04 ここから生き抜くためには

 ほとんど真っ暗闇な裏路地。

 月の光すら、そこにはほとんど届かない。


「さて、どうするべきか……」


 人の気配も物音もしない裏路地の一角にたどり着いたアルフは、腰を下ろして壁にもたれる。

 ミルは立ったままでいようとしたが、それでは居心地が悪いということで、アルフが座るように言ったら座った。


 何があるか分からないので、休憩はできても眠ることはできない。

 なので夜が明けるまで、色々と今後のことを考えることにした。


「そういえば、ミル」


 そのついでにアルフは、ずっと疑問だったことを聞くことにした。


「どうしましたか?」

「その皮膚は……何かの毒でそうなったのか?」


 正直、聞くのを躊躇してしまうような状態ではあるが、覚悟して聞いた。

 ミルの皮膚は、顔も腕も、かなり広い部分が、不気味な紫色に変色している。

 酷い部分については、紫の中にさらに黒い斑点ができており、とても恐ろしいように見える。


「いえ、病気らしいです。前のご主人様は、そう言っていました」

「え? 病気? でももし病気だとしたら、なんで顔だけわざわざ包帯を外して……?」


 ミルの言葉に、アルフは困惑するしかなかった。

 アルフはそういう知識をそこまで持たないとはいえ、病気なら、皮膚を覆うなりして隠すのではないかと考えていた。

 それにも関わらず、あえて顔だけ包帯を巻かずにいる、これはあまりに違和感があった。


 だがすぐに、アルフはある仮説を思い浮かべた。


「いや……これ、やっぱ毒じゃない? そうじゃないと、このまま放置するはずがない」


 ミルの前のご主人様は、この症状が病気ではないことを知っていたから、放置していた。

 もし病気なら、即座に包帯を巻いて感染の可能性を減らすとか、そういう対策をしなければおかしいのだ。

 そうじゃないとしたら、今ある情報では、毒である可能性しか残らなかったのだ。

 腕にだけ包帯を巻かれているのは、単に気持ち悪い手で物を触ってほしくないとか、そういう考えからだろう。


「毒、なのですか?」

「医者でも薬師でもないから断言はできないけど、俺はそう思う。でも毒なら、一応何とかする手段はある」

「そうなんですか?」

「ああ。正直他人に使うべきではない気がするけど……」


 アルフの『状態異常無効化』のスキルは他人に使うことで、その人物の中にある毒や、魔法による変調などを消すことができる。

 それどころか、今後どんな毒を盛られようが、魔法で洗脳などをされようが、効かなくなる。

 だが代償としてステータスが消えるので、そう安々と使っていいものではなかった。


「俺のスキルがあれば、毒を消すことができる。でもその代わり、ステータスは消える。そうなれば教会に命を狙われる可能性があるけど……どうする?」

「……私が、決めるのですか?」

「ああ。嫌だと言えばやらない。でも……何も言わないのなら、俺は勝手に使う。その姿を見てるだけで、辛いからな……」


 だが、使うべきではないと分かってはいるが、アルフは使ってあげたいと思ってしまう。

 こんな醜い姿を見てると、居た堪れないのだ。

 アルフも人間だ、醜い人を見れば目を逸らすし、突き放したくなる。

 だが同時に、治せる可能性があるのなら、それを使ってあげたいと思う、ごく普通の人間なのだ。


「それで、どうする?」

「……ご主人様の、好きにしてください」

「そうか。じゃあ治すぞ」


 アルフはミルの眼前に手をかざす。

 すると、手の平から淡い光が溢れ、それはミルの身体の中へと入っていった。

 そして、全てが入っていったところで、光は消えた。


 だが、ミルの皮膚はそのままだ。


「……あれ?」

「ご主人様、これは……治っていませんが……」

「これ、本当は病気……なのか? いや、病気だとしても、体内の菌の出す毒を消すことはできるから……」


 正直な所、毒の影響は皮膚だけなので、非常に判別が難しい。

 もしミルが命に関わる毒や病気だったとしたら、その時は影響が大きいので、すぐに分かるのだろう。


「……多分、一ヶ月くらいかな? もし毒だったら、それくらい経てば綺麗になると思う」

「そう、ですか? ありがとうございます」

「お礼なんていいよ。ただの自己満足だ」

「自己満足?」

「ああ」


 アルフはミルの目を見る。不気味な顔を、しっかりと目に映す。


「ミルの今の姿は、不気味だと思う。正直な話、できれば触れたくないとも思った」

「……では、どうして助けたのですか?」

「なんでと言われても……上手く説明はできない。単純に助けたいという善意のもあったし、一人だと寂しいからというのもあったし……」


 人の心は、とても複雑だ。

 自分の心ですら、理解することは相当難しい。

 アルフは確かに、純粋な善意でミルを助けたいと思った。

 だが同時に一人で寂しかったというのもあったし、一人で生きていく自信が無かったからというのもある。


 だが、一つだけ、一番強い想いがあったのは確かだ。


「でもそうだなぁ……うん。やっぱ俺は、手の届く範囲にいる人を、見捨てたくないんだ。少なくとも、僕の目の届く範囲にいる、苦しんでいる人は助けたい。見捨てると、後で苦しくなる……他の人が苦しんでる姿を見ると、俺の心が苦しくなるからさ」


