22 愚か者に制裁を
「悪い、待たせたな」
アルフの傷が治り、クロードが一旦家へ戻ってから約十分後、彼は戻ってきた。
その表情には、先程のような分かりやすい怒りが出ているわけではない。
だが、まるで能面のような完全な無表情と、いつもよりも低い声は、彼の中で殺意が煮えたぎっていることを暗に示していた。
「それで、家の場所は分かるか?」
「西区ではそこそこ大きな商人の家だ。分からないはずがない」
「そうか、なら行くぞ」
アルフ、クロード、リリーの三人は、ミルが囚われているであろう、西区にあるヘルムート邸へと向かうのであった。
三人は跳んで屋根の上へ降り立つと、そのまま高所を駆けて進んでいく。
アルフはリリーを背負いながらではあるが、古代魔法の影響か、身体能力がかなり向上しており、クロードを超える速度で動けていた。
「なぁ、アルフ」
不意に後ろから、声がかかる。
「どうしたクロード?」
「……俺は、人に使う目的で毒を作る奴が嫌いだ。薬師ってのは人を救うためにいるのに、わざわざ人を苦しませるために毒を作る。そういう奴が嫌いだ」
クロードの自分語りが始まる。
彼が薬師となったのは、単純に人を救うためとか、時分に適性があったからとか、そういうのじゃない。
いや、確かに表面上ではそういう理由だが、本心は違う。
彼ですら気づいていない心の奥底は、救えなかった妹に対する罪悪感で濁り、淀んでいた。
救えなかったという絶望と後悔、それを他者を救うことで、なんとか紛らわせているのだ。
つまりクロードは、贖罪のために薬師になったと言ってもいい。
だからこそ、人を苦しめるような奴は嫌いだ。
自分とは正反対の、間違ったことをしている人達が、普通に稼げているのを見ると、心が煮え立つ。
薬を作って人を救えるような人が、毒を作って人を苦しめるのを手助けしていると考えると、苛立ちが積もっていく。
「ただまぁ。そいつらは嫌いなだけで、理解できないわけじゃない。今の世の中じゃあ、個人の薬師は隠れなきゃ商売できないからな。毒に手を出すのはまぁ、不快ではあるが、仕方無いとも思ってる。だが本当にどうしようもないのは……人に毒を使うクズ共だ……!」
どんどんクロードの口調は早くなっていき、ヒートアップしていく。
「自分の生活のために毒を売る薬師はまだいい! だが人を苦しめるためだけに毒を使うクズだけは、俺は許せない……! そういう奴らは性根から腐ってる、腐った性根は治らない……! だから、俺がこの手で……苦痛を与え、毒を使ったことを後悔させて、殺す……!」
そして、今のクロードの殺意は、ヘルムート家の当主であるエリヤに向いていた。
人を苦しめる目的のために、毒を使うその所業は、クロードにとっては禁忌そのもの。
禁忌を犯した者は、その身をもって、罪を償わせ、毒を盛られる苦しみを味わいながら死ねと、本気でそう思っている。
特に今回は、知り合いがそうなっていた可能性が高いこともあり、特に怒っているのだろう。
「……見えてきた。あそこだ」
「ん? あれか、ようやくだ……!」
そんな話を聞きながら数分走ると、アルフ達は目的地までたどり着く。
デニスの家よりは小さいが、それでも充分に大きな家だ。
目的地周辺に到着すると、三人は地面に降り立ち、徒歩で家へと向かう。
だが門の前へ到着したところで、そこで衛兵のように佇む男を見て、アルフとクロードは固まる。
「やぁアルフ、無事で良かったよ」
そこにいたのは、シャルルだった。
相変わらず、先程何の躊躇もなく腹を刺してきたことを完全に忘れたかのように、にこやかに微笑んでいる。
彼は三人を軽く一瞥すると、門を大きく開ける。
「とりあえず、今の門番は僕だからさ。ほら、入りなよ」
「……え?」
突然の意味不明な行動に、全員が困惑する。
シャルルが本当に門番をしていたとして、ミルを取り返しにきたと容易に分かるような人達を追い返すことなく、むしろ中へ入れるなど、明らかに普通じゃない。
