02 呪いのスキル、あるいは神の怒り

 アルフレッドは額に汗を滲ませながら、父の部屋へ向かう。

 別に走っているわけではなく、ちょっとした速歩き程度だというのに、心臓の拍動は速くなっていく。


 そして、父のアルヴァンの部屋の前へ立つと、腕を上げ、震える手でノックする。


「父さん俺です、緊急の話があるので入れさせてください!」


 扉越しに声を上げる。今までに無い、焦った大きな声を出す。

 それに驚いたのだろうか、扉の奥ではドタドタという足音が響き、鍵が空いた。


「どうしたアルフ、緊急と言ったが――」

「とりあえず部屋に上がらせてもらいます!」


 本来なら、話を遮るなど無礼であるが、そんなこと気にしている暇は無かった。

 アルフレッドは慌ててアルヴァンの部屋へ上がる。


「な、何なんだアルフ……一体どうした?」


 アルヴァンは、緊迫した様子の息子を心配している様子だ。

 なんせアルフレッドは、今までどんなことがあろうが、感情の機微をほとんど見せてこなかったのだから。

 そんな息子が慌てているのだ、何が起きたのか心配してしまうものだろう。


「は、はい……それで、ここに来たのは、俺のスキルについてです」

「スキルがどうした? まだ鑑定とかはしてないだろう?」

「そうですけど……多分、俺のスキルは『状態異常回復』です……」


 そのスキル名を口にした瞬間、アルヴァンの顔が一気に青くなっていく。


「は……? いや待て、まだ正式な鑑定はしていない。専用の道具は事前に貰ってきているから、まずはそれをやってからだ……!」


 アルヴァンは布に包まれた巨大な水晶玉を持ってくる。

 透明で大きな、両手で抱えてようやく持てるくらいのサイズだ。

 それをテーブルに置き、布を取り外していく。


「さぁ、手を当てるんだ……」

「は、はい……」


 アルフレッドは、ゆっくりと水晶に手を当てる。

 すると、水晶玉の奥で黒いモヤが発生し、文字が一つずつ浮かび上がってくる。


 そして文字は、最悪のスキル名を示した。


「嘘、だろ……そんな、本当に『状態異常回復』だなんて……」


 その名は『状態異常回復』といい、人間の間では呪い、あるいは神の怒りと呼ばれている。


 その効果は、まず第一に、身体への後天的な不調を取り除くというもの。

 例えば、外部から侵入してきた毒を浄化したり、魔法による洗脳などを無効化したりする。

 つまりは病気などの例外を除き、本来ある肉体や精神に対して何らかの変調を与えるモノは“状態異常”と認識され、無効化されるというわけだ。


 さらにもう一つ、これと同じ効果を他人に付与することもできる。

 厳密には微妙に異なるのだが、他人に『状態異常無効化』のスキルを与えることができる、と表現することもできる。


 これだけなら確かに強力なスキルなのだが、実はこのスキルには、ある最悪な性質がある。


 それは、このスキルを得ると、ステータスが消失するという点だ。

 この『状態異常無効化』のスキルを得ると例外無く、ステータスが消えてしまう。その理由は不明だ。

 数値がゼロになるというわけではなく、ステータスそのものが無かったことになるのだ。

 なので完全に動けなくなるわけではないが、多くの場合は弱体化してしまう。


 しかもこの効果は、他人に与えた場合も発動する。

 つまり他人を助けようとスキルを発動したら、かえってその人のステータスを消すこととなってしまうわけだ。


 ステータスは、神“アイン”から与えられた祝福だと、多くの人々に信じられている。

 神からの祝福・贈り物という意味では、スキルも似たようなものではある。

 だがこちらは、無条件に与えられるステータスとは異なり『善行を積んだ者に良いスキルが与えられる』とされている。

 つまりは、十五歳までの人生の報いが、スキルとして現れると考えられている。


 では、ステータスが消失してしまう『状態異常無効化』はどうか。


 これはステータスを消失させてしまう、つまり祝福が消えるとも言える。

 故にこのスキルは、祝福が消えてしまうほどの“神の怒り”、あるいは“呪い”と解釈されている。


「アルフが弱ければ隠し通せたかもしれんが、流石に無理だな……」


 そんな呪いの持ち主は、神を怒らせたような者は、見つけ次第殺さねばならない。

 実際、今までに『状態異常無効化』のスキルを得た者は、全員処刑されている。


 とはいえ、スキルは鑑定用の道具を使う以外では、特定のスキルでないと確認できない。

 なので通常であれば、頑張って隠し通せばなんとかなる可能性はある。

 だがアルフレッドの場合、元々高過ぎるステータスを持っていたため、すぐにバレてしまう。

 というか、戦闘職である騎士をやっている以上、下手したら今日か明日にはバレているかもしれない。


 つまり、普通であれば処刑は免れない。


「……父さん。今まで育ててくれて、ありがとうございます」


 アルフレッド自身も、それは悟っていた。

 故に、母が病死してから自分を男手一つで育てて、騎士としての覚悟と信念を教えてくれたアルヴァンに、感謝を述べた。


 だが、そうして頭を下げたアルフレッドは、パチンと引っ叩かれた。


「お前なぁ……人生の終わりみたいな顔をすんじゃねぇ」

「っ! でも、このスキルを得た以上、俺は――」

「ああそうだ、普通は処刑だ、普通はな。だがお前はどうだ? アルフ、お前は王都の危機を何度も救い、英雄と呼ばれた。その事実は、誰が何と言おうが決して変わることはない」


