19 世界を嘲笑う死神
アルフとミルは、新しい家に向けて歩いていく。
が、特にアルフについては、かなり居心地が悪そうに、目を細めていた。
ミルも同様で、どうも視線が気になるのか、周囲をチラチラと見ている。
「なんだろうなぁこの視線……普段以上に見られてる気がする……」
「確かに、流石に少し気になってしまいます。どうしてなんでしょうか……?」
首を傾げるミルに、アルフは内心で「お前のせいだよ」と言う。
流石に直接言ったらミルが落ち込むし、アルフも周囲の人達と同様に、少しミルのことが気になってしまっているので、何も言えなかったが。
今のミルは、絶世のと付けても問題無いほどの美少女である。
今までは奴隷ゆえに栄養状態が悪く、かつ不潔だったせいであまり目立たなかったが、これがもし良家の令嬢とかであれば、おそらく求婚が絶えなかったことだろう。
まさに、国を揺るがす傾国の美少女と言っても過言ではない。
現に今もこうして――
「オラァッ!」
「うおっ……」
――柄の悪そうな男達が襲いかかってきた。
これもまた、ミルの姿によるもの。
ついでに、野良の奴隷という身分故に、奪い取っても犯罪にはならないというのも、こうした過激な連中を増やす要因となっていた。
「おいそこのお前。その女を寄越せ」
「“スキャン”……ああ、うん。ミル、捕まって、一気に行くよ」
「え? あ、はい」
アルフの右腕には、いつの間にか防具が付いている。
力が解放され、アルフを中心に炎が渦巻く。
「燃え上がれ!」
その言葉と共に、炎は地面に延びて大きく広がり、アルフのいる中心には、天にも届くほどの火柱が出来上がる。
「熱ッ! クソがっ、なんだよこの炎は!」
地面に広がる炎は熱くない。
だが彼を中心に形成された火柱は恐ろしいほどの熱を巻き上げており、近づくだけで火傷してしまいそうになるほどだ。
にも関わらず、周囲の建物などには一切の影響を与えない。
そんな奇妙な炎が消える頃には、アルフもミルも、姿を消していなくなっていた。
◆◇◆◇
やっとの思いで家の前まで到着したアルフは、まだ朝だというのに、疲れ果てていた。
「なんなのこれ……おかしいでしょ……」
ミルを降ろしながら言うアルフの額には、かなりの量の汗が滲んでおり、相当な苦労があっただろうことを暗に示していた。
家の中に入って、絶対的な安全が確定したところで、アルフは壁にもたれかかり、そのまま力を抜いて座り込む。
「えっと、その……ご、ごめんなさい……」
「え?」
「だって、あの人たちが襲ってきたのって、私のせい、ですよね……?」
流石にここまでのことが起きたら、ミルも自分に原因があることは察していた。
自分が原因でご主人様に迷惑をかけたというのであれば、たとえ自分が意図して起こしたことでなくても、謝らなければならない。
奴隷として生きた期間が長いミルは、反射的に頭を下げていた。
「あのなぁミル。そんなことでわざわざ謝らなくてもいいんだぞ?」
「……え?」
「だって別に、ミルが悪いことしたわけじゃないんだしさ。悪いのは全部襲ってきた奴らだ。だから……」
ミルに目線を合わせ、アルフは彼女の頭をゆっくりと撫でる。
「ミルは悪くない、悪くない。こんないい子なのに、悪いわけがない」
「……」
「もし何かあったら、迷惑とか考えずに言えばいいからね? 俺が全て、何とかするからさ」
周囲の人々に虐げられ、蔑まれ、裏切られ、そして世界に絶望し、諦念へと至った。
故にミルは、他人のことを、その中でも特に善意を信じるということが、できなくなっていた。
信じたらいつも裏切られるから、裏切られたら絶望するから、それが何よりも辛くて苦しいから、全てを諦めたのだ。
でもアルフだけは違うと、ミルはほんの少しずつ思い始めていた。
アルフは、たとえ自身にどんな危険が迫っていても、必ず助けてくれた。
奴隷であり、醜かったにも関わらず、ちゃんと正面から接してくれた。
そして今日も、遠く離れた場所にいたのに、駆けつけて、助けてくれた。
「……うん」
だから、ミルはその言葉を信じた。
裏切られるのは怖いけど、それでも、信じることを選んだのだ。
