55 戦いにならない

 西区の、貴族や大商人などが住む住宅地。

 そこに、大量のキメラが迫る。


「なんだ、この数は……」

「俺達だけしかいないのか!? 他に援軍は!?」

「いません! 動けるのは私達しか……」


 そんな西区の端、正確には王都への入口の一つである西門を守る十人程度の騎士達は、全員が震えていた。

 街へ接近するキメラは、空から地から、大量に迫ってきているのだから。


 金持ちが多く住む場所ということもあり、普段は何が起きてもいいようにと、騎士達が特に厚く守っている場所だ。

 他にもそう言った金持ちの家が持つ兵士などもいるので、通常時は戦力的にはかなり潤っているといってもいい。

 しかし今は違う。


 アルフレッドが奴隷になったという情報が広まり、同時に彼と共に暮らしている、絶世の美少女とも言えるミルの存在も広まった。

 それにより、国王はミルを手にするために、騎士の多くを彼らの捜索に回した。

 ではどこから騎士を動かしたかといえば、この西区の治安維持部隊からだ。

 他にも、貴族が個人的に兵を動かしてミルを奪おうとしていたりもしたので、戦力が大幅に減っているのだ。


 今、西区で動ける騎士はせいぜい二十と数人程度で、門の前にいるのはその半分の十人くらい。

 対してキメラは百、二百、三百……とにかく数えきれない数が、空と地を覆っていた。

 しかもこの中で、キメラを完全に殺し切ることができるのは、さらに片手で数える程度になってしまう。


 そんな場所に、彼らからしてみると軽薄に聞こえる爽やかな声が聞こえてくる。


「うおっ、これはまたとんでもない数だ」


 聞き慣れない声に、騎士達は一斉にそちらを向く。

 そこには、見間違えるはずもない、かつて英雄と呼ばれていたアルフレッドが立っていた。

 その右目の下には奴隷の刻印が刻まれているが、それでも、彼らは驚愕と同時に、心が少しずつ晴れるような感覚を覚えた。

 もしかしたら、もしかしたら彼なら、この危機を救ってくれるんじゃないかと、思ったのだ。


「アルフレッドさん!?」

「なっ、本当に奴隷に……」


 口々に騒ぐ騎士達。

 だがアルフはそんなことはほとんど気にすることなく、口を開く。


「皆さん引いてください。俺が全て倒します」


 そしてその言葉を聞いた瞬間、恐怖に震えていた騎士達は、晴れやかな表情へと変わっていく。

 なんせその言葉は、王都に訪れる窮地を何度も何度も救ってきたアルフレッドの言葉、そのものだったのだから。


「数は多いけど……」


 そして、アルフは自らの領域を作り出す。

 まず形成されたのは王城、そしてそれを中心に広がる広い街。

 アルフや騎士達は、王城前の大きな広場に立っていた。

 空は赤く焼けているが、とても澄んでおり、見ていると未来への希望を自然と抱いてしまう。


 そんな、美しい領域が形成された瞬間、


「この程度、戦うまでもない」


 領域に侵入していたキメラは、一瞬にして灰と化し、死んだ。

 百や、二百どころじゃない数の敵が全て、一秒も経つことなく燃え上がり、肉だけでなく骨も、さらには体内に埋め込まれたコアまでもが、バラバラの灰となってしまった。

 端から見ると、まるでキメラが勝手に自壊していったようにしか見えないことだろう。


「なっ……」

「一瞬で、全て……!」


 騎士達は、かつてのアルフの強さを知っている。

 知っているからこそ、今の彼の姿を見て、言葉が出なくなっていた。


 かつてのアルフは、桁違いのステータスを活かして魔物を消し飛ばすという、そういった戦闘スタイルだった。

 もちろんそれでも、数秒で百を超える魔物を消し飛ばすことができて強かった。


 だが今のアルフは、剣を振ることさえせず、それどころか武器すら使わず、ただ奇妙な空間を形成しただけ。

 それだけで、空間を形成した後の刹那数刻で、魔物を全て消し去った。

 一方的な蹂躙よりもさらに凄まじく、戦いにすらなっていないのだ。


