60 希望の象徴

 王都の中央区、化物の手によって破壊されたそこは、クリスハートの古代魔法により、溶岩の流れる大洞窟のような空間へと姿を変えていた。

 中央に鎮座する巨大な化物、それにクリスハートは高速移動を繰り返し、黒く染まった大剣でダメージを与えていく。


 しかし、


「効かないなぁ、その程度」


 化物には一切効いていない、傷一つ付かない。

 一応、鎧のように纏っていた瓦礫は全て破壊し、剥がすことはできていた。

 そうして、全身に大きな目を付けたおぞましい姿が露にはなったが……その身体に、一切ダメージが通らないのだ。


「予想以上の適応能力……これは予想外だ。この身体の再生能力が高いからかな?」


 その能力を持つ化物の方も、自らの適応能力の強さに驚いていた。

 少なくとも、アルフと戦わせていた大型キメラよりは、圧倒的に優れた能力になっているのは確かだ。

 これは単純に、化物――今のネモの身体スペックが高いことと、再生力や再生速度が優れていることが理由だろう。

 身体が強いから、適応可能な攻撃が増えるし、再生力に優れるから、即時の再生と適応が可能になる。


 その二つが合わさったことで、古代魔法を強制発動させたクリスハートの攻撃すら、容易に耐えることができるほどとなっていた。

 

「クソがっ、ならば……!」


 クリスハートは、空に大剣を向ける。

 すると大洞窟のような世界は開けて、空が見える、そして同時に高い音が響いてくる。

 まるで、何か巨大なモノが落ちてくるかのような、奇妙な音。


 化物が空を見上げると青黒い巨大な隕石が、落ちてきていた。


 おそらくは、現在のクリスハートの持つ最強の攻撃手段、それを目の前の巨大な化物に対して放つ。


「これは……当たったらタダじゃ済まないな」


 化物は全身に付いた複数の目で、空から落ちてくる隕石を見る。

 しかし、見るだけで、それ以上は何もしない。


「でも、僕はこれでは死なない。クリスハート、お前では僕を殺せない」

「あ?」

「この程度の攻撃、回避する必要すら無い」

「あぁ……? なら、もっと増やしてやるよ……!」


 その言葉と同時に、さらに隕石が落ちてくる。

 クリスハートの作り出した大洞窟は消え、荒野へと変わる。

 そして開けた空には、五つの巨大隕石。


「耐えられるもんなら、耐えてみやがれッ!!」


 重力加速度の上に、さらに力が上乗せされ、隕石はより巨大な力を以て、地面へと接近する。

 そして着弾と同時に、荒野は青黒い炎に包まれ、地面を揺らす轟音が響き渡る。


 真っ青に染まる視界、轟音で狂った聴覚。

 それらが少しずつ、はっきりとしてくる。

 そして目の前が晴れ、ちゃんと聴覚も戻ったクリスハートは、目の前にいた化物が、跡形も無く消えたことを確認した。


 少なくともあの巨大隕石は、化物を容易に消し飛ばす力はあったのだ。

 その力を以て、肉体を吹き飛ばしたのだ。


“うぉぉぉぉぉおおぉお!!”

“勝った! クリスハートが勝ったぞォォォオオ!!”