 眼前で叫ばれ、目を白黒させるアルフレッド。

 その不意を突くように、ぐりぐりとアルヴァンに頭を強く撫でられる。


「それになぁ……呪いのスキルを持っていようが、お前は大事な息子なんだ。そう簡単に死なせてたまるかよ」

「えっ……」

「少し待ってろ、王と教皇に直談判してくる。何とかして処刑は食い止めてやるからな」


 幸いにも、今までにアルフレッドが強さ一つで築いてきた地位はまだ消えていない。

 それを利用して、アルヴァンは王と教皇に謁見し、直談判しに行くつもりらしい。大事な息子の命を守るために。


「俺は、生きれるのか? 死ななくて、済むのか……?」


 アルヴァンが部屋を出ていき、一人残されるアルフレッド。

 明日には死ぬかもしれないという恐怖が、生きれる可能性が出てきたことによって再び湧き上がる。


 ゆっくりと壁にもたれかかり、アルフレッドは深呼吸して心を落ち着けようとする。

 もし生き残れたとしても、きっと王都からは追放され、二度と戻れないことだろう。


 騎士は辞めることになるし、危険な戦闘もできなくなるだろう。


 人々を守ること。アルフレッドは、それこそが自分の存在理由だと感じていた。

 だが違った。違ったから、神の怒りを買い、こうして呪いのスキルを得てしまったのだ。

 では、どう生きればいいのだろうか。

 騎士としての生き方しか知らないアルフレッドには、全く分からないことだった。


「……ずっと父さんの部屋に居座るのもダメだよな。そろそろ出るか」


 なんだか重い体を引きずるように、アルフレッドは部屋を出る。


「よぉ」


 そこに、兄のクリスハートが立っていた。

 今までの硬い表情とは違い、口角を上げて笑みを浮かべた表情で。


「なんか声がしたから来てみたが……お前、『状態異常無効化』のスキルを得たんだってな」

「は……? な、なんでそれを……」

「部屋の前を通ったときに偶然な。ま、外にバラすことはしないさ。英雄サマが呪いのスキルを得たことが外に知られれば、色々とまずいからな」


 上から見下ろし笑いながら、クリスハートは言う。

 だが心底見下している、という態度ではなく、むしろ喜びの方が勝っているようにも見えた。


「とにかく、大人しく死んどいてくれよ、アルフ。お前が変なことをすれば、一家諸共処刑されるかもしれないからな」


 トントンと肩をたたくと、クリスハートは軽く手を振りながら去っていった。


 惨めな、気分だった。そしてそれは、生まれてはじめての感覚だった。




◆◇◆◇




 食事の後、アルフレッドは自分の身体に起きた変化を調べていた。

 調べるとはいっても、色々と身体を動かしてみて、今までとは違う点を確認しているだけだが。


「これは、重っ……ハァッ!」


 ズシンと、地面が揺れる。

 今までなら当たり前のように軽々と振り回せたはずの大剣が、上手く使えない。

 勢い良く地面に叩きつけるように振り下ろすか、鈍重な動きで振り回すか、できるのはそれくらいだ。


 それに、そこまで長時間動いたわけじゃないのに、息が上がる。

 強く力を込めて身体を動かすと、その反動で筋肉が震えて、うまく動かせなくなる。


 今までは、全力で何時間も、もっというと一ヶ月以上、休まず戦い続けたこともあったが、そういった時も息が切れることはなかった。

 もちろん疲労を感じたこともなかったし、眠くなったこともなかったし、空腹感を覚えたこともなかった。

 食事や睡眠は数ヶ月取らなくても特に問題無かったし、病気になることもなかった。

 だがステータスがなくなったことで、それらは全て変わった。


 全力で動けばすぐに疲れてしまうし、軽い運動程度でも、いずれは息が乱れる。

 眠気も感じるし、空腹感も感じるし、さらに言うと、特にマイナスの感情に心が揺さぶられているのを感じていた。

 心身共に、以前とは全く違う。

