#’3 Fortes fortuna adjuvat 3/6


 #3、幕開けの日常アブノーマル。午後。




 目線とはまた面白いもので、高さが違えば其れ相応に景色も変わる。現在、馬の背にいる僕は昨日とはまた違った景色を…正直、楽しんでいる。

 それもそうだろう。

 ひらひらと羽を動かす蝶、小さな荷車を引く農耕馬、村を流れる小川、時折村人からヤクトに話し掛けられる声。どれも平和で牧歌的なそれは、自分が今どんな境遇であるかをほんの一時であるが忘れさせてくれた。



 途中寄った僕が昨日目覚めた診療所までは直ぐだった。もっとも、歩行でもそんな時は要らかったが馬の脚ならば尚更である。

 馬が診療所の前で歩みを止め、蹄鉄が奏でる足音が止まった事に気が付いたのか、見覚えのある顔が僕らを出迎えた。

 その女性ひとは、今日も髪をお団子状に束ねている。


「あらヤクト、診療所ここに寄り道してくれたの?」

「ああ。昨日は急ぎ足だったから、ちょいとだけな」

「そう。シューユくん、体の方はどう?」


 そう言って見つめる違い朗らかな笑みは、昨日とは打って変わり、朝ぼらけの日差しの様な安堵感をヒトに与える温かなものだ。


「…はい、問題ないです。昨日はお世話になりました」


 ほんの少し返答に間があったのは、その笑みが、何故か懐かしさを感じさせたからだ。懐かしさの正体を…、僕は知る由も無い。


「はははっ! 何を見惚れとる?」


 何を勘違いしたか、ヤクトが僕を見て笑う。……別に、そう言う意図は無いのだが。いや、これまた当人には知る由もない、か。


 ヤクトはそのまま僕の頭をぐしゃぐしゃと乱し撫で、

「そんな顔をするな。コイツはこの村随一の美人だ。お前さんは見る目があるぞ」

 そう続けた。

 そんなやりとりをお団子の女性は変わらずの笑みで見守っている。


「あ!そう言えば私、シューユくんに名前言ってなかったわね?私はメデイ。この診療所のあるじでも有りヤクトの妻です。今後とも、彼を宜しくね?」

「…宜しくお願いします……。」


 ……なるほど。ヤクトは僕を笑ったのでは無い。自分の伴侶を褒められた様で嬉しかったのだ。


「おいおい、面倒見るのは俺らの方だぞ?」


 …楽しそうに、ヤクトが言う。


 ─── 暖かかい。

 この人たちはなんてお人好しなんだろう。ただでさえこの村の人間でない、ましてやこの世界の人間では無いと云うのに、この人たちは知らない人ぼくらの善性を疑わず、受け入れている。受け入れてくれている。


「んじゃ、寄り道も済ませたし…行くとするか」


 そう言う元は強面の筈のこの無邪気ともとれる笑みが、何よりの理由だ。


「ええ、行ってらっしゃい」


 また、懐かしさを感じた。




「まず、この村の名前は『アーブル』って名だ。」


 この世界についての享受は、村名から始まった。


 この世界の枠組みは聞き覚えのある…もとい馴染みのある仕組みで分割されているようだ。幾つかの《国》と云う大きな括りで仕切られていて、その中には大小様々な村や街が形成されている。そこではそこならではの決まり事が敷かれる事もしばしばあり、それは規模の大小に関わらず存在する。

 しかし、僕にとって珍しいことは、それら国の主たる街には《王族》が住まうのだという。とは言え、王による圧政は多い事例でなく、王族以外にも政治に関われる人も存在し、それらの人々は身分に関係なく選ばれるのだという。


「もちろん例外的な国もあるが…そんな国はそもそも他国と関わる事自体が珍しいからな。おいおい知っていきゃ良い。まぁ、こんなところか。ここまでに質問かなんかあるか?」

「いえ…」

「じゃ、続きだ。続き、と言うか、これは知っとけって事なんだがな……」


 神妙な面持ちで語り出すそれは、やはり…と言うべきか、人間はどの世界でも人間なのだと、あくまでこの人たちの善性が顕著なだけなのだと、僕にそう思わせた。


「人間ってのは、そういい奴ばかりとはいかんもんだ。国の敷いた法を守れない…あろう事か積極的に守ろうとしない連中が一定数存在する。

 そんな連中が徒党を組んだヤツを『治外賊ラプトル』と言ってな、連中は街中にゃそう居ないもんだが、ひと足街から出れば、そこは人間の住むとこじゃない。彼奴らがどこに潜んで居ようかわからん。ある意味、魔物なんかよりも厄介なもんだ。

