89 鬼神

 シャルルは古代魔法により形成された大鎌を、まるで指揮棒のように振るう。

 すると舞台に置かれた楽器が勝手に動き出し、音色を奏で始める。


「ッ……ただの音楽、じゃねぇ!」


 同時にアインの身体が、急激に重くなる。

 それだけでなく、意識にもやがかかり、思考が遅くなり、まるで寝起きの後のような、ふらふらした状態になっていく。


「クソっ……おい! 演奏を止めろ!」


 古代魔法持ちではないシャルルには隠していた、使う必要は無いと侮っていた。

 しかしこのままではマズいと判断したアインは、即座に“ブレイヴ”により古代魔法を発動し、まさしく悪の王のような衣服に身を包む。


 もちろん、その強さも桁違いで、この状態のアインの言葉を認識した人々は、即座にその言葉に従ってしまう。

 状態異常無効化をも無視して従わせるほどに強力であるため、耳に入った時点で、アインの命令に従うのは確定する。


「……」


 だが、演奏は止まらない。

 シャルルは、命令に従わない。


「なっ……やめろ、止めろ! 今すぐ演奏を止めろ!」


 混乱してさらに大きい声で叫ぶが、シャルルは大鎌を振り、演奏を続ける。


 なんせ、シャルルの耳に、アインの声が届いていない、聞こえていないから。

 アインの扱う古代魔法は、アルフでもなければ、それこそどんな命令でも確実にさせることができる。

 だがその命令は口頭でしか出来ない上に、聞こえていなかったり、その言語を理解していない者には効果が一切無い。


 そう、アインの言葉は、シャルルを覆う音の防壁によって阻まれ、届かないのだ。

 聞こえないのだから、命令を認識していないのだから、命令に従うはずがないのだ。


「そうか、この音が、邪魔を――」


 ドスン!


「ゴふッ!?」


 その時、急にアインの腹に激痛が走る。

 まるで腹ではなく、内臓を直接殴られたかのような重い衝撃が脳にまで伝わり、同時に吐血する。


 加えて、無数の斬撃もアインを襲う。

 今度のは、これまでのシャルルの攻撃とは違う。

 威力も桁違い……というより、これもまた先程の攻撃と同じで、皮膚の内側、筋肉や脂肪の方から引き裂かれるような、そんな鋭い痛みと共に、皮膚は破け、出血を起こす。


 そして……吐血し地面に付着し、斬り裂かれ宙に舞う血液が、複数の五線譜に変わってシャルルの方へと伸び、残った血で音符が作られ、五線譜を伝ってシャルルの元へと流れていく。


「なっ……まずい、壊れろ!」


 何が起こるのかは分からないが、何か嫌なことが起こるのを察知したアインは、即座に黒い宝剣を出現させ、それで五線譜を斬り裂く。

 五線譜はあっさりと壊れ、さらにこのままの勢いで、シャルルの方へと突っ込む。


 客席を一瞬で抜け、舞台の前に立つ指揮者を殺すために、剣を振るう。


 バァンッ!