 ステータスが無くなっただけで、普通の人間とは違う何かに生まれ変わったようだった。


「本当に、ダメだな……」


 担いで歩くのは流石に辛いので、大剣を引きずって武具庫の中へと入っていく。

 ギリギリという音を立てながら引っ張っていき、元あった場所へ立て掛けておいた。

 ステータスが無くなったら、たったこれだけでも一苦労だ。


「くっそ……」


 弱い。


 あまりにも、弱い。


 自分は、確かに王都を守ってきた。

 高いステータスは、人々を守るためにあると信じて戦ってきた。

 それに戦うだけじゃない。困っている人達は、率先して助けるために動いた。

 戦闘で崩れた街の復興は、必ず手伝うようにしていた。その際の感謝状もある。


 間違ったことは、悪いことはしていないはずなのに――


「なんで、なんでだよッ……!」


 何故、自分なのか。

 何故『状態異常無効化呪い』を得てしまったのか。


 ガンと、アルフレッドは壁に頭を叩きつける。

 そして、その場に泣き崩れた。

 どこにも向けられないドロドロの感情が、溢れ出てきて止まらない。


「俺は、どこで間違ったんだッ!」


 アルフレッドの心からの叫びは、武具庫の中で反響した。




◆◇◆◇




「……い、…………じか!?」


 声が、頭へ響いてくる。何事かと思い、アルフレッドが目を開けると、そこは武具庫の中だった。

 そして目の前には、アルヴァンがいる。心配そうに、顔を覗いてきていた。


「よかった、無事だったか!」

「父さん……ああ、なんでこんな場所で寝てたんだ……」


 寝起きの重い身体で立ち上がるアルフレッド。

 父がたまにやっているように軽くストレッチすると、頭が少しずつ動くようになってくる。

 そして、自分の生死に関わる重要な話を思い出す。


「あっ、そういえば処刑の話は……?」

「安心しろ、処刑はされない」

「えっ……そ、それは本当ですか!?」

「ああ。今までの功績とか、処刑による民衆の批判とかを考えて、例外的に処刑をしないことにしたらしい」


 アルフレッドの功績は凄まじい。

 王都が壊滅するレベルの魔物の襲撃を、実質一人で何度も撃破し、街を守り続けてきた。

 そしてもし街が崩れたら、その復興作業を無償で手伝っていた。

 それ故に、アルフレッドの顔は多くの人々に知られており、英雄と謳われていた。


 たとえ呪いをその身に受けたとしても、これらにより救われた人は多く、その事実が覆ることはない。

 アルフレッドを処刑するということは、それにより救われた人々を、敵に回す可能性があるということでもあった。

 もし処刑が民衆の批判を集め、何らかの暴動が起きる可能性を生み出すのなら、処刑は止める、ということらしい。


「えっと、それだけ……」

「ああ」

「え? いや、えっ? あの、王都から追い出されたりとかも……」

「それも無い。だから安心しろ」


 そしてさらには、王都から追い出されるということもなく、このままの暮らしができるとのことだ。

 流石にアルフレッドも、これには喜びよりも、困惑が勝った。


「あとは俺が何とかする。なに、今までアルフには色々と助けられてきたからな。それを返すだけさ」


 さぁ行くぞと、アルフレッドは背中を押されて武具庫の外へと出た。

 長く薄暗い所にいたからか、光で目が霞む。


「とりあえず、一旦休むといい。」

「……そうさせてもらいます」


 確かに別に大したことをしたわけではないのに、何故か心も身体も疲れていた。

 なので父親に言われた通りに、アルフレッドは部屋へ戻り、ベッドに横になるのであった。




◆◇◆◇




 ベッドで仮眠を取り、目を覚ますと、家とは思えないほどの恐ろしいほどの腐臭を感じた。

 加えて冷たくて硬い床の感触や、糞便の臭いもある。今までに感じたことのないような感覚だった。


「んぐ……なんだこの臭い、は……?」


