111 父

 ミルを連れてアルヴァンの家、もとい実家に向かったアルフ。

 とはいっても、行く方法などワープである。

 色々あって、精神的に疲れたというのもあるので、面倒事を避けるため、一瞬にして実家の前まで瞬間移動したのだ。


「うおっ!? って、アルフ様!?」

「驚かせてすみません。少し父に会おうと思いまして」

「分かりました! どうぞ中へ」


 門番を驚かせはしたものの、ワープに触れられることはなく、すぐに家の中へ通される。


「……久しぶりな気がします。ここに来たのは」


 家に入り、廊下を歩いていると、ミルはふとそう言った。


「そうなのか?」

「はい。そもそも外に出るのが好きじゃないので、あまり家からは出ないのですが……」


 そんなことを話しながら、アルフは父のいる部屋の前へと辿り着いた。


 コンコンコン。


 ノックをして、部屋に入る。


「お久しぶりです」

「アルフ……それにミルも」

「こ、こんにちは」


 入った先は執務室。

 アルヴァンは書類を広げ、何かしらの仕事をしている様子だった。

 それを邪魔した形にはなったが、彼は嫌な顔一つせず、笑顔を二人に向けた。

 同時に立ち上がり、二人の方へゆっくりと歩み寄る。


「本当によかった、アルフが帰ってきてくれて……」

「いえ、本当にすみません。長い期間、帰れなかったみたいで」

「ああそうだ。お前がいなかったせいで、色々と……いや、今はこの話は止めよう」


 ミルを見て、アルヴァンは自分の言葉を止めた。


「ミル。今はアルフと二人きりで話がしたい。しばらくゆっくりしているといい」

「え? は、はい」


 頭を軽く撫でながらアルヴァンは言う。

 ミルは彼の言葉の意味をなんとなく察し、部屋を出た。


 それから数秒後、アルヴァンは再び口を開く。


「……アルフ。お前には感謝してもしきれない」


 先程の恨み節に近い言葉とは真逆の言葉。


「世界を支配しようとしたアインを滅ぼし、人間だけでなく魔人族まで救った。そして戦争は集結し、世界は平和になった……だが」

「……ミル、ですか?」

「そうだ。お前にも事情があるのだろうが……お前がいなくなったせいで、ミルはひどく傷付いた」

「本当に、ミルには謝っても謝りきれな……った!?」


 またしても、ミルに対する謝罪。

 だがそれか出そうになった瞬間、アルヴァンはアルフの頭に軽くチョップをかました。


「……アルフ。お前もそこまで気負い過ぎるな」


 息を吐き、アルヴァンはゆっくりと扉の方へ歩いていく。


「……少し、歩きながら話そうか」




◆◇◆◇




 そうして部屋を出た二人。

 アルヴァンがゆっくりと廊下を歩き、その斜め後ろを、アルフが同じ速度でついていく。

 ゆっくりと歩き、何人かの使用人とすれ違いながらも、話を続けていた。


「アルフ、お前は昔から責任感が強い」

「そう、ですか?」

「ああ。昔から何でも出来たからだろうな……全て自分で何とかしようとして、そして実際に全て完璧に出来た。その力で、全てを守ろうとしていた」


 アルフは元々、全てのステータスが十万を超える値だった。

 故に誰よりも身体能力が優れており、誰よりも物覚えが良く、誰よりも賢かった。

 だから、どれだけ難しい任務だったとしても、アルフはたった一人で、完璧にこなしてしまっていた。

 最強であるが故に、アルフは責任感が強かった。


「だがお前は一人の人間だ。一人の人間が、全てを思い通りになんてできない。ましてや、人の心など尚更だ」

「そりゃあ、人の心なんて……」

「いいや、心の何処かで、お前は出来ると思ってるよ」


 アルヴァンは確信めいた口調で、そう言い切った。


「俺はお前の親だ、お前のことはずっと見てきた。だから考えてることは何となく分かる。どうせお前、『もう二度とミルを悲しませない』とか思ってただろう? それも何度も」