「……それでリリー。なにこっそり見てるんだ?」
そんな様子を、隠れながら見ていたのが一人。
アルフに指摘されて、リリーがおずおずと出てきた。
「ごめんなさい、雰囲気がよかったのでつい……」
「いや、怒ってるわけじゃないから。ただあんな風に見られたら……ねぇ?」
「……少し、変な気分です」
「う、うん……今度からはしないようにするね」
そんな話をして、三人でリビングへ向かう。
そこから見えるキッチンは、リリーが昼食の準備をしていたのか、少し散らかっている。
「ちょっと早めのお昼になりそうだけど、いいよね?」
「ああ、ありがとね」
「はい……あ、お手伝いの方は……」
「ううん。私一人でも大丈夫だから!」
二人にしてあげようという計らいだろうか、ミルの手伝いは受けないと言い、リリーはキッチンへ向かう。
元々がおぞましい肉塊の化物だったらしいが、そうとは思えないほどに、彼女は頭が良い。
少なくとも、アルフの作った料理の手順は完全に覚えている上、アレンジ等もできる。
リリーは肉体を一部変形させて、複数の臙脂色の腕を作り出し、同時並行で様々な料理を作っていた。
「えっ……ご主人様、あれは……」
「料理する時は、大体あんな感じ。パッと見は不気味だけど、味は良いし、料理に変なところは無いから大丈夫」
「そう、ですか。少し驚いてしまいました……」
流石にこれには、ミルも驚いてしまっていた。
だが本当に味は問題ないし、慣れてしまえば大したことはない。
「そういえば、戻ってくるまでの間、セシリアさんに文字を教わっていたんですけど……ご主人様、見てもらってもいいですか?」
「あっそうなの? じゃあ久しぶりに見るかぁ」
ミルが文字書きを教わっていたと聞いて、その成果を見てみようと、アルフは適当な紙とペンを持ってくる。
ペンを持つと、ミルは丁寧にゆっくりと、紙に文字を書いていく。
かなりゆっくりで、筆圧も強くはあるが、ペンの持ち方は間違えていないし、今までほどブレブレにはなっていない。
それにブレについては、変な持ち方とか力の入れ過ぎで起きているのではなく、緊張で手が震えることによって起きているように見える。
「上手くなったなぁ……」
思わずそう呟き、ミルの頭を撫でるアルフ。
綺麗に文字を書こうと奮闘するミルを見ていると、なんだか小さな子供を見守る親になったような、そんな気分にさせられる。
ミルは奴隷でいた期間が長すぎるせいか、言動が見た目年齢以上に子どもっぽいのだ。
今までの奴隷としての人生で覚えた家事などはできるが、逆に言えばそれ以外のことは何も知らないし、何もできない。
そんな子だから、守ってあげたくなる。
「……上手、ですか?」
「ああ、上手くなってるよ。頑張ったんだなって、よく分かる」
ミルの書いた文字は、まだ拙くはあるが、以前と比べると全然違った。
少なくとも、文字書きについては一応どうにかなると、そう思えるくらいではある。
とはいえ、まだ書く速度があまりにも遅すぎるので、もう少し練習は必要だろう。
「ここまで書ければ、とりあえずは大丈夫かな? 文字を読むのはできるって言ってたし……計算とかは?」
「少しだけ教えてもらってました。本を買ってもらって……でも、クロードさんの家に置きっぱなしにしてしまいました」
「あー……」
計算に関しては、小さい子ども用の簡単なものを買ってもらって教わっていたみたいだ。
流石に数日程度しかやってないので、まだ全然らしいが。
「なら、取りに行くか。ミルは……いや、一緒に行くか」
「いいんですか? 周りの人達に襲われるかもしれないですけど……」
「いや、そこは大丈夫。というか俺からすると、家に残す方がむしろ危ない気がして……ほら、家に入ってきて襲われたらダメでしょ?」
なので計算を教えたいと考え、食後にクロードの家に本を取りに行くことにした。
自分が家を出た直後にミルが襲われる可能性を考慮し、危険ではあるが、ミルと一緒に行くことにした。
◆◇◆◇
昼食後、留守番をリリーに任せ、アルフとミルは二人で家を出た。
やはりというべきか、普段にも増して視線が突き刺さり、背筋がムズムズするような気分になる。
