が擦れ千切れる聲。

 そして本物の悲鳴。


 振り向くと、暴走する金属塊が逃げ惑う人々を次々に轢き潰していた。

 肉薄する鉄塊。予感する死。散々する思考。


 にげ

 なければい

 やへたにうご

 いたらでも



 刹那、金属塊の暴走は、ほと近くに立つ柱に衝突し、破壊音がその終わりを告げた。


 散らばった思考が戻って行く。


 今なら逃げられる ──


「ーーーーー!!!!!!」


 ナニカが雄叫びを上げて、

 だれかが悲鳴をあげた。


 金属塊の中に居たはずの人影はそこに無く、

 代わりに、

 ガラスに塗れた人間と思えぬような貌のナニカが、刃物を振り回していた。


 刃物が赤い。


 誰かが怪我をしたんだ。

 赤い斑点がその証拠。


 ぁ……。


 ソレがこっちを向く。


 標的は



 赤ん坊が泣いていた

 赤ん坊はその父親に抱かれていた

 その手はお腹の大きな母親を繋いでいた

 ソレが獲物の匂いに反応していた

 ソレは間違い無くその場に於ける強者だった



 ───── 駄目だ。そんなのは。


 僕の脚は動いていた。


 必死に伸ばす手は


 ソレの凶器が子を抱いた父親の背中を貫いたのと

 同時に届いた。


「…ッ!」


 間に合わなかった現実に歯嚙みする。

 それでも、ソレの背後から服を掴み、力の限り引っ張った。


「ーーー! ーー!!!」


 激しく抵抗するソレはヒトの声を発さない。

 なら、


 人間じゃない筈だ。


 邪魔者を排除せんとソレが凶器を引き抜き、僕に害意を向く。

 余りにも大振りな動きは、兎に角邪魔者を殺す事しか他になかった。


 躱す。躱せる。


 その筈だ───



 自分の体が傾いている事を自覚した時には、凶器はすぐ目の前だった。

 散乱したガラス片は、今いる此処も例外じゃなかった。


 ──こんな…



「jjjjjじゃぁえぇまあぁあああ!!!」


 雄叫び。

 に、

 反射して身を捩り、拳を突き出した。


 …このまま ───


「──…終わるかぁッァァァア!」


 凶器は、僕の腹側部に突き刺さり、

 拳は、ソレの頬を捉えていた。



 そして記憶は暗転する。



 ─── この後、どうなったのだろう。


 分からない。でも。



 ─────……そっか。


 この時僕は、確かに死んだんだ。

 薄れ逝く視界は黒く、靄に覆われて、

 抗いようもなく、尽きたのだ。



 焦っていた。恐怖に飲まれつつも、守らねばならぬと言う己の意思に。


 ── 怖かったんだ。


 目の前の死が、大事なものが溢れ落ちそうな予感が。


 其れもその筈と、何処か納得した様なきらいがある。


 人は己の知らぬ事に恐怖する。故に智を付けようと足掻くのだ。

 そして、シューユと言う人間はその『智』を得たのだ。




 だったら、




 僕ノ背後ニ黒イ靄ガ立ッテイル。

 ソレハ手ヲ伸バシ、僕ニ触レタ。


 ソノ手ヲ、

 掴み、捻り、折り曲げる。




 だったらもう、






 僕は怖くない死は理解した






 ───…………。




 燃えている。

 家屋が、人が、村が。


 手を伸ばした子どもが泣く、

 男が、

 傍らの死体を蹴り退かし、剣を振り上げる。


 ……大丈夫。溶暗しつつある記憶にそう呟く。


 腹部の内に、何か滲み出るような感覚を感じる。不思議と、その感覚は身体に馴染んでいる気がして……


 ……次は失敗しない。と云う気概を生む。自信とも違う、何か。



「助け ────」

 て。


 泣き叫ぶ子ども声が元いた場所に届くより速く、

 男の腹に拳をねじ込んだ。


