96 恩返し
私は、リリーではない。
私の本性は、本当の姿は、名も無い不定形の肉の塊だった。
死んだリリーの身体を元に作られた、リリーのなり損ないの失敗作。
リリーの持っていた感情だけを引き継いだ、人間ではない、キメラでもない、不可解な異形の生命体、それが私だった。
私が生まれたその時、パパ……ダニエルは、泣き叫んでいた。
リリーを蘇らせようとしたら、私みたいな化物ができたんだから、とても悲しかったんだろうなと思う。
けど、私も悲しかった。
私が生まれた時、私は自分が人間とは違う何かだということを理解した。
でも同時に、私の中にはリリーの過去の感情が、特にパパ、ダニエルについての記憶が、深く残っていた。
パパは仕事で忙しそうにしていた、けどとても優しくて、私と一緒にいてくれて、大好きだった。
そんなパパが泣き叫び、「お前はリリーじゃない!」と言い放つ。
とても、辛かった。
パパにそう言われたこともそうだけど、それが一番ではない。
何よりも辛かったのは……パパが、あそこまで悲しそうにしていたことだった。
だから、パパを悲しませないように、喜んでもらいたくて、頑張った。
身体を何とか動かして、私の記憶に残るリリーの姿に、なろうとした。
巨大な身体を、肉を蠢かせて、小さくして、ヒトの形へ変わろうと、変化しようと。
全ては、パパを笑顔にするために、喜ばせるために。
そんなある日、私の中で、何かが弾けたような感覚がした。
今思えば、あの感覚は、古代魔法を発現した影響で、体内に埋め込まれていたアインコアが壊れたから起きたのだ。
そして、それから数ヶ月、身体を変形させるのに苦悩しながら、ついに、私はリリーとなった。
それから長年経って、私は当時いた教会から助けられて、パパとも再会して……そうなるように頑張ってくれたアルフさんには、感謝してもし切れない。
今、私がいなければ世界が終わる。
私が本気を出さなければ、世界は終わる。
今まではパパがいたから、リリーのままでいたけど、今この場所に、パパはいない。
だから、本気で……このおぞましい姿と力を解き放つことができる。
アルフさん。
これが私にできる、最大の恩返しだよ。
◆◇◆◇
「広がれ……!」
巨大キメラと化したリリーの身体の一部が、地面と同化し、根付いていく。
そして、地面を侵食し周囲は肉で埋め尽くされ、まるで肉の樹木のような柱が立ち並ぶ。
閉鎖された領域とはまた違う、奇妙な空間が形成されていく。
そして、その空間から、臙脂色の地面や木々から、キメラやクローン兵が生まれ落ち、敵側のキメラやクローン兵へと向かう。
これまでに取り込んできた敵、その身体を作り出し、無限に増える兵団を作り出す。
無限に増える兵団はアルフ達の方にもやって来て、敵対する存在を喰い荒らし、殺していく。
そして殺した敵は地面を覆う肉と同化し、新たな生命へ、リリーの配下へと生まれ変わる。
一万を超える敵が徐々に蹴散らされていき、リリーの陣地は広がっていく。
「……リリー、本気で一人で終わらせるつもりか」
気配が変わった後方をちらりと見るアルフ。
そこには、アルフ達が使うような領域とはまた別の、貴重な空間が広がっていた。
リリーが作り出した、味方のキメラやクローン兵も増えてきた。
もはやアルフ達が戦うまでもなく、自分達の間合いに入る前に、リリーやその配下が片っ端から倒していく。
「……このまま戦闘はリリーに任せて進むか?」
一応、強引に敵陣に入って先を急ぐことはできる。
だがそうなれば、少なからず力を使うこととなる。
故にどうするべきか、シャルルは尋ねる。
「ゆっくりだ。特にシャルルは古代魔法を発現してから日が浅い。アインにとっても、まだ未知の相手だろうし、あまり戦闘は見せたくない」
「……分かった」
慎重だなと思いつつも、シャルルはその言葉を飲み込み、進んでいった。
◆◇◆◇
そして結局、道はリリーとその配下のキメラやクローン兵が何とかしてくれた。
古代魔法持ちは、正確には古代魔法を発動している人は、理由は不明だが魔力が枯渇しない。
故に長期戦に強いのだが、彼女の場合は古代魔法の性質と本人の肉体の性質的に、その性質が顕著に出ていた。
リリーは、魔力を消費することで、自らの身体を変形させたり、膨張、収縮させることができる。
そして、彼女は常に古代魔法を利用することで、リリーの姿で居続けているわけで……つまりは、魔力の欠乏とは縁が無い状態なのだ。
地面を覆う肉は膨張を繰り返し、無数のキメラやクローン兵を生み出してもなお、魔力は無限に溢れ出てくる。
長期間の集団戦となれば、リリーが勝てない道理が無かったのだ。
「しかし、まさか戦闘無しでここまで来るとは」
そして一時間ほどかけてやっと、アルフとシャルルの二人は、魔王城の前までたどり着いた。
「ああ、でも本番はここからだ。アインも、俺達が来てることはもう知ってるはず。気を付けるぞ」
その時、二人の耳に声が届く。
