第6話 フレンチトースト

 藤原くんはその物音に瞬時に反応して立ちあがり、掃き出し窓からテラスへ出た。


 わたしも恐る恐る、後ろからついていく。すると、庭に立っていたのはあの食品を配達してくれているご主人だった。


「ああ、すいません。門があいてたから中に入ってきてしまいました。今日の分の配達は、昨日の夕方キャンセルが入ってたんですけど」


 ぺこぺこと恐縮して頭をさげるご主人の手には、菊の花束が握られていた。


 キャンセルしたのは、穂香さんだろう。ということは、昨日わたしがこの別荘を出て行った時に、穂香さんはお別れを言う覚悟をしていたということだろうか。


「今日は、ご夫婦の命日ですよね。お花でも供えようかなと」


 そうだ、今日が父と穂香さんの命日だった。藤原くんは体におびていた緊張をとき、ご主人に頭をさげた。


「ありがとうございます。あの、どうして今年に限って? 毎年、何もおっしゃいませんでしたよね」


 わたしが会っていたご主人は、過去の人ではなくもう事件を発見した人だったのだ。事件の後も毎年、この別荘への配達はしていたようだ。


「いやね、今年は……。こういったら悪いんだけど、ちょっと気になるがことがあって」


 ご主人は、言いにくそうに声をひそめた。


「六年前によく注文されていたワインを配達したんでね。事件の後ここの別荘からその銘柄のワインの注文がなかったもんで。まあ偶然なのかもしれないけど、ほかの食品もよく亡くなった奥さんが注文した品が多かったもんで」


 食品は穂香さんがメールで注文していた。まさか、このご主人は六年前に穂香さんが注文していたものを覚えていたのか。それで不審というか、気味悪く思って、配達を終えるとすぐに帰りたかったのだろう。


