39  パパのためだけの魔法

 今から十年ほど前、異形の化物が生まれました。

 ですがその化物は元々、望まれて生まれたわけではありませんでした。


 とある研究がありました。

 その研究とは、アインの力を利用して死者を蘇らせるというもの。

 研究を主導していた人物は、死んだ娘を蘇らせるために、必死で、どれだけ冒涜的な行為でも進んで行ってきました。

 そして、魔物での実験も成功し、人間での数度の実験も成功したことを受けて、研究者はついに娘を蘇らせる実験を始めました。


「なんで……なんでなんでなんでッ……化物がッ……お前はリリーじゃないッ!」


 だが、実験は失敗。

 今までは成功していたのに、他の人間は蘇らせることはできたのに、娘……リリーだけは、失敗してしまった。

 代わりに生まれたのが、人間とは思えないほどに醜い、肉の塊とも言えるような化物だった。

 さらに言うと、それとほぼ同時に、今までの成功例である他の人間や魔物についても、皮膚が溶け、肉が膨張し、化物と化してしまった。


 その研究者は、化物に罵声を浴びせました。

 大切な娘を蘇らせることができず、再びそのようなことを行えなくなったとなれば、絶望してそのようなことをしまっても仕方がないでしょう。


 ですが化物は、その素体となったリリーの記憶を持っていたのです。

 お絵描きをしてたらパパに褒められたことを、パパと一緒にお散歩に行ったことを、頭を撫でてくれた感覚を、抱きしめてくれたことを、すべて。

 さらにそれだけではなく、リリーの持っていた父親への愛情、信頼、尊敬……様々な感情を、保持していました。


『お前はリリーじゃないッ!』


 この言葉で、化物はひどく傷つきました。

 化物は、自分のことをリリーだと思っていました。

 大好きな父親からそのことを否定されて、傷つかないはずがないでしょう。

 そうして化物は、絶望しました。


“パパに否定された……”

“パパに嫌われた”