『魔王……辿り……か?』
ジェナの声、なのだが、まるでノイズが走ったかのようで、声の一部が聞き取れない。
『アイン……結界…………協りょ……難し…………心して……』
そうして、不明瞭な言葉を残し、声は途切れる。
ただ単語単語を拾って考えると、ここからは協力が難しい、ということを伝えたかったのだろう。
そのことをシャルルに伝えると、彼は静かに頷く。
「分かった。気を付けよう」
そうして二人は、魔王城の入口の扉を開き、中へと入っていった。
◆◇◆◇
魔王城入口。
「まだ誰も……」
周囲を確認し、警戒態勢を取ろうとしたアルフだったが、すぐに異変に気が付く。
「シャルル……?」
シャルルが、どこかにいなくなっている。
おそらく、アインが何かしらの魔法を利用して、城内に入った瞬間に分断したのだろう。
「や、仕方無い。まずは合流から――」
その時だった。
アルフの視界の端で何かが動き、飛びかかってくる。
「ッ!?」
あまりにも速いそれに、アルフは対応しきれない。
辛うじて出現させた大剣で攻撃を受け止めたものの、その桁外れのスピードとパワーによって、あっという間に壁に叩きつけられる。
「クソっ、何が――」
かなりの威力ではあったが、壁が崩れることはなく、アルフは瓦礫に埋もれることはなく、壁に叩きつけられるだけで済んだ。
背中はかなり痛いが、痛いだけで、出血や骨折は無い……ように感じるし、少なくともそういう痛みは感じない。
ゆっくり立ち上がり、アルフは目の前に現れた敵を見る。
そして、言葉を失った。
「――え」
そこにいたのは、比較的大柄な騎士だった。
最も、首から上、つまり頭部は存在しない。
馬には乗っていないが、まるで伝承やら物語に登場する魔物であるデュラハンのような、そんな姿をしていた。
その頭の無い騎士は、アルフと同様に、大剣を使用している。
その大剣に、その体格と姿に、アルフは見覚えがあった。
いや、見覚えがあるどころではない。
「父、さん……?」
見間違えるはずがない。
今目の前に立つ頭の無い騎士は、アルフの父親であるアルヴァンだったのだ。
◆◇◆◇
魔王城の最上階。
アルフ達が戦う光景を見て、アインは笑みを浮かべる。
「さぁ絶望しろ。お前には苦しんで死ぬのがお似合いだ」
玉座に腰掛け、空間操作でアルフ達の戦いを観戦していた。
そしてその隣には、ミルがいる。
意識は奪われていないようだが、アインの古代魔法により、身体の操作権は奪われて、逃げ出すことが出来ない、彼女はそんな状態だった。
「ミル、ボクのものになる気にはなったか?」
「っ……いや、です」
「フッフッフ……ボクなんかより、アルフレッドの方がクズだというのに、よく言うねぇ」
映像を消すと、アインはミルに、自分の目の前に来るようにと命令する。
古代魔法を使用した命令だったため、絶対服従となり、ミルは抵抗することすらできず、アインの目の前に正座した。
「お前は、アルフレッド……いや、アルフと言った方がいいな。アルフのことを、どんな人だと思っている?」
「え? あ、えと……ご主人様は、誰にでも優しくて……」
「違うな」
ミルが、アルフは誰にでも優しいと言った瞬間、アインはそれを否定した。
「ボクはアイツのことならある程度知っている。その上で言えることは……アイツは、醜い人間を平気で捨てる、差別主義者だってことだ」
そして、アルフのことを差別主義者だと罵る。
「そ、そんな……ご主人様がそんな人なわけ……私も実際……」
「いいや、差別主義者だよ、アイツは」
ミルにとっては、あの醜い姿をしていた過去の自分を助けてくれたアルフが、差別主義者だなんて思えなかった。
しかし、アインにとってはそうのようで。
実際に、その根拠も持っていた。
「お前は知らないかもしれないが……アルフは、お前の前に一人、別の奴隷を飼っていた」
「え?」
「その奴隷の容姿が本ッ当に酷くてねぇ……聞きたいか?」
聞きたいか、と尋ねるアインだったが、ミルが何かを口にする前に、彼は続ける。
「紫色に変色した肌しててさぁ……きっと何かの病気か何かだったんだろうなぁ。包帯で隠してたけど、まぁ本当に気持ち悪い奴だったよ、アレは」
「紫の肌……って、あれ?」
「アルフはそいつのことを捨てたんだよ。あれは醜かったから捨てたんだ。その後に、お前を買ったってわけ。どこで買ったのか、それは調査しても分かんなかったけど」
アインの言葉を聞いていたミルだったが、彼の言っていることに妙な違和感を感じてか、少々困惑している様子だ。
そしてアインは、その様子を自分の言葉に納得してくれたと解釈したのか、大声で叫ぶ。
「さぁどうだ! これで分かったろ? アルフレッドがとんでもないクズだってことが!」
だが実際は、違和感を感じているだけで、首を傾げるばかりであった。
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