 ご主人の勘は外れていなかったわけだ。亡くなった当の本人が注文していたのだから。


「配達いつも、ありがとうございます。今年は七回忌なんで、法要は東京の家ですませましたけど、故人をしのんであのワインを頼んだんですよ」


 藤原くんは、ご主人が納得しそうな言い訳を口にした。


「ああ、もう七回忌ですか。そうか、どうりで」


 ご主人はほっとした顔をしてしゃがみ込み、テラスに花束をおくと手を合わせた。


「じゃあ、また来年も注文よろしくお願いします」


 そう言い残して、帰って行った。

 ご主人が帰ったタイミングで、二階からとたとたと足音がしてリビングに唯ちゃんが飛び込んできた。


「ねえ、唯すっごいお腹すいた! 昨日晩御飯食べたっけ?」


 かわいい悲鳴に、わたしの顔のパーツがにこにことゆるむ。


「食べたよ。わたしもお腹すいた。いっしょに朝ごはんつくろうか」


 食べてないけれど、食べたことにしておく。けれど、唯ちゃんはわたしの言葉を聞かずに、きょろきょろと室内を見まわしている。


「あれー? ここ、唯の別荘だ。おばさんと、おじさんは?」


 室内が変わっていることに、唯ちゃんはすぐに気づいた。しかし、わたしはどう説明するべきか、返答につまる。


「昨日の夜、おまえが寝てから宗平さんに突然用事ができたんだ。すぐに、別荘を出発するっていうから、寝てるおまえをかかえて俺たちの別荘へ帰ったってわけ」


 さすが脚本家を目指しているだけあって、話のつじつまを合わせるのがうまい。


「じゃあおばさん、もういないんだ――」


 唯ちゃんは、しょんぼりとうなだれる。唯ちゃんはさようならも言えなかったのだ。


「いっしょに朝ごはんつくろっか。わたしもフレンチトーストつくれるから。唯ちゃん着替えてきて」


「やった、今日も食べていいの?」


「えっ、今日も食うの?」


 姪と叔父さんから真逆の反応が返ってきた。


「いいの。甘いもの食べたら元気になるんだからね。穂香さんも言ってたでしょ」


 わたしは藤原くんの抗議を無視して、キッチンへ入って行った。


 キッチンでわたしと踏み台に乗った唯ちゃんが、シンクに向かって並んだ。唯ちゃんが手際よく玉子をどんどん割っていく。


「上手だね」とわたしがほめると、唯ちゃんは玉子の入ったボールを見たまま言う。


「おばさんに、教えてもらったんだ。コツは玉子を平たいところで、トントンすることなんだって」


「へえ、そうなんだ。わたし今まで角っこで割ってた」


「平たいところでするとね、割った時カラが入らないって」


 玉子をよくかきまぜ砂糖を入れようとしたら、テーブルのセッティングをしていた藤原くんがキッチンに入ってきて、


「そんなに、砂糖入れるの?」とか、「俺のだけ、甘さ控えめにして」とか口を挟む。


 昨日、穂香さんに甘いものは大丈夫になったと言っていたのは、どうも強がりだったみたいだ。


 あの時、藤原くんは穂香さんの正体に気づいていた。自分が気づいていると、穂香さんにわからせるために、お姉さんの話をわざとしたのだろうか。それとも、穂香さんに弟だとわかってもらいたかったのか。


 その疑問はあきらかにせず、藤原くんの心の底に留めておけばいいと思った。


「なっちゃん、早く早く!」


 考えごとをしていて、手元がおろそかになっていた。


「ごめん、ごめん」


 急いで牛乳とお砂糖をたっぷり入れた玉子液をバットにうつす。そこに四つに切った食パンを浸した。


 わたしはバターをとかしたフライパンに、玉子液がひたひたにしみ込んだ食パンをそっと入れた。ジューっと派手な音を立て、甘いお砂糖と玉子の焼ける香ばしい匂いが鼻をくすぐる。


 昨晩何も食べていないお腹は盛大にグーと音が鳴る。ちょっと遅れて、隣からも同じ音がした。


「唯、昨日本当に、ご飯食べた? ちっとも覚えてないんだけど」


 プライパンの中を、よだれがたれそうな顔をして唯ちゃんはのぞいていた。


「たぶん、食べたよ」


 きっと夢の中で食べていただろう、五人での最後の晩餐を。


「まだ? 俺、もう限界」


 ダイニングテーブルにもう座っている藤原くんが、ひもじい声をあげた。


「ちょっと待ってよ。ちゃんと焦げ目がつかないとおいしくないって、わたしのお母さんが言ってたんだから」


 フライ返しでトーストをつつきながら、せっつく藤原くんにわたしは抗議する。


「なっちゃんのお母さんも、フレンチトーストつくってくれたの? いいなー」


 母親の面影をまったく知らない唯ちゃんに、悪いこと言ったと一瞬肝が冷えた。


「唯、なつにフレンチトーストつくりにきてもらったらいいんだよ。お手伝いさんのより、絶対なつの方がうまいって」


 すかさず、藤原くんがキッチンまできてフォローしてくれた。


「そうだね。ねえ、なっちゃん。今度唯の東京のお家に遊びに気てね。あきちゃんに会いにくるんじゃなくて、唯に会いにきて」


「もちろんだよ。藤原くんじゃなくて、唯ちゃんに会いにいくね。またフレンチトーストいっしょにつくろう」


「ちょっと待って、俺にも作ってくれよ。ていうか、俺たち付き合うってことでいいんだよな」


 藤原くんが余計なことを言うものだから、唯ちゃんの目がキラキラし始めた。


「ねーねー、どういう意味? あきちゃんたち、やっぱりまだ付き合ってなかったの? だよね。なっちゃんが、あきちゃんなんか好きになるわけないって唯、思ってたんだ」


「なんかって、なんだよ。たしかにまだ正式に付き合ってなかったけど。ちゃんと俺は告白したぞ。答えまだもらってないんだよ」


「それって、ふられたってことでしょ」


 幼稚園児のツッコミは容赦がない。ふたりのコントを聞いていると、わたしはフライパンの中をにらみながらだんだんイライラしてきた。


「まだふられてねえよ。なあ、なつ」


「もう、いいかげんにして! フレンチトースト焦げちゃうでしょ!」


 わたしの一括で、ふたりはようやく静かになった。




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