「ッぐぅ!」


 舞台のある部分に腕が入った、その瞬間に、腕が破裂し、そこに握られた剣は粉々に砕け散る。


 演奏中に、舞台に入って妨害してはならない。

 なぜなら、桁違いの音圧で鼓膜が破裂するのと同じように、桁違いの音圧で、侵入者の身体が爆発するからだ。

 今のこの状況では、演奏者であり指揮者のシャルルと、その庇護対象であるミル以外は、舞台に侵入した瞬間に致命傷を負うことになるだろう。


「クソっ、なんだこの魔法は……!」


 すぐに遠くへワープして、欠損した腕を再生させるが、はっきり言って、アインからしてみれば最悪の相手だった。

 相手するだけであれば、クロードと戦う方がマシだったかもしれない。

 音圧でアインの声は届かず、加えて接近すると、音の防壁によって身体が吹き飛ぶ。


 アインにとってシャルルの古代魔法は、あまりにも相性が悪過ぎた。

 その上、閉じられた領域……すなわち結界の中に閉じ込められてしまったこの状況では、逃げ出すことも容易ではない。


「……まぁでも、攻めなければ、こっちが負けることも無いな。今の所は」


 ただそれは、あくまで速攻で勝つことを、殺すことを想定した場合の話だ。

 古代魔法で分かりにくくなっているが、今の時点でシャルルは重症だ。

 おそらく演奏のおかげで、軽い傷は癒えているっぽいが、それでも体力は大きく削れているはず。

 なら耐え続ければ、いつかはボロが出始めると、アインは考えたのだ。




◆◇◆◇




 ほぼ同時刻、西区の教会では、多くの人々が恐怖に震えていた。


「う、うそだ……あのカーリーが……!」

「カーリーさんが、負けた……!?」


 教会の中から密かに外を見て、怯える人達。

 人々を襲うキメラやクローン兵を、たった一人で迎撃し続けてきたカーリーだったが、五分程で、倒れてしまった。


 左腕は吹き飛び、右目は潰れて見えなくなり、出血もかなり多い。

 アルフがいない今、王都の人々にとっての希望は、彼女なのだ。

 そんな希望の星のような彼女が、限界を迎え、倒れた。


 次死ぬのは自分だと、教会から戦闘を覗いていた者達は恐怖する。


「さて、教会にいる人々を殺しましょう」

「綺麗な女性には、アインコアを埋め込みましょう」

「そうですね。アイン様の妻に相応しい人を選別しましょう」


 なんとなく、ミルと似たような雰囲気を感じさせるクローン兵達が、複数体のキメラを引き連れ、喋りながら教会内へと入ろうとする。


「おい……!」


 彼らを、呼び止める。


 振り返るとそこには、棍棒のような大剣を利用して、何とか立ち上がろうとするカーリーがいた。

 これまでは、スキルが“身体強化”だったおかげで、ステータスがあった頃には劣るが、それなりに戦えていた。

 だが今は、右目が潰れ、左腕は無くなった。

 出血もかなり多く、明らかに顔色も悪い。


 それでも、カーリーは戦うのを諦めていない。

 歯を食いしばり、身体の震えを我慢してでも、立とうとしている。


「……理解できません」

「はい。もうすぐ死ぬというのに、勝ち目など無いというのに、何故戦うのでしょうか?」

「無意味な戦闘になるということが分からないのでしょうか?」


 クローン兵達は困惑するどころか、嘲笑うように言う。

 アインコアを埋め込まれ、アインから力を受け取っているからなのか、思考が彼のものに寄っているらしい。

 相手は瀕死で、いつでも殺せるどころか、何もしなくても勝手に死にそうな状態だったため、特に攻撃もせず、他のクローン兵と話をしているようだ。

 何せ自分達のステータスは、全てにおいて十万を超えているのだから。

 圧倒的強さを持っているからこその余裕があった。


「お前らみたいな作られた奴には、分からないだろうがなぁ……」


 カーリーは、ゆっくりと立ち上がりながら続ける。


「私は……この王都を、そこに住む人達の期待を、背負ってるんだ……」

「他の住人の期待のために、命を捨てる? 理解できない考えですね?」

「お前らには理解できないだろうな……この責任と、重荷は……」


 そして、震える右手で、ふらつきながらも、大剣を握り、クローン兵達へ向ける。 


「これまでは、アルフがこの立場だった……だけど今、この王都にアルフはいない……だから、私が、代わりにならなければいけない……人々を、守らなければならない……!」

「そのために、無意味に痛い思いをして死ぬと?」

「ああ……アルフなら、そうする。死ぬまで、後ろで震えてる人達を、守り続けるだろうな……」


 だから、私も――


「――ッ!」


 溢れ出る膨大な力。

 瀕死の重傷故に極限まで鋭くなったカーリーの五感は、一瞬でそれを感じ取る。

 そして、溢れ出る衝動のままに……


 バァン!


 目の前にいたクローン兵へ突進し、斬撃を放って消し飛ばす。


「なっ……!?」

「一人目……」


 だがカーリーは止まらない。

 力はさらに漲り、スピードとパワーはさらに高まり、そのままの勢いで、


 カァァアッ!!