 覚えておいてくれ、俺たちがいる理由ってのは、そんな悪賊から皆を守る為にある。」

「…はい。」


 ずきり…と、一瞬だけ頭がいたむ。……何かを思い出しそうな、でも、それを自らが拒んでいる様な、矛盾した思いがそうさせている予感があった。


「ここアーブルとていつ連中が狙って来るかもわからん。」

「理由は…あれ、ですか?」


 僕は道中見えていたものから推測した。重々しそうに荷車を引く牛車。すれ違った全てがそうだとまでは言わないが、その様子の中には明らかに作物を引いていない、それよりも重いものを引いている様子があった。そしてそんな荷車は同じ形の建造物へと運ばれていた。


「倉庫ですよね、たぶん。建物の周りには必ず衛兵の方が居ますし、荷車を引いてる動物は馬だとしたら3頭以上。牛でも二頭から…。

 荷車の中身は、鉱石、でしょうか」

「シューユ…。全く、お前には驚かされるな。」


 ヤクトは感嘆とため息をついた。


「正解だ。アーブルから馬でしばらくした所の小高い丘の下に、大きな鉱脈がある。採れる鉱石は鉄と銅が殆どだが、中にはとんでもない代物が混じってる事が稀にある。

 その鉱石の名はアーブル。この村の名前の由来な訳だが、コイツは些か以上に他の石とは違う特徴を持つ。」

「特徴、ですか」

「あぁ。石それぞれが、微量だが魔力を含んどる。

 基本、。此れは誰もが承知しとる前提だ。だが、アーブル鉱はその前提条件を覆す代物でな。扱える人間は世界中探しても多くはないが、コイツが希少な事にはかわりない。」


 希少性。その多寡による物の価値への影響。悪党から見ても、アーブル鉱石とやらの価値は高いはずだ。


「では……これまでにこの村が襲われたことは…?」


 一間を置き、彼は重々しく、


「有る。」


 そう答えた彼の目は、何処か遠くを見ている様だ。

 その目に、何か予感を感じたのかも知れない。


「…最後に、襲撃があったのは?」

「昨日で、丁度10年前だ。」


 10年…。それが意味する事。対人におけるが、かなり増えているであろうと安易に予想がついた。


 それは勿論、僕らも含めてだ。


 いや、きっとこの予感は杞憂に終わる。

 そう思うほか、今はどうしようもない。




       *




 ほとなくして到着した村長宅は、意外にも、〇〇屋敷!などといった仰々しさなどは無く、少し大きなレンガの家くらいのもので、緊張が助長されることはなかった。(緊張自体したけども。)

 到着と同時に3人の衛兵が出迎えてくれた。…知り合いである筈が無いのだが、内1人はなんだか見馴染みのある顔つきに思えた。いや、或いは見た事が…あるような。


「お前さんと同じ漂流者だ。昨日はあんなんだったから覚えてないのも無理はないがな」


 僕の疑問に答えるようにヤクトが言い、慣れた動きで馬から降りた。

 そのままヤクトの手を借りつつ、少し不慣れながら僕も彼に続いて降り、辛うじて思い出せた漂流者だと言う彼に、簡単に名乗った。


「シューユです。ヤストキとは友人で…。宜しくお願いします」

「おお、アイツに聞いてた通り堅い人だな。俺はアサギ・イサミ。イサミでいい。宜しくな」


 アサギ…?彼の名を心の中で反芻する。再び、僕は1日もたっていない中で何度も感じてきた、何かが抜け落ちているかの様な感覚を覚えていた。

 今度は彼…イサミが僕の疑問に答えた。


「俺はな、どうやら元の世界の記憶が1番残ってるらしいんだ。詳しくはまた後で話せる。」


「わかりました」と短く返事をし、ヤクトと他の衛兵に呼ばれた僕は、村長邸に入っていった。






 村長との面会は、ことの外あっけなく終わった。


 ヤクトは(当たり前ではあるが、)この家に何度も出入りしているようで、僕は真っ直ぐに客間と思しき部屋へ通された。

 ヤクトに促され椅子に腰を掛ける。


 少しすると召し使いの方がお茶を淹れて持ってきた。一応、ヤクトが自分のお茶に手をつけたのを見てから、僕も音を静かに一口すする。……甘く、華の有る薫りが鼻腔を撫でた。

