20 予兆
ミルが帰ってきてから三日が経過した朝。
アルフはリリーに留守番を頼み、ミルと共に中央の商店街で日用品の買い出しをしていた。
初日にミルが攫われたことで警戒していたが、それ以降は特に大きな問題が起こることなく、日は過ぎていった。
やはり周囲からの視線は強いが、ただ見てくるだけで、実害を伴うようなことは起きていない。
今もミルに多くの視線が向き、そんな彼女と手を繋いでいるアルフには鋭い憎悪のこもった視線が突き刺さるが、何かをしてくる、ということはない。
「おや、アルフさんではありませんか」
しかし道を気をつけながら歩いている途中、想定外の人物に呼び止められてしまう。
すれ違いざまにアルフのことを呼び止めた男性は、デニスだった。
一週間くらい前に、依頼の件で少し関わっただけではあるが、覚えてくれていたようだ。
今の彼は、以前のようなきちんとした服ではなく、ワイシャツに上から黒いベストを着た、比較的ラフなものだった。
おそらくは、軽い息抜きに散歩にでも来たのだろう。
「お久しぶりですね。そちらの方は……もしかして、ミルさんですか?」
「あっ、はい。お久しぶりです」
「……かなり変わったと思いますけど、よく分かりましたね?」
「いえいえ、“風の噂”で少し聞きましてね。紫の肌の醜い少女が、見違えるほどの美少女になったと。もしかしてと思ったら、ミルさんのことでしたか……!」
おそらくは、アルフが連れている女の子の奴隷が可愛い子になったという感じの話が、尾ひれが付いたり取れたりして、デニスの元にまで届いたのだろう。
でもたったの五日で、東区から西区へと噂が届くとはと、アルフは噂の拡散力に少し驚いた。
「いやはや、初めて見た時から顔立ちは良いと思っていましたが……ここまで変わるとは」
「ええ、流石に俺も驚きましたよ……」
だがやはり、ミルの容貌がそうさせるのだろう。
大商人であり、多くの人を知っているデニスが綺麗だというのだから、普通の人なら噂してしまうのも仕方無いのかもしれない。
「それと、もうひとつ“風の噂”で聞いた話なのですが……」
そう言うと、デニスはアルフの耳元によって、こっそりと尋ねる。
「あなたの本名、アルフレッド・レクトールらしいですね?」
「ッ!?」
「ああいえ、驚かせてすみません。しかしその反応、まさかとは思いましたが本当なのですね。妙に似ていると思っていましたが、まさか本物とは……」
「あ、はい……それで、この話は口外しないでもらいたいんですけど……」
「ははは、そんなことはしませんよ。アルフレ……これが知られれば、きっと大混乱になるでしょうから」
加えて、おそらくこの噂は広がっていないだろうと、デニスは言っていた。
もしアルフレッドが奴隷に堕ちたなどという話が広がっていれば、その話題性が大きすぎて、ミルの噂なんて消えているだろう、とのことだ。
「えっと……そういえば、奥さんの状態はどんな感じですか?」
流石にこの話題は長く続けたくはなかったため、アルフは苦笑いを浮かべながら話題を変える。
一週間は経っているので、おそらく薬の効果はもう出ているはず。
「おかげさまで、完治しましたよ。いやぁ、まさか治るとは思わなかった。魔法みたいですよ本当に!」
「はは、中々のジョークですね」
「実はこれ、妻が言ったことなんですけどね。私が聞いた時も、少し笑いましたよ。魔法で治らないから、貴方達に頼ったというのに」
ちなみにこのことは、クロードが契約を結んだ際に、口外しないように伝えている。
妻にもそれが伝えられているので、バレる心配は無いと言ってくれた。
「あっ、デニスさんじゃないですか」
アルフとデニスが話していると、そこへさらに一人の男性がやって来る。
大柄でオールバックの男性ではあるが、その表情から、なんだか弱々しい雰囲気を感じる。
おそらく買い出しの途中なのだろう、その手には複数の荷物が握られている。
そして、その顔を見た瞬間、ミルはアルフの腕にしがみつき、隠れるように後ろに隠れる。
急なことなので振り向くと、ミルは手を震わせて、青ざめていた。
「おお、サリエリ。その様子は……買い出しかね?」
デニスは、今までのアルフ達よりもフランクな態度で反応する。
彼がこのような反応をするということは、良い家の生まれの誰かなのだろう。
だが騎士の生まれで、そこそこ権力を持っていたレクトール家に生まれたアルフでさえ、男の顔に覚えはなかった。
「ええ、まぁ。エリヤに頼まれては断れないものでねぇ。ところで、そちらのお二方は……もしやデニスさんの奴隷?」
サリエリと呼ばれている男は、アルフ達の方を向いて言う。
確かに傍から見ると、デニスの奴隷のように見えなくもないだろう。
「いえいえ。私が奴隷を持つ気がないことは、サリエリも知ってるでしょう? 彼らは冒険者ですよ、とびきり優秀なね」
「へぇ、それはまた……」
「はじめまして、アルフといいます」
「えっ、あ……ミルです。はじめまして……」
軽く紹介されたので、自分からも名乗って、軽くお辞儀するアルフ。
それに続いてミルも、かなり動揺してはいるが、アルフに倣って不格好なお辞儀をする。
