40 かつての“最強”と堕ちた“最強”

 ダニエルとリリーは一分ほど互いに抱きしめ合っていたが、ようやくリリーも満足したのか、二人は離れる。


「ふぅ……何度か肉が潰れる音は聞こえたけど、もしかして……」

「うん。この領域に入ってきた敵は全て、食べて吸収してるよ」

「……本当に、強くなったんだなぁ」


 ダニエルの記憶にあるリリーとは似ても似つかないほどの、暴力的な強さ。

 怪物のような強さではあるが、ダニエルがそれを否定することはない。

 本性というか、正体というか、それが異形の化物だとしても、その想いは、感情は、無視することができないから。


「……! そうだ、アルフさん達を探さないと」

「アルフ……そういえばそうだったな。三人とも無事なら――」

「あっ」


 それは、ちょうどどこかにいなくなったアルフを探し出そうとし始めた時だった。

 肉でできた臙脂色の空間が一瞬で崩れ、赤い街のような空間が広がった……かと思えば、それもすぐに崩れ、景色は元の崩壊した村へと戻った。


 だがこの一瞬で、リリーは近づいてきている人物が誰なのかを把握した。


「アルフさん達が来ました! こっちです!」

「うぉっ!? ちょっ、引っ張るな!」


 自身の領域だからだろうか、リリーはいち早く侵入者に気づき、そちらへと向かう。

 大体三十秒ほど燃える村を走ると、これまたキョロキョロと辺りを見渡しながら進むアルフとミル、それとシャルルを発見した。


「アルフさんミルさん、シャルルさん!」

「リリー……! それにダニエルさんも、無事でしたか」

「ええ……娘に助けられました」

「うん! 私、頑張った!」


 そうして誇らしげに胸を張るリリーは、本当に年相応の子どものように見えた。


「それにしても、今まで一体どこに?」


 そんな娘を撫でつつ、ダニエルは三人に今までどこにいたのかを尋ねる。


「どこ……何と言えばいいんだ……?」

「ワープみたいなので分断されてね。敵に囲まれかけたりもしたし、本当に大変だった」


 シャルルの方も、ワープされた先で敵に囲まれかけたそうだ。

 とはいえ、自らのスキルを利用して、音から敵の位置を察知して隠れながら移動していたため、戦闘自体は行ってはいないらしいが。

 その途中で、アルフ達と合流したという感じなのだという。


 その中でもダニエルは、最初のワープという言葉に反応した。


「ワープ……ということは、ヌルはあっち側か。厄介なことに……」

「ヌル?」


 ヌルという聞き慣れない言葉について、アルフは尋ねる。


「教会に協力している人物のことです。けど多分、誰もその姿を見たことはない。教皇も枢機卿も、私達のような研究組織のリーダーも、誰も姿は知らない。一応、ワープや時の操作などの魔法が使えるのは分かってますが……」

「ワープや時間の操作……?」


 ヌルという謎の人物についての話を聞いたアルフだったが、どうしてもその説明に、拭いきれない違和感というか、既視感を感じていた。

 なんせアルフの知る中で一人だけ、ヌルと呼ばれる存在と同じことができる人がいるのだから。

 だが流石にそれは違うと、この考えは切り捨てた。


 そしてそれは、シャルルも同じなようで、難しい表情をしている。


「正直な話、ヌルが敵対してくるとなると、逃げるのが本当に難しいでしょう。村から出ようとしても、ワープでここへ戻される可能性だってある……って、シャルルさん、どうしました?」

「……」

「シャルル?」

「……ん? ああ、悪いねアルフ。少し考え事をしてて」


 いつからか俯いて何かを考えていたシャルルだったが、考えがまとまったのか、アルフとダニエルに呼ばれ、口を開く。


「個人的にヌルの正体には心当たりがあってね。もし僕の予想が正しければ、ヌルはむしろ、僕達を逃がそうとしているはずだ」

「え?」

「立場的に、向こうから積極的に協力ってことはしないだろうけど……少なくとも、脱出を妨害されることは――」


 シャルルが自らの推理を口にしていると、突如として悲鳴が響き渡る。


「っくぁぁぁあ!?」


 その発生源はリリーだ。

 彼女はその場で、頭をおさえて崩れ落ちる。

 その表情は、まるで酷い頭痛に襲われたかのようで、目を強く瞑り、歯を食いしばっている。

 

「リリー! ど、どうしたんだ!?」

「パパ、わたしは大丈夫……けど、敵が……! 百体以上の人工魔物キメラが……! それが私の作り出した複製を倒して……!」

「百体……!?」


 百体以上のキメラが、迫ってきている。

 この場にいる誰もが、その事実に恐怖した。

 なんせこの場でキメラを倒せるのは、アルフとリリーだけで、シャルルですら一時的に無力化させる程度しかできないほどだ。

 とはいえ、キメラを倒せる二人については、自らの領域を作り出せば、広範囲に対して強力な攻撃を行える上、リリーの攻撃に関しては当たれば即死なので、普通に戦えばなんとかなる。