 ですが化物は諦めませんでした。

 何とかして、パパと一緒にいたい、また自分のことを見てほしい、抱きしめてほしい、撫でてほしい。

 化物の中にあったリリーの感情は、記憶は、父親関連のものしかありませんでした。

 つまり化物には、父親しかいない。

 故にその想いはあっという間に肥大化していき、そして、化物の中で何かが生まれました。




 その瞬間、体内に埋め込まれていたアインコアが破壊され、崩れ落ちたのです。




◆◇◆◇




 炎に包まれ赤く染まったセレイドから脱出するために、ダニエルとリリーは物陰に隠れながら村を出るために動いてた。

 空では異形の化物が飛翔し、何かを探している様子だ。

 だが崩れた建物や背の高い植物も多くあるので、誰にも見つからずに隠れながら移動することは、比較的容易ではだった。


「“キマイラ”の奴ら、僕達を探している……それに“レプリカ”も来てるらしいし、早めにここを出ないとまずいな……」

「パパ、何かあったら私が何とかするから」

「いや、大丈夫。何も起きさせない――」


 そんな最中、空中で何かが輝くのを、リリーは見た。


「パパッ!」


 反射的にダニエルを突き飛ばすリリー。

 あまりに突然のことに「えっ」とダニエルが呟いた瞬間、空から何かが物凄い勢いで降ってきて、リリーに着弾する。

 そのあまりに暴力的な威力は、リリーの左半身を吹き飛ばしてしまうほど。


 突然訪れた死。

 ダニエルは目を丸くし、脚を震わせる。


「リリー……」

「ぅ、ぐぁ……い、たぁ……わたしは、だいじょうぶ、ぱぱ……」


 だが、リリーは人間のように見えるだけで、人間ではない。

 肉が完全に焼き尽くされでもしない限りは、確実に生き残る生命力と再生力を有している。

 現に今も、即席で声帯を作り、涙を零すダニエルに声掛けをしている。


「おや、生き残ってしまいましたか」

「ダニエルを殺すつもりだったのですが。まぁリリーの方も最終的には殺さなければなりませんし、問題ありませんね」

「ええ。さて、二人おりますがどうしましょう?」


 そこに現れたのは五人の、容姿が全く同じ美しい金髪の女性。

 そしてその後ろには、十体ほどのキメラが待機している。


「やはり、アルフレッドの言っていたことは……」

「ええ。アイン様が仰っております。『“ネクロア”を潰せ』と。故に貴方達を、潰しに参りました」

「そ、んなこと……絶対に、させない……! パパを、殺させたりなんか……!」


 女性の一人が言った言葉に反応して、リリーは立ち上がる。

 出血自体は止まっているが、上半身の肉の再生が追いついておらず、バランスを取れずにふらついている。

 それでも、大好きなパパを守るために、なんとかその前に立つ。


 肉がグチャグチャと、音を立てながら脈動する。

 それは少しずつ少しずつ、地面を侵食していき、臙脂色の肉と血管が広がっていく。


「……ふむ? ええ……そうですか、アイン様が仰るのなら」

「……?」


 その様子を見ていた女性達は、軽く頭を抑え、何かを呟き始めた。

 奇妙な様子ではあるが、リリーは警戒を解くことなく、再生を続け、肉の領域を広げていく。


「本来であれば“ネクロア”のダニエルから殺す予定でしたが、アイン様が『リリーを殺し、ダニエルを絶望を与えろ』と仰られました」

「故に予定を変更し、リリーを殺します。03、ダニエルの拘束を」


 女性の一人がそのように言うのと同時に、リリーの後ろでダニエルのうめき声が聞こえる。

 パパに危険が迫っていることを確認して背後を振り向くとそこには、土の十字架に手足を埋め込まれて拘束されたダニエルの姿と、それを行ったであろう女性の一人がいた。


「ッあ!?」

「拘束、完了しました。一時的に魔法も封印してあります」

「に、にげろリリー……! 僕のことはもういい! お前だけでも頼む、生きてくれ……!」

「そんなの……嫌だッ!!」


 胴体と頭を動かし、必死でリリーに訴えかけるダニエル。

 しかし当のリリーは、聞く耳を持たない。

 “レプリカ”の人造人間や“キマイラ”の人工魔物を相手に、再生を完了させたリリーは右腕を臙脂色に肥大化させ、勢い良く殴りかかる。


 だが、


「無駄です」

「っがぁぁぁあ!?」


 その腕は、女性から放たれた魔法が着弾して爆発し、吹き飛ぶ。

 ポンっという着弾音と共に、肉は弾け飛び、熱風で焼けていく。

 爆風はリリーの皮膚を焼き、肉を焼き、ジュゥゥゥという、聞くだけで苦しくなるような音を発する。


「ぐぁぅっ……まだ、まだぁっ!」

「……」


 右腕が無くなったら今度は左腕を肥大化させて殴りかかるが、


「ぇ、そんな……」

「私達の筋力ステータスは15000です。その程度の攻撃など、容易に止められます」


 女性一人の片腕で、いとも簡単に止められてしまう。

 上から腕で押し潰すように叩きつけようとしても、女性達は丈夫過ぎて潰せない。


 圧倒的な実力差を見せつけ、リリーを絶望させていくためなのか、女性達は人数差というアドバンテージを活かすことなく、雑な戦い方をしている。

 だが実際、リリーは女性達に傷をつけることすらできず、遊ばれてしまっている、これが現実だ。


「リリーやめろ! もう、やめてくれ! 頼むから、逃げてくれ……お願いだ、頼む……!」