 また少しすると、今度は男性の御年寄が、召し使いの介助を受けながら客間へとやってきた。

 僕の顔を見た御年寄が、

「……まさか、5人目もの漂流者がこんな田舎に現れるとはな。」

 部屋に入るなりしわがれた声でそうぼやいた。


「………。」

 何と答えればいいのか。責められているのかそうでないのか。そもそも責められたとて、なにを答えようもない。

 彼は続ける。


「村長のジガ・アブルファルトだ。長年生きてきたが、漂流者がほぼ同時に5人も現れた話を聞いたことは無い。それ故にどうも嫌な気がしてならんでな。」


「名を。」苦い顔をしたヤクトが僕に言った。


「シューユです」

 立ち上がり、名乗り頭を下げた。

 だが、村長は気にも止めなかった。


「諸々は引き続きヤクトに一任する。儂の事は、頑固な老害が近くに1人いる。そんぐらいに思ってくれ。深く関わる気は無い」


 それだけ言い、また召し使いの手を借りて部屋を後にした。

 歓迎はされてない。しかし、全く無下に扱うつもりもないようだった。







 帰りは、またヤクトと馬に乗った。

 ほんの少し影が長くなった道からは、行きでは見れなかった景色……村の外が見えた。

 ひと言で言うなら、『森』。

 村長宅へ向かう道中のヤクトの話を思い出し、なるほど、と思った。確かに、人間の住む場所とそれ以外は隔絶されているようだ。


「……着いたぞ。」


 絶え間なくリズムを刻んでいた蹄の音が止まった。

 ヤクトが黙々と馬から降り、慣れた手つきで僕を降ろした。そして、静かに口を開く。


「さっきは、あの爺さんが悪かったな」

「余所者だとは、自覚しています。」

「そう言わんでくれや。さっきも言ったが、昨日はアーブルが賊に襲われて10年の節目だ。そんな折り、近辺を哨戒中の兵が漂流者のお前さんを見つけた。

 心配性が出ちまったんだ。…悪かったな」

「いえ…」


 僕はかぶりを振った。ヤクトの顔は…何だか少し、やるせなさを含んでいる様に見えた。

 …と、


「あれ?ヤクトさんだ」


 不意にした声は、背後からだった。


「おお、今日は上がりか?」


 返事をしたヤクトに続き振り向くと、そこには2人の同年代くらいの女性たちがいた。

 ヤスとイサミとに似たその顔立ち、恐らくは……。


「あの2人って…」


 今度は、僕からアクションを取れた。ヤクトもその様子に気づいた様だった。


「ああ。お前さんの先輩だ。喧嘩しないようにな。」

「しませんよ。…そもそも……人見知りですし、僕」


 わざと、しません。と、そもそもの間を置いた。

 謝罪をしたヤクトの表情は、付き合いの浅い僕でも、顔だった。

 確かに彼は僕らを預かっている身だ。そして、ある種気を許し、既に責任を持っているのだろう。だが、彼はおさでは無い。つまり、漂流者を最後まで庇い切れる保証などないのだ。

