42 進化

 シャルルと別れた後、アルフ達は数時間歩き続け、王都へ到着した。

 幸いにもカーリーが地図を持っていたため、特に迷うことはなく王都まではたどり着き、そこから家に戻る間にも、特に何かが起こるということはなかった。


「ふぅ……ちょっと足が痛いな……」

「ああ、流石に人一人背負いながらだとキツイ……」


 流石に何時間も歩いたからか、研究者のダニエルはかなり疲れている様子だ。

 ミルについてはもっとひどく、行き帰りと歩き続けて限界になったため、アルフにおぶられている。

 そのせいで、アルフまで普段と比べると疲労が溜まっているのか、足が少しだけ震えている。


 そして当のアルフも、そこそこ長くミルを背負って歩いたからか、相当疲れたのだろう。

 顔は赤く腫れたようになり、目は充血し、額には汗が滲んでいた。

 彼は大きく息を吐き、背負っていたミルを降ろした。


「なるほど、ここが今のお前の家か」

「はい……カーリーさんも、入りますか?」

「いや、いい。私は帰る」


 そう言うとカーリーは、さっさと四人を置いて王都の中央に向けて歩いていった。

 が、数歩歩いたところで、彼女は顔だけ振り返った。


「……まぁ、なんだ。その内来る」

「わかった。いつでも、歓迎するよ」

「じゃあな」


 そう言うとカーリーはアルフ達に背を向け、ひらひらと手を降り、去っていった。

 彼女が小さくなるまでアルフは静かに眺めていたが、一分ほどしてようやく、口を開く。


「さて、とりあえず中で――」


 休みましょうと、そう言おうとしたアルフ。

 突然、ぐわんと地面が揺れる。

 地震とは違う何かで、足に力が入らなくなったアルフは、体勢を崩してしまう。


「ぁ……」


 驚きのせいか、声がまともに出ないというか、呂律も回らない。

 ふらりと倒れそうになったアルフだったが、近くにいたダニエルが何とか身体を支えてくれた。


「うおっと、アルフさんも相当疲れ……ッ!? アルフさん、これ……」


 その時に、アルフに触れたダニエルは気づいたのだ。

 彼の体温が、尋常じゃないほどに高くなっていることに。

 額に手を当ててみるが、本当に体温が高くなっていることが分かった。

 よく見てみると、そして思い返してみると、王都に着くあたりから、アルフニ異変が起きていた、ような気がした。


「ひどい熱だ……! リリー、家のドアを開けて! 今すぐ運ばないと命が危ない!」


 だが今は、そんなことを気にしている場合ではなかった。

 ダニエルの感覚的に、アルフは40℃くらいはあるんじゃないかと思えるほどの高熱だ。

 急いで休ませるために、動ける三人と共に、アルフを寝室へ運ぶのであった。




◆◇◆◇




 そして、深夜。


「くっ、熱が全然下がらない……! まだ生きてるからいいけど、45℃なんて……」


 アルフの状態は、一向に良くなる気配が無い。

 最初は40℃程度だった体温は、ベッドに寝かせてから一時間で45℃まで上昇し、その体温が下がることなく三時間が経過していた。


「ダニエルさん! 水タオル持ってきました!」

「ありがとう、これで首を冷やしてあげて!」


 ミルとリリーに色々と看病をやってもらいながら、ダニエルはアルフの症状の原因を考察する。

 一応彼も研究者で、分野的にも、人体の仕組みなどには非常に詳しかった。

 その知識を総合して考えるが、考えれば考えるほど、ダニエルは困惑していった。


「アルフ君……なんで、君は生きているんだ……?」


 現在のアルフの体温は45℃だ。

 そもそもここまで体温が上がること自体が稀である上、一瞬でも上がったら死ぬ可能性が高い。

 にも関わらず、アルフは体温45℃の状態で三時間も生き延びているのだ。


 しかもアルフ自身は、意識を失っているというわけではないのも異常だった。

 苦しそうではあるし、呂律も回っていないが、コミュニケーションを取ることはできるし、身体を起こしたりすることも、辛いらしいが一応はできるのだ。

 とはいえ流石にしんどいので、実際には身体は首や手足を少し動かす程度しかしないが、それでもアルフの身体の状態を考慮すると、狂っているとしか言いようがなかった。


「アルフさん、お水は飲みますか……?」

「あ、ああ……」


 リリーから水をもらうために、アルフは身体を起こす。

 その様子はとても苦しそうで、肩で大きく息をしていた。

 少しずつ少しずつ、コップに入った水を飲んでいき、全てを飲み干すと、またゆっくりと横になった。


「……アルフ君、身体の調子は?」

