第15話   少子化

政府も最近やっきになって取り組んでいる少子化対策。

話の腰を折ってしまうようで申し訳ないが、日本の少子化は止められないと思っている。

教育費の問題もあるが、女性の生き方そのものにも焦点を当てないと解決しない気がするのだ。


私も娘が一人いる。

一人しか育てなかったのかと思う人もいるだろうが、やれることはやったと思うし、だからこそもう子育ては嫌である。。

少子化対策はむしろ塾代、教育費より親子関係の構築や母親のキャリア保持、生き方に焦点を当てた方がいいような気がする。

もちろんお金は教育するにあたってある方がいいと思うが。

大半の家は児童手当など教育費にかけてもらう事を願ってはいるが、違うことに使うという親もいるであろう。

そんなところにばら撒きをしても意味がないのだ。

まずは親が子供を育てるという事はどういうことなのかという事を知らなくてはいけないと思う。

そういうものも少子化対策に盛り込んでいくべきだと思う。



娘も希望した企業に入り、泣きながらも一生懸命働いてきた。

なぜそれを知っているのかというと、ラインや電話で愚痴を聞いてあげてるからだ。

これは娘が小さい頃からの習慣といってもいい。

第一希望の大学が通えないところにあった為、大学から一人暮らしをしている。

親がすべて住むところや家電もろもろ用意し、生活費も仕送りした。

2月にマンションを契約したので、3月からは住める状態なのに一向に都内へ越さない。

本当ならうるさい親から離れて一人暮らしを謳歌するものだと思っていた。

娘が家を出たのは3月30日であった。

4月1日が大学の入学式なので渋々といったところだ。

私だったら3月早々に引っ越し、一人暮らしを堪能したと思う。

だが娘は違ったのだ。

マンションで夜寂しくて一人で泣いたとしばらく後に聞いたときはびっくりしたものである。


思えば中学、高校と多感な時期にほぼ365日一緒にお風呂に入り、娘が話す友達や学校生活の事を聞いてあげた。

その時間は今でも思い出すととても楽しく宝物のような時間であった。

おかげで娘の交友関係はほぼ把握し、大学もオープンキャンパスなど一緒に行き、これからどうしていこうかなどと話をしたりした。

友達関係は娘がどんどん家に男女問わず連れてくるので、お互いに顔見知りになる。

高校時代の友達は男女関係なく必ず盆正月に集まり楽しい時間を過ごしているようだ。

家に男女問わず5人くらいが冬休みになると一泊していったりすると、私は娘しかいなかったので、男の子をみると息子だとこんな感じなのかぁとも思ったりして意外と楽しいものであった。


子育ては確かに親にかけがえのない時間をくれる。

娘が助かるなら自らの命をかけてもいい存在だ。

辛い受験などもいい思い出である。

半人前もいいとこな私をまともな人に育ててくれたのは娘のおかげだと思っている。

娘は今でも変わらずラインを頻繁にくれ、実家にも帰ってきてくれる。

管理職について仕事も楽しそうである。


では娘にも子供を産めと声高にいえるかというと正直言えないのである。

あの子育ての苦労を娘がするのか?

せっかく管理職についたキャリアをあきらめないといけないのか?

など諸々出てくるのだ。


一番の懸念はSNSなどの類だ。

ネットニュースに中学の女の子の親の嘆きが載っていた。

中学の娘が推し活で明らかに高額な金額を使っていて困っているというのである。

ではその高額な金額はどこからでてくるのか?

娘ははぐらかして一向に説明せず、強くいうものなら家を出ていきそうで怖いというものであった。

ネット民たちは一斉に「パパ活してるに決まってるだろ」「甘やかしすぎ」と言いたい放題だ。

確かにもしかしたらパパ活をしているかもしれない。

母親もそれを懸念している様で、うるさく言って家出などされたらパパ活をするだろうと思っているようだった。

今の時代はSNSが身近で中学生も当たり前のようにスマホを使っているだろう。

ではなぜこうなったのか?

親も子も今は携帯で連絡というのは当たり前だろう。

もちろん親子仲良くきちんと使えてすくすくと育つ子も沢山いると思う。

このお母さんが特別子育てを手抜きしたわけではないとも思うが、実際のコミュニケーションが足りないのは明らかであろう。


実は例外なく我が家も娘が中学の時に携帯が欲しいと言い出した。

買わずに一か月間お母さんのを貸してあげるといいお試し期間を設けた。

案の定、約束は守れず携帯はまだ早いという事になった。

部活の子たちは持っていて、夜携帯でやり取りしていたらしく、その手の話には入れず少し寂しい思いもしたけどと娘は高校の時に笑って言っていた。

携帯は高校入学のお祝いに娘が好きなものを買ってあげた。

県立のそこそこの進学高であったが携帯、スマホOKの学校でもあったし、高校3年制時には担任の先生より「受験の情報をメールなどでやりとりするため、親御さんから同意を得たい」とクラス全員の生徒が面談の時に言われた。

