第9話  国葬

9月27日は安部晋三元総理の国葬であった。

私は反対までとはいかないが、あの7月に行われた増上寺での葬儀のお別れで十分だと思っている。

静岡で災害も起き、まだまだコロナ禍の影響を受け、毎日生活を送るのが必死な人も多いだろう。

国葬どころではないと思う人もいると思って当然だと思う。

オリンピックでの汚職事件や、統一教会問題も片付いていない中、国葬を行うにはやはり反感を買うだろう。

夏に日本海側の東北で豪雨が降り、リンゴやコメ農家は大打撃をうけた。

秋田の農家のおじいさんが涙ながらにもうだめだ・・・と言っていたのをニュースで見たときは胸が締め付けられた。

こういう人にこそ税金を使い助けて欲しいと思うのだが・・・


私は政治の根幹に問題があると思う。

オリンピックはもとより、秋に始まるGOTOトラベルを名称をかえてやるようだが、GOTOのラベルをそのまま使えばいいのにと思ってしまう。

でもこれには大人の事情があるのだろう。

名称変えれば潤う人がでてくるのだ。

新しくステッカーを変えたりすれば、またそれをデザインし、印刷し・・・と仕事ができるからだ。

でもその支払いは税金だ。

それが今の政治の悪い所であると思う。

国が沢山のお金を使わなくては回っていかないのだ。

確かにお金が回れば経済の助けにもなるだろうが、それは一部分の人である。


この国の予算の最小単位は個人の家計だ。

一般人は働くか年金、もしくは不労所得で暮らすことが多いと思う。

でも毎月決まった額の中で家計を回している。

でも個人は国と違い、足りないからちょうだいとは言えないのだ。

しかし国は違う。足りなければ税金を年でちびりとあげてくる。

私は今は現役で働いているが、歳を取ったら年金と働いたお金で回していこうと思う。

現役ほどの収入ではなくなるだろうから、今からもらえる年金と大体これくらい毎月働いてというビジョンをたて、その範囲でやっていけるように今から家計をスリム化しようと思っているくらいだ。

国民はそうしているのになぜ国はしないのか??

私には国の財布の締め具合と広げ具合が庶民と逆な気がしてならない。


私は程よく田舎で都内には特急で50分のところにある街に住んでいる。

ここでもその大人の事情を見ることができる。

ある一人の高齢の女性がいるが写真屋を営業している。

市の婦人会に入り、市役所にいりびたっていて、県議ともツーカーの仲である。

市長とももちろん懇意にしていると思う。

昨今、町の写真屋を使うことは昔ほどなくなった。

今は成人式は前撮りで着物屋さんと提携している写真屋さんが撮るのだろう。

しかし、今年回覧でその写真屋さんで結婚50周年の方は市で記念撮影し、プレゼントしてくれる企画のお知らせだった。

もちろん市のお金であるから税金である。

撮りたい人は喜ぶと思う。ただ、税金なのだ。

市だからそんなに大きなお金が使われないが、この方式が市から県、そして国へと構図が広がっている。

国に関しては汚職でわかる通り、中抜き業者がいるのがほぼ確定であろう。

そのために税金がつかわれるのである。

皆、バカではないから気づいてはいる。ただ面倒なので、長いものには巻かれる方式が出来上がっている。

でもそろそろ、声を上げないといけない時期にきているのではないかと思う。

国葬にしても現段階で16.6億円のお金が使われるといわれた。

あのエリザベス女王の国葬でさえ13億円だ。

かなり中抜きがあるのではないかと思っている。

国会議員の報酬はアメリカを抜いて、日本はトップだ。


そろそろ国民は長いものを断ち切り、立ち上がらなければならないと思うが、もうこれを全部変えようとするとフランス革命か明治維新になってしまうのではないかと思ってしまう。

議員の方たちのモラルにも期待してはいるが、結局総理はお飾りで実権は違うところにあるのだ。

今大河ドラマで鎌倉殿が放映されている。

岸田首相は今の放映されている鎌倉殿と一緒である。

この図式の限り、どんなに清廉潔白な人が日本を変えようとしても握りつぶされてしまう。

日本は思ったより濁った国になっていると思う。


だが、個人的には昭恵夫人に同情し国葬を観ていると涙がでた。

あんな風に愛する人を奪われたのだ。

心中察するにあまりある。

自分がそうであったらやはり悲しいという一言では言えないほどの悲しみだろう。

私は安部さんは嫌いではなかった。

1期目はとても一生懸命真摯に務めていたと思う。

でも皮肉にも今の腐敗した政治が原因で退陣するようになってしまったのではないかと思う。

だから2期目は人が変わったようにみえた。

野次られても気にしない、精神的にもタフにみえた。

そして野次に対して、冗談を言えるくらいになっていた。

言い方は悪いがずる賢くなったのだろう。そうでないと日本の政治の海千山千は越えられないのかもしれない。

現在の日本で総理を務めるというのは綺麗ごとだけではできなくなっているのだ。

これは全国民が真剣に考えなければならない事であり、もう選挙もほとんど意味をなしていない気がするのである。


菅元首相の友人代表の言葉はとても良かった。

とても気持ちがこもっていて、本当に心の中の言葉であろう。

菅元総理の任期はタイミングが悪かったと思っている。

デルタ株とワクチンの攻防戦だった第5波の時である。

菅元総理はもう少し、もう少しとワクチンがいきわたるまで罵られていても耐えているようにみえた。

あの5波がなかったらもう少し歴任したのではないかと思う。

最近の総理の中では苦労人で一番庶民に近いと思える。

だから辞任した時は惜しいと思った。

昨日の友人代表の言葉にも人柄が表れていると思った。


今年の参院選は自民が圧勝したが、色々な党がでてきてSNSなどでの情報戦になっていた。

これからは悪いことをしても必ず表に出てきてしまうという事を肝に銘じて国会議員の方たちは日本の為に働いてもらいたい。

そして冬のボーナスを今年被災した方々に寄付します!という気概のある政治家が出てくるように祈るばかりである。







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