「ご主人様……!」

「リリー、申し訳ないが……!」


 そう、普通なら。


「……いや、できない」

「ごめんね、パパ。今の私には……」


 確かにアルフとリリーは強いが、その強さが真価を発揮するのは、自らの領域を作り出した時だ。

 特に多数の敵を相手取る時は、広範囲攻撃を容易に可能にする領域は、便利と言う他ない。

 だが二人は理解していた、今のこの状況では、領域を作り出すことはできないと。


 なぜなら二人が戦うことで、二人の心が、古代魔法がぶつかり合い、本来作られるはずの二人の領域が相殺されてしまうからだ。

 もし二人の古代魔法の出力に差があったら、片方の古代魔法が完全な状態で発動していたことだろう。

 だがこれまた運が悪いことに、アルフとリリーの古代魔法の出力、すなわち二人の想いは、完全に同じと言ってもいいほどに近い強さだった。

 故に相殺が起き、古代魔法による領域は形成できなかった。


 そもそも最初、リリーの領域が急に崩れたのも、アルフの作り出した領域とぶつかり、相殺されたからなのだ。

 つまりは、二人が同じ場所にいて、二人とも戦闘する意思がある以上、互いにフルパワーを出すことは絶対に不可能になってしまっていた。


 アルフとリリーはそれを、直感的に理解していた。


『君達ヲ逃ガスワケナイダロウ?』


 突然の敵の襲来に驚き、対抗手段も無いと聞いて愕然とする中、突然、魔法で人工的に作り出されたような声が響く。


「っ、ヌル……!」

「えっ、この声が……」

「へぇ……」

『アア、私ハ“ヌル”ト名乗ッテイル。上カラノ指示デ、ダニエルヲ殺ス。残リノ者ハ、コノ穴ノ中ヘ入ルトイイ』


 するとアルフのちょうど目の前の空間が割れていき、人一人くらいなら余裕で通れそうな黒い穴が形成された。


『コノ穴ニ入ルココトガ出来ルノハ、ダニエル以外ノ知的生命体ダ。入レバ、アルフノ家へワープスル。逃ゲルナラ今ノ内ダ。今カラ十秒後ニ、此ノ場ニ百体ノ“人工魔物キメラ”ヲ転移サセル』


 そして、カウントダウンが始まる。

 ゆっくりめなカウントが進んでいく中、ダニエルは四人に向けて言う。


「皆さん、早くあの穴へ入ってください! ヌルの目的は私です! これ以上娘や部外者を危険に晒すわけには――」

「嫌です」

「嫌だ!」


 見捨てて逃げろと、そう言おうとするダニエルの言葉を遮るかのように、アルフとリリーはほぼ同時に声を上げる。

 一瞬、二人は目を見合わせるが、軽く頷き、続けた。


「あなたが死んだら、きっとリリーが悲しむ。だから死なせるわけにはいかない」

「うん! パパと離れるだなんて、絶対に嫌だ!」


 二人の想いは、変わらない。

 アルフは騎士として、ただ人を守るために戦う。

 そしてリリーは娘として、唯一の家族であるパパであるダニエルを守るために、自分の中に宿った力で戦う。


 そんな二人の強い想いは、残りの二人の心をも揺さぶることとなる。

 ミルは、アルフの手を握る。


「私も、ご主人様についていきます。ご主人様なら、きっと、何とかしてくれます」

「ミル……ミルは戦わなくても……」

「私は、ご主人様しか信じません」


 そんな会話を聞き、シャルルは笑い、大鎌を振り回す。


「ああ、確かにね。敵の言うことを簡単に信用するとでも思ったかい、ヌル?」

『――ゼロ。転移』


 カウントダウン、終了。

 瞬間、五人を取り囲むかのように魔物が出現する。


 地上はもちろんだが、空中にも、ワイバーン骨格の人工魔物が多く翔んでいるのが分かる。

 数は百を超えるとリリーは言っていたが、本当にそれくらいいそうに感じる。

 少なくともアルフ達には、敵の大群の終わりは見えない。


「これは流石に多いな……領域を作れれば一瞬だったのに……」

「ごめんね、アルフさん。でも、私も守るために……」


 今回の戦闘において主力となるであろうアルフとリリーが、苦々しく唇を噛む。

 一応アルフなら、領域を作らなくても、それなりに広い範囲を攻撃することはできるが、それでは威力不足になってしまうかもしれない。

 そして結局時間がかかり、劣勢となって、負ける、そんな想像が容易にできた。


「……おっ」


 だがそんな中、シャルルだけはわずかに驚いたかのように目を大きく開ける。

 そして、不敵な笑みを浮かべて言い切った。


「アルフ、来たぞ――」


 バァン!!