「二人目」


 視界が元に戻りつつあるのを感じながらも敵を吹き飛ばす。

 あまりの勢いに、その二人目のクローン兵の後ろ約五十メートルくらいを、更地にしながらも消し飛ばした。


 あまりのスピードと、それに伴い巻き上がった土煙。

 それらが晴れていき、カーリーが姿を見せる。


「……そうか」


 そこにいたのは、これまでの黒コートではなく、赤黒い血で染まった、異臭がしそうなコートを羽織ったカーリーだった。

 武器は、その一本の大剣。

 無骨な骨でできた棍棒のようにも見えるそれの表面は、血の色でドス黒く染まっていた。


 だが、最も異様な雰囲気を発しているのは、顔面に、目をも覆い隠すように付けられている、漆黒の面頬めんぽうだろう。

 黒光りするそれは、まるで鬼のような形相をしており、赤髪も合わせると、本物の鬼のようにも感じられる。


「これが、古代魔法……」


 さらに漲ってきたエネルギーは、失った左腕部分に集まり出す。

 人を殺す、魔物を殺す、敵を殺す。

 それにより吸収したエネルギーは、左肩の大きな傷口を塞ぐどころか、肉を膨張させていく。

 そして、再生開始から一秒で、目も腕も、全て元通りになってしまった。


「なっ、なんで――」

「死ね」


 万全のコンディションになったカーリーは、残った一人のクローン兵を消し飛ばす。

 十万超えのステータスを以てしても、認識できないほどの速度で。


「……三人だけで、ここまで強くなるのか」


 新たに一人のクローン兵を殺したことで、カーリーは、さらにエネルギーが滾り、肉体が高揚するのを感じ取る。


 カーリーの発現した古代魔法。

 これは、敵を攻撃すればするほど、傷付けるほど、倒せば倒すほど、殺せば殺すほどに強力なものへと進化していく。

 敵を殺し、力を奪い、自らの糧にする。

 殺せば殺すほどに速度は上がり、パワーは増幅していく。


 そして今、さっき、カーリーはクローン兵を三人殺した。

 たった三人を殺すだけで、肉体を再生できるほどこエネルギーを得たのだ。


「まぁいい。このまま私が、全て殺す」


 カーリーが大剣を構えた、その瞬間、彼女は消え去る。


 同時に辺りを飛び交うキメラが、クローン兵が、全て同時に一瞬で、血煙と化した。

 具体的には、西区にいた全てのキメラとクローン兵が、一瞬にして、具体的にはコンマ一秒以下の時間で全滅した。

 たった一人の人物の手によって。


 目にも止まらぬ速さで空中を駆けて、敵を殺した。

 しかしそれを目にした者は一人もいない。

 唯一残った痕跡は、空中の血煙と、雲が消えた夜空だけだ。


「さぁ、全て始末しに行こう」


 そう言うと、カーリーは姿を消した。


 殺して殺して殺して、最高速度まで達したカーリーは、もはや誰にも認識できない。

 ステータスが高いクローン兵ですら、その姿を認識する前に死に、キメラは人間よりも鋭い五感で存在を察知するが、その時には血煙と化す。

 他にも複数体、キメラでもクローン兵でもない謎の怪物も相手にしたが、それらですら一撃。


 そうして王都を跋扈していた敵を全て始末した彼女は、王都のある場所に出現した黒いドームの前にやって来た。


「……ここから、嫌な気配がするな」


 他にも黒いドームは二つほどあった。

 とはいえ、危険性は低そうというか、敵の気配を感じなかったので、わざわざ何かをするということはなかった。

 だがここからは、明らかに敵の気配がする。

 敵を大量に殺し、最大まで肉体が強化された彼女だからこそ感じられる、第六感的感覚が、そう言っていた。


「けどこの感じ、かなり強力な結界っぽいな……」


 黒いドームに触れてみる。

 すると黒の中に進入はできず、まるで冷たいレンガに触れているような感覚がした。

 詳細は分からないが、おそらくは結界だと、カーリーは判断した。

 しかもその中でもとびきり強い、普通の方法だと解除が非常に難しそうな、強固なものだと。


「まぁでも」


 カーリーは数歩後ろに下がり、大剣を構える。


「ブッ壊す!」


 全力で加速し、結界に向けて大剣を振るう。




◆◇◆◇




 コンサートホールらしき空間で大鎌を振るシャルル。

 大鎌に呼応するかのように演奏が鳴り響くが、その音が少しずつ小さくなっている。