 それは、苦しんでいる人を見たくないという想い。

 他人を助けたいというアルフの善意も、結局はここからやって来るのだろう。

 自分が苦しい想いをしたくないから、他人を助ける。

 自分が嫌いな『他人の苦しむ姿』が見たくないから、他人を助ける。

 利他的なように見えて、とても利己的な想いだ。


「さ、この話は終わりにしよう。これからのことを考えないとなぁ」


 これからどうやって生きるべきか、この夜が明けるまで、アルフは考えるのであった。




◆◇◆◇




 そして、朝。


 太陽もある程度昇り、人の声も聞こえだしてきた頃に、アルフとミルは裏路地から出てきた。

 知っている道にも関わらず、アルフはその視線がなんとなく冷たいように感じた。

 かつては英雄と呼ばれていたアルフだが、今ではボロ布を纏い、顔はやつれ、顔に奴隷の刻印が刻まれている。

 多くの人に二度見され、クスクスと小さな笑い声が聞こえてくる。

 さらには、時折わざと肩をぶつけてきたり、わざと足を踏みつけたりしながら、ニヤニヤしながら通り過ぎていく人も居る。


「……なんというか」

「どうしましたか?」

「いや。奴隷って、周りからこんな風に見られたんだなって……」


 今までのアルフなら、何とも感じない仕打ち。

 だがそれは、高すぎる“知力”のステータスにより生じた、揺らぐことのない強靭すぎる頭脳と精神力があってのことだ。


 だが今のアルフは、ステータスを持たない。

 周りから哀れみや侮蔑の視線を向けられ、クスクスと馬鹿にされ、軽めとはいえ嫌がらせを何度もされれば、精神的にくる。

 そういう経験が無いからこそ、周囲の態度や視線がアルフの心に深く突き刺さったのだ。


「こんなんじゃあ、やっぱ金を稼ぐ方法は少ないよなぁ」

「はい……でも、どうするんですか? 私にできるのは、身体を売るとか、そういうことしか……」

「ああ、いや。ミルは何もしなくていい。今は、俺についてきてくれるだけで充分だ」


 生きるためには当然お金が必要だが、そもそも奴隷では、普通の職業に就くことすら難しい。

 だが、身分に関わらずに稼ぐことができる手段は完全にゼロではない。


「よし、着いた」

「ここは……冒険者ギルド?」

「ああ。ここなら一応、奴隷でも稼げる」


 他よりも大きめの建物の前へ立つ二人。

 その看板には“冒険者ギルド”と書かれている。

 アルフはここに登録して冒険者になり、お金を稼ぐつもりなのだ。


 冒険者とは、言ってしまえば何でも屋で、ギルドに寄せられた依頼を遂行する仕事だ。言葉そのままの意味ではない。

 “冒険者”という呼び方は、まだ王国に未開の地が多かった頃の名残であり、その当時は、新たな地を開拓する有機ある人のことを指していた。

 危険な仕事も多く、怪我するどころか死人が出ることも多々あるからか、奴隷でも冒険者になれるようになっているらしい。


 二人はギルドへと入っていく。

 ギルドの隣には、冒険者同士の交流の場として酒場が併設されているので、少し酒臭い。

 そこにガラの悪い、かつ体格の良い冒険者達がたむろしている。

 彼らは入ってきた二人の姿を見ると、顔に刻まれた奴隷の印を確認して、一様にニヤリと嫌な笑みを浮かべた。

 そして、特にアルフに対して値踏みするかのような視線を向ける。


「なあ、あの男の奴隷……良い体してるなぁ」

「あぁそうだな。売ったら中々のカネになりそうだ……」


 小声で話しているが、アルフ達には聞こえている。

 だが嫌がらせをしてくるよりはマシだと思い、可能な限り顔を合わせないように受付へと向かう。


 受付窓口は、入り口のちょうど真正面にある。

 暇をしていたのか、本を読んでいた受付嬢は、アルフ達二人に気づくと本を置いた。


「ようこそ冒険者ギルドへ。あなた達は……冒険者登録ですか?」

「え? は、はい」


 奴隷に対しても、少なくとも態度や表情に出さずに笑顔で応対する受付嬢に、少しだけ驚くアルフ。

 流石にミルを見たら即座に目をそらし、可能な限り視界に映さないようにする努力をしているみたいだが、それは仕方のないことだろう。


「かしこまりました。では最初に簡単な依頼を受けてもらいます。本来は9級の依頼なのですが、今は無いので……8級の依頼となりますが、よろしいですか?」