99%の生徒が大学へ進学するため、効率の良い受験指導をするためであった。

希望の大学に合わせて、受験の方法や前年の実績などを分析してくれノウハウをアドバイスをくれるのである。

受験時に気を付けなくてはいけないことなどは生徒全員の一斉メールの時もある。

こういう使い方は効率的でもあるし、とても良いなと思った。

しかし、現代は意外と子育てにおいては悪いツールになっている時もある。

それがパパ活などの出会い系だろう。


日本は不思議なもので女は若ければ若いほどいいという風潮があるが、欧州などで若い子とおじさんがパパ活のようなものをしていたら軽蔑ものである。

欧州などは若いというだけで女性の価値観をみないのだ。

まれにトロフィーワイフというのも聞くがあまり清潔感あるのもではない気がする。

海外では中年の女性を人生の円熟期の女性とみていて、色々話をしたりするのは円熟した女性の方が面白いというのである。

国会議員でパパ活報道など論外ではないか?

それを考えると日本は異常である。


政府がばらまきをしたところでほとんど解決にならないと思う。

自身の経験から金を出せばいいというものではないことがわかっている。

娘も自身の経験から「お金をつぎ込めばいいって話でもないしなぁ」と金はかかるがそこではない事がわかっているらしい。

親が子と対話し、なぜ子供時代に勉強しなければならないのか?という事を懇々と伝えていくのが本来の親の役割であると思う。


やる気のない子を塾に行かせてもドブに金を捨てるようなものだ。

でも親は塾に行かせる=勉強している<成績があがると思っている。

藁をもすがりたい受験期、私も例外なくそうであった。

いつだかテレビを見ていたら芸人で進研ゼミだけで一橋大学を出たというのだ。

ネタとして使っていたが、ふっと気づいたのである。

私自身もそうであったが、自分がやらなければならないことを認識すると自身で努力するものである。

子育てに金はかかるが、それより大事なのは親子の対話をする時間と信頼だ。


私は子育てが終わってから気づいたのだが割と実行していたと思う。

中学までは親の責任と思い、娘の意見も尊重したがいけないことははっきりとダメだと伝えた。

その代わり高校からは自身で選択するということを全てさせた。

高校に入ってからは塾は辞めさせ、本人がこの教科だけ苦手なので行かせてほしいというまで行かせなかった。

子供が興味を持っている大学などは見にいってみようか?と親子デートをしたものである。

大学も就職先もすべて娘が決めた。

親である私ははらはらしながらも我慢し、困ったときに頼れる役目だけを担った。

子供もたくましいもので、自分で選んだものは頑張るものである。


子供をそだてるのは金でなく親の思いなのだ。

子供と向き合う時間を取り、十数年間子供の為に時間を使う。

簡単なようで難しいことだ。

精神だけ戦後の母になるくらい大変だと思う。

戦後の母というのはお金がない中、自分は食うものも食わず、下着がぼろになって繕い子供の教育の為にお金も労力も使った。

子供にもSNSは楽しいように、親世代もなくてはならないものになっているだろう。

インスタをみれば周りはキラキラしているのに子育てでクタクタになっていれば「なぜ?」と思うことも多いと思う。

子供を産んだら親は他の動物と同じく、子が自立する時に自分が死んでも困らないようにしなくてはいけないのが子育てだと思う。


女の子は尚更だが化粧やファッションもそこそこなら楽しんでいいと思うが、勉強にとって代わるようでは困るのだ。

ファッションや化粧を楽しむのは大学に入ってからでいいと思う。

教育とは知識や経験を得て人生を生きていく術を学ぶものだと思うのだ。


ただ、今の日本で戦後の母のように純粋に子供の為に生きていける女性がどれほどいるだろうか?

戦後の母のような精神でキラキラした世界が傍にある現代の女性にはとても過酷だと思う。


中国でも一人っ子政策で大事に育てられた子が結婚しないというニュースも流れている。

中国も少子化対策に乗り出したようだ。

とうとう女性ひとり親でもOKということになるらしい。

経済力がある女性は男性にしばられることなく、どんどん産めという事だ。

かなり深刻なことだと思えてならない。


少子化はお金だけではない。

昔より便利になっているはずの現代で、子育てだけが過酷になっている現状を把握しなければ、いつまで経ってもばら撒きで終わるだろうと思っている。

多様な社会はいいと思う。

だからこそ産まないという選択もあるし、わざわざ苦労をしたくないという思いをわかるだけに、娘に孫をとは言えないのである。


皮肉なもので文明が発達し、マテリアル社会になり便利な生活を手に入れた現代人だが、大事な何かを無くしているような気がしてならない。

昭和初期、戦後までは物のない時代で恋愛というのが人生の楽しみの一つであったと思う。

だが今は違う。

恋愛しなくても楽しく人生が送れる。

ダメだとは言わないが、こういう現代に身においてるものとしては、やはり少子化というのはある意味自然な現象だと思う。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る