「ハァ、ハァ……」


 シャルルの顔色が、段々と悪くなってきている。

 一応、彼の響かせる音楽があれば、気持ち程度の治癒は可能だが……本当に気持ち程度、傷口を塞ぐくらいしかできない。

 出血した血は戻ってこないし、傷付いた内臓は完全には治らない。


 時間が経つ程に音圧は弱くなり、彼の攻撃もかなり弱くなってきていた。


「ハッハッハッハ! もうそろそろか! さぁ、もっと踊れ踊れェ! そうしないとボクを防げないぞぉ!?」


 対するアインは、大量の血で濡れてはいるが、完全な無傷。

 シャルルの攻撃で傷を受けることがあっても、四肢が欠損することがあっても、攻撃された端から再生し、治していく。

 出血したとしても、血液まで増やしているので、調子が落ちることもない。

 魔力的にも、素で百万を超えているので、欠乏しないどころか、未だに底すら見えていない状態。


 今や複数の光弾を発射し、絶えず攻撃を続けているアインの方が優勢になっていた。

 音の防壁で何とかシャルルは持ち堪えているが、その強度も範囲も、音圧が弱まるにつれて弱く、狭くなっている。

 いつシャルルが負けてもおかしくない状況、その時、


 バキバキバキッ!


「は?」


 領域に、コンサートホールに、ヒビが入る。

 空間に響いてくる小さくない衝撃。


 音の防壁で守られるシャルルやミルは気付かず、アインだけがその異変に気が付いた。

 何が起きたのかと周りを見渡した、次の瞬間、


 バキン!


「死ね」


 領域が破壊される……それに反応するよりも圧倒的によ早くアインの目前にやって来た、面頰の赤髪の女性。


「ッ――」


 振り上げた大剣を見て、アインは咄嗟に回避しようとしたが、その時には、右腕に攻撃が命中、血煙と化し、アインは吹き飛ばされた。

 そして、攻撃してきた女性は、アインを警戒しながら、シャルルとミルの方へ近付く。


「……カーリー、で、いいんだよな?」

「ああ。流石に限界か?」

「いーや……まだ、行ける」

「なっ……なんで……」


 だがその二人を、シャルルとカーリーを見て、アインはわなわなと身体を震わせて、叫ぶ。


「なんで! 古代魔法だろ!? なんでこんなポンポン出てくるんだよ!」


 古代魔法とは、珍しいもの、滅多に見ないもの。

 少なくともアインは、そう思っていたし、実際そうだ。

 古代魔法を発現しようと努力しても、発現することはまずない……というか、古代魔法を意識している時点で発現できない。

 人々が、自らの命を捨ててでもと、何かに没頭するその時に現れる、そういった代物なのだ。


 それが、目の前に二人現れた。

 ステータスが消えたのはつい最近、そこから数時間で、発現したのだ。

 古代魔法を恐れるアインが驚き、恐怖するのも当然のことだろう。


 そんな彼に、二人は何でもなさげに答える。


「……あ? 私はただ、アルフの代わりに、この街の命を守るという使命を背負った、それだけだ」

「そう、だね。僕も、アルフの代わりに……兄として、大切な妹を守る。そう、決めたから」


 アルフ、アルフ、アルフ……。


「そうか……そうかよ……!」


 アインは歯を噛み締め、怒りを露わにする。


「アルフレッド……全てアイツが、アイツがいやがったなら……! アイツがいなければ!」


 すべての起点となったのは、アルフだったのだ。

 彼の生き様が、立ち振る舞いが、クロードを、シャルルを、カーリーを奮い立たせ、古代魔法を発現するきっかけとなった。

 アルフがいなければ発現しなかったと叫ぶアインの言葉は、あながち間違ってはいない。


「……で、コイツを殺せばいいってことだな?」

「ああ、正真正銘のゴミだからね。とにかく……攻撃は頼むよ。僕はサポートに回る」

「じゃあ頼む」


 構えを取るカーリーを見て、アインは舌打ちをする。

 逃げることはできない、させてもらえない、逃げても追いつかれる、この一瞬で、それが分かったから。


「クソが……やってやるよ……!」

「ふん、さっさと殺すだけだ」


 アインとカーリーは互いにそう呟き、互いに剣をぶつけ合った。

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