だが、特に何か問題が起こることもなく、二人はクロードの家へたどり着く。
そして扉に付けられたベルを鳴らすと、しばらくして扉が開き、クロードが出てきた。
「誰だ……って、お前達か。何か忘れ物でも取りに来たのか?」
「ミルが本を忘れてきたみたいで」
「あー……そういえばセシリアが何かやってたな。ほら、入れ入れ」
そう促され、二人は家の中に入る。
ミルは二階へと上がっていき、必要なものを取りに行く。
「そういえば……ありがとうクロード。ミルの身体を治してくれて」
二人になったところで、アルフは改めて、クロードに礼を言う。
最初からクロードも治療に乗り気だったとはいえ、実質無料でやってくれたようなものともなれば、感謝してもしきれないというものだ。
だがクロードは、軽く笑い飛ばす。
「いいんだよそれくらい。ってか、そういう所はミルと似てるよなお前」
「え?」
「どうでもいいことで感謝したり謝ったりしてくる所とか、そのまんまじゃん」
アルフは感謝し、ミルは謝る。
そういう違いこそあれど、本人にとってはどうでもいいことに過剰に反応するのは、クロードからしてみると似ているらしい。
もっとも、アルフには自覚がないのだが。
「これは俺が好きでやったことだから、礼はいらねぇよ。でもまぁ、それで納得できないなら……あの教会地下で色々と助けてくれた時の借りを返した、とでも思ってくれ」
「……じゃあ、そうしとく」
少し心に何かが残ったかのような感覚ではあるが、アルフは渋々頷く。
その時も、ミルとほとんど同じ顔をしていると、クロードに笑われてしまった。
その後も軽くクロードにからかわれ、ミルとお似合いだなぁと、ひやかされるような感じに言われた。
「……まぁお似合いかどうかはさておき……ミルのやつ、メチャクチャ可愛くなったからなぁ……お前が守ってやらないと、誰かに奪われちまうぜ?」
「ああ、それなんだけど……実は今日、奪われかけたんだよね」
「は? えっマジ?」
「本当だって。ミルが俺の家に向かってる途中かな? その時に連れてかれそうになってた」
その言葉を聞き、クロードは「あちゃー」と目元をおさえて言う。
流石についていくべきだったかぁと軽い感じに言いつつも、ホッと胸を撫で下ろしている。
襲われても何とかなっていることに、ひとまずの安心を覚えたのだろう。
「……こりゃあ、マジで気をつけた方がいいぞ? ミルは下手したら金持ちからも狙われるレベルだ。雇われた強い冒険者が相手になることも考えといた方がいい」
「分かってる」
「あとはまぁ……エスターって一級冒険者には気をつけろ。あいつには部下も多いし、東区のギルド上層部や、商店や教会にも繋がりがあるって話だ。下手に敵対したら、色々と面倒になるぞ」
「エスターか……覚えとく」
顔も知らない人物ではあるが、気をつけるべき存在のことを知った。
ミルが治ったことで、潜在的な敵が異常なほどに増える。
だがアルフの想いは変わらず、ミルを守り抜くという強い意思がある。
「ご主人様、見つけました」
そんな話をしていると、ミルが階段を降りて戻ってくる。
その腕には、一冊の本が抱えられていた。
「おっ、見つかったか。それじゃあ俺達は帰るから。じゃあね」
「おう、気をつけて帰れよ」
やるべきことをやって、アルフ達は家を出る。
クロードからの忠告もあったので、ミルと一緒に手を握って。
そんな時だった。
ドンッ。
「わっ!?」
「うおっ、すみません。大丈夫で、す……」
周囲を警戒していたからか、逆に正面の注意を怠っていたようで、人にぶつかってしまう。
ぶつかった人の方を向き、急いでアルフは謝る。
だが下げた頭を上げ、目の前にいた人の顔を見て、一瞬で表情が凍りつく。
「やぁアルフレッド……いや、ここではアルフと言うべきかな?」
「なっ、えっ……」
「そしてこっちが……」
そこにいたのは、端正な顔立ちをした、にこやかに微笑む長い銀髪の男性。
その男は、貴族のようにも見える黒を基調としたゴシックな服装に、それに似合わない白の大鎌を背負っている。
冒険者なら、いや戦いを生業とする者であれば、誰もが知る人物。