「だいぶ、マシになった、気はする。特に頭痛は、とりあえず治まってる……」


 一応最初と比べると、症状自体はかなり少し良くなっているらしい。

 最初は高熱と酷い頭痛、それに全身の筋肉、特に節々がひどく痛むという状態だった。

 が、今は頭痛は治まっているようだった。

 代わりに最初よりも熱が上がって、普通は死ぬくらいの体温になっているが。


「そうか、分かった。とりあえず今は寝た方がいい」

「ああ……」


 ダニエルにそう言われ、アルフは身体を休めるためにゆっくりと目を閉じた。


 それからしばらくの間は、アルフが死なないように、三人でずっと看病を続けるのであった。




◆◇◆◇




「ん、うぅ……」


 朝の日差しを受け、ミルは目を覚ます。

 最近のようにベッドに全身を横にして眠ったわけではなく、上半身だけベッドに倒して変な体勢で眠ってしまったせいか、身体に疲れが残っている。

 ミルはカチカチになって凍えた身体を動かし、目を何度か擦った。


「……っ!」


 そうして視界がはっきりしてきてやっと、前日のことを思い出した。


「ご主人様っ! ご主人様、大丈夫ですか!?」


 ミルは目の前のベッドで眠るアルフの肩を揺さぶり、声をかける。

 だが、どれだけ大きな声で叫ぼうが、目が覚めることはなかった。


「ご主人様……ご主人様? お、起きて、ください……!」


 ミルの瞳に、涙が溜まる。

 そして、静かに眠るアルフの頬に一滴、ぽたりと落ち、あごの方へ伝っていった。

 ミルの頭には、最悪が、浮かんでしまった。


「そんな……そんなっ、そんなの……! どうして、ご主人様っ……! 起きて、起きてくださ――」


 ボロボロと涙を溢れさせ、泣き叫ぶミル。

 そんな彼女の頭を、アルフのことをずっと見続けてきたある人物が、優しく撫でた。


「安心するといい。アルフは生きている」


 その声は、落ち着いた女性のものだった。

 少なくとも、リリーのものではなく、むしろ大人びた女性の声。

 誰だろうと、ミルはそちらを振り向くと、そこには黒いローブを羽織った、尖った耳の魔人族の女性――ジェナがいた。


「えっ……なんで、あなたが……?」

「少々用事が有ったものでね。ほら、首を触って御覧」


 そう言いながら、ジェナはミルの手を取り、アルフの首に当てる。


 アルフの身体は、昨日と比べるとかなり熱が下がっているのが触れただけで分かった。

 が、完全に冷たくなったわけではなく、普通の生きている人にある温もりは感じられた。

 そして何より、ミルの指に伝わってくる、トクン、トクンという、確かな脈。

 それが、アルフが生きていることを如実に示していた。


「昨日は苦しかっただろうからね。ゆっくりと眠り、身体を休め、調子を整えているのだよ」

「そう、なんですか……よかった……」


 普段とは異なり、明らかに人を安心させるような、ゆっくりとした柔らかな声で、ジェナはミルのことを宥め続けている。


 そんなことをしていたら、騒がしかったからか、床で眠っていた残りの二人も目蓋を動かし始める。


「ふぁぁ……うるさい……って、え!?」

「……リリー……ッ! なっ、魔人族!?」


 特に予兆なく出現したジェナに、リリーとダニエルは驚きを隠せない様子。

 特にダニエルについては、ジェナのことなど一度も見たことはないし、アルフ達との関係性も知らないので、明らかに敵対視というか、警戒している。


「ああ、初めての人もいるし、自己紹介をすべきだね」


 そうしてジェナは、ダニエルに自己紹介をした。

 もちろん一緒に、アルフ達との関係性についても色々と説明した。


 もちろん普通の人からしてみれば魔人族は敵であり、故に最初は何も信用しなかったダニエルだったが、彼女もまたリリーを助けたことを知ると、掌を返すように信じてしまった。

 これには流石に、ジェナも一瞬だけ困惑の表情を浮かべていた。


「何はともあれ、信用してくれて何よりだ。さて、現在のアルフの状態だが……」

「ジェナ、君は何か分かるというのか?」

「ああ。消去法で考えて行った結果、アルフの身に起きている事が分かった」


 ジェナはアルフの眠るベッドに腰掛け、続ける。


「彼は現在、より強力な古代魔法に適応する為の進化の最中に居る」

「古代魔法に、適応……?」

「ああ。教会出身のダニエルにも分かるように説明するのなら、古代魔法とは、教会で“覚醒”と呼ばれる現象の事を指す。昨日の高熱も、体内で起きた肉体の進化の過程で発生した物に過ぎない」