 ダニエル絶望の慟哭が響く。

 胴体を必死で動かし、首を勢い良く横に何度も振り、目から涙を流しながらも嗚咽声で、生きてほしいと願う。


 だが悪趣味な女性達は、いやアインは、容赦無く生存率をゼロへと近づけていく。


「切り刻む」


 そして、残った左腕と両足を五人同時に魔法で切り刻み、切断する。

 ぐちゃぐちゃになったり、無くなった手足を再生するのには、相当時間がかかるだろう。

 それに、手足が無くなった以上、もう動くことはできない。


「終わりです。燃えなさい」


 そして、最悪の炎による攻撃。

 五人の女性は空中に浮かぶと、動けないリリーへ向けて青白い炎弾を放つ。


「っァァァァァァああああああ!!」


 それはリリーにやその付近に着弾すると、勢い良く燃え広がり、ダニエルへ焼けた肉の匂いと熱を届けていく。


「やめろ! おい、頼む、お願いだから……やめてくれ!! やめてくれぇ!!」


 赤よりも橙、橙よりも黄色、黄色よりも青の炎のほうが、基本的に熱い。

 いくらリリーが高い再生力を持っていたとしても、全ての肉を灰になるまで焼き尽くしてしまえば、再生などできるはずがない。

 元々リリーを作り出したのはダニエルだ、それ故に彼はそのことをなんとなく理解している。


 また娘が奪われる。

 それに恐怖し、泣き叫び、許しを請う。


 その声は、薄れゆくリリーの意識の深層へと、伝わっていくのであった。




◆◇◆◇




 燃え盛る炎、身体を走る痛み、苦痛、そして何より迫り来る死。


 それでも私は、恐怖を感じなかった。

 多分私が普通の人間だったら、死ぬのを怖がっていたと思うけど、私は人間じゃないから、そう簡単に死なない。

 私は小指くらいの肉片が残ってさえいれば、時間がかかるだろうけど、いつかは完全に肉体を再生して、リリーに戻ることができる。

 だから、死の恐怖は感じない。


 そもそも、恐怖を感じたことがほとんど無い。

 あるとすれば、パパに「お前はリリーじゃない」って言われた時くらいかな?


 そして肉片は、小さいのが近くにいくつか転がっている。

 それを利用すれば、私は生きることができる。


 だから私はここで一度死んでも――


「やめろ! おい、頼む、お願いだから……やめてくれ!! やめてくれぇ!!」


 ……え?


 な、なに、これ……。


 パパの、苦しそうな声、聞いただけで……。


 どうして、こんなに悲しくなるの?


 身体の、震えが、止まらない。




 ……そうだ。




 私が死んだら、パパも殺されちゃう。


 やだ、それだけはダメ、ぜったい!


 必死でここまで来たのに、パパと一緒に暮らすために、幸せになるために!

 まだ、褒めてもらってもないのに! 一度しか抱きしめてもらってないのに! 頭も撫でてもらってもないのに!


 パパ……やだよ、死ぬなんてやだよ……!


 離れ離れになるなんて、いやだよ……。






 ううん。






 ……だから、私が守るんだ。


 今パパを守れるのは、私しかいないんだから。


 私の命はどうでもいい。


 ただ、パパを守ることができれば、救うことができれば。


 そのために、私は……!




◆◇◆◇




「たァァァァァァアアアッッ!!」


 炎の中から響き渡る高い声が、女性達やダニエルの耳へと届く。

 その瞬間、景色は変わった。


「うっ……」


 それを見たダニエルは思わず吐き気を催しそうになった。

 それもそのはず、なんせ周囲は、肉に覆われてしまったのだから。


 空は血のようにドス黒い赤色で、そこへ向けて臙脂色の肉でできた木々が伸びている。

 地面も、そしてダニエルの拘束されていたはずの土の十字架も肉へと変わっており、ブヨブヨとした生暖かい触感と生臭さが、不快感を増大させる。

 もちろん地面も、土は臙脂色の肉へと変わっており、細い血管がしっかりと見えていた。


 そして何よりも、空間全体に響き渡る、ドクンッ、ドクンッ、という、まるで心臓の拍動のような奇妙な音。

 それが、自分は謎の化物の体内にいるのではないかと、連想させてくるのだ。


 そんな空間にはダニエルの他にも、彼を殺そうとしてきた“レプリカ”の人造人間と“キマイラ”の人工魔物もいた。


「これは一体……まるでアルフレッドの作り出す世界のような……」

「……!? なっ、そんなことは……何故、何故ッ!? こんな領域を作り出せるのは覚醒した人の中でも、アルフレッドや化物と化した存在だけ……!」

「まさか、リリーも例外……?」


 ただ魔物はともかくとして、クローンの女性達はこのおどろおどろしい空間を見て、慌てふためいている。

 いや、言動的には恐怖を抱いていると言ってもいいかもしれない。

 今までの無感情で機械的な態度は一転し、顔は青ざめ、声を荒らげている。


『お前達……』


 地面を覆う肉が、リリーの声を発し、ウネウネと動き出す。

 それは膨張、変形していき、たったの数秒でリリーの姿へと変わった。

 その姿は本当に、リリーそのものだった。


「やはり、リリーが作り出している空間のようです。速やかに殺さねば――」

「死ね」


 女性達は、空間を作り出したと思われるリリーに警戒度を上げた。


 グシャッ!