 瞬間、何かが弾けるような凄まじい音が発され、同時に魔物の大群の一角が血煙ちけむりと化した。


 いや、それだけじゃない。


 何体もの強力なキメラを粉砕して血煙にするほどの衝撃、それが衰えることなくアルフへと襲来する。

 アルフは反射的に左腕を振り上げ爆発を発生させ、衝撃を和らげる。


 それにより血煙は晴れ、同時に足元に土煙が舞い上がる。


「――援軍が」


 まず見えたのは、無骨な棍棒のように見える、血に塗れた大剣。

 次に見えたのは、後ろで結ばれた真っ赤な髪と、男であるアルフよりも一回り大きい体格。

 アルフレッドが騎士になるまでずっと“最強”と呼ばれ続けた、誰もが認める圧倒的強者。


「カーリー……!」


 血濡れた黒のロングコートを羽織った巨躯の女性、そしてアルフの知る限りでは最も強い人物であるカーリーが、援軍として駆けつけたのだ。


「アルフレッド……お前に聞きたいことは色々あるが、まずはこいつらをるぞ」

「ああ。じゃあシャルルは……」

「分かってる。三人は僕が引き受けよう」


 アルフとカーリー、シャルルは互いの考えを即座に察し、行動に移す。


「こっちだ!」


 シャルルはカーリーが作り出した赤い血濡れた道へと駆け出しながら大鎌を振り、斬撃を繰り出す。

 誰か特定の敵を狙うわけではない、ふざけたような乱れ撃ち、だがあまりに敵が多い現状では非常に効果的。


 人工の強力な魔物は一瞬にしてバラバラになり、あっという間に敵に隙ができる。


「今だ走れ!」


 そこにシャルルの叫びと同時に、ダニエルとリリーとミルの三人も走り出す。


「グォぉぉオオオ!!」


 もちろん魔物達がそれを見逃すわけがない。

 だがアルフとカーリーが、そのことを理解していないはずがない。


「ふっ……!」

「ぬるい」


 敵の数は多い、だが狭い場所にまとまりすぎているが故に、魔物のほとんどが攻撃ができていない。

 近くにいるのが物理的に攻撃したり、空を翔んでいるのが炎を吐いたり暴風を発生させたりするだけなので、見た目以上にあっさりと対応ができてしまった。


 アルフが空中からの遠距離攻撃を炎や爆発で相殺し、カーリーが地上の敵を大剣の一振りで血煙へと変えていく。

 そしてシャルルが、道を塞ごうとする魔物達をバラバラにし、戦闘不能にし、リリーは音を超える速度で敵を捕らえ、捕食し、吸収する。


 そうしてシャルル達は、一分もかけることなく、戦線離脱することができたのであった。


 残ったのは、アルフとカーリーだけ。

 その目線の先には、未だに百を超えるほどの膨大な数のキメラが二人を睨みつけていた。

 シャルルの斬ったキメラが再生し、元通りになっているので、残っている敵は意外にも多い。

 だが空中を飛ぶキメラが全てダニエルのいる方向へ向かったので、戦闘そのものはしやすい状況になっていた。


「よし、これで本気を出せるな」

「俺もだ。こいつらを倒さないと……ミルが危険だもんな」


 リリーとの距離が離れたことにより、アルフ以外に古代魔法を使える人物が付近からいなくなった。

 その瞬間、その場は炎で包まれ、灼熱の暴風が吹き荒れる。


「へぇ……面白い」


 そうして生み出されたのは、赤く燃えるような空に太陽が輝く、王城と大きな街。

 今までの、現実が赤くなっただけの雑な世界とは違う、アルフの作り出した完全にオリジナルの空間。

 そんな世界にある大きな広場で、アルフとカーリーは敵と対峙する。


「見せてみろアルフ……今のお前の実力を!」

「ああ、やってやる!」




◆◇◆◇




 そうして始まるのは、一方的な蹂躙劇。


 アルフの炎を纏った巨大な斬撃は、広い範囲の敵を一瞬にして斬り裂き、燃やし尽くす。

 それだけじゃない、遠く離れた場所にいる敵であろうと、地面から間欠泉のように噴き出す業火に飲み込まれれば、骨すらをも燃やし尽くす。


 そしてカーリーはその腕力一つで大剣を振り下ろし、凄まじい衝撃波を放つ。

 それは、彼女の道を塞いだキメラ達の肉と骨を一瞬にして粉砕し、血煙へと変えていく。

 一発本気で大剣を振り下ろすだけで、彼女の目線の数メートルの先までは、赤い霧へと変わるのだ。


 蹂躙するのは、アルフとカーリー。

 蹂躙されるのは、百体近くいる人工魔物キメラ


 かつての“最強”は最強でなくなった。

 だが彼女の強さは決して変わることはなかった。

 かつての“最強”は堕ち、最弱と化した。

 だが彼は強い想いを持ち、不死鳥のように舞い戻った。


 二人の力は収まることを知らず、魔物をただの灰と血煙へと変えていった。


 そうして一方的とも言える蹂躙劇は、たったの三分で終わりを迎えたのであった。

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