 もはや今のアルフには、ただのキメラ程度では、戦いの土俵にすら上がらせてもらえず、領域に入った瞬間に死ぬだけなのだ。

 華やかで細やかな意匠の刻まれた装備も相まって、騎士達は、まるで神を見ているようにすら感じていた。


「さて……」


 アルフは周辺を見渡す。

 作り出した領域内に入った敵対存在は、肉体の強度が一定以下を下回っていた場合、灰となって即死する。

 だが一定以上の肉体強度を持つ敵の場合、灰とならずに生き残るので、もしものことを考えて警戒していた。


「あの、アルフレッドさん!」


 そんなアルフの横から、声がかかる。

 門を守る騎士の一人だ。

 彼は奴隷になったアルフに対して、頭を下げた。


「本当にありがとうございます! 俺達だけじゃ、絶対に負けてました……!」

「いや……あれは、俺がやるべきことだから」


 まさか奴隷になった自分に、頭を下げて感謝を伝えてくる人がいるなんてと、アルフは軽く驚いていた。

 特に最近だと、国を、民を守る使命を持つ騎士に襲われるということがあったため、より驚きは大きいことだろう。


「それよりここにいる皆さんには、西区の人達を避難させてほしい。奴隷になった俺の言葉に従うのは癪かもしれないけど……」

「分かりました! 住人の避難ですね!」

「え? ああ、もしかしたら第二陣も来るかもしれないから……」


 そう話していると、地面が大きく揺れる。

 それは門の内側、街の方から響いてきた感じがして、後ろを振り返る。


「くっそ、もう来てたのか……!?」


 王都が赤く輝き、煙が上がっている。

 敵を通してしまったのか、あるいは直接敵が王都の中にワープさせられたのか。

 とにかく、対応しなければならない事態となった。


「敵は俺が対処します! だからあなた達は……」

「住民の避難ですね! 分かってます!」


 ここの指揮をとるリーダーらしき騎士の男がそう言うと、全員西区の住宅地へ向かっていった。

 ここまですんなりと行くとは思わなかったアルフは、十秒ほどその場で立ちつくしていたのであった。




◆◇◆◇




 警備が最も盤石な西区ですら人手不足に陥っている中、中央区はもっと酷い状況だった。

 西区よりもさらに人手が足りないからか、既にキメラの侵入を許してしまい、建物の焼け焦げる臭いが鼻を突き刺してくる。


「キャァァァア!!」

「逃げろっ、はやく逃げるんだ!」


 大量のキメラが、街を破壊していく。

 それを見た住人達は、必死でキメラから離れようと混乱し走り回る。

 我先にと動き回る人々は、互いを蹴落とし合い、北の方へと全速力で逃げようとする。


 そんな人の流れに逆らい、落ち着いてキメラの方へ近付く少女が一人。


「人、多いなぁ……」


 それは、リリーだ。

 見た目は七歳か八歳くらい、そんな少女が危険な場所へ向かっているとなると、普段なら誰かが呼び止めていることだろう。

 しかし今は、誰にも見向きされない。

 そのおかげで、人混みを抜け出し、キメラが暴れる危険地帯へとすぐに到着することができた。


「うわっ、すごい数……」


 空を飛ぶモノ、地上で建物を破壊するモノ、様々な種類のキメラが、そこにはいた。

 リリー見える範囲だけでも、軽く百は超えているし、下手したら二百、三百くらいいるかもしれない。

 なのに、彼女は一切慌てない。


「でも、私は負けない。今パパを守れるのは私しかないから、負けるわけにはいかない……!」


 言葉と共に、リリーの古代魔法が発動し、おぞましい空間が形成される。

 ドクン、ドクンと、心臓が脈打つような音、異臭を放つ地面や壁。

 形成されたのは、肉の空洞、まるで何かの生物の体内にいるかのように錯覚してしまうような、不気味な空間だった。


 その変化に気付いたキメラは、わずかに驚いたような振りを見せるが、すぐにリリーの方へ視線を向ける。

 殺意というよりかは、本能が剥き出しになった捕食者の目、それがリリーに向けられたその瞬間、


 ぐちゃっ!


