46 異形の神
あれ以来、変な敵が出てくることもなく、再び静かになった。
しばらくは滅びた村の探索をしていたアルフとクロードだったが、特に何もなく、目的の物を探すために奥へと進むことになった。
「ブラックロータス……まぁ名前からして、池とかにありそうではあるけど……」
「ああ。依頼人もそう言ってた」
目的の物は、どうやら水辺にあるらしい。
とはいえ、森の中の詳しい地図があるわけではないので、地道に探すしかない。
二人は水辺を探すために森の中を歩くが、音も風も一切ないこの場所では、そう簡単には見つからない。
本来なら聞こえる水音も、ここでは決して聞こえない。
「うおっ……」
その探索中、二人は人の三倍くらいの背丈はありそうな、熊のような魔物を発見した。
木陰に隠れていた魔物を目前にしたクロードは一瞬驚く。
だがすぐに、その異常に気づいた。
「……ん? こいつも、止まってるのか?」
熊の魔物は、滅びた村で発見した人々と同様に、その場から全く動かない。
軽く魔物の前で手をブンブンと振ってみるが、それにも反応しない。
「多分これ、いわゆる異世界から来た魔物以外は動かなくなってるんだろうね」
「ふーん……それが正しければ、さっき襲ってきたヤツらは、異世界の魔物ってことか。ま、機械を使う魔物なんて聞いたことないし、あり得るかもな」
そんな会話をしながら、のんびりと探索を続ける。
村で敵と遭遇してからは、本当に何も起きることなく進むことができているので、二人の警戒度も少しずつ下がっていく。
案外敵は少ないんじゃないかと、そう思い始めた頃、二人は再び開けた場所へ出た。
「おっ、池だ」
その景色に、アルフは思わず声を上げる。
歩き始めてから既に四時間、流石に少し疲れてきたというところでついに、目的の物がありそうな水辺へとたどり着くことができたのだから。
当然のように水音はせず、水面ち波紋ができることもない。
木々のざわめく音も聞こえず、薄暗く、不気味なほどに静かな空間。
その中でも、一際不気味に黒く輝く花が、水面に浮かんでいた。
「おっ、もしかしてアレ……」
手の届く位置にあったそれに、クロードは近づき、手に取る。
時が止まっているためか、花に付いた雫は動かず、花を黒く輝かせるための道具となっている。
まるで宇宙からやって来たかのような漆黒の蓮は、クロードでなくても、見た人を惹きつけたことだろう。
「……ああ、これだ、間違いない。ブラックロータスだ」
そして、確信を持って頷くクロード。
彼は左手を強く握りしめ、ようやく見つけたという達成感を噛み締め、大きく息を吐くのであった。
「ようやく、ようやくだ……っし、回収して……」
依頼人が求めているのは、ブラックロータスの根だ。
ブラックロータスを水面から引き上げると、音を発生させることなく、するりと抜き上がった。
根に付着していた水は水面に落ちると、音もなく、波も立てずに池の水と結合し、元の状態へと戻る。
クロードは、青黒い根を回収し、水を落として鞄にしまうと、すぐに踵を返して言う。
「さぁアルフ、さっさと帰るぞ」
「わかった」
アルフも彼の後ろに続き、元来た道を戻っていくのであった。
◆◇◆◇
そして、またしても四時間かけて森の外へと出ようとする二人。
森に入ってから半日も経過しているので、当然ながら日は沈み、森は一層不気味な雰囲気を纏うようになる。
とはいえ、不気味なのは雰囲気だけ。
二人は地面に綺麗に残っている自分達の足跡を辿り、森の外へと向かっていく。
時が止まっているが故に、地面が乾くことはなく、そして地面に付いた足跡が消えることもない。
なので、帰る分にはかなり簡単だった。
敵についても、帰りは動いている魔物などに遭遇するということはなく、安全に進むことができた。
「っしゃぁ〜! ようやく出れた〜!」
森の外。
今までのジメジメした雰囲気から解放され、クロードは腕を大きく伸ばして笑う。
実際は夜なので、そこまで爽やかな雰囲気があるわけではないが、嫌な場所から出られたというだけで、ちょっと嬉しくなるものだ。