「本当に、お前は何をしたいんだ? ミルを攫ったのに、取り返しに来た人達を入れるなんて……」
「いや別に、何かしたいってわけじゃないけど。ただ君達、エリヤに用事があるんでしょ? なら入っていいよ。それにどうせ、今この家にはエリヤとミル以外いないし」
「は?」
「はい、これ契約書。まぁ読んでみなよ」
そう言ってシャルルは、内ポケットの中から折りたたまれた契約書を取り出す。
そこに書かれた内容は、端的には以下の三つ。
エリヤ・ヘルムートは、シャルルに対してミルの捕獲を依頼するということ。
そして報酬として、第一に一定の金を要求するということ。
第二に、シャルルがミルを連れてきてから一時間の間、この家からエリヤとミル以外の全員を追い出し、その間の門番をシャルルに任せるということ。
特級に依頼するにしては、報酬金はかなり少ないし、条件も少々面倒ではあるが、大したことはないように見える。
だがこのおかげで、警備は一時的にザルになっている。
「……なぁお前」
この妙な契約書を見て、クロードは口を開く。
「ん? 確か君は……薬師のクロードだっけ?」
「……ああ。なんでそれを知ってるのかは、この際置いておく。そんなことよりお前……エリヤとやらを俺達に殺させる気で、依頼を仕組んだな?」
「えっと……何でそうなるかな?」
「しらばっくれんじゃねぇ。そもそも要求の内容の時点で、何か企んでるってことは分かるんだよ。ここまで警備をザルにする理由を考えると……エリヤとやらを殺させようとしているとしか思えない」
つまりクロードは、、ここまで警備をザルにした上で、アルフ達を通す理由は、エリヤを殺させるためと予想していた。
そう考えれば、家からエリヤとミル以外の全員を追い出す理由も、ここでシャルルが門番をする理由も、全てが繋がる。
「あー、ハハハ……」
このことを指摘されたシャルルは、乾いた笑い声を上げる。
「馬鹿でもなければ、普通はそう考えるよね。君の言う通り、僕はエリヤを殺したい。そのためにミルに
だが奇妙なのは、シャルルがやけにミルのことを心配というか、気にかけているような言動だ。
ミルを攫う時も、同じくミルに対するものと思われる謝罪を述べていた。
それが、アルフには少し引っかかっていた。
「ま、行ってきなよ。僕はここで見張ってるから。お喋りしてると時間無くなるよ?」
「っ、おいアルフ、急ぐぞ!」
「えっ、ああ」
「エリヤなら地下室にいるから、そこへ行くといいよ」
そんな声を聞きながら、アルフ達は屋敷の敷地へと入っていく。
広い庭を横切り、屋敷の扉のドアノブをひねると、カギはかかっていないのか、ギィィという音を立てて開く。
そうして、アルフ達は屋敷の探索を始めるのであった。
◆◇◆◇
淀んだ空気が、鼻を通り抜ける。
吸い込んだだけで、不快感と恐怖が腹の奥から湧き上がってくる。
とても不快で忌々しく、それでいてどこか懐かしいような匂い。
「ごしゅじん、さま……」
ミルは、意識を取り戻す。
どこか硬い床かどこかに寝転されているような、背中に硬い感覚がする。
それに、まるで全身が金縛りされたかのようで、まともに動かすことができない。
ゆっくりと目を開け、わずかに動く首を動かして周囲を見ようとすると――
「おはよう、ミル」
――眼前に、黒の豪華なドレスを身に着けた、けばけばしい女の顔が現れた。
その女は、歯茎がむき出しになるほどに口角を吊り上げ、あふれんばかりの邪悪な笑みを浮かべていた。
「ヒッ、ぁ……な、なん、で……」
その顔を見た瞬間、ミルの脳裏にあの辛い日々が蘇る。
毎日のように続く暴力と虐待、人間扱いなんてされない、心を壊されるかのような過酷な日々が、蘇る。
ミルは、この女性を知っている。
エリヤ・ヘルムート、ミルのかつての主である。
身体を必死に動かそうとするが、鎖がジャラジャラ鳴るだけで、手足は全く動かせない。
首を振りながら「はずして、はずして……っ」と言いながらもがくミル。
「うふふふふふふふふ……」