 そしてどこからか……いや、王都に響き渡る、歓声。

 何者かの魔法で、王都にいる全ての人々の脳に、クリスハートと化物の戦闘の様子が流れていた。

 もちろん、彼が化物を完全に消し去る所も、しっかりと確認していた。

 だからこそ、王都にいる全ての人がクリスハートを英雄と讃え、平和が訪れたことを涙を流して、大声で喜んでいるのだ。


「フッ……」


 かすかに耳を揺らす歓声に、クリスハートは笑みを浮かべる。

 これで、アルフレッドに勝った、自分こそが最強だと、証明できた気がした。

 そう、油断していたのだ。






 真後ろに迫る、巨大な触腕に気づかないほどに。

 化物が、たったの二秒で、消し飛ばされた肉体の八割を再生してしまったことに。

 油断しきったクリスハートは、気づかない。






「ッ!」


 ブォンと、風を切る音が聞こえた瞬間、クリスハートは振り返ろうとする。

 が、もう遅い。


「ぐぁっ!?」


 振り向いた時には、化物の触腕が目の前に迫っていたのだから。

 それはクリスハートを鷲掴みにすると、ゆっくりと空中に、王都にいる人々に向けて見せつけるかのように、掲げる。


「倒したと思ったか? クリスハートが救ってくれたと思ったかい? けど残念! この程度で僕が死ぬなんてことはあり得ない!」


 歓声は、消え去った。

 またしても人々の中を、深い深い絶望が支配する。

 倒したと思った恐ろしい化物が、ほとんど無傷でそこにいるのだから。


 そして、化物はゆっくりと抉れた部分の肉をボコボコと膨張させていく。

 すると、鷲掴みにされていたクリスハートが、苦しそうに声を出す。


「ぐ、ぁあ……お、前……なん、で……」


 何故、殺せなかったのか。

 何で、肉体を全て消したはずなのに生き残っているのか。


 化物はすぐに、クリスハートがそういった旨のことを聞こうとしていることを察し、口を開く。


「何で死なないのか、疑問に思ってるみたいだな。お前も、街の住人達も。でも別に大したことじゃない。僕の体内にあるコアを破壊できなかった、それだけの話だ」


 キメラは、体内に埋められたアインコアを破壊するか、あるいは血肉を完全に消し飛ばすか、殺す方法はこの二つしかない。

 そしてクリスハートでは、そのどちらか片方すら達成できなかった。

 だから、この化物は生き残っていたのだ。


「なっ……でも、全身、吹き飛ばしたはず……」

「いいや、吹き飛ばしていないんだよ。だから僕は、未だこうして生きている」


 そう言うと、化物はクリスハートを握った腕を大きく引き、西区の住宅地へと投げつける。

 投げ飛ばされたクリスハートは、その勢いのまま家を大量に破壊して、最後には地面にめり込み、瓦礫に埋もれ、止まった。


「さぁて、そろそろ西区も壊そうか。どうせもう敵もいない、ゆっくりやっていこう」


 まだクリスハートの生死は確認していないが、化物は彼を脅威にならないと判断し、西区の破壊をしようと決めた。

 カーリーも、リリーも、シャルルも、そして今戦っていたクリスハートも、その全員が同時に襲ってきても、負ける気がしない。

 だからこそ、街の人々を、教会を、王を、絶望させ、そして、自分達の行いが間違っていたのだと、心から後悔させるために、ゆっくりと、ゆっくりと街を破壊するのだ。


「さて、じゃあ……落ちろ、いかづち!」


 そう叫ぶと同時に、空から無数の雷が降り注ぐ。

 まるで雨のように落ちてくるそれは、西区だけを的確に破壊していく。

 落ちた所から火が上がり、落雷の衝撃で建物は崩れていく。

 まだ避難しきれていない人々が逃げ惑う様が、化物の表皮に付いている無数の目に映っていた。


「フフフ……アルフレッドを殺そうとした奴らが、その力で蹂躙されるとはなぁ……! お前らのおかげでここまで実験を進めることができたから、そこには感謝、を……」


 そんな愚かな人々を見て、嗤う化物。

 だがその視界の端にある人物が映った瞬間、化物の声は、一気に小さくなっていった。




◆◇◆◇




『とにかく、危ない気がする。だから今回は俺一人で行く。ミルはここで待機だ』

『大丈夫。俺達がここにいることは、多分誰にもバレていない。だからここにいても安全なはずだ』


 アルフがキメラと戦うためにデニスの家を出てから、ミルはずっと、そこに待機し続けていた。

 理由は簡単で、アルフに、そう言われたから。

 家の主であるデニスやその妻、加えて使用人も全員が避難し、家から出ていっても、ミルだけは、ずっと家の中に籠もり、アルフの帰りを待ち続けていた。


 地面が何度も、大きく揺れた。

 窓から入ってきた恐ろしいほどの光が、何度も目を眩ませた。

 鼓膜が破れるほどの轟音を、その耳で聞いた。


 恐怖で震えていたミルだったが、その度に、アルフがかけてくれた言葉を思い出し、心を落ち着けていた。

 そして今も、アルフの使っていた部屋の端で体育座りをして、震える脚を押さえながら、何度も何度も深呼吸を繰り返していた。


 その時だ。


 ズドォォォオン!


「えっ……」


 何かが落ちるような音が、聞こえた。

 同時にメキメキと、木材が破壊されていく音が、ミルの耳に入ってくる。


 天井が崩れ、迫ってきた。

 恐ろしいほどの質量が、目前に迫る。


「やっ――」


 そしてミルは、大量の瓦礫に押しつぶされ、生き埋めとなった。

 が、それからもずっと、何かが落ちるような音が、生き埋めになったミルの耳を突き刺してくる。


「ダ、メ……出ない、と……」


 だが幸いなことに、瓦礫の隙間にできたのおかげで、ミルは助かっていた。

 額が切れて血が流れているが、それ以外に大きな傷は無く、ちゃんと動ける状態だった。


「フフフ……アルフレッドを殺そうとした奴らが、その力で蹂躙されるとはなぁ……! お前らのおかげで――」


 そんな、何者かが興奮しながら嗤う声など気にすることなく、ミルはわずかな隙間に小さな身体を通して、なんとか外へと脱した。


 そして真っ先に目に入ったのは、巨大な化物だ。

 複数の、翼と一体化していると思われる巨大な触腕、長い首と頭部、長く鋭い刃のような尻尾、そして全身に無数の大きな目を備え、まるで外套のような玉虫色の翼膜を備えた、まさしく化物。