 謝罪に対し、さっき僕は言葉を紡げなかった。だからせめて、僕が開けた言葉の間をメデイさんを見た時の様に、勘違いしてほしかった。


「んん、そうか……。

 ホノカ!ヒロコ!こいつの事、後はお2人さんに任すぞー」

「はーい!」


 返事を聞くが否や、ヤクトが僕に耳打ちせんと顔を寄せた。


「んじゃ健全たる男子よ、問題になる事は、するんじゃ無いぞー」

「だからしませんって。」

「冗談だ、じょーだん。……ったく、いっぱしに気ぃ使いおって」

「………」

「明日の事はまた追って話す。じゃあ、今日は休めよ」


 そう言い残し、ヤクトは足早に馬に乗り、走らせた。


「シューユ君だっけ? …どうしたの?」

「あ…その、なんでもないです」


 ……見透かされてしまった。出過ぎたことをしてしまったかとも思ったが……しかし、帰り際のヤクトの表情は、いつもの優しい強面に戻っていた。




       *




「はじ、…改めまして。シューユ、です。どうぞ、宜しくお願いします」


「おぉおぉ! 硬ってぇなあ、シューユ」「だな。」「わぁー。ヤス君の言う通りだね。ね、ホノちゃん」「え?ん、そう、だね……。」名乗った僕への、4人の反応だ。

 夕飯前、訓練や哨戒補助など各々の役割を終えた漂流者たる僕ら5人は、与えられた家の、いわゆる居間で、初めてマトモに顔を顔を合わせた。

 して、そこで改めて名乗った訳だが……、


 それはもう、凄く、緊張している。


 思い返せば初っ端からやらかしている気がしてならない。

「狂犬」と呼ばれた見知らぬ人が、目の前でちょっとばかり暴れたのだ。

 ……そも、眼球を狙う素ぶりはそもそもマズかったか。せめて手刀を首に当てるだけにしておけばよかったかだろうか。うーん……。


 そんなこんなを思考しながら固まっている。

 硬ぇなーってヤス、今は自分の名前を言うので精一杯です。

 そう思いつつ目線でヤスに助けを求めると、ため息混じりに助け船を出してくれた……


「相変わらず読めねー奴だな。ドコに置いてきたよ、狂犬。」


 訳ではなかった。…ホノカさん、だったか、に至っては、より一層僕から顔を逸らしている。確か僕とヤスの頭をド突く際、魔力を暴発させてしまったとのことだ。ヤスの言葉は彼女に一層の警戒心を抱かせたことだろう。よーし、ヤス。後で何かしら負かす。


 ……閑話休題かんわきゅうだい。助け船はイサミからだった。


「緊張するのも無理ないさ。シューユ君、ホノカが君に謝りたいそうだけど、いいかな?」

「あ、はい。問題なく……」

「って事で、ホノカ?」

「は、はーい…」


 イサミの言葉を聞き、彼女は恐る恐る僕へと顔を向けた。

 かとお思えば、


「あの…昨日はすみませんでしたッ!」


 素早く、言い終える刹那には頭を深々と下げていた。黒い長髪が、何となく見覚えのあるような塩梅で、ファサッと顔面をまばらに隠し覆った。こちらもその勢いに押される。


「いえいえ! その、僕も、急だったもので!びっくりさせてしまって! えっと、大丈夫です!」

「いや、こちらこそ、大丈夫です…!」

「おぉサダコやん。すげー」


 ヤスの横槍にヒロコさんが吹き出してた。……彼女はよく笑う人らしい。

 僕らのやりとりは…冷静に考えれば何が大丈夫か全くわからないが、とりあえず、周りの空気は少し和んだ気配だった。

 そして、だんだんとだが、彼らの人間模様が少しずつ見えてきた。


 まず、ヤスは自由にやっているようだ。割と誰に対してもその態度はほぼ不変。…僕には対抗心を覗かせたりもするが、元の世界から続く友人関係によるものだろう。

 ホノカは普段からしっかり者らしいが、なにぶん早とちりするきらいがあるようだ。

 ヒロコ…さんは、全然絡んではいないが、見ためも性格も威圧感は無く、大人しく優しい雰囲気がある。……あとよく笑う人。

 イサミだが、彼らの中でも比較的落ち着いて構えており、暫定的な纏め役の様なポジションだ。


「ってか、シューユ。お前、野郎の中で一番の身長ねぇのな」


 はいヤス、五月蠅い。(気にしている事を言われ)一瞬ムッとしかけたが、その纏め役イサミを中心に話は進行する。


「ところで、シューユ君はどれぐらい記憶が残ってるんだ?」

「そうですね…。正直、両親の顔が思い出せません。それ何処か目が覚めた時は、自分の名前すら思い出せませんでした。」


 この言葉を言った時、空気が、温度が、まるで下がったように張り詰めた。…同情心、だろうか。


「そうか、名前も…」

「ですが、今は問題無いです。きっと、必要な事は思い出す筈です。」


 ……本当に、そうだろうか?自分の言葉に疑問が生まれる。

 だが、これは意味の無い自問だ。心のそこにしまい込む様に、僕は言葉を続けた。


「それに、なまじ記憶があっては余計に不安になっていたかもしれません。僕はきっと、この世界でも生きていける。これでも、変なところで神経は太いらしいです」


 苦もなく僕は言い切った。

 だが、

 空気の重さは、変わらなかった。


 何故?