「流石にちょっと疲れたなぁ……俺達、何時間歩いたんだろう……」
「七時間かそれくらいじゃない?」
「そりゃ疲れるわな。じゃ、ちょっとここで休んでから――」
瞬間、二人の背に悪寒が走る。
「――ッ!」
「こ、これは……!」
全身が、震える。
急に寒くなったとか、そういうわけではない。
周囲の雰囲気が、急に重くなったのだ。
肉体では感じ取ることのできない、第六感的な何かが、周囲に起き始めている異変を感じ取ったのだろう。
それが何かは分からない。
だが全身が、そしてそのさらに奥の、魂が、警鐘を鳴らしていた。
『早く逃げろ』と。
だが、もうそれは叶わない。
「まて、なっ……なんなんだ、アレは……」
「ッ……意味が、分からない……!」
本能で、死を覚悟してしまうほどの圧。
それを発生させている存在が、空を割って現れる。
まるで黒い太陽のような、いや、それよりも圧倒的に巨大なナニカ、それブクブクと泡立ち、脈動していた。
あまりにもおぞましいそれが、何の因果か、空間を切り裂きこの世界に顕現した。
ただ、空間が歪んだから興味本位で来たのか、あるいは別の何かが原因で来たのか……。
だがアルフはその化物を見て、直感的に確信した、いやしてしまった。
「そんな……俺、たちは……」
今、目の前にいる巨大な化物は、自分達の常識では測ることのできない、次元の違う存在なのだということを。
あの化物にとって自分達人間は、そこら辺の小さな虫と同等の矮小な存在でしかないということを。
あの化物は、自分達からしてみれば、神に等しい存在であるということを、アルフは理解してしまった。
そして、遠く離れているはずなのに、そのはずなのに、アルフの背にゾクリと、再び悪寒が走る。
あの化物に目はない、そのはずなのに……見られている、睨まれている、狙われていると、何故か分かってしまった。
そして化物は、不定形の肉体をうねらせ形成した触腕を、無造作に地に落とす。
「……っ!」
アルフはギョッと目を見開くと同時に、クロードを掴んで全力で走る。
その一秒後、アルフの立っていた場所に触腕が落ち、地面を焼く。
いや、焼くというか、もはやそれは、地面を消し飛ばしているといっても過言ではない。
特に衝撃などは発生しない、まるで地面を撫でるかのような攻撃。
たったそれだけなのに、触腕が当たった箇所の地面は一瞬にして溶けて、抉れてしまった。
アルフだけでなくクロードも、この化物に触れられたらその瞬間、身体が消滅してしまうと、今の攻撃で強制的に理解させられた。
「ッ、はぁっ、はぁっ……! クロード……まずい、あれは……!」
「わかってる……わかってる! 当たったら死ぬんだろ!?」
あまりの恐怖に、息をすることすら忘れてしまっていたアルフは、攻撃を回避しきると、その場で膝をついてしまう。
全身から汗が止まらない、異常なプレッシャーで、体力が保たない。
そんな中でも、空中の化物はみるみるうちに肥大化していき、再び触腕を地面に降ろそうとしてくる。
それを察知したアルフは急いで回避を行おうとする……が、今度は触腕を薙ぎ払うようにぶん回してくる。
「まずっ――」
終わったと、そう思い反射的に瞬きをしてしまったアルフだったが……
「……え?」
刹那、0.1秒も経たぬ間に、アルフとクロードは何者かに助けられていた。
そしてその人物は、二人の前にいるのだが……ちょうど、見覚えのある人物だった。
黒の外套を羽織った、黒髪で長い耳を持つ、魔人族の女性……
「……厄介な事態だ。異界の神が現れるとは」
ジェナが、異変を察知し駆けつけていた。
思わず声を出すアルフだったが、
「お前は――」
「私は今から『黒き太陽の追放』を行う! 終わるまで死ぬ気で避けろ!」
今まで聞いたことのないジェナの荒い言葉遣いに気圧され、アルフはクロードを掴んで再び走り出す。
敵の攻撃なんて、速すぎてアルフにはほとんど見えない。
だからほとんどカンで全力で走り回り、敵の攻撃に当たらないように祈るしかない。
