43 完全復活

 アルフが体調を崩してから二日が経過した。

 最初は45℃という通常はあり得ないような高熱を出してしまっていたが、今はそれも治まり、穏やかに眠りについている。

 だが、眠りについてから丸一日が経過しているにも関わらず、アルフは目覚めることはなかった。


 そんな日の昼下がり、ダニエルとリリーの二人は、中央区の方へ買い出しへと向かっていた。


「アルフさん、いつになったら起きるんでしょうか……」

「ジェナは一日もすれば起きると言ってたけど、あの言葉を信用していいものか……」


 一応家主はアルフということになっているが、その彼が目覚めるまで何もしないというわけにもいかない。


 それに、パッと見では普通の親子に見えるが、つい先日には教会に命を狙われていた人達でもある。

 故に周囲には人一倍警戒している様子だった。

 特にリリーについては、アルフ達と過ごしてきた時に色々と危険な経験をしてきたので、傍から見ると挙動不審にしか見えないような動きをしていた。


「確か、体調自体は良くなってるんだっけ?」

「僕の調べた限りではね。もう起きてもいい頃合いだと思うけど……」


 そんな会話をしながらも、周囲、特に空中や人混みの奥を警戒するために目を動している。

 だが少なくとも、見える範囲には変な人はいないように見える。

 特に今までここで暮らしてきたリリーからしてみれば、むしろアルフとミルの二人と一緒に出掛けた時の方が、視線的にかなり危ない気がしてならなかったくらいだ。


「とりあえず、まずはパパの日用品からだね」

「そうだね」


 とりあえず、今後アルフの家を出ることになっても必要な日用品を買い揃え、その後に食材の方を見ていくのであった。




◆◇◆◇




 買い物は、二人がびっくりするほど平和に終わり、何事もなく家へ帰ってきた。


「ただいま〜」


 リリーがそう言いながら玄関のドアを開ける。

 が、起きているはずのミルの声は聞こえてこない。


「……何事もなければ、多分アルフ君の部屋にいるんじゃないか?」

「そうだね。ちょっと確認してくる。パパは食材とか冷蔵庫に片付けといて」


 以前にも家に見知らぬ人が入ってくるといった事はあったので、リリーは少しだけ心配しながらも、二階へと上がる。

 そしてアルフの部屋の扉を軽くたたくが、一切の反応が入ってこない。


「……アルフさん? ミルちゃん?」


 ゆっくりと、扉を開けてみる。

 するとそこには……アルフの手を握りながらも、静かに寝息を立てるミルの姿があった。

 彼女は、朝から食事の時間以外はずっと、ベッドに張り付いていた。

 そのせいで神経を集中させてしまい、疲れてしまっていたのかもしれない。


「ふぅ……」


 とはいえ、アルフもミルも一応無事なことを確認したので、リリーはホッと胸を撫で下ろす。


 夕食の時間までは全然時間があるので、リリーは眠る二人をそのままにし、下で片付けをしているダニエルの手伝いに行くのであった。




◆◇◆◇




 夕食とその片付けも過ぎ、時刻は夜。


 リリーは、パパであるダニエルと共にお風呂に入っていた。

 浴槽は、大人二人が普通に入れるくらいには大きいので、子どもと大人の二人なら余裕では入れている。


「う~ん、久し振りに風呂に入ったなぁ……」


 身体を洗い終えたダニエルは、お湯に浸かってくつろぎながら言う。


「そうなの?」

「うん。家に備え付けのお風呂があるのは王都くらいだし。他の地域では、身体の洗うなら水浴びするくらいしかないんだよね。技術とか設備的に」

「ふ~ん……毎日お風呂に入れるのって、案外凄いんだね」


 ずっと王都から離れたセレイドで研究していたダニエルにとって、どうやらお風呂に入る機会は中々に貴重なものらしい。


「初めて王都に来てお風呂に入った時は本当にびっくりしたよ。それまではお湯を浴びるだけで、浸かるなんてしたことなかったからさ。でも実際やってみたら本当に気持ちよくて」