 刹那の疑問は、ヒロコの質問に引き裂かれる。


「じゃあ、元の世界に帰りたいって……お母さんとお父さんに会いたいって思わないの……?」



 帰り、たい?



 頭を打たれた様だった。



「え……?」

「だって、シューユ君この世界でも生きて……」


 途中から、彼女の言っている事が遠ざかる。


(そっ…か。)


 記憶のカケラが、再び、嵌まった。


「あの…!」


 その記憶の衝撃に、思わず僕は声を発していた。

 まだ何か言おうとしていた彼女の声が止まる。


「僕が……。」


 不要な息を吐き捨て、新たな空気を肺に送る。

 もう、自分の中に動揺の類は、無い。


「少し、聞き苦しいかも知れませんが……、僕と両親とは、僕が15を数える頃には死別しているんです。会いたいとは思います。でも、そう思っても……」


 これ以上、この先を言う事を躊躇ったのは、何も言葉に詰まったとかでは無い。酷く怯えた様な、今にも泣きそうな目が僕を止めたのだ。

 しかし、その目に気が付いたのが僕だけじゃない事は幸いだったと言える。


「ヒロコ、ご飯の準備しに行こ?」


 ホノカの声に、彼女もはっとした様だった。


「ぁ…うん。」


 ホノカの支えを借り、2人でこの場を後にする。

 そして、軽い咳払いで、イサミが話を再開させた。


「悪いな…。ヒロコと俺は特段、元の記憶が残ってんだ。割り切れ無い事がまだまだ多いんだ」

「そゆこった。シューユが悪ぃ事はねぇから、下手気にすんじゃねーぞ?」


 イサミに同調したヤスがそう言いながら、僕に近寄ってくる。


「うん。ヤス、わかったから……叩こうと近づくのやめてね」

「あ?んだよ、調子戻んの早ぇな」


 そう言う奴だよお前ぇは。そうヤスは締めた。

 2人の言葉はありがたかった。故意では無いとは言え、人を傷つけた事は事実だろう。でも、僕に咎は無いのだと、そう言われた気がした。


 ふと、1つ浮かんだ疑問を口にする。


「イサミさん」

「ん? どうした」

「さっき、ヒロコさんと俺はって、言いましたよね? その、イサミさんは平気なんですか…?」

「あぁ…」


 ほんの少し、彼は何かを思案した。が、「いいじゃね? シューユは問題ねぇよ」ヤスの言葉に、うなずいた。


「『神隠し』って、聞き覚えないか?」

「神隠し……」

「無いなら、」

「いえ、ニュアンス程度なら、大丈夫です」


 言葉を反芻した時、不思議に言い慣れていた。そして、その言葉が意味する事も……。


「…そうか、じゃあ話が早い。シューユ君、実は、俺も父と死別しているんだ。と言うより、

 嘘みたいな話だが、俺には、物心付いてから小学校を卒業する頃までの父親との記憶があるんだ。でも、ある日、父親が姿を消した。俺は母親は勿論、周りの大人や、父の友人に父親の事を聞いても、帰ってくる言葉は、父親は俺が産まれる前に亡くなったってだけだった。」

「ホラーによくある話だよな。」


 黙って聞いていた僕に反して、相変わらずヤスが会話にちゃちゃを入れる。

 だが、

 確かにそうだ。とも思った。


「まぁ、その通り、誰かが体験した怖い話やら奇妙な話に有りがちなもんだ。だがな、俺は産まれる前に亡くなった言う父親の事を覚えてるんだぜ?知らない筈の容姿、趣味、性格を言った時の母の反応から、記憶の整合性も確認済み。

 当時は奇妙でたまらなかったけどな、いつの間にか、そう言う物だと受け入れていた。だから…って訳じゃ無いかもだが、恐らく、こう言う、俗に言う神隠しってのは、そこそこ現実に起きうる事象なんじゃねぇかなって、そう思うんだ」