 肉が潰れるような音と共に、キメラは姿を消した。


 それも、一体だけではない。

 肉の空洞にいたキメラ全てが、消えてなくなっていたのだ。


 同時に、空間が大きく蠢き始める。

 先程まではただ心拍音のようなものが聞こえているだけだったが、今は空間全体が揺れている。

 まるで何かを咀嚼しているような、あるいは消化吸収しているかのような、そんな感じだ。


「……あんまり、美味しくないなぁ」


 そんな空間に一人立つリリーは、ボソリとそう呟いた。


 そう、リリーの形成した空間は、実際の彼女の体内、それを具現化させたものなのだ。

 そのため領域内の床や壁を攻撃すれば、リリーの肉体にもダメージが反映されるというデメリットがある。

 だがそれ以上に、音以上の速度で行われる捕食があまりにも強かった。

 彼女の領域に入った者は、音速以上の速さで行われる捕食を回避できなかったら、攻撃に当たってしまえば、どうあがこうが即死するのだから。

 故にリリーか、あるいは彼女の形成する領域に攻撃できた存在は、今までに一人もいない。


 咀嚼が終わると、リリーは肉の空洞を消し去る。

 だが外には、特に空中にはまだまだキメラが残っている。

 領域に入らなかった奴らが残っていたみたいだ。


「ふぅん。それなら……」


 リリーは、肉体を変形させる。

 すると、背中からワイバーンのような翼が生え、頭部は獅子のような獣のものへと変わる。

 そして手足は太くなり、肉食獣の鋭い爪を得た。


「これで、いこう」


 これまでに吸収したキメラ、その身体を再現したのだ。

 キメラと化したリリーは空へと舞い上がり、まるで辻斬りでもするかのように、敵を音以上の速さで喰い殺していくのであった。




◆◇◆◇




 大量のキメラに襲われる混乱の真っ只中にある西区や中央区とは異なり、東区は比較的静かだった。


「なんか拍子抜けというか……敵、少なくないですか?」


 キメラを爆散させながら、ティナが言う。


 もちろんキメラもそれなりの数がいるのだが、多くが西区や中央区に現れたからなのか、東区には五十体程度しか出現しなかった。

 この程度の数であれば、アルフやリリーのように瞬殺はできないカーリーやティナでも、数分で余裕で対処できるくらいだった。

 被害はあるにはあるが、そこまで深刻な状況ではなかった。


「少ないな。恐らく第二陣が来る。警戒は怠るな、ティナ」

「分かってます。それでノアは……」


 キメラ相手に戦っていたのは、この二人だけ。

 彼女らと共に行動していたノアについては、隣接する中央区に向かわせ、情報を集めてさせている。

 そこにスタッと、誰かが着地するかのような音がする。


「戻った」


 ノアが、中央区から戻ってきた。

 早速、カーリーは彼に中央区の状況を尋ねる。


「戻ったか。それで状況はどうだ?」

「なんか生きてる仲間を食べてるっぽいキメラが一体いましたねぇ。でもそのおかげで、敵自体はかなり減ってる気がします」

「避難状況は?」

「住人は北の方へ逃げてる感じですね。これ以上は正直分かんなかったです」

「……分かった。なら私達は引き続き、東区の防衛を行う。何かあったら頼む」


 その言葉に、ノアとティナの二人は「了解!」と、熱意を込めて答えた。

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