「あっ、それは私も。色々あってこの家に来て、はじめてお風呂入った時はすごい気持ちよかったなぁ〜」


 肩までお湯に浸かりながら、チャポチャポと脚を動かしながらリリーは言う。

 特に今の時期は、まだ冬とはいかないが、そこそこ寒さが訪れてくる時期だ。

 この寒くなってきた時期に入るお風呂は、本当に最高なのだろう。


「でも、どうして王都以外じゃできないんだろ? こんなにすごいの、作ればいいのに……」


 だからこそ、いつでもどこでも、どんな地域でもお風呂に入れたらいいのにと、リリーはぼやく。

 その考えにはダニエルも同意はしたが……


「あー、僕もそう思ったけど、なんか無理らしいんだよね。確か異世界から来た技術を使ってるとかなんとか。その技術を所持してるのが教会だから、まぁ何かあるんだろ」


 どうやら、異世界の技術が使われているとか。

 しかもそれを、教会が所有して秘匿しているのだとか。


「……異世界?」


 リリーは首を傾げる。

 異世界という単語自体は、ここ以外の別の世界という意味と分かる。

 だがリリーはそんな世界を見たこともないし、想像したこともないので、理解が及ばなかった。


「これは僕が教会の研究組織に入ってから分かったことなんだけど……異世界の技術って、案外身近にあるんだよね。例えば冷蔵庫とかトースターとか、実はアレ、異世界の技術が組み込まれてるんだよね」