「その依頼を達成したら、登録完了ということですね?」

「はい。最初は9級からのスタートで、依頼をこなしていくと、昇格もあります」


 どうやら、最初に最低ランクの9級レベルの依頼を行い、それを達成できたら冒険者となれる、ということらしい。

 もっとも、今回は運悪く9級の依頼がなかったため、8級の依頼を受けることになってしまったが。

 冒険者は原則、9級から1級とランク付けされており、9級が最低ランクで、1級が最高ランクだ。

 一応例外として、規格外の強さを持った冒険者は、特級という特殊なランクを付けられるらしいが、今のアルフには関係無いことだろう。


「ですが……一つ注意事項があります」


 そう言って受付嬢は、カウンターに一枚の依頼書を出す。

 そこには依頼内容や報酬金、目的地といった情報が書き込まれている。


 依頼内容は、ダイウルフと呼ばれる狼のような魔物の首領の討伐。

 目的地は王都から少し離れた森で、どうやら他の地域から入ってきたダイウルフの群れと元からそこにいた群れで激しい縄張り争いをしているらしい。

 目的地周辺は、運輸などで使用する道があり、危険なのでとりあえず片方の群れの首領を討伐してほしいとのことだ。


 相手はそれなりに素早く、数で攻めてくる相手なので、ランクは8級と指定されている。

 並の冒険者なら大体何とかなる相手ではあるが、受付嬢はアルフ達に注意を促す。


「これまでも、何人かの奴隷の方が冒険者になろうと訪れましたが……そのほとんどが、最初の依頼で死亡しています」


 奴隷は基本的に弱い上、まともな武具も持たない。

 だがなんとか生きるために、危険な冒険者になろうとして、死ぬのだ。

 そして死んだところで、誰も責任は取ってくれない。

 死んだらその人の責任だ。


「それでも、依頼を受けますか?」

「はい」


 奴隷に対して、こうも丁寧に忠告してくれることに再び驚きつつも、アルフはすぐに返した。

 何をするにしてもお金が必要で、それを稼ぐには、冒険者になるしかないのだ。


「……かしこまりました。では、お気をつけて」


 アルフは依頼書を受け取り、ズボンのポケットに仕舞うと、ミルと共に冒険者ギルドを去ろうとする。


「うおっ」


 扉を開ける際に、ゴンと音がした。

 何事かと扉の先を見ると、そこには額を押さえている黒髪で長身の男がいた。


「あ、すみません……」


 即座に頭を下げて謝罪するアルフ。

 黒髪の男は「大丈夫だから……」と、頭を押さえながら言っている。


「いててて……って、奴隷……お前達、冒険者になりに来たのか?」

「はい。そうしないと、生きていけないもので」

「ふぅん。というか……」


 男は、じっとアルフの方を見つめてくる。

 目を細め、何か見定めるような、ヘビのような視線。

 蔑み、侮蔑といったものが含まれてなさそうではあるが、ジロジロ見られて、アルフは少し居心地が悪い感覚だ。


「どうかしましたか?」

「……いや、なんでもない。悪いな」


 何か考えるような振りをした後に、男はそう言ってギルドの中へ入っていく。

 アルフ達もそのままギルドを出ようとするが、その時「まぁ頑張れよ」という、先程の男の声が聞こえた。


 そうしてアルフ達がギルドから出ていき、扉が閉まると、男は振り返る。


「あの態度と表情、やっぱ普通の奴隷じゃないな……」


 隣にいた銀髪の少女はともかくとして、青髪の青年には違和感があった。

 奴隷にしてはおかしいほどに綺麗な所作と態度もそうだが、一番奇妙な点は、その表情だ。

 男は冒険者としては4級で、それなりの経験がある。

 奴隷上がりの冒険者も何人か見たことがあるが、あの青髪の青年は、そういった人達とは違う表情をしていた。

 あの青年は奴隷にも関わらず、絶望したかのような表情も、隣の少女のように全てを諦めたかのような表情もしていなかった。


「訳あり、とかか? だとすると、もしかしたら利用できそうだな……」


 男は受付嬢から二人の情報を聞き出すと、すぐにギルドから走り去っていった。

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