 今まで眠っていたアルフレッドは、顔をしかめながらもゆっくりと目を覚ます。

 そして、ぼやけた視界が完全に戻る前に、言葉は失われた。


 そこは、無機質な暗い部屋だった。

 見知らぬ天井、壁、床。そこにブツブツとした声が響いてくるという、異様な空間だった。


 さらに目が冴えてくると、部屋の惨状を見てしまった。

 皮膚が黒ずんだ人間、おそらく死体が転がっている。

 そして、おそらく人間のものと思われる糞尿も放置されている。


「うっ……落ち着け、まずは情報収集だ……」


 目覚めたら知らない場所にいた。そして広がるのはおぞましい光景。

 とはいえ、今まで騎士として働いており、凄惨な光景もそれなりに見てきたので、すぐに平静を取り戻した。


 アルフはすぐに、近くの壁にもたれかかっていた痩せ細った男性に近づいた。

 だがそうして見えてきたものだけで、アルフはどういう場所なのかを理解した。


 どこかの金持ちの家地下室なのか、奴隷商の店の監禁部屋なのか、詳しいことは流石に分からない。

 だが、そういう系統の部屋であることは明白だった。


「奴隷紋……ということはここは……!」


 男の右目の下には、奴隷であることを示す小さな紋章が刻まれいた。

 それに気づいたアルフは、他の何人かの生存者の顔も遠目から確認するが、全員に奴隷紋が刻まれていた。


 生き残っているのは、アルフを含めて四人。

 そしてアルフ以外の全員が酷い様子だった。

 先程の男は極端に痩せ細っており、女性は壁に向かってブツブツと何かを呟いている。

 そしてもう一人、ハジメより少し下くらいに見える少女は、露出している皮膚の多くが毒々しい紫色へ変色しており、その一部には黒の斑点ができているという酷い状態だった。


「ということは俺も……な、なんで……」


 そしてアルフレッドにも、奴隷紋が刻まれていた。

 焼印によって刻まれているため、跡が残っており、痺れるような痛みを感じる。

 それに、今になって気づいたが、服が白い布切れのような服になっていた。


 誰がこんなことをしたのか、アルフレッドには分からなかった。

 最後の記憶は、自室のベッドで横になった時のものだ。

 ということであれば、家の誰かが行ったのだが……そうなると、候補が父と弟しかいなくなる。

 使用人という候補も考えしたが、そもそも使用人なら、アルフレッドが『状態異常無効化』のスキルを得たことはまだ知らないはずだから、こんなことをする理由が無い。


「いや、待て。とにかく出口を探すんだ」


 アルフレッドは立ち上がり、出口を探しに動き出す。

 すると、二つの扉が割とすぐに見つかった。

 一つは大きな両開きの扉で、誰でも分かる場所にあり、もう一つは片開きの扉だが、これは見張り台のように出っ張った部分の奥の方にあった。

 上の方の扉には辿り着けないので、下の両開きの扉を開けようとするが、当然といえば当然なのだが、鍵がかけられている。

 そして、今までならパンチ一発で吹き飛ばせた扉が、ビクともしない。


 ガン、ガンと、金属音が響くのみ。


 凹みすらできない。


 ステータスが無くなり、人間本来の身体能力や知能を取り戻したアルフレッドでは、金属の扉を壊せるわけがなかった。


「クソっ……なんでっ、なんでこんなことになったんだよ……!」


 今までに出したことのないような、絞り出すような声が、虚しく響く。

 今まで、こんなに辛いことは今までになかった。

 苦しいと思ったことも無かった。

 今まではステータスの鎧に守られていたが、ステータスが消えたことで、人間本来の脆い精神が直に傷ついていく。


 十回ほど扉を殴ったところで、アルフレッドは扉に頭を打ちつけ、叫んだ。その目には、涙が滲んでいた。

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