 ジェナの推測は、あくまで消去法から導かれたものである。

 まずアルフは“状態異常無効化”のスキルを持っているため、毒物は効かないし、細菌等によっ手引き起こされる病気にもならないし、魔法による状態異常攻撃も効かない。

 そうなってくると、アルフがここまでひどい状態に陥った原因が、外部からの何かではないことは分かる。

 そうして残ったのが、アルフ本人が持つ物……古代魔法が原因で起きた、というものだったのだ。


「“覚醒”……いや、古代魔法で起きた、か。でもそれなら、リリーも同じようなことが起きないとおかしいんじゃ?」

「確かにダニエルの言う通り、リリーも古代魔法を扱える。もっとも、扱えるようになったのは、昨日が初めてのようだが」


 リリーが初めて古代魔法を使ったのは、実は十年以上前のことだ。

 かつてダニエルに「お前はリリーじゃない!」と言われて絶望した“リリーの記憶を持つ肉塊”は、ただひたすらにダニエルのことを想い続けた。

 ただひたすらに、パパにもう一度見てほしいと、そう思い続けてきた。


 その結果として、肉塊の中に古代魔法が生じ、それにより生じたエネルギーで、体内に埋め込まれたアインコアが破壊されたのだ。


 そうしてアインの手から解放された肉塊は、ある能力を得ていた。

 その能力を簡単に分類分けするならば、『生物を吸収する能力』と『吸収した生物の記憶を得る能力』、そして『吸収した生物の肉体を複製する能力』の三つだ。

 当時はこの能力をフルに活用して、肉塊の大元となったリリーへと、ゆっくりと肉体を変形させていったのだ。


 そして長い年月が経過した現在、リリーはダニエルと再会し、受け入れられた。

 が、その後に訪れた危機に、どうしても彼女だけで立ち向かわなければならない状況となった。

 そこでようやくリリーは、自らの内に眠る古代魔法を自覚し、その力を意識的に扱えるようになったのだ。


「確かに古代魔法を扱えるという点に於いては、アルフもリリーも変わらない。違う点があるとすれば、リリーの古代魔法は完成した物であるのに対して、アルフのは未だに不完全なものである、という点だろう」


 そしてリリーの古代魔法は、完全なものだ。

 だがアルフの古代魔法は、何故か不完全な状態のまま。


「不完全だから、代償で肉体が大ダメージを受けたと?」


 それを聞けば、アルフがこうなったのは、古代魔法が不完全なことが原因なのではと、誰もが推測することだろう。


「否。不完全な古代魔法そのものが肉体にダメージを与える事は無い」


 だが実際は、ただ不完全だからそうなった、というわけではないらしい。

 そもそも不完全だと肉体がダメージを受けるというのなら、これ以前にも似た現象が起きているはずなのだ。


「……ずは、アルフの古代魔法の特異性について説明しようではないか」


 そうしてジェナは、普通の古代魔法と、アルフの異常な古代魔法を対比させながら説明していった。




 まず、普通の古代魔法。

 これは非常に強力で、現在一般的に使用されている魔法とは比べ物にならないほどの威力を発揮したり、あるいは現在存在する魔法では再現不可能な複雑な魔法が扱えるのだ。

 そして何より、感情の強弱によって、この古代魔法の出力は変わってくる。

 感情が大きければ大きいほど、感情が揺らいで激動すればするほど、出力は高くなっていく。


 だがジェナいわく、その感情の制御が出来なくなると、理性を失い欲望のままに動く、魔物よりも恐ろしい化物と化してしまうそうだ。

 こうなってくると、古代魔法の出力はさらに上昇し、世界を塗り変え、独自の領域を作り出すことすら可能になるほどだ。

 本来であれば、素の人間の状態では、領域を作り出すことはまず不可能である。

 最近だと、エリヤはこの状態になっていたといえる。


 ちなみにリリーについては、元々が人間ではなく、そのせいで一部の感情のタガが外れているからなのか、理性を失っていない状態でも、領域を作り出せたようだ。

 そのためリリーも異常なように感じるが、これについては古代魔法というより、リリーの肉体そのものが人間とは異なっているだけなので、古代魔法そのものは正常となっている。




 そして問題は、アルフの古代魔法。

 アルフは人間であり、理性を失った化物ではない上、その古代魔法は不完全なものである。

 それにも関わらず、出力は化物となった存在とほぼ同等という、あり得ないことになっている。


 それに加え、能力の多彩性についても、異常としか言いようがない。

 例えばリリーの場合は『生物を吸収する能力』『吸収した生物の記憶を得る能力』『吸収した生物の肉体を複製する能力』の三つ。

 例えばエリヤの場合は『猛毒の生成』『全身の血肉を猛毒化』の二つ。

 多くの能力を持っているように見えるが、実際には、リリーのは『吸収した生物を複製する能力』で、エリヤは『猛毒を作り出す能力』と、割と簡潔に説明できる。


 だがアルフは違う。

 アルフの能力は『白い煙を吸うと敵のステータスを半減』『黒い煙を吸うと敵は逃れられない苦痛を受ける』『炎は敵のみを燃やし、味方の傷を癒やす』『領域内であればワープ可能』などと、非常に多彩だ。