「えっ、そうなの!?」

「教会内部だと、アインコアの製法もそうだし、“レプリカ”の保有する遺伝子操作技術も、元は異世界から来た複数の書物から……っと、流石に分かんないか」


 リリーは驚きのあまり、栗のように口を丸くしてしまう。

 別世界の技術が、意外なほどに身近にあって、その詳細は分からないが、使われている。

 こんなことを知らない人に言われても、普通は信じることができないだろう。

 パパに言われたからこそ、リリーは驚き、理解はできていないが、飲み込むことができた。


「……でも、そんな異世界のモノなんてどこに?」


 だが、同時に新たな疑問も浮かぶ。

 どこからこの技術は到来し、そしてどこに堆積しているのか、という話だ。


 その疑問に、ダニエルは曖昧な形ではあるが、なんとか答える。


「確か……魔人族領と人間領の境にある“禁足地”って呼ばれてる森が、異世界に繋がってるらしい」

「キンソクチ……」

「近くに住む魔人族の間ではそう呼ばれてるんだとか。禁じられた地域って意味で、実際色々な伝承が――」


 そんな他愛もないお話をしていた時、突然風呂場のドアが勢い良く開いた。


「ダニエルさんリリーちゃん!!」


 そして、物凄い勢いでやって来るミル。

 その目には涙が浮かんでいた。


「うおぉっ!?」


 ダニエルは特に驚いて、バシャンと大きく水を弾かせる。

 だがやって来たのがミルだと分かると、小声で「ビックリした……」と言い、すぐに平静を取り戻した。


「それで、何かあった?」

「ご主人様が……! ご主人様が目を覚ましました!」

「えっ、アルフ君が!?」


 そう言った時にはもう、ミルは風呂場から物凄い勢いで走り去って、階段を登る音が聞こえるだけとなっていた。

 ダニエルとリリーもそれに続き、ずっと眠っていたアルフの様子を確認するため、身体を拭いて服を着た後に二階へと上がった。


 そしてアルフの部屋に入ると、


「……おはよう」


 穏やかな笑みを浮かべるアルフと、そんな彼に抱きつき涙を流すミルの姿が見えた。


「アルフさん! ほんっとうによかった……! 死んじゃうかと思ったんだよ……?」

「あはは……心配かけてごめんね?」


 リリーもそれと同じようにアルフに飛びつく。

 彼女も彼女で、ミルほどではないが心配していたらしく、その頬に一筋の涙が伝っていくのが、アルフの目に見えた。


「俺は無事だから。だから、安心して」

「うん……うん」


 そう言って軽く何度か背中を撫でてあげると、リリーは落ち着きを取り戻し、アルフから離れる。

 ミルの方は、心配の度合いが非常に大きかったからか、アルフから離れまいといった様子で、ギュッと抱きついたままだ。

 当のアルフは、それに嫌な顔一つせず、むしろ少し申し訳無さそうに、彼女の頭を撫でていた。


「アルフ君……身体の方は、大丈夫かい?」


 そんなアルフに恐る恐るといった感じで近づくダニエル。

 彼は手を止め、にこやかに答える。


「多分。なんとなくではあるけど、凄い調子が良い気がするんだ。なんというか……ステータスがあった頃に戻った気分っていうか、そんな感じ?」

「そうか……そこまで体調が良いのか」


 この言葉には、ダニエルも少し驚いているようだ。


 ステータスがあった頃のアルフの逸話は、王都やその近辺ではかなり有名だ。

 曰く、数ヶ月間眠ることも食べることも飲むこともしなくても平然としている。

 曰く、数ヶ月間休まずに戦い続けても、汗一つかくことなく、呼吸を乱すこともない。

 曰く、本気の大剣の一振りで二千メートル超えの山を更地へと変える、等。


 そんな状態とほとんど同じ調子を取り戻した気がすると言っているのだから、ダニエルが驚くのも無理はない。

 しかも現在のアルフは、ステータスを持たない。

 ステータス由来の体力も、精神力も、パワーも無いのに、調子が良いということは……


「やはり、ジェナの言ってたことは……」


 ジェナの言っていたことが、つまりはアルフの肉体が進化しているという仮説が、正しかった可能性が高いということだ。


「ん? ジェナ? ジェナがここに来てたのか?」

「えっ、ああ。アルフ君の状態や古代魔法についてを話していたかな? 正直信用していなかったけど……今のアルフ君の様子を見るに、もしかしたら……」


 あの言葉は本当なのかもしれないと、ダニエルは言った。

 深刻そうな表情ではないが、色々と悩んでいるというか、考え込んでいるというか、少なくともアルフには、ダニエルがそのような表情をしているように見えた。


「ダニエルさん。ジェナは何を話してたんですか?」


 では、一体ダニエルはジェナから何を聞いたのか、アルフは尋ねた。


「ああ、話は少し長くなるが……」


 そうして、ダニエルはジェナから聞いたことを全て教えた。

 色々と複雑な話もあったので、時間はかなりかかってしまったが、そのおかげか、アルフもちゃんと理解しているように見える。


「……なるほどね」


 アルフは頷く。


「つまり僕は、古代魔法に適応するために眠っていたと」

「ジェナの仮説が正しければそうなる。けど、仮説は仮説だし、魔人族の言うことを信用していいかどうか……」

「個人的には正しいと思うけどね。なんせ丸一日眠っていたらしいのに、

「それは……!」


 本来、丸一日眠っていたら、流石に空腹になるはずだ。

 もし空腹にならなかったとしても、水分不足になるはずなので、喉は乾くのはほぼ確実だ。

 だが今のアルフは、そのどちらも感じていないのだ。


 これはまさに、ステータスを持っていた頃の彼の特徴の一つと一致する。

 ステータスを持っていた頃のアルフは、数ヶ月間食事も水分も摂らなくても、余裕で生きていけた。


 そして今、そのような状態になっていると、アルフから直接聞いたのだ、ダニエルもかなり驚いていた。


「こんな気分、かなり久しぶりだよ。ステータスを失ってからは、こんなことなかったからね」

「そうなのか……いや、無事ならそれでいい」


 だが、ちゃんとアルフが問題無く生きているのは時事だ。

 とりあえず安心して一息ついたところで、ダニエルはもう一つ、アルフに尋ねる。


「それでアルフ君。家主である君に聞きたいんだが……」

「うん? ああ、ダニエルさんも家にいていいですよ。お金にはある程度余裕があるし。色々落ち着くまでは、外は危ないからね」

「それは、本当か……?」

「はい、もちろん」


 ダニエルは目を大きく開き、アルフのことを見つめる。

 それにアルフは無言で頷いた。


「そうか……本当に、ありがとう……! 君には何度感謝すればいいか……!」


 それに対してダニエルは深く頭を下げて、返しきれないほどの感謝の意を示した。

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