 筋肉質な体軀が呻めき、大きくノックバックする。だが足りない。

 そもそもの体格差、ないし筋力差は歴然。そして、人間が危険少なく暮らす為の『街』と言う区分か外れて生きて来たであろう彼奴は、まだ止まらない。



 後ろ直ぐに子ども、退路無し、体格差歴然、自身が手にする得物無し ──


「この……!クソガキがァァ!」


 男が目を剥き吼える。想定外の邪魔者に、理性はまるで追いついていない。

 故に、確信する。



 ───獲った。



 *



 倒れる子どもが目にした光景。


 自身の命を救った彼への畏敬や、感謝の念でも無く、


 少年に植え付けたのは消えぬ恐怖だった。


 助けを求め手を伸ばした瞬間、まるで黒い霧を孕んだ疾風の如く、常人ではあり得ぬ速度で疾駆し、自身より一回り以上に大きな体を殴り付たのだ。そして、それは有用なダメージを与えていた。


 父を殺した盗賊の男が吼えた時、


 



 *



 ─── ッ!

 息を短く吐く。体の芯丹田に掛ける意識を無意識オートゆだねて遮断。


 観察。


 高く上げられた長剣。りきんだ肩の筋肉。質量に訴えたその一撃。

 剣線の軌道修正、不可。第二撃が速攻であることは、物理的に有り得ない。


 自身のたいをその場所から滑るように外らす。

 コンマ後、

 斜め上方から降り降ろされた長剣は、僕がいた筈の地面を叩き抉った。

 予想外の行動に、視界が僅かに揺れる程度の反応のみ。

 その間抜け面の顎がガラ空きだ。


「ッ───らァっ!」

 乾坤一擲けんこんいってき、鋭く吐く息に音が乗る。後方へ回転し勢いを乗せ、顎を側面から回し蹴る ───。


 踵の骨から伝わった鈍い音が、この一撃による絶対的損傷クリティカル・ヒットを物語り、軈て男は白目を剥いて倒れた。


「…逃げて。真っすぐに。」


 口から血や砕けた歯片を溢れさせ倒れる賊の男の継戦能力は剥奪したと見て、伏せたままの子どもに言った。

 すると、

 子どもは何かに怯えるように、一目散に走って行った。


 ともあれ無事だ。胸を撫で下ろす。


 だが、目的は他にある。探さねばならない。

 自分のなかにある記憶が、何かを失ってしまう予感を叫ぶ。そうしなければならぬと強く鼓動する。


 ならば急ごう。

 手遅れになる前に、失わぬように。

 争いの音が鳴り響く方へ駆け出した。




 *




 完全に不意を突かれたアーブル側の戦力は、既にその半数が先頭不能に陥っていた。

 ヴァールーズが夜闇に紛れて奇襲という、らしい戦法で先手を奪った事もあるが、防衛に徹すれば決して治外賊などに引けを取る事などない。

 戦局をヴァールーズの思惑通りに進めている要因は、首魁たるヴァールーが使役する魔物に有った。


『地走嵐禽 -ガスティタニス-』。魔物の区分の中で鳥獣にカテゴライズされる其れは、強靭な二脚で大地を走り、普段の獲物が馬や別種の魔物、共喰いすら厭わぬと言う、まるで凶暴極まる生命体クリーチャーである。

 強いて弱点を上げるとすれば、翼が退化し、飛行能力がない事だが、前述の通り馬を捕食しているのだ。即ち、走りに置いて、並みの馬を上回る脚力を持つ事を意味する。


 そもそも猛禽使いガスト・テイマーを含めて、『獣使いテイマー』は鳥獣を使役する事はできない。

 動物を飼い、ただの言葉や音、手話による命令を魔術を用いてより精度の良いものに変え、主従の概念をより強固なものとし使役する。そんな魔術を行使する者を指す。


 だが、事実ヴァールーはこの鳥獣の背に乗り、己が意のままに使役していた。「蹴散らせ」と命令すれば目の前の兵士を一蹴りで数人纏めて吹き飛ばし、殺せと命じれば、その鋭利なくちばしを以ってプレート状の防具諸共、貫いた。