 少なくとも、リリーやエリヤのように、一言で説明できるような能力ではない。


 それ以前に、だ。

 アルフの古代魔法は不完全なものだが、そもそも普通であれば、不完全な状態で古代魔法が形成されることは無いのだ。

 ジェナいわく、不完全な古代魔法など、アルフ以外では一度も見たことがないそうだ。




 長々とした説明だったからか、ダニエルはちゃんと聞いているが、リリーは少し暇そうにしていたし、ミルについてはご主人様であるアルフの手を握り、じっと祈るようにしてしまっていた。


「うーん……とにかく、アルフ君の古代魔法が異常ということは分かった。なら何で、そんな異常が発生したんだ?」

「簡単に説明すれば……現在のアルフの古代魔法は、アルフ本人から生まれた古代魔法と、別人から生まれた古代魔法、この二種類が中途半端に融合した状態にある」

「中途半端に融合? もしかして、あの三種類の武器が……?」

「其の通りだ、リリー。君であれば、アルフの古代魔法が強力になっていく過程を見てきたはずだ」


 アルフは、禍々しい三種の武器を持っている。

 これこそが、別人から生まれた古代魔法……正確に言うならば、別人の古代魔法から生まれた武器なのだ。


 ログレスの教会跡で、アルフは初めて古代魔法を発現させた。

 その時は発現したてということもあり、もう一つの古代魔法とは融合していなかった。

 だが、一人の使用者が二種類の古代魔法を扱っていたことにより、古代魔法同士が反発し合い、力が暴発してしまうことはあった。


 それからしばらくすると、自らの領域を作り出せるようになった。

 これはちょうど、エリヤと戦う少し前くらいのことだろう。

 二種の古代魔法は少しずつ融合していき、徐々に強力になっていった。

 だが流石にこの時は、まだアルフの古代魔法は弱く、化物と化したエリヤに古代魔法による領域の押し合いでは負けていた。


 そして、現在。

 アルフの古代魔法は、化物が行使するそれとほぼ同等の、いや、それ以上の出力を発揮するようになったのだ。

 その大きな原因となったのは、リリーの古代魔法との相殺。

 ほぼ同じ力の古代魔法同士での、いわば縄張り争いのようなものを経験した結果、アルフ本人の意図しないところで、古代魔法がさらに融合し、強力になっていったのだ。


 憶測も入ってはいるが、ジェナはアルフの古代魔法の進化の過程を説明した。

 その上で、リリーに向けて言う。


「……リリー、君なら分かるはずだ。アルフの古代魔法は、もう一つの古代魔法と融合する程に強力に成っている事に」

「うん。けど、もしかしてそれが、アルフさんが倒れた原因……?」

「ああ。アルフの肉体は、強力に古代魔法に耐えられなくなったのだ」


 そうして、アルフの肉体は古代魔法に耐えられなくなった。

 というか現在のアルフの古代魔法自体、普通の人間が使えるような次元のものではないのだ。

 リリーのような特殊な生物や、あるいは化物と化した存在でもなければ扱えない、非常に強力で危険なものなのだ。


「じゃあ、昨日のアレは……」

「古代魔法に耐えられるよう、肉体を進化させていたのだと考えられる」

「考えられるって……断言はできないのか?」

「ああ。私も長く生きてきた。古代魔法を発現させ、化物となった存在も多く見てきたが……現在のアルフの状態は、他に類を見ない、特異な状態だ」


 ジェナですら、現在のアルフの状態はよく分かっていないのだ。

 彼女の展開した論も、今までに得た情報を総合した結果の推測でしかない。

 だが、一つ言えることがあると、彼女は続ける。


「もしあの古代魔法が完全な物になったら……その時は、アルフは神をも超える力を手にするかもしれないね」


 そう言うと、ジェナは部屋に黒い穴を作り出し、その中へと入っていく。


「さて、私はそろそろ行くが……ダニエル、リリー。君達に報告しておこう」


 だが、穴が消える前に、ジェナは言った。


「安心するといい。どうやら教会は、君達を追うことを諦めたそうだ」

「え……ちょっ、ちょっと待て! どこでその情報を――」


 ダニエルがさらに色々と問おうとした時には、穴は閉じ、ジェナはいなくなってしまった。


「……」

「えっと、パパ……? 多分あの人の言っていることに、嘘は無いと思いますよ? 今までも私達を騙したことはなかったですし……」

「そうだといいが……いや、今は信じるしかないか」

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