 瞬間、肉が抉れるような音が響く。

 確かにおぞましい音が聞こえた、はずなのだが……


「……?」


 その一部始終をリリーの後ろから見ていたダニエルですら、何が起きたのかが分からなかった。


 なんせリリーも、“レプリカ”の人造人間達も、“キマイラ”の人工の魔物も、この場にいる生物は一切傷ついていないのだから。

 変化があるとすれば、空間全域から「ぐちゅっ、ごりゅっ、ぶちっ」といった、肉や骨を噛み砕きすり潰すような不快な音が聞こえるようになったくらいか。


「……うん。色々とうまくいったね」


 そんな中、自らの身体を見てそう呟くリリー。

 彼女は目の前ででくのぼうとなって動かなくなった女性やキメラに向けて命令する。


「ねぇみんな。この村に来てる元仲間を全員、殺してきて」

「はい、分かりました」


 すると今まで直立不動だった女性やキメラはリリーの命令で動き出し、このおぞましい空間から出ていった。


 それとほぼ同時に、ダニエルを拘束していた肉の十字架は溶けるように地面に吸い込まれていき、彼は解放された。

 だが怒涛の展開と理解できない状況に、ダニエルは呆然として、立ち上がることを忘れてしまっていた。


「パパっ、大丈夫!?」

「えっ、あ、あぁ……大丈夫、だけど……リリーは……」

「私はたぶん大丈夫だよ」


 リリーに声をかけられてハッとすると、ダニエルは膝をつき、ゆっくりと立ち上がる。

 そして、ある疑問をリリーに尋ねる。


「……これは、リリーがやったのか?」

「うん。パパを守らなきゃって思って、色々考えていたら、パッと頭の中にアイデアが浮かんできて」

「そうなんだ……けど、どうして急にあいつら、寝返ったんだ……?」


 一番の疑問は、あの瞬間、敵に何が起きたのか。

 リリーが覚醒……すなわた古代魔法を使ったということは、ダニエルもなんとなく想像がついた。

 だがそれ以上が分からない。

 そこそこ長い間、研究者をやってきたからか、彼はこうした疑問や違和感には敏感になっていた。


「ううん。寝返ったんじゃないよ」


 そう言うと、リリーは敵である女性やキメラがいた場所へ歩いていき、そこへ落ちているものを拾い、ダニエルへ見せる。

 それは、複数の黒い立方体――アインコア――だった。

 “レプリカ”や“キマイラ”、それに“ネクロア”の成果物である生物の中には、確実に埋め込まれている小型装置。

 これを体内に埋め込むことで、アインの力を体内に巡らせ、強大な力を得ることができる。


 そんなものが地面に落ちているということはつまり、


「本物は私が殺して、吸収したの。今動いてるのは、全てこの空間の肉で作った偽物」


 リリーが命令を下した時点でもう、敵は全て死んでいたということだ。


「殺して、吸収して、複製して……それを、あんな一瞬で……?」

「うん」


 あの肉や骨を砕くような音がした瞬間に、敵は全て死んだ。

 そして即座に吸収すると同時に、一切同じ姿の存在を複製し、操り人形へと変えた。

 これを1秒すらかけずに、いやそれどころか0.00001秒よりも素早く、音をも超えるほどに素早く行ったということになる。


 それを理解したダニエルは、思わず顔をひきつらせ、同時に笑う。


「ははっ……そうか、リリーがこれをやったのか……」

「うん。パパに、死んでほしくなかったから。一緒に、いたかったから……!」

「そうか……ありがとう、本当に助かったよ」


 そうして、ダニエルはリリーの頭を撫でて、抱きしめる。


 そんな彼の背後では再び、グシャッと、肉が潰れ、骨が砕ける音がしたのであった。

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