「閼亥虚縺吶k豺キ豐後?螟ェ髯ス、螳?ョ吶?荳ュ蠢??邇牙コァ縺ォ蜷幄?縺帙@蜑オ騾?荳サ繧、骼ョ縺セ繧翫◆縺セ縺、謌代′繝輔Ν繝シ繝医?髻ウ濶イ……」
聞いたことのない謎の言語で、何かを詠唱するジェナ。
だがそんなものは気にしていられない。
攻撃は強力だが苛烈というわけではない、おそらく化物は本気で、殺意を持って殺しにかかっているわけではないのだろう。
あの化物は、自分の周りを飛び回っている、ちょっと鬱陶しい羽虫を潰そうとする程度にしか考えていないのだろう。
だがその一発一発が、致命の一撃となり得る。
直撃でなくても、触腕にわずかに触れただけでも死が確定するだろう。
走って、横に跳び、再び走る。
考える時間すら惜しい、空を見て、迫る触腕を確認したら、カンで反射的に道を決め、ダッシュ、その繰り返し。
もはやジェナの立つ場所以外、地面は抉れてしまっていた。
黒いタールのような水溜りがいたるところに出来上がり、沸騰するかのように泡立ち、異臭を放っている。
この辺りの地域はもう、これから数百年はコケすら生えない不毛の地と化してしまっただろう。
「ふぁっ、カハッ……!」
全力で走り回り、触腕を間一髪の所で回避し続けるアルフ。
だがその体力もそろそろ限界に近づいてきた。
極度のプレッシャーのせいで、呼吸すらままならず、クロードを掴んで必死で動き続けているのだから。
もう、十分は動いているんじゃないかと、ふらつくアルフが思い始めた時、
「――騾?謨」縺帙h縲∫┌蝙「縺ェ繧狗・槭h!」
ジェナが、何かを勢い良く叫ぶ。
瞬間、今まで肥大化を続けていた化物は止まる。
それどころか、みるみるうちに、今度は縮んでいき、泡立つ肉体は溶けるようにして、消えていった。
そして、裂けた空は元通りの、黒い星空となる。
アルフは、周囲の圧が消えたのを肌で察知し、その場にうつ伏せに倒れると、口で息をしながら尋ねる。
「おわっ、た、のか……?」
「ああ。敵はいなくなってる……ジェナが変な魔法で、追い返してくれたみたいだ」
「……クロードは、大丈夫か?」
「俺は大丈夫だ」
「そうか……よかった……」
ここでようやく安心しきったのか、ようやくアルフの呼吸も安定してきたのか、うつ伏せから仰向けの状態に身体を動かす。
「本当に、死ぬかと……」
完全に安心しきって緩んだのか、涙が頬を伝う。
腕で涙を軽く拭うと、アルフは夜空を眺める。
「……よく、無事だったな」
その隣に、ジェナはしゃがみ込む。
先程までは珍しく叫んでいたが、今はもういつも通りの態度となっている。
「ジェナ……」
アルフは顔をわずかに右へ向けて尋ねる。
「あの化物は、何だ?」
漠然と、自分達人間や魔人族を超える上位存在だということは察している。
だがそれ以上はよく分からない。
そんな存在を、謎の魔法で追い返したジェナなら知っているんじゃないかと、アルフは思ったのだ。
「あれは”黒き太陽”と呼ばれている神……だと思われる。異世界から流れ着いた魔導書から得た情報だから、詳しくは分からないが……」
「神……あんな化物が?」
あの化物が神という言葉に、クロードは困惑する。
なんせ、アイン教において、神とは神聖な存在とされているからだ。
クロード自身は教会の教えはあまり信じていないが、それでもこれまでの人生で、教会の教えが刷り込まれているので、神に対するイメージは割と一般的なものだ。
それを覆すとなると、少なからず反発はあることだろう。
しかしジェナは、あれは確実に“神”であると、即座に断言した。
「神は全知全能だ。
「……なるほどなぁ」
「実際、私はこれまでに三体の“神”を目撃しているが、その全てが不定形の肉体で構成されていた」
その話を聞いて、あの化物が神かどうかは別として、何故不定形の肉体なのか、クロードは一応納得した。
「なんつーか、魔法に都合のいい身体になるって、なんか古代魔法みたいだな」
「成る程……其の様な捉え方はしたことが無かった。だが確かに、クロードの言葉は正しいのかもしれない」
神は、全てを知っている。
だが、ある定形の肉体を持っていると、肉体構造上使用不可能な魔法もある。