「っ! いやでも、それがどうして……」

「ミルは人間だぞ? 悲しむことのない人間なんてどこにいる? いるわけがない」


 アルフは困惑する。

 普通の人間なら、普通に納得する話ではあるが、アルフには何となく飲み込めない。


 ステータスがあった頃のアルフは、その影響で鋼のような精神をしており、人間とはかけ離れた精神性だった。

 故に一般的な人間性を手にしたのは、ある意味ではステータスを失ってから、とも言える。

 人間的な精神を得てから期間が短すぎるため、アルフは完璧には人間の心を理解できていないのだ。


「常に幸せな人間など、この世にはいない。どれだけ幸せそうな生活をしている人だろうと、幸せじゃないと思う瞬間は必ずやって来る」

「……正直、よく分からない」

「じゃあ例え話でもしようか」


 十秒ほど間を置き、庭に出ると、アルヴァンは例え話を始める。


「世の中には“好きな事”と“嫌な事”がある。俺の場合、身体を動かすのが“好きな事”で、書類仕事が“嫌な事”だ」

「うん」

「他にも“好きな事”と“嫌な事”はいくつかあるが……もし仮に。その“嫌な事”を全て消すことができたら、どうなると思う?」

「どうって……嫌な事がなくなったら、今より幸せになれるんじゃ……」

「残念ながら、それは起こり得ない」


 そしてアルヴァンは、アルフの方を向く。


「なぜなら“好きな事”の一部が、“嫌な事”に変わるからだ」

「え? いや、なんでそんなことが?」

「さぁ? それは知らん」


 あっけらかんと言うアルヴァンに混乱する。

 アルフからしてみれば、“好きな事”が“嫌な事”に変わるなんてこと、想像つかなかったのだから。

 理由も、全く予想つかなかった。


「ただ、個人的には事実だとは思うぞ? 例えば歴史に名を残す芸術家には、自殺した人が多い。これは私の予想だが……芸術活動に心血を注ぎ、それ以外を切り捨てていった結果、好きだった芸術に飽きて、嫌いになり、認められなくなり、そして……といった感じになったんじゃないかと、そう思っている」


 好きな事だとしても、そればかりを続けていると、段々飽きてくるものだ。

 それすら上回ると、好きだったはずの事も、気が付いたら嫌な事へと変わってしまう。


 そんな話をしていたら、気が付いたらもう夕方だ。

 空も、少しずつ赤くなっている。


「まぁ要するに、ずっと幸せだなんてあり得ないってことだ。ミルだってそうだ。人間なんだから、何かしら悩むこともあるし、困ることもある」

「……そう、なんですか」

「だからアルフ、気負いすぎるな。昔と同じように……それこそ、アインが復活する前みたいな感じに、ミルとは気楽に接してやってほしい」


 ミルも、一人の人間である。

 人間だからこそ、時には悩むし、不安になるし、困る時もある。

 そうなる時があるのは、当然なのだ。


「まぁ、アレだ。辛いことや苦しいこともあるだろうが……なんだかんだで幸せならそれでいいと思うぞ? 俺は。何か、そっちの方が満たされた気分になるからな」

「満たされる……そうか」


 苦痛が無い人生は虚無である。

 適度な苦痛があるからこそ、幸福が映えるのである。

 そして、人生が満たされる。


「確かに、こんなことを言うのもアレだけど……ミルに会ったとかそういうのを抜きにしても、奴隷になってからの方が、人生が充実してた気はします」


 その言葉だけは、アルフは心の底から理解することができた。

 奴隷になる前は、嫌な事など何一つとして無かったが……同時に好きな事も、何もなかった。


 だが奴隷になってからは違う。

 奴隷は辛い、差別は悲しい、仕事は危険で過酷だった。

 でも、理解し合える友人と話すのは楽しいし、食事は美味しいし、一日の終わりにはぐっすりと眠ることができた。

 そして何よりも、充実していたのだ。

 どうしてそうなったのか、理由は全然分からないが、良いと言える日々ではあった。


「……そういえば、俺がいない間、ミルの世話をしてくれたんですよね?」

「ん? ああ。よく外に出して、色々な所に連れて行ったな。まぁ彼女は内気で内向的だし、あまり楽しくはなかったかもだが」


 ミルは基本、家でのんびりしたりだとか、本を読んで静かに暮らすのが好きな子だ。

 人目を集めるというのもあるので、あまり外に出たがらないのだが、アルヴァンはあえて、彼女を色々な所に連れて行ったのだという。


「他の人達は、ミルに好きな事ばかりさせていたが……それはそれで飽きるだろうからな。だから俺はあえて、彼女が積極的にはしたがらない事をやらせた」


 他の人達は、ミルのことを尊重して接していたらしい。

 彼女に好きなことをさせて、好きな所に行かせて、それはそれで楽しかっただろう。

 だが、それだけではダメだと感じたアルヴァンは、あえて、彼女があまり好まないような事をさせたり、好まないような場所へ連れて行ったりした。


「色々な人と会わせ、色々な場所に連れて行った。その中には、彼女があまり好きではない騒がしい場所というのもあったが……」

「まぁ、見識を広げるのは大切だから」


 アルヴァンは、ミルに色々なことを知ってほしかったのだ。

 世界には色々な人がいて、色々な場所があるということを、肌で感じてほしかったのだ。


 そうして再び家に入ると、書斎の方へ向かう。


「ミルのことだ。多分ここにいる」


 そう言われながら部屋に入ると、そこには本を開けながら、机に突っ伏して眠るミルがいた。

 疲れたのか、あるいは飽きてしまったのか、寝息を立てている。


 眠るミルに近付いて、アルフは彼女の肩を揺する。


「ミル……ミル、起きろ」

「……んん、ん? ご主人、さま?」


 ゆっくり身体を起こし、ミルは目を何度か擦ってアルフの方を見る。


「あれ? お話、終わったんですか?」

「うん。ミルも、何か話したいこととかあるか?」

「いえ、特に……」

「そうか。じゃあ帰ろう」


 ミルの手を軽く握り、アルフは書斎を出る。


「突然押しかけてきてすみません。色々話せてよかったです」

「それはよかったよ。ただ、次からは事前に連絡してくれよ? 急に来られたらこっちも困るからな」

「分かりました。それじゃあ」


 そうしてアルフとミルは、ワープして家へと帰るのであった。

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