 ミルからすると、エリヤが変化した化物、アレと同等に恐ろしく感じた。


 彼女は、身体を震わせ、腰を抜かしてしまう。

 アルフがいない、守ってくれる人がいない、死ぬかもしれない。


 これまで、死を身近に感じることは度々あった。

 それこそアルフと出会う前の彼女にとっては、死とは生の苦痛から解放してくれる祝福に過ぎず、むしろ死を望んでいたとすら言えるかもしれない。

 故に死に対して恐怖を感じることはなかった。


 だが、今は違う。

 アルフと出会い、多くのものを見て、様々なことを経験した。

 何よりも、生きたいと、そう思うようになった。

 もはや彼女にとって、死とは救済ではなく、これからの人生が消え失せ、アルフといられなくなる、恐怖でしかない。


 そして今は、これまでの危機とは違い、アルフが、守ってくれる人が、どこにもいない。

 それがミルにとって、何よりの恐怖だった。


「ここまで実験を進めることができたから、そこには感謝、を……」


 そして、化物の表皮に付いた目の一つが、ミルを認識した。

 同時に、興奮気味だった化物の声は急に小さく、遅くなる。

 そして、全ての目がミルの方を向き、そして頭もが、ミルの姿を捉えた。


「……」


 しかし、化物は何もしない、何も言わない。

 まるでミルを見て、放心してしまったかのように、動かない。

 そんな時間が十秒ほど続いてやっと、化物は口を開く。


「ミル……多くの人を魅了したと聞いたが、まさかここまで、胸が高鳴るとは……」


 化物は、心の底から驚いているようだ。


「まさか、復讐に脳を支配された僕でさえ、魅了させるなんてなぁ……」


 化物は、正確にはネモは、ミルの存在と情報だけは知っていた。

 彼女の存在が知れ渡ってからは、多くの人々が彼女を手にするため、アルフを出し抜こうとした。

 特に最近なんかは、国王すらもがミルを狙い始めた。


 一応ネモも、写真でその姿を見たことはあった。

 だがこうして直接目にすると、その可愛らしさに、胸を打たれてしまった。


「……決めた、お前だけは殺さない。お前は、僕のモノだ」


 その結果、化物は、ミルだけは殺さないことに決めた。

 一目見て心を打たれ、惚れた彼女だけは生かしたいと、そう思ったから。


 ミルも、その言葉の意味は理解していた。

 このままでは、自分とアルフが離れ離れになってしまう。

 それに何よりも、アルフが死んでしまう。


「やっ……にげ、ないと――」


 そうして、必死で這ってでもその場から逃げ出し、化物から離れようとするミルだったが、


「逃がさない」


 あっという間に、その腕に掴まれそうになる。

 彼女の目前に、触腕が迫る。

 このまま連れ去られてしまう、アルフと離れ離れになってしまう、嫌だ、嫌だと、震え上がる。


 そして、化物の触腕がミルの身体に触れた瞬間――


「ぐぅッ!?」


 ズバァンという豪快な音を立て、化物の触腕が斬り落とされた。

 そして、目の前に現れた存在に、ミルも化物も、目を見開く。


「ご主人様……!」


 その姿は紛れもなく、アルフだったのだから。

 どこかへ消えて、化物が現れても姿を現さなかったアルフが、ついに姿を見せた。


「ミル、もう大丈夫だ」


 彼は静かに、化物と対峙しながらミルに言った。


 だが、当の化物は、ネモは、困惑していた。


「何で……何でお前がここにいる!? お前は確実に封印したはずだ! 何が起きているッ!!」


 なんせアルフは、確実に封印したはずだから。

 魔力を封じ、魔法を使えなくした状態で、異次元に隔離して封印したはず。

 それにも関わらず、何故ここに現れたのか。


 そして何よりもネモが恐怖しているのは、アルフの強さだ。

 ネモは、アルフだけが唯一、自分のことを倒す可能性のある存在だと、そう思っているら。

 だからこそ封印したというのに、出てこられたのだ、彼の心中は穏やかじゃないだろう。


「ご主人様……この化物が、私を……」

「分かってる。連れ去ろうとしたんでしょ? でも、もう大丈夫」


 アルフの古代魔法。

 ミルを守るという想いで、それはこれまでで一番の出力を発揮する。

 王都全域が彼の領域と化し、赤く染まる空と巨大な街が、形成される。


「こいつは、俺が倒す」

「お前はこの手で必ず殺す、アルフレッド……!」

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