そんな彼女の反応を見て、エリヤは口を隠しながらも薄ら笑いを浮かべる。
「へぇ……ちょっと見ない間に随分と人間らしい反応するようになったじゃな~い! よっぽど良いご主人様に出会えたのかなぁ?」
「やっ、やめてっ……こないで……ごしゅじん、さまぁ……!」
エリヤはミルへ顔を少しずつ近づけ、艶の出た銀髪を鷲掴みにする。
「ざんね~ん! もうご主人様は助けに来ませ~ん! あんたはもうにどと! ご主人様にぃぃ! 会えませぇぇぇぇえん!!」
そしてミルの眼前で、心を丁寧にへし折るかのように、笑いながら言い放つ。
「そっ、そんなこと……! ごしゅじんさまは、ぜったいに――」
「はぁ……うっさいわねぇ……さっきからご主人様ご主人様って!」
そして、エリヤは右腕を振り上げる。
その手にはいつの間にか、銀のナイフが握ら、ミルの方へ向いていた。
ミルはその鋭利な光に、呼吸を忘れてしまう。
「アンタのご主人様はわたしでしょうがぁぁぁぁぁァァァアッッ!!」
「――ッ!?」
肩に、鋭い痛みが突き刺さる。
アルフが買ってくれた服が破れ、血が滲んでいく。
右腕から力が抜けていく恐ろしい感覚、生暖かい血の感覚、突然訪れた死の恐怖に、心臓の拍動がどんどん速くなっていく。
声なんて、出なかった。
目の前の誰よりも恐ろしい存在を前に……悲鳴を上げることなど、できるわけがなかった。
胸を上下させ、肩を大きく動かし、なんとか呼吸をするので精一杯。
「あんたいつから私に口答えできるほど偉くなったの? ねえ、ねえ、ねえ……奴隷ごときが、ご主人様許可無しに喋っていいとでも思ってんの?」
「ち、ちがっ……あなたは、ご主人様なんかじゃ――」
「ご主人様でしょ!?」
「っぁああ……!」
グリグリと、肩に突き刺さったナイフで肉が抉られる感覚。
肉が抉られ、直に衝撃が走る。
「ほら、言いなさい! 言え! 言えッ!」
「ッ……」
目を大きく見開いた、恐ろしい女の顔が目の前にある。
今にも屈して、諦めたくなるほどの苦痛と恐怖で、身体が支配される。
だがそんな中でも頭を過るのは、ご主人様のアルフの顔と声、そしてたった二週間程ではあるが、その道程。
醜かった自分を助けてくれた、世話を焼いてくれた、色々なことを教えてくれた、そして……ご主人様自身が死にそうになっても、命を懸けて助けにきてくれた。
ミルにとっては初めての、誰よりも優しい、大切なご主人様。
だから、彼女は――
「ち、がう……!」
「……は?」
――エリヤの言葉を、否定した。
「あなたは、ご主人様じゃ、ない……! わたしのご主人様は、一人だけ……!」
歯を食いしばり、エリヤの目を見つめて、言い切った。
目から涙がこぼれ落ちるほどの恐怖に抗って、身体を震わせ、恐怖の存在へ向けて言う。
「はぁ……なんでアンタは、こんなに物覚えが悪いのよ……」
そう言いながら、エリヤはナイフをゆっくりと肩から引き抜く。
「はぁ……あ、そうねぇ……ご主人様がいるから、見えるから、そうなるのよねぇ……なら……」
ナイフを持ってフラフラと不気味に身体を揺らすエリヤ。
彼女は床に適当にナイフを放り投げると、ミルの右目に向けて拳を、いや……親指を突き立てた。
ブチュッ……!
「ぎゃぁぁぁぁぁぁああああッッ!!」
頭に……いや、右目に走る激痛。
肩にナイフを突き刺された時とは比べ物にならないほどの、感じたことのない種類の痛み。
瞬間、視界の右半分が真っ赤に染まる。
そして少しずつ、黒へと染まっていく。
「アッハッハッハッハ!! アンタを絶望させるには何をしたらいいか! ようやく分かったわ!!」
まだ無事な左側へとやって来ると、エリヤは耳に口を寄せ、囁く。
「アンタの目を潰せばいいって」
「ひっ……」
「そうよねぇ。大事な大事なご主人様が、見えなくなるものねぇ……怖いわねぇ……」
そう言いながら、エリヤは左手で、ミルのまぶたをむりやり広げさせる。
「さぁて、それじゃあもう片方も……」
ガァン!
