第3話 見覚えのある夫婦
「やだー地震こわい!」
唯ちゃんは悲鳴をあげて、懐中時計を放り出しわたしにしがみつく。そんな一塊になったわたしたちに藤原くんは覆いかぶさった。
ゆれはすぐにおさまり、藤原くんのため息がすぐ耳元で聞こえた。
「なんか今の地震おかしくなかったか? 視界もゆがんだような気がするんだけど」
その疑問にわたしはおずおずと答える。
「わたし、怖くて目をつむってたから――」
きょろきょろと辺りを窺っても、目の前の洋館に地震の被害は見られずかわらず蝉時雨が樹上からふりそそいでいた。さっきとなんら変わりのない風景だ。
「唯もー。あー怖かった。早くお家にはいろ!」
突然の地震に警戒するわたしと藤原くんをおいて、唯ちゃんはぱっと走り出し、あっという間にアーチ形の玄関ポーチまでいくとクラシックな木のドアをあけた。
わたしの横に立っていた藤原くんが、キャリーケースをかかえあわてて唯ちゃんに駆けよる。
「ちょっと待て、なんで玄関があいてるんだ。管理人に掃除は頼んだけど、戸締りはしてるはずだけど」
「でも、あいてたよ」
唯ちゃんはかまわず、靴を脱いで中へ入っていく。わたしも藤原くんの後に続いて洋館に足を踏み入れた。
真っ白な壁に囲まれた吹き抜けの玄関ホールには、丸窓にはめ込まれたステンドグラスから、色とりどりの光が差し込んでいた。外観も素敵だったが内装も凝っていて、昭和レトロな空間に圧倒される。
あがり口にキャリーケースをおきサンダルをぬぐと、ピカピカに磨きあげられた床板を素足でふむ。ひんやりとした冷たさが足裏に伝わり、自然と背筋がのびた。
玄関ホールの奥にあるすりガラスがはめ込まれたドアの前で、藤原くんは茫然とした様子で突っ立っていて、彼の長い脚に唯ちゃんがしがみついていた。
そっと近づくと、藤原くんがわたしの顔を見てささやく。
「中に誰かいる」
「管理人さんとかじゃないの?」
わたしの声に納得したとは思えない不審な表情で、藤原くんはドアノブに手をかけた。ぱっと開かれた室内は大きな窓から日の光が差し込みとても明るい。その光をまとい、ふたりの男女が窓辺に立っていた。逆光でふたりの顔がよく見えない。明るさに目がなれてそのふたりの顔を認識すると、わたしは呼吸をとめた。
藤原くんは「嘘だろ――」と喉の奥から声を絞り出していた。
そうだ、藤原くんのいう通りこれは何かの嘘だ。だって、このふたりがここにいるわけがない。今見ているものが信じられなくて、なんど瞬きしても目の前の人物は消えてなくならない。
そんなはずはない、だってこの人たちは……。
「この人たち誰? ここは唯のお家だよ」
唯ちゃんのあっけらかんとした声が、沈黙をやぶり室内に響き渡る。
「まあまあ、かわいいお客さん、ようこそ。ここはわたしたちの別荘よ」
ゆったりとした白いワンピースを着た二十代半ばぐらいの若い女性が、大きな目を細め唯ちゃんに話しかけた。
唯ちゃんの身長に合わせて、かがんだ拍子に長い巻き髪がゆれた。
「えっと……唯のお家じゃないの?」
不安がにじむ声を出し、唯ちゃんは女性ではなく藤原くんを見あげた。でも、藤原くんはまだ声を出せないようだった。
「別荘というところは、似たような作りだからね。それに、たまにしか訪れない。間違ってもおかしくはないよ」
ポロシャツにラフなスラックスを合わせた男性は、わたしたちを責めるわけでもなくやさしく話かけた。女性の夫であるこの男性の温和に下がった目元には、しわがうっすら刻まれている。年の離れた夫婦なのだ。
「そ、そうですね、間違えました。失礼しました。いくぞ!」
突然、藤原くんは大きな声を出すとわたしと唯ちゃんの手をにぎり踵を返した。
「待って、せっかくなんだから、お茶でもどう? 外は暑かったでしょ。ゆいちゃんっていうお名前かしら? 偶然ね。わたしの赤ちゃんもゆいって言うの」
女性は、唯ちゃんにほほ笑みかけさらに言う。
「冷たいりんごジュース、飲まない? ゆいちゃん」
藤原くんによく似た、華やかな容姿の女性に安心したのか唯ちゃんはこくんとうなずいたのだった。
女性に促され、茶色い革張りのソファーに腰をおろすとわたしはすばやくあたりを見回す。誰もいないはずの別荘に先客がいた。このおかしな状況を説明してくれる何かがないかと、目線をさまよわせた。
大きな掃き出し窓の外はテラスで、緑がうつくしい芝生の庭が広がっている。室内にはアンティークのキャビネットに、木目のアップライトピアノ、大きな柱時計。花柄の壁紙がやさしい雰囲気を醸し出している。趣味のよい室内は、落ち着ける空間なのだろうが、わたしと藤原くんにはいたく居心地の悪い空間だった。
女性がキッチンでお茶の支度を始めた。唯ちゃんはお菓子もあるよと声をかけられ、キッチンへ走っていく。そして男性は深々とソファに座り、柔和な笑顔をわたしたちへ向けていた。
わたしの隣に座る藤原くんは、無言でポケットを探りスマホを取り出し画面を見た。一瞬苦痛に顔をゆがませ、目をつむると眉間に深いしわを刻んだ。しばらくうつむいていたが、意を決したように顔をあげ話し始めた。
「あの、すいません別荘を間違えるなんて。俺たち知り合いの別荘を借りて、どうも間違ったみたいです」
藤原くんはつらつらと、嘘を並べ始めた。
「かまわないよ。僕たちは暇にしていたんだ。妻が体調を崩してね、しばらくここで静養する予定だよ。君たちは、鎌倉に遊びに来たの?」
「えっと、この子俺の彼女で。そして小さいのが姉の子供です。姪っ子の子守りのついでに遊びにきたんだけど――」
言いよどむ藤原くんを、わたしは思わずまじまじと見つめた。なんで、わたしが彼女になっているんだろう。それに、藤原くんは別荘からすぐ帰る予定なのに。
「あの、変なこと聞きますけど、今って何年の何月ですか」
おかしなことを聞く藤原くんの言葉に、男性は笑って日付を教えてくれた。
男性の低く渋い声が、六年前の今日と同じ日付を告げた。
……六年前の日付が、わたしの頭の中でリピートされる。信じられないことが、いまおこっている。
日付だけなら、男性が冗談を言っていると笑いとばせるのに、ここが六年前だという決定的な証拠が、目の前に存在している。
六年前、テレビのワイドショーで散々見た人が画面越しではなく、手を伸ばせば触れられる距離で優しい目をして笑っていた。
ゆったりとソファーでくつろぐ男性とお盆にのせた紅茶を運ぶ女性は、六年前に別荘で殺害された小説家宗平東吾と元女優柏木穂香の夫婦だった。
藤原くんと同じ眠たげな大きな目をした女性は、この別荘で殺された藤原くんのお姉さんだと、わたしは知っていた。
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