第3話 事実
「父はどこに?」
父もこの夢の世界の住人ならば、わたしが誰だかわかっていたのか。そうならば、今ものすごく文句を言ってやりたい気分になった。
「なっちゃんのお父さんは、ここにはいないのよ」
穂香さんは、わたしの問いに答えてすっと人差し指を立てて、天を指さした。
「私だけおいて、自分はさっさとあの世にいってしまった。私はひとり、ここにずっといたの」
「じゃあ、わたしたちと暮らしていた父は、いったい――」
穂香さんは、いたずらがみつかった子供のような顔をする。
「あの東吾さんは、私のつくった幻影。この屋敷の中が六年前なのも、全部わたしがつくりだしたもの。もちろん、スマホを使えなくしたのもね」
頼りなげに笑っている穂香さんは、亡くなってからずっとここにいたということか。でもどうしていまさら私たちの前に現れたのか。
「今年は、どうして夢の国をつくったんですか?」
「だって、なっちゃんが来てくれたから。ずっと、気になっていたの。東吾さんの娘さんのこと」
「そんなの、余計なお世話です」
わたしは、穂香さんのことを今では憎いと思っていない。それでも、穂香さんに心配されるのはなんだか、違うような気がした。
「そうね、ごめんなさい、わたしが心配するなんてお門違いね」
この人は、わたしの不躾な台詞に怒るわけでもなく謝る人なのだ。こういう人だから、母はあの懐中時計を渡したのだろう。
わたしは、ポケットから懐中時計を出した。半身をもがれたような上弦の月のほのかな光が、懐中時計を薄闇の中浮かびあがらせていた。
「これ、穂香さんのでしょ。別荘の玄関で拾ったんです」
「ああ、その時計のおかげで私はみんなと暮らせる奇跡がおこったの」
穂香さんは懐中時計を、まぶしそうに眼を細めて見ている。
「これは、私が死ぬ時に持っていたもの。止まってしまった私の時間を唯がネジを回すことで、再び動き出した」
ここまで言い、穂香さんはハッとしてリビングのドアへ視線を向けた。そこには、藤原くんが立っていた。
「姉さん、俺たち本気で姉さんたちを助けたかった。唯に両親がいる人生を送ってほしいと思ってたんだ」
藤原くんは、穂香さんがすでに亡くなっている人だと理解している。やはり、あの時ブランコからかき消えた穂香さんを藤原くんは見たのだ。
正直に言ってくれればよかったのに。どうして黙っていたのだろうか。
藤原くんの沈黙に憤りを感じたが、しかたがなかったと思いなおした。誰が信じるだろう。わたしたちにご飯をつくってくれ、触れることができる人が幽霊だなんて。
この世界が六年前ではなく、もう過去を変えることができないと藤原くんは悟った。悟ったからこそ、母が犯人かもしれないと言ったわたしを制止したんだ。
いまさら犯人がわかったところで、どうしようもないから。わたしが無駄に傷つかないように、配慮してくれたのだろう。
「彬、あなたは昔からなかなか寝ない子だったわね。わたしが眠ってもらいたい時に限ってか寝ないのよね」
穂香さんは深いため息をつき、首をすこし傾げた。
「ありがとう、わたしたちを助けようとしてくれて。そしてごめんなさい。ずっと騙していて」
「本当ですよ。穂香さん、ひどい。全部わかってたのに、わからないふりするなんて。すっかり騙された」
わたしが恨み言を言うと、穂香さんはおどけて肩をあげた。
「あら、私は女優よ。演技には自信があるの。でも、もうこれ以上あなたたちを騙すわけにはいかないわね」
「まだなんか、隠してるのかよ」
藤原くんが、すこしふてくされた口調で言った。
「私の人生最後の隠しごと。あなたたちに、見せるわ」
穂香さんが言い終わるとあたりは急に明るくなり、目の前に穂香さんと父が向かい合っている姿が突然現れた。
穂香さんはさっきまでの穏やかな顔つきではなく、能面のような虚ろな目をして父を見ていた。
そして父の顔には、困惑の色が広がっている。
「今なんて言ったんだい、穂香」
「いっしょに死んでって言ったのよ」
穂香さんはあっさりそう言い放つと、後ろ手に持っていた果物ナイフを握り直し父の腹めがけて突き立てた。
わたしはその光景を見て悲鳴をあげたけれど、その悲痛な叫びはわたしの耳には届かなかった。
「……そ、そうか」
父は一瞬苦悶の表情となったが、刺さったナイフを引き抜いた。ナイフが抜けた瞬間、あたりに血が飛び散る。その大量の血にひるむことなくナイフを握り、穂香さんの心臓をナイフで一突きにした。
わたしはもうこれ以上見たくなくてぎゅっと目をつむったのだけれど、凄惨な映像は消えることなく、わたしの脳内に直接再生される。
刺された穂香さんの顔には、得も言われぬ幸福な表情が広がっていた。不安から解放されたすがすがしささえ、感じる。そのほほ笑む薄い唇からは、涙のような一筋の血が流れ落ちた。
父は絶命した穂香さんの体を支え、体からナイフを引き抜くと今度は自分の胸にナイフを突き立てた。
父の手から離れた穂香さんの体は床に崩れ落ち、その瞬間カツンと懐中時計が床に落ちてすべっていく。
父は刺さったナイフを再び引き抜き、自分のシャツでナイフの柄をふくと床に落とした。そして何を思ったのか窓際におかれたレコードプレイヤーまで、最後の力を振り絞り歩いていく。床には転々と血の跡がついていた。
レコードプレイヤーの蓋に手をかけたところで、力尽きプレイヤーごと床に倒れ込んだ。耳をつんざく騒音にわたしは思わず耳を覆って叫んでいた。
「やめて! こんなの、見たくない!」
それが合図だったのか、あたりは再び暗くなり血だまりも父と穂香さんの遺体も消えていた。
「犯人なんか、いないの。全部私がやったこと」
穂香さんの姿は見えず、声だけが聞こえてきた。
「嘘だ、ナイフは庭に落ちてたんだ。それに、懐中時計は現場にはなかった。誰かが運ばないと説明できない」
藤原くんの震える声がそばで聞こえ、顔を横に向けるとわたしのすぐ隣に彼はいた。その姿が幻ではないかと、わたしは腕を伸ばし彼の手を握るととても冷たくてその冷たさに泣きそうになった。
「種明かしは、あなたたちも見たでしょ。光るものが好きで早朝から飛び回っているもの」
穂香さんの声だけが、わたしたちになぞなぞを出す。
「カラスか――」
「正解……。翌朝、血の匂いによってきたカラスが、ナイフと懐中時計を持って行ったのよ。ナイフだけは、途中で落としたみたいだけど」
穂香さんの声はどこか楽しそうだった。先ほど見せられたあの『いっしょに死んで』といった悲壮感漂う声とはまるで違う声だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます