110 互いの願い
家に帰ったアルフは、椅子に座り頬杖をつき、無言で考え続けていた。
(シャルルが怒っている、か……)
十中八九、ミル絡みだ。
自分がいなくなって、戻って来るまでには三年も経過していた。
その間に、ミルはおかしくなったのだろう。
今でさえ、以前とは異なる雰囲気や態度を見せることもあるし、似た態度だとしても、その目に宿る想いは重いものとなっているのに。
それより前は多分、今よりもさらに酷かったはずだ。
(怒らないわけ、ないよな……)
もし自分自身がシャルルの立場だとしたら。
そう、アルフは考える。
そんなもの、怒らないわけがない。
シャルルからしてみれば、きっと自分は、無責任にミルを放ってどこかに行ってしまったとしか思えないはずだから。
いや、彼は賢いから、自分が理由があって戻れなくなっていたことも理解はしているかもしれないが……感情が理性を超えるなんてことは、よくある話だ。
(ミルは……許してはいる、とは思う。けど、不安なんだろうな……)
人を超えたアルフだからこそ、他人の気持ちは分かる。
もちろん、ミルの心だって分かる、どれだけ不安だったか、痛いほどに伝わってくる。
そしてその不安の原因が、自分であるということも。
「……ご主人様?」
ミルが、話しかけてきた。
何もせずに椅子に座ってボーッと考え事をしていたアルフに、不安そうな顔で。
「えっと、ご主人様……ご迷惑、でしたでしょうか?」
「え? いや、そんなことないよ」
でも、こう言っても。
不安は拭えないんだろうなと、アルフは感じた。
どうすれば、いいんだろう。
どうすれば、心の底からミルは安心してくれるのだろうか。
彼女が笑顔でいられるなら、それで充分だというのに。
そこまでの壁が、果てしなく高いように、アルフは感じていた。
「そういえば、こうして真面目に面と向かって、ミルに謝ったことって、なかった気がする」
そこでようやく、思い出した。
自分がまだ、ミルに一度も謝ってなかったことに。
ミルを一人にしないと、そういった事はあっても、これまで独りにしてしまったことは、まだ謝ってなかった。
「え……?」
アルフは立ち上がり、ミルの前で頭を下げる。
「ごめん、ミル。何も言わずにいなくなってしまって、本当にごめん……!」
ただ、あまりにも突然過ぎる謝罪だったせいで、ミルはオドオドしてしまっている。
何を言えばいいか、どうすればいいか分からず、混乱している様子だ。
「え、えっと……私は、大丈夫です。大丈夫、ですから……ご主人様、顔を上げてください」
ミルに言われ、ゆっくりと顔を上げるアルフ。
そうして見えた彼女の表情は、不安でいっぱいになっていて、何をどうしたらいいのか分からないと言わんばかりで。
(そうか。俺が不安になると、ミルも不安に……)
ここでようやくアルフは、自身の態度や雰囲気が、どれだけミルの精神に影響を及ぼしているのか、その度合いを知った。
きっと、少しでもマイナスな感情を持っている
ここまでだとは、思いもしなかった。
「……ミル」
アルフは、ミルの目線まで少しかがみ、彼女と目を合わせた。
「謝罪の証として、今からミルにあるものを渡すよ」
ミルの手をそっとひっぱり出すと、アルフはその手のひらに触れる。
すると、ミルの手のひらに光が集まっていき、それはあっという間に、彼女の中へと消えていったのだった。
「……え? 何を、したのですか?」
「一度だけ、どんな願いでも叶えられる能力を渡したんだ」
その光とは、一回きりの“思ったことを現実にする能力”だ。
ただ流石に、世界を滅ぼすだとか、人々を虐殺するだとか、そういう危険過ぎることは現実にならないよう、事前に対策してある。
「なんでもする……って言おうと思ったけどさ。多分ミルは、遠慮しちゃうだろうから……だから俺が使えるみたいな、思ったことを一度だけ叶える魔法をあげたんだ」
これはいわば、アルフの進化した古代魔法と同じ力だ。
これさえあれば、一度きりではあるが、ミルはどんな願いでも叶えることが出来る。
何でもすると言っても、ミルは遠慮するだろうからと、彼女の心からの願いを、叶えられるようにしたのだ。
「そんなもの……いいんですか?」
「うん。どんな願いを叶えてもいいよ。もちろん、今すぐじゃなくても、好きな時に使ってね」
「…………ううん。今、使います」
そう言ってミルは、アルフの胸に、そっと手を当てた。
すると同時に、手からは淡く温かな、やさしい光が放たれていく。
「ッ……ミル、これは……」
心が、晴れていくような、そんな気分。
アルフの中に巣食っていた、靄がかかったかのような漠然とした不安が、一気に晴れていくかのような。
「私は、“ご主人様に幸せになってほしい”です」
“ご主人様に、幸せになってほしい”。
それが、ミルの願いだった。
「ご主人様の不安そうな顔や、辛そうな顔を見てると、私まで辛くなって……」
「……そうか」
「前、ご主人様は、“私が傷付いたり悲しんだりする姿は見たくない”って言ってました。……私も、同じです」
だが、アルフが幸せになるだけでは終わらない。
いや、ただ今だけアルフを幸せにしても、その幸せが続くことはないので、このままだと願いは叶わない。
次に、ミルの胸に淡い光が灯る。
「えっ……?」
アルフの時と同じように、光が集まって、それが身体の内側へと吸い込まれていく。
「……!」
「これ、は……」
同時に、二人に起きた変化。
見た目には変化は無いが、まるで魂が繋がったかのような、そんな感覚。
互いの愛情が、直に伝わってくる。
分かっていたつもりだった、理解していたつもりだった。
アルフは、ミルの愛情がとてつもなく大きいだけだと、そう思っていたが。
ミルの心の内は、愛情、忠誠、憧憬、狂信……あらゆるプラスの感情が混ざり合ってドロドロになっていた。
おそらくミル本人ですら、この感情の内訳を理解することはできていないことだろう。
そしてそれは、逆も然り。
ミルは、アルフの愛情がとても大きいものだと思っていた。
でも、それだけじゃなかった。
単純な愛情だけでなく、庇護欲もあり、加えてアルフが元から持つ優しさや責任感も合わさって、透き通っていながらも、かなり重い感情もなっていたのだ。
もはやアルフは、ミルのためなら、躊躇うこと無く自分の命を捨てることができることだろう。
「ご主人様……」
ミルは、アルフの感情を理解した。
「こんなに、私のことを想ってくれていたんですね」
アルフに、抱きつく。
最近のミルは、抱きついてくる時は力強かったが、今回は逆にそこまででだった。
ご主人様の本心を完全に理解したことで、絶対に捨てられないと、心の底から安心しきったのだろう。
だから、離れ離れにならないようにと、強く抱きしめる必要がなくなった。
「……嬉しいです」
息を吐くと、ミルは身体から力を抜き、アルフに身を委ねる。
「ご主人様は、すごく優しいんですね」
「ん? どうしたんだ急に?」
「優しかったから、私のことをあそこまで心配してくれて、責任感があるから、私のためにたくさん悩んでくれて……そう思うと、なんだか嬉しく感じて……」
アルフの嬉しそうな顔も、悲しそうな顔も、あるいは難しそうな顔も、すべてはミルのことを想い、考えていたからこそのもの。
ミルは、それを理解した。
ご主人様が苦しんでいるのは、自分のせいじゃなかったと安堵するのと同時に、そこまで考えて、愛してもらえていると分かった。
そして、完全に安心した。
捨てられることはないんだと、そう、確信できた。
もう一度、二人は互いに見つめ合う。
「……うん。よかった」
「え?」
「よかったよ、本当に。最近のミルは、辛そうにしてばっかだったからさ」
アルフも、ミルの調子が戻って安心した。
これ以上ミルのことで無駄に苦しむこともなくなった。
「……そういえばさ」
「どうしましたか?」
とりあえず安心したところで、ふとアルフは思ったことがあった。
シャルルがミルの面倒を見ていたことは聞いているが、彼以外にも、おそらく色々な人が面倒を見てくれていただろう。
なら誰が、面倒を見てくれていたのか。
「俺のいない間、シャルルが面倒見てくれていたのか?」
「はい。シャルル……お兄さんは、ずっといてくれました。けど他にも……ご主人様のお父様や、ダニエルさんやリリーも、よく来てくれました」
これはまた、意外な人物が出てきたなと、アルフは感じた。
ダニエルとリリーについては、奴隷になってからはそれなりに長い付き合いだし、共に死線を潜り抜けてきた仲間だったから分かる。
だが父親が、アルヴァンもが面倒を見てくれていたというのは、少し意外だった。
ミルとの接点は、あまりなかったように思ったのだが。
「父さんも、来てたのか……」
「はい。勉強とかを見てくれていました」
「そうなのか……」
もう少し聞いてみると、アルヴァンはシャルル達とはまた異なる接し方をしていたらしい。
色々な所に連れて行って、色々な人と関わらせて、見聞を広めさせようともしていたのだとか。
ミルの周りに人達はあまりに過保護過ぎたので、アルヴァンがバランスをとってくれていたみたいだ。
「じゃあ、父さんの所に行こうか」
ミルを見てくれた、お礼も言わなければならない。
他にも、直接帰ってきたことを言いたかった。
自身の“思ったことを現実にする能力”の応用で、アルヴァンの居場所を探ると、ちょうど今は家にいるらしい。
なのでアルフはミルを連れて、すぐに父の、アルヴァンの家へと向かうのであった。
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