 画して、衛兵側の防衛線は瓦解。村内では、一部の非正規兵すら、自衛の為に武器を取らざるを得ない状況にあった。


 それでもヤクトは、いや、アーブル側に諦める選択肢など有り得ない。




「槍が折れようが盾を構えろ! 増援の使いは既に出している。身命を賭して守り抜け!」


 ── とは言え、此れでは嬲り殺しだ。


 戦闘が始まってしばらく。月の位置は傾きかかっている。しかし、街からの……国からの増援の兆しは無い。


「第六から第八分隊、壊滅!第三鉱石庫が破られました!」


 伝令の叫びような報告に、ヤクトは苦虫を噛み潰した様に顔を歪ませた。




 *




 ヒロコはその診療所から動けなかった。


 彼女が逃げ遅れたのは、単衣にパニックによるものだ。

 日常から非日常へ、何かの理不尽により来てしまった彼女には、元の世界の、特に家族との記憶を。ヒロコからすれば、無き罪で島流しにあっているのと同じか、それ以上の恐怖である。

 だと言うのに、彼女の平和な日常とは掛け離れた生活を、10日に渡り懸命に生きてきた。そんな、の少女の精神は常に危うかったと言えよう。


 その夜、同じ境遇の者と逃げているつもりで走って、走って、走って、


 走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って。走って ────



 不意に足が止まると、周りには見知った人など居なかった。

 程近くで上がる火柱を見てしまった時、彼女は頭は真っ白になり、気が付けば目の前の建物の中で息を潜め、目から雫をこぼし続けていた。

 そして、

 何度聞いたかも分からない怒号。聞いたことも無い生物の啼き声に──彼女は限界を迎え、遂に泣き叫んだ。


 その時 既に、村への蹂躙が始まっていた。


 当然、盗賊たるヴァールーズの陣容がその声を聞き逃す道理は無い。ましてや泣き叫ぶ女性圧倒的な弱者の声など、飢えたケモノとって、猫に木天蓼またたびを嗅がせるのと同義であった。