「……あら?」
硬い何かを叩くような音が響く。
『カギかかってんな。アルフ、壊せるか?』
『当然』
そんな声が聞こえたと思ったその時には、部屋を炎が覆い尽くす。
床も、壁も、天井も、金属製とか関係無く燃え広がる。
「ご、ご主人様……!」
そして、扉の先から、三人の人影が出てくる。
「やっと、見つけた……!」
「お前か……ミルに毒を盛ったクズってのは……!」
そのうちの一人、青髪の青年。
炎で視界が悪いが、その姿をエリヤが知らないはずがない。
「なっ……なんで、アルフレッドが……ッ!?」
そう驚いてわずかに目を離した時には、ミルは消え、アルフの手の中にいた。
鎖が外れた音はしなかったのに、何が起きたのか、エリヤは困惑してアルフの方を見る。
「ご主人さまぁ……」
「ミル、こんな……怖い思いを、させて、本当にごめん……!」
血まみれになり、片目が潰れてしまったミル。
アルフはそんなのを一切気にすることなく、抱きしめる。
「ご主人さまぁああぁぁッ! わだ、わだじ……がっ、う、ふぐぅ……あぁ、ぁぁぁっ……ああああああああぁぁぁぁぁああッッ! わだじっ、ごしゅじんざまよごとっ、ずっとぉぉ!」
「そうか、そうかぁ……ミル」
そんな二人を、いやミルを、炎は包み込む。
そして炎は、ミルの貫かれた右肩と、潰れた右目に集まり、青く輝く。
「ぁ、え……な、なん、で……これ……」
思わず、涙を流す。
それも、両目で。
右目は潰れてしまったから、もう涙は出てこないはずなのに、涙が溢れて止まらない。
「ごしゅじんさま……目が、目が……!」
なぜなら、ミルの傷が完全に癒えたからだ。
潰れた目は、見た目だけでなく視力まで元に戻り、肩の傷は完全に癒え、出血跡すら消え、それどころか、破れた服すらもが元通り。
アルフの炎が、すべてを治してくれた。
「これは……治ったのか、そうか……本当によかった……!」
改めて、二人は互いに抱きしめ合う。
二人を中心に、まるで彼らを守るように炎が巻き上がる。
どこか幻想的に見える光景、それを見るエリヤの怒りは高まり、やがて有頂天に達する。
「なによ……なによなによなによ!! わたしの奴隷をッ、かえし――」
「させねぇよクズが!」
ガァンと勢いよく、二人に襲いかかろうとしていたエリヤは、クロードに蹴られて壁まで突き飛ばされる。
一旦彼女のことは無視して、彼は二人の世界へ入っているアルフとミルに声をかける。
「おいアルフ!」
「っ? あ、なに?」
「ミルとリリーを連れて先に出てってくれ。俺はこいつに用がある」
「……ああ、分かった。やりすぎるなよ?」
クロードの言葉に従い、アルフはミルとリリーを連れて地下室から出ていく。
そうして、二人だけになったところで、クロードはギロリと、エリヤを睨みつける。
「さぁ、エリヤとやら。俺の質問に答えろ。答えなければ殺す、ウソをついても殺す」
「ひぃっ……や、やめて……」
「答えろ」
そう言いながらクロードは、エリヤの首元に乾いたレイピアの先端を当てる。
「お前はかつて、ミルの主だった。これは間違いないな?」
「は、はい……」
「その時に、ミルに毒を盛ったか?」
「い、いや……そんなこと……」
ズシュッ!
否定をしようとした瞬間、クロードのレイピアはエリヤの肩を貫く。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁああッ!?」
「もう一度聞く。ミルに毒を盛ったことはあるのか?」
ゆっくりとレイピアを引き抜きながら、クロードはもう一度尋ねる。
もはや尋問、生かすも殺すも彼の自由。
そのことを察したエリヤは、痛みに耐えながらも、クロードを睨みつけることは止めず、ゆっくりと答える。
「はい……」
「その毒の効果は、肌を変色させる……これに間違いはないな?」
「……はい」
「そうか……そうか」
クロードは大きく息を吐き、最後の質問をする。
「最後の質問だ。毒を盛った理由は何だ? 嘘をついたら殺す」
その問いに、エリヤは少しだけ考える。
そして十秒ほどしてようやく、口を開いた。
「……あんな奴隷が、私よりも可愛いだなんて……綺麗だなんて……あり得ない、許せなかった、から。奴隷なのに、綺麗だなんて……そんなの、許されるはずがない……!」
「そうか、それが理由か」
クロードはエリヤの服を使って、レイピアに付着した血液を拭き取ると、それを鞘へと納める。
何もせずに呆然とクロードの様子を見つめるエリヤ。
クロードも無言でエリヤのことを見ており、大きな溜息を吐いた。
もしかしたら、生き残れたかも、そう思い始めたその時、
「死ね」
「は……が、ぁ……?」
クロードは目にも止まらぬ刺突を繰り出し、エリヤの心臓を突き刺した。
生き残れたかもという淡い期待を壊す一撃に、エリヤは大きく目を見開き、掠れた声を放り出す。
「地獄に落ちろ、クソ女……!」
あっという間に全身に毒が回り、心臓が麻痺し、痙攣し、酸素が欠乏していく。
薄れゆく意識の中、最期に聞いたのは、自分へ向けられた呪詛のような言葉だった。
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