故に、肉体を魔法に適応させるために、肉体を不定形に変えた。
これは古代魔法発現時に起こることと、原理的には同じだと、ジェナは言った。
「古代魔法の終着点が、神、と云うことなのかもしれない」
そして、この推察が正しければ、古代魔法の極めた先に、神の領域があると続けた。
この“神の領域”という言葉に興味を唆られたのか、クロードは尋ねる。
「へぇ〜。ということは、アルフも神になれるってこと?」
「恐らくは。
「え?」
今まで仰向けに寝ながら漫然と話を聞いていたアルフだったが、神に近づいているという言葉で、一気に身体を起こした。
「俺が、神に近付いている……?」
「ああ。神に届かずとも、今の貴様は確実に、人間の域を超えている」
「俺が、そんな状態に……」
アルフは、自身の身体を見る。
だがやはり、パッと見の異変は無いし、今までに感じだ違和感もそこまでない。
「あー、もしかしてアレか?」
そう思っていたら、クロードが何かを思い出したかのように言う。
「最近アルフ、物凄くカンが良いんだよ。未来予知でもしてんじゃねぇかってくらい、考えてることを当ててくることもあって……もしかしてそれも……」
「恐らく、神へ近付きつつある証拠だろう」
これにはアルフも、驚きが隠せずにポカンと口を開いてしまう。
自分が神になりつつあるなど、想像したことすらなかった。
まるで創作物語のような、荒唐無稽な現象が、自身に起こっているとなると、色々と思考が追いつかなくなる。
「いやいやいや! 俺が神に? 流石にないって」
「信じられないだろうが、貴様は人間を超えた存在へ、足を踏み入れている」
アルフも流石にこれは否定する。
だがジェナにとっては、アルフが神に近づきつつあることは確定していることのようだった。
「……そうでなければ、かの者がわざわざ貴様を執拗に狙うことは無かったはずだ」
ジェナは続ける。
「かの者は、異世界の“神”だ。全知全能である彼等にとって我々は、塵芥の様な存在に過ぎない。故に特段神の目を惹きつける事は無く、無視される。稀に、神が無造作に引き起こした現象に巻き込まれる事はあれど、向こうから我々に向けて行動を起こす事は無い」
神から見た人間は、人間から見た小虫と同じで、自分よりも圧倒的に下の存在なのだ。
人間が地面を這って歩く小さい虫に興味を向けないのと同じように、神も矮小なる人間に興味を向けることはない。
つまり、神は人間のことを認識していないか、あるいはそういう種族がいることだけを把握しているか、その程度なのだ。
だから、神がこの世界にやって来ることは滅多にないそうで、数百年に一度あるかないか程度らしい。
「いやでも、アルフは確実に狙われていたぞ?」
「そう。何故アルフだけが狙われていたのかと、私も疑問に思っていた。だが、アルフが宝石ならば……すなわち、アルフが神の領域に一歩踏み込んでいるとなると、狙われるのも納得出来るというものだ」
「……つまりあの化物には、俺のことだけは認識していたってことか?」
「ああ。塵の山に埋もれた宝石のような輝きに、神は興味本位で手を出してみたのだろう。その結果が、執拗な攻撃となって出ていたのだと、私は考えている」
化物からしてみると、面白そうなのがいたので、興味本位でちょっかいをかけていただけ、というのがジェナの考えだ。
ただし、化物にとってはちょっと小突く程度の攻撃でも、アルフの方は命中してしまうと死ぬし、その余波で周囲には無視できない被害が生じるのだが。
「まぁ、我々にとってはとんだ傍迷惑ではあるな」
そうこうしていると、アルフの身体に溜まっていた疲労も取れてきたのか、ゆっくりと立ち上がると、軽く伸びをする。
「さてクロード。そろそろ戻るか?」
「そうだな。それじゃあジェナ、また今度」
「気をつけて帰るといい」
そうして二人はジェナと別れ、近くの街であるケイオスへと戻るのであった。
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