 部屋を守っている唯一であった木製のドアが脆くも壊され、獣の様な双眼がこちらを覗いた時、ヒロコは死とは別の恐怖を本能的に感じ取った。


 正常な呼吸などできる筈も無く、喉が張り付いた様に閉ざされ悲鳴すら上げる事が叶わず、ただただケモノが近づくのを震えながら見ていた。


 ── 少しだけ、皆んなみたいに勇気があったら。


 思考回路は、まるで走馬灯を巡るかのように回転する。


 ── イサミさんみたいに冷静で、


 ── ホノちゃんみたいに真っ直ぐで、


 ── ヤストキ君とシューユ君みたいな強さが、少しでも私にあったら……──


「嫌ッ───!」



 ヒロコは、初め自分が何をしたの分からなかった。そして、それはヒロコを慰めモノにしようとしていた賊も同じ。

 先に状況に気が付いたのは、己の頬に二筋の痛みを感じた男の方だった。

 先程まで恐怖に身動き出来ずにいた弱者が、喰われるだけの兎が、捕食者たる自分に、爪で傷を付けた。そしてその事実は容易に男の頭を沸騰させた。


「このガキ……!なに一丁前に逆らってやがる。弱者は弱者らしく大人しく喰われてりゃいいんだよ!」

「……!……!」


 首を掴まれ、体が宙に浮く。それでもヒロコはじたばたと抵抗した。それがほんの小さな抵抗でも──。


「大人しくしろってんだろ!テメェ、そんなに犯されたいってんなら今すぐにでも───」


 その言葉を遮ったのは、板で塞がれた窓を強引に破り壊す音だった。そして、乱入者の正体を見とめ、彼女の頰には再び雫が線を作った。


「俺のダチに何してんだ糞野郎ォぁ!」

「……っ!?」


 躍り出る2つの影に、男はただ目を剥き、今度は逆側の頬に鈍い衝撃が走った。そして即座に理解した。攻撃を受けた、と。


 乱入者は若い男、其れも子供。だが、壁も同然の窓を突き破り、尚も爛々と闘志を滾らせる眼。

 方や、木剣を見たことも無い──それでいて隙の無い──構えでこちらを睨み定める眼。


 首を鳴らしながら、乱入者の片方が低く宣言した。


「判決………、死刑だくたばれゴミ」



 男を見下ろす四つの眼は、


 冷ややか且つ、剛胆。





 *




 撃ち付け合う長剣の回数は3桁を超え、既に刃であった筈の両側面は僅かな凹凸を残すだけの、鋭利とは程遠い鉄棒だ。


「ぬう……!?」


 旋風の如く繰り出された鳥獣の爪を、ぼろぼろの剣で辛くも防ぐ。……だが、無情にも剣の天命は保たなかった。

 火花が散り、剣は刃の中程で砕けた。



「ここ十年で衰えたか、ヤクト。剣は折れ、戦える者の数は減る一方だ。骨のある奴と言えば、その若造くらいなものか。」


 ヤクトは、隣で汗を流すギラを気にかける事すら叶わない、正しく死地いる。


「兵長。」

「なんだ」

「避難所へ行って下さい」

「馬鹿言え…」

「我が隊が殿しんがりを務めます。こうなった以上、あそこも安全じゃない。ここで指揮官が倒れてはいけない。

 それに……思いつきですが、策があります。」

「……頼んだ。」


 歯噛みし、だが振り帰らずに駆けていったヤクトの心情を、ギラは彼の横顔に見た。

 ならば。ギラは敵を見据える。

 ──敵戦力は地を走る鳥獣、それに騎乗するヴァールー。そして、その部下は、手を出すなと命じられたが為に待機の程を成しているが、どう動くかなど予想するだけ無駄な事。

 対するこちらの戦力は──自身と、負傷した部下2人。もちろん、ギラとて無傷では無い。


「どうした? ヤツはお手洗いか?」


 ヴァールーの嘲笑に、取り巻きもせせら嗤う。


「兵長殿は多忙なもので。貴様程度の相手はこの若造で充分と判断しただけの事。その鳥臭い首級は俺が頂こう」

「……ほう?」


 その言葉を賊は強がりと捉え、態とらしく下品な笑い声を上げた。唯一、ヴァールーを除いて。


 申し合わせた様に駆けた両者の間合いは一瞬で埋まり、3本の剣とガスティタニスの槍の如き嘴との間に火花を散らす。

 迫り合う両者だが、確実にヴァールーに分があった。


「同じ事の繰り返しか、若造? 覚悟は認めるが、それでは緩やかに死んで去くだけだぞ?」


 それへの返答を

 ギラは一節の詠唱で応えた。


「── 弾けリック!」


 極めて短い詠唱に、柄に埋め込まれた丸石が爆ぜる。発せられる光が一線、ガスティタニスへ走った。

 光線は外傷を与える威力など皆無であったが、ギラの狙いは『眼』。単純な目眩し。これを最優の策と考えたのだ。


『ギャアア!』


 効果は、絶大だった。

 鳥獣はもはや背に乗る主人を気にかけることは叶わず狂乱し、暴走する鳥獣が群れた賊に突っ込み、立ち所に悲鳴が上がった。

 しかし、ヴァールーは鳥獣をそのまま暴走ると、自身は早々に飛び降りていた。

 歪んだ笑みを浮かべるその表情は、愚鈍のそれとは明らかに違う。



「成る程、夜間戦闘の定石だな。更に暗所における鳥類の視界の悪さは衛兵殿には常識であるか? それこそ、暗視の魔術を使えばその限りでは無い。

 故に閃光の魔術は有要だったな。── ああ、しまった。大事な騎馬を失ってしまった」


 シンプルな策は、人間以上の起動力と攻撃力を奪うという、狙い通りの成果を上げた。だが、ヴァールーは至って余裕に嘯いた。


「さて、気は済んだかね。そろそろ本腰を入れて潰しにかかりたいが、1つ提案をしたい。」


 戦況は未だ変らずと言う予感にギラは歯噛みする。


「……賊が提案か。」

「なに、簡単な事だ。ここまで戦線は崩壊し、未だ街から軍の来る気配は無い。可哀想に、この村は見捨てられと考えて妥当だろう。

 我々は価値のあるモノを所望する。その点アーブル鉱は優秀だ。先のお前の様に魔術の起点に使う事もできれば、鍛えれば良い鋼になる。……だが、それを扱うにも人間が居てこそ。

