第2話 鎌倉へ

 目の前で繰り広げられる顔のいい芸人と幼稚園児のコントに、頭がついていかない。なんなの、これ。


 藤原くんは、わたしの混乱に気づくわけもなく脚をさすりながら言う。


「夏休み、鎌倉の別荘にいくのがうちの恒例行事なんだ。今年はお手伝いさんが、腰を悪くしていけないって言うんだ。だから代わりにシッターとして、清水さん来てくれない?」


 鎌倉にある別荘……。瞬間,ギラギラと照る太陽の下でマイクを持つレポーターの姿が頭をよぎったが、すぐに追い出し口を開く。


「別荘に行くのは唯ちゃんだけ? 藤原くんも行くの?」


 しまった……こんな間髪入れずに聞いたら、藤原くんが来ることを期待しているみたいだ。おまけに同級生とはいえ、初対面でため口を聞いてしまった。相手は、ミスターキャンパスさまなのに。


「俺は別荘まで送り届けたら帰るよ。親父は仕事だし。唯の面倒見てやってくれないかな。バイト代ははずむから」


 藤原くんはわたしのため口を不快に思わなかったようで、淡々とビジネストークを始めた。


 別荘の滞在日数は二週間で、基本的に唯ちゃんと二人だけですごす。たまに、様子を見に藤原くんが来るぐらい。


「清水さん、料理できる? 唯と二人分つくってほしいんだけど」


「ひとり暮らしで、自炊してるから大丈夫。唯ちゃん何が好き?」


 唯ちゃんは、わたしと藤原くんの会話をすこしむくれて聞いていたけれど、すぐさまぱっと顔を輝かせて答えた。


「唯ね、ハンバーグが好き。あとね、オムライスにカレーに――」


 庶民的な子供らしい好物を指おり数えていく唯ちゃんに、わたしは安心した。


「全部つくれるよ。楽しみにしててね。お菓子もいっしょにつくろうか」


 唯ちゃんに、わたしの手料理を食べてもらえる。いつもひとりで食べている食事を唯ちゃんととることができる。今年の夏休みはひとりですごさなくてもいい。


「じゃあ、決まりだな。よろしくね、さっそく連絡先を交換しよう」


 藤原くんは伸びた前髪をかきあげると、デニムのポケットからスマホを取り出した。


「こちらこそ、よろしくお願いします」 


 わたしが頭をさげると、肩で切りそろえた髪が両端のあがった唇をかくした。




 夏休みに入ってもお預かりというシステムがあるので、幼稚園のアルバイトは七月いっぱいシフトが組まれていた。だから、わたしの予定に合わせてもらい八月に入ってから、鎌倉へ向かった。


 東京駅で藤原くんと唯ちゃんと待ち合わせをして、JR横須賀線に乗り鎌倉で下車した。江ノ島電鉄、通称江ノ電に乗り換え、由比ガ浜駅で降りた。


 着替えがつまったキャリーケースを引き、小さな駅を出ると、時間はもうすぐ午後二時になろうとしていた。


 入道雲がわき立つ八月の鎌倉は、海水浴客や観光客でごった返すのだが、真昼の由比ガ浜駅のあたりは閑散としていた。太陽に焼かれ熱気が立ちのぼるアスファルトをふみしめ、別荘へ向かって歩き出した。


 藤原くんは唯ちゃんの荷物がつまっているわりには大きなキャリーケースを引き、すたすたと歩いていく。その後ろからわたしは空色のワンピースを着た唯ちゃんの手を引き、左手にキャリーケースを引きついていく。


 別荘まで、駅から徒歩で十分と聞いていた。車がやっと行き違いできる住宅街の道の先には、小高い山が見える。


 鎌倉の別荘といえば、勝手なイメージで海に面していると思っていた。ゆるやかなのぼり坂をあがり振り返ると、家と家の隙間にお茶碗の形をした海が見えた。海を見るとここは鎌倉だと実感がわいてくる。山からは蝉時雨がやかましいほど聞こえてきて、額にかいた汗がこめかみをつたう。


 山へ続く坂道はますます狭くなっていき、道沿いに建つ家の敷地は反対に、どんどん広くなりいけ垣や板塀が長く続く。


 黙って歩いていた藤原くんが、すこし遅れて歩くわたしを振り返った。


「このあたりは古くからの別荘地で、うちの別荘も戦前の建物なんだ」


「なっちゃん古すぎて、びっくりするよ」


 わたしを見あげる唯ちゃんの目は、驚くことを期待して目がキラキラしていた。


「そんな由緒あるお家なんだね。楽しみだな」


 藤原くんの説明によれば、唯ちゃんのおじいさんのおじいさん、つまり藤原くんのひいおじいちゃんが、外国映画の輸入や配給を生業とした映画人だったとのこと。その方が避暑のために建てたのが、これから向かう別荘だそうだ。


「別荘についたら、何して遊ぼうか」


「えっとね、二階のおもちゃ部屋をなっちゃんに、見せたいな。唯のお気に入りのおもちゃいっぱいあるんだよ」


「すごいね、おもちゃ部屋があるなんて」


 そんなたわいもないことをしゃべり、これから始まる二週間の別荘暮らしに心をおどらせていた。しばらく歩くと、いけ垣の先に石柱が建つ門があらわれた。その奥、ベージュの外壁にアーチ型の玄関ポーチが特徴的な洋館が見えた。


 青いスパニッシュ瓦の下に白い両開きの窓枠がいくつもならんでいる。あの素敵な洋館の中には、どんな夏休みが待っているのだろう。


 藤原くんにうながされるまま門をくぐって、玄関へ向かう長い石畳のアプローチを歩く。石畳の両脇にずらっと並ぶ背の高い木の葉陰の下、足を進めるたび背中にかいた汗が引いていく。


 サンダルをはくわたしの足先に何かがこつんとぶつかり、石畳の上をカラカラと勢いよく滑っていき、前をゆく藤原くんの足にぶつかった。


 藤原くんは足を止めて、ぶつかったものを拾いあげた。


「なんだこれ、懐中時計? ずいぶん汚れてるけど、なんでここに落ちてるんだ」


「ごめんなさい。わたしが、けってしまったの」


 わたしはあわてて唯ちゃんの手をはなし、藤原くんの手元をのぞきこむ。


「かして、かして」


 唯ちゃんも興味深々で、藤原くんに手をのばし懐中時計をうけとった。薄汚れ、こわれていそうな懐中時計がなぜこんなところに、落ちていたのか。

 三人で不思議がっていると、頭上からカラスの鳴き声が聞こえてきた。


「ああ、カラスがどっかからくすねてきて、ここに落っことしたのかな。あいつら光るものが好きだから」


 空高く飛んでいるカラスをあごと首を一直線にして見上げる藤原くんは、まぶしそうに眼を細めていた。


「ねえねえ、この時計ここをまわしたら動き出したよ」


 手の中で懐中時計をいじくっていた唯ちゃんが、うれしそうに声を張りあげた。唯ちゃんが持つ懐中時計が息を吹き返したように、心臓の鼓動に似たリズムを等間隔で刻み始めた。その瞬間地面がぐにゃりとゆがみ、わたしは唯ちゃんを咄嗟に守ろうと抱き着き悲鳴を飲み込んだ。



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