 嘘では無い。イサミの話ぶりにそう直感した。


 神隠し……成る程、神、という不可視の存在が実際どうであれ、こうして起こりえた、人智を容易く凌駕するには、一頭のヒトと言う動物には抗いようも無い事だ。

 ただ、もしそれが事実なら…


「イサミさんは、元の世界には戻れない。そう思うんですね……?」


 彼は、ゆっくりと頷いた。


「俺とヤストキは、そう腹を括ってる。」




          *




 その日の夜は月明かりの無い寂しい夜だった。重なる雲は、寂しそうな空模様とは裏腹に、日中の暖気を逃さずに抱えてくれている。


 イサミはここで生きて行くと決心しているらしい。もしかしたら、そう思うことで自分を保って居るのかも知れない。でも、だからこそ、何が起ころうと『成るようにしか成らない』と、覚悟したのだろう。きっと、強い心根を持った人なのだ。


「また考えごとか?」


 ……ヤスは僕の行動を読んでいるかの様だ。

 少し伸びをして、今自分がいる、屋根の上から彼に答えた。


「…べつに。夜風に当たってた。まさか湯船に浸かれるとは思わなかったよ」

「あー。女子2人の我が儘ごよーぼーだ。お前ぇも入ったんだな」

「うん。ヒロコさんに勧められて」

「はあ!? おま、一緒に入ったんか!? アイツ胸結構ありそうだもんなー。あーいうのが好みかー」

「阿呆か。1人だよ」


 煩悩の匂いがプンプンする戯言を一蹴する。


「あ? つまんね。お前もようやっと大人の階段登ったんかと思ったぜ」


 なんだか何処と無く苛つきを覚えそうな言葉は無視してやり過ごし、あとは流れてくる夜風に身を任せた。


「…ハンモック欲しいね」

「センス。分かるわー。あと、酒もな。」

「は?」

「向こうはともかく、ここじゃ合法。16 越えりゃ飲めるぜ?」

「…成る程」

「おう。麦酒がうめぇな」


 と言うことは、既に試したのだろう。…まあ、興味が無いわけでもないし、咎める理由もない。


「ヤスはさ、どれくらい覚えてる?」

「ん? あぁ、喧嘩の事ばっかだな。2年の時にダイイチの番長になったろ? んで、なんやかんやあって、お前とあって、」

「返り討ち?」

「覚えてんじゃん! いや、アレはビビった! 俺より頭一つ小っせぇ奴にボコされるって思わねぇだろ?」

「そう、はは…」


 覚えてない! とは言えない雰囲気だ…。いったい何をしたんだ自分よ。

 でも、ヤスとの会話は至って普通に、空白の記憶に引っ掛かる事なく話をする事が出来た。

 不意に覚えていないはずの言葉が自分の口から顔を見せたりもあったが、それに蟠りを覚える事もなかった。元よりヤスが細かい事を気にしない性格である事も要因だろう。


 僕たちは話した。覚えてる限りの昔の思い出を。

 例えば、


「だからぁ、狂犬はお前が選んだんだって!」

「あー、はいはい。そもそもサイコパスマン、鬼サイヤ人、狂犬の3つって、選択肢があって無いようなもんじゃん」


 例えば、


「そう言えばイサミさん、名前がアサギ・イサミって…」

「ああ、みょーじ? だっけ、なんか俺ら全員あるらしいな。思い出せないって事ぁ、俺には要らねって事だろ」


 …例えば、


「んで、シューユくーん、彼女とは最終的にどこまでいったん?」

「ハナっから居ませんがなにか? ヤストキ君はどうなんですかねェ、全然出来ない、とか言ってなかったかなァー」

「ああ?」

「……何だよ?」


 そして、笑った。

 笑い合った。


 い、あっ

 ta

 Wara、い、、、


 あ、。?


 あれ……?


 なんだか、何かに包まれる様な感覚に見舞われている。


 ノイズが走り、視界に砂嵐が混じる。


 砂嵐は大きくなり、

 いつの間にか、意識は、初めに見た夢に飲み込まれていた。





 ── 汚染された水を、濁り水だと言うのなら、


 それは決して、目に見える色に染まっているとは限らない。


 いつからだろう。


 濁り水は、至って静謐に、密かに、


 波紋を広げていた。




「……おい? シューユ!? おい!」

「ヤスうるさ…え、シューユ君?」

「誰か、メデイさんとヤクト呼んでこい! おい、イサミ!来てくれ…! シューユが……!」



 ………………。

 ………………………………。


 ……………。そっか。


 ………、


 僕、は…………。



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