彼はアルフの本名を一発で当てるやいなや、笑顔を崩すことなく、視線をミルの方へ向ける。
「なるほど、その子が噂のミルか……うん。確かにこれは、狙う人も多いわけだ」
「あなたは……」
「いいねぇ、やっぱり久しぶりに王都へやって来た正解だった……!」
男はアルフのことは完全に無視して、高い笑い声を上げる。
だが特にミルに何かをすることもなく、男はそのままフラフラと何処かへ行こうとする。
「待ってください!」
「ははは……ん?」
「あなたは、どうして急にここへ……?」
「あー、そうだね……」
そこをアルフが大声で呼び止めて、
「面白そうだから、それだけかな? とある人を追って王都へやってきたんだけど……その人、魔人族の四天王と遭遇して生き残ったし、人間の形をした化物と一緒に暮らしてるらしいんだよね」
「……!?」
「はは……しかも教会が、いや……そのさらに上の存在が、かな? その人の命を狙ってるらしいじゃないか。しかも美少女奴隷と一緒にいるとなったら……面白いことになると思わないかい?」
「なっ……お前は、どこまで知って……」
「それじゃあね。僕もそろそろ行かなきゃいけないんだ」
「待て! まだ話は――」
終わっていないと、そう言おうとした時には、男の姿はなかった。
おそらく、男が言っていた“とある人”とは、アルフ自身のこと。
さらに言動からして、ログレスの教会跡付近で起きたことを知っている。
「……ご主人様?」
「え、ああミル、どうしたんだ?」
「あの人は知り合いですか? 私達のことを知ってたみたいですけど……」
「いや、初対面だ。知ってるのは名前だけ……」
アルフは、その男の名を口にする。
「……シャルル。この世界に三人しかいない、特級の位を持つ冒険者の一人だ」
「特級……確か、冒険者の中でも最高のランクですよね?」
「ああ。実力はあるが、あいつに依頼したやつらは高確率で破滅すると、そう聞いたことがある」
特級冒険者シャルル。
常に笑顔を絶やさない人物ではあるが、非常に高い戦闘能力と依頼の成功率、そして本人の危険性から、特級に認定された男だ。
一番の特徴は、彼に依頼をした人は、特に金持ちの依頼人に関しては、ことごとく不幸に見舞われて破滅する、という点だろう。
そんな彼に付けられた二つ名は“死神”、彼の高い笑い声は、誰かが不幸になる予兆とも言われている。
「あんな強さなのに冒険者をして、色々な場所を放浪してる変人だが……どこで、会ったんだ?」
“死神”を冠する男に目を付けられた。
アルフは確実に何かが起こることを確信し、警戒を強めるのであった。
◆◇◆◇
そして、夜。
アルフの家の屋根の上に、シャルルは腰掛けている。
『アルフレッドはまだ生きているんだろう!?』
『今日はいい日だった』
『とても綺麗な奴隷の少女、欲しいわね』
『キメラの数が足りないな……』
『教会が妙な動きをしている様だね?』
『まずは強さを確かめなければ』
『シャルルが来てたみたいだぞ?』
『明日の食事はどうしようか?』
『アルフか……ムカつく野郎だなぁ……!』
その耳には、王都全域から“風の噂”が入ってくる。
風属性魔法の応用であり、シャルル特有の技術である“風音”は、遠くの声や音を、シャルルの耳まで届けてくれる。
また、他人に対して使えば、遠くから話しかけたり、あるいは誰かの声を別の人へ届けることもできる。
故に、彼がいる街で秘密を隠し通すことは、誰であろうが絶対に不可能。
彼のさじ加減一つで、人の秘密をバラしたい放題だ。
「アルフレッドを殺そうとする研究組織、ミルの元ご主人様、一級冒険者率いるチンピラ共……はっはっはっ……!」
シャルルは甲高い笑い声を上げる。
「面白いねぇ……僕は何しようか……?」
今後起こりうる可能性が高い混沌を前に、シャルルは笑う。
彼が愛するのは、人間と人間が織り成す感情の交錯、それにより生じるカオス。
そこへ身を投じるために、彼は王都の音にさらに耳を傾けるのであった。
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