「そういえば、私の自己紹介をしてなかったか。私はサリエリ・ヘルムートだ、よろしく」
「ヘルムート……って、え!? これまた凄い人が……」
ヘルムート家もまた、デニスの家と同様に、複数の商店を経営する大商人の家だ。
一応、互いに商売敵ではあるものの、取り扱っている分野が違うため、関係はそれなりに良好みたいだ。
だが、こうして話せるのには、他にもとある理由がある。
「いやいや、私は全然ですよ。長男なのに、色々あって家業を継げなかったので。今はエリヤ……妹が何とかやってて……」
「あっ、そうだったんですか……」
それは、サリエリが当主ではないから。
少し教えてくれたのだが、彼は過去のとある出来事によって、当主の座から落とされ、今は家業を妹が継いでいるという状態なのだという。
今のサリエリは、長男でありながら、使用人のような立ち位置なのだという。
それも割と性にあっていると本人は言うが、浮かない表情は完全には隠し通せてはいない。
どうやら二人は昔からの付き合いで、サリエリはデニスのことを兄のように慕っているのだとか。
他にも、商人としての信念や態度など、そういった大切なこともいくつか教えてもらったりしたとか。
「サリエリも才能はあるんですがねぇ……正直、家が悪いとしか……」
「はい? 家が悪い?」
「ええ。実は……って、これ言っていいですかね?」
「別に大丈夫ですよ。流石に小声にしてほしいですが……」
そうしてデニスの口から語られたのは、ヘルムート家が様々な不正を行っているという話だ。
無視できないほどの不正を行っているらしいのだが、教会との繫がりがかなり深いため、野放しにされているのだとか。
サリエリが当主の座から降ろされた理由は、それを告発しようとしたためなのだという。
「そんなことが……何と言えばいいか……」
「しかもエリヤが当主になってからはさらに酷くなって……それにアイツ、仕事のストレスか知らないけど、奴隷を買ってきては、痛めつけて虐めるんだよ」
「うおっ……それは酷い」
「最近はまぁ落ち着いてるけど、半年くらい前は酷かったもんだよ。特にむごいと思ったのが……その隠れてる子みたいな、銀髪の顔立ちの良い女の子の奴隷を虐めていた時だよ。純粋に暴力とかも凄かったけど、多分毒を盛ったんだろうなぁ……ある時を境に、どんどん肌が紫になっていってさぁ」
「……え?」
「ほんっと、見てるだけで悲しくて痛々しくて、見てらんないんだよ……」
愚痴をこぼすサリエリ。
だがアルフは、その言葉を聞き逃さなかった。
『銀髪の顔立ちの良い女の子の奴隷を虐めていた時だよ。純粋に暴力とかも凄かったけど、多分毒を盛ったんだろうなぁ……ある時を境に、どんどん肌が紫になっていってさぁ』
顔立ちの良い銀髪の女の子の奴隷の肌が、日が経つにつれて紫に変色していく。
アルフにはそれが、どうしてもミルとしか思えなかった。
「それに昨日なんか、あの“死神”に何か依頼してたし……大丈夫なのかなぁって、心配になってくるよ本当に……」
「死神……もしかして、冒険者のシャルルのことですか!?」
「そうなんだよ! 金持ちの間では『シャルルに依頼をしたら没落する』って言われるほどでさぁ、実際に依頼を頼んだ多くの家が、何かの理由で没落してるんだよ。特に俺の家なんか不正まみれだし、大丈夫かなぁ……」
少し本性が出てくるサリエリだが、アルフからしてみれば、そんなことはどうでもよかった。
問題なのは、シャルルが何らかの依頼を受けたという点だろう。
自分達に関係無い可能性もあるが、そうでない可能性だって大いにある。
そして、自分達に関係があるのだとしたら、おそらくミル関連な気がした。
「おっと、少し話しすぎてしまった。すまないねアルフ君、愚痴に付き合ってもらって」
「あっ、その前に聞きたいことが……」
「これ以上遅くなると、エリヤに怒られるんだ。すまない、失礼するよ!」
そう言うと、サリエリは小走りでその場をあとにした。
聞きたいことがいくつかあったが、急いでいるサリエリを止めることは、流石にしなかった。
「……ふふふ、やはりサリエリは元気だ。私まで元気になってくるよ」
「そうなんですか?」
「たまに私の家に来るんだが、その時は本当に色々な話をしてくれてね。中々に楽しいものだよ。さて、私もそろそろ行こうかね」
軽くアルフに会釈すると、デニスも去っていった。
そうして、知り合いがいなくなったところで、ミルはようやくアルフの後ろから出てくる。
「……ミル、もしかして」
「はい……あのサリエリって人を見て、前のご主人様のことを思い出して……」
「やっぱりか……!」
おそらくサリエリ自体は、特に何もしていないのだろう。
ミルを虐めているのは、その妹。
サリエリの顔は、その虐待を想起させてしまうから、ああして震えてしまっていたのだろう。
「大丈夫だからな、ミル。何かあっても、必ず助けるから」
「……はい」
ミルは不安そうに、アルフの手をギュッと握った。
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