 で、あれば、この村ごと譲ってしまってはどうだ? 」

「なに……?」

「見捨てられたのなら守る価値もあるまい! 安心しろ、使い道の有る奴は生かしてやる! 」

「貴様! その様な世迷言、許される訳が……」


 と──。


 物言おうとするギラの足元に、短剣と呼ぶにも短い刃物が突き立った。

 ヴァールーの投擲。しかし、そのものはダメージを与える為の物とは思えない。ならば、


(──触媒か!)


 危険を告げた六感に任せ、ギラは身を翻す。


「炎よ、誅せ《ハイ・グニート》。」


 短剣を中心に火柱が突き上がった。一部素材にはアーブル鉱が用いられていた。内包させた魔力は炎となり、天に伸びる柱となった。

 それは、対人戦闘において、文字通り過剰と言える火力であった。

 火柱の熱は周りの空気を歪ませ、高熱を孕んだ突風となり、身を翻し直撃を免れたギラもろともを吹き飛ばした。




「他愛無い。交渉は決裂だな」


 横たわるギラを見下ろしヴァールーは冷たく語りかけた。


「魔力を定着させた物質を触媒とした魔術は、貴様らの専売特許ではなかろう。

 十年前、俺は貴様らに苦渋を飲まされた。だが同時に反省したよ。防衛に置いてその訓練を積んだ者達が盗賊を撃ち破ったなどと言う話は、確かに耳にする事であった。

 だからこそ研鑽を積んだ。鳥獣を統べる為を身に付け、己が魔術を鍛え、とうとうそれは一撃の下に砦を崩しうるに至った。……しかし蓋を開けてみればどうだ?

 停滞。なにも変化を感じない。更には俺の片腕を奪った張本人は隠居済みと見える」


 復讐心の矛先が脆く崩れる、ヴァールーの語りは怒気を溢れさせた。


「これは興醒めだ。俺の十年をこんな程度で出迎えるとは……! 小細工ばかりでたかが知れる。我々を見下しておきながらその程度の力など! 下らん……! せめて腕利きの傭兵でも雇っておけ!」


「ええ。その通りだと思います。」


 不意にした声は、


 倒れるギラのすぐ側に立つ少年からだ。


「ここに来るまでに、何人もの亡き柄を見ました。村の人も居れば、あなた達らしき人も。

 こうならない為に日々鍛錬している筈なのに、これじゃ殆ど無駄ですよね。」


 ヴァールーが黙ってこの少年、シューユの言葉を黙って聞いていた理由は、警戒心に他ならない。

 ヴァールーはギラから目を離していない。だが、彼は不意をつかれた。明らかな異常である。

 そして、


「………き、きみ、は」


 程近くに倒れるギラは、シューユ身体から、霧の様に滲む魔力を感じていた。


「ヤス達は、何処にいます?」


 ギラは悪寒した。声は日中に聞いたシューユの声だ。だが、そうじゃない何かな気がしてならなかった。


「……そうですか。」


 ギラの沈黙を返答と捉えた。


 知らない、か。



「何者だ、少年」


 警戒を孕んだ問い掛けだ。だが、それに答える材など無い。


「友だちを探しています。」


 炎の明かりに揺れるこの路に、緊張感が張り詰めていた。


「さあ? 殺したかも知れないな」

「………」

「気の毒だが、これも弱者の運命と受け入れろ。怒りに身を任せ挑むも止めんが、犬死には必死だぞ?」



 ………なんだか不思議だ。子どもを助けようと思ってから、身体が軽い。

 そして、何処と無く俯瞰的な状態に、自身が陥っている気がしてならない。

 自分が自分でないみたいだ。


 早く探したいのに、

 ……邪魔だな。


 そう思うと同時に身体は駆動し、盗賊の群集の先に立つ男へ肉薄した。


「なら、殺せ」


 この声が僕から出た事を、僕は気が付かなかった。


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