第5話 フクロウ

 わたしたちはそれから二階にあがらず、灯りを消したリビングのソファに腰をおろし、開けっ放しの掃き出し窓から聞こえてくる虫の声に耳を傾けていた。


 すると月明かりだけの薄暗い室内に、赤ちゃんの泣き声に似たギャーギャーという不気味な声が響いた。


 わたしがびくりと肩を震わせると、藤原くんに肩を抱き寄せられた。肩越しに伝わってくる彼の体温にホッとする。 


「あれはフクロウの威嚇の鳴き声だよ。普段はホーホーってのんびりした鳴き声なのに、怒ったらあんなすごい鳴き声を立てるんだ」


「こんな住宅地の中に、フクロウって住んでるの?」


「すぐそばの山に、住んでる」


 鎌倉は平地が少なく山に囲まれた地形だから、自然との距離も近くなるのだろう。東京で生まれ育ったわたしにとって、家にいながらにしてフクロウの鳴き声が聞こえるとは、なんだか不思議な感覚だった。


「姉さんは、いろんな原因が積み重なってああするしかなかったんだろうな」


 藤原くんのあきらめをふくんだ低い声が、わたしのすぐ耳元で聞こえる。


「わかった事実はとてもつらかったけど、わたしは本当の事を教えてもらってよかったかな」


 六年前のわたしなら受け止められなかっただろう真実を、今のわたしは受け入れられる。藤原くんの身動きした振動が、わたしの肩に伝わった。


「あの……。俺いまだから言うけど、けっこう早めにこの屋敷に違和感を持ってた。屋敷の中は、六年前のままだったけど、外の庭は六年後の世界だったんだ。最近塀を直したところは、そのままだったし」


「そうなんだ。じゃあ、あのふたりが最初から幽霊だってわかってたの?」


 藤原くんは、ふるふると首を振った。 


「俺は最初、姉さんと宗平さんのそっくりさんが屋敷を改造して乗っ取ったのかと思ってた。なんの目的かわからないけど」


 藤原くんにとって、幽霊よりはそちらの方がまだ現実的なことだったのだろう。


「正体を確かめようと、姉さんしか知らないことを振ってみたんだ。水着が納戸にあるって俺と姉さんしか知らなかったから」


 わたしは、驚きの声をもらした。


「いきなり水着の話をしたのって、そういう意図があったんだ。わたしてっきり――」


 藤原くんの『俺が、見たい』という発言を真に受け動揺していた自分が恥ずかしくなり、最後まで言えなかった。


「ごめん。でも、なつの水着姿見たいって気持ちもあったから」


 いまさら取ってつけたように、言われても。あの時、藤原くんの言葉にいちいちドキドキしていた自分がなんだかむなしい。


「海に行こうって言ったのも、外の世界がどうなってるか確かめようと思って。そうしたら、外は六年前じゃなくて今だった。唯の浮き輪と同じアニメキャラのタオルを持っていた子がいたんだ。あのアニメは今年放送のものだった。そして、スマホが外だと使えたんだ」


 藤原くんがやけに周りを観察していたのは、わたしたちがいる世界が過去なのか確かめるためだったのか。


 わたしはただ初めていく海にはしゃいで、周りの人に意識がいっていなかった。


「すごいね、わたし全然気づかなかった」


「あの屋敷の建物の中だけ完全に過去が再現されていたんだ。俺は、混乱したよ。いったいどういうことなのかって。姉さんがブランコから消えるのを見て、はじめてこの屋敷のからくりがわかった」


「わたしたちがタイムスリップしたんじゃないって、わかってたのなら早く教えてくれたらよかったのに」


「いや、だって――」


 藤原くんは、ことさら言いにくそうに言葉をにごす。そこにすごい秘密が隠されているような気がして、わたしはしつこく食いさがった。


「教えてくれたら、お母さんが犯人かもしれないって相談できたのに」


「いっしょに、いたかったんだよ」


 藤原くんはわたしの肩をだいたまま、そっぽを向いてぼそりと本音をこぼした。


「ああそっか、穂香さんといっしょにいたかったんだね」


 藤原くんの気持ちを考えたら、当然だった。大好きなお姉さんと、幽霊とはいえ暮らせるのだから少しでも長い方がよかったのだろう。


 だけど、藤原くんはわたしの予想とは違うことを口にする。


「違うよ。なつと、もっといっしょにいたかったんだよ」


「えっ、わたし?」


 わたしは絶句した。


「だって、なつはタイムスリップじゃないってわかったら、絶対自分ひとりでも家に帰るだろ。そもそも、ここに俺もいっしょに滞在するってわかったら、バイトも引き受けなかった気がするし」


 たしかに、藤原くんがいっしょに滞在すると最初に聞いていたら、断っていたかもしれない。しかし、最初は唯ちゃんとふたりだけと言っていたのに……。


「やっぱり、わたしのこと。警戒してたんだ」


 すこしすねた気持ちで言っただけなのに、声はすごくとげとげしく聞こえた。


「だから違うって、俺はなつのこと好きになったから、もっと近づきたいと思っただけだ。脚本のアシスタントバイト、調整してなんとか滞在するようにしたんだよ」


「好きになったって……。そんな前から?」


 藤原くんが、わたしを好きになってくれたのは別荘にきてからだと思っていた。


「俺、海でちゃんと言ったけど。最初に会った時から、ずっと好きだったって」


「あれって、演技じゃなかったの?」


 あの時は、唯ちゃんにばれないように嘘を言ったんだと思っていた。


「ひでー。俺、本気で言ったのに。全然つたわってなかったわけ?」


「そんな、わからないよ。あの流れで言われたら」


「じゃあ、もう一回告白する」


 ここで藤原くんは、ソファから降りて私の前にひざまずくと、わたしの両手を握った。


「なつと最初に会った時から、好きだった。付き合ってほしい」


 掃き出し窓の外が、ほのかに明るくなってきていた。もうすぐ夜明けだ。室内が闇から色を取り戻してく中、藤原くんの琥珀色の瞳がわたしをとらえていた。


 その瞳に魅入られて、わたしは操られたように口を開こうとする。しかし、庭の芝生を踏む足音がふたりの間に割り込んできた。


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