最終話 天秤の鳥
先手を取ったのはラウエスだった。
高度が、アルジャーノよりラウエスの方が高かったからだ。
空を舞い突進するラウエス。
アルジャーノは半回転してそれを避けた。
ラウエスはターンする。
この戦いは、根本的に言うと、ラウエスの圧倒的不利である。エリックが振り落とされないようにしないといけないからだ。対して、アルジャーノは単体で空を飛び、炎弾が吐ける。
ラウエスの最初の攻撃は全力だった。しかし、仕留め損ねた。
アルジャーノもターンして、ラウエスに向き合う。
吐かれる炎弾。一発でも喰らえば、エリック達の負けである。
ラウエスは素早く急上昇。意地でも当たらない覚悟だ。そして、エリックも覚悟していた。
「ラウエス!アルジャーノには体当たりだけでは勝てない!俺の剣で突き刺す!だが、飛ぶのに遠慮はするな!そう簡単に振り落とされたりはしない!」
ラウエスは、それをしっかりと心で受け止めた。
宙にはゾンビ達はいない。ラウエス達とアルジャーノの姿だけ。
遠くにいるシノとクアミルからも、その光景は見えた。
「エリック……」
シノは宙を見ながら呟いた。クアミルも無言で見守っている。
アルジャーノは自分の優位性を理解していた。エリックが考えていたことは、読めなかった。たかがペガサスごときに何が出来るのかと、見下していた。体も、竜の方が強い。炎弾を吐くことも出来る。エリックの剣の射程も、たかが知れている。
さらに言えば、エリックはペガサスに乗っている間は、迂闊に剣を振れないだろうと、アルジャーノは冷静に分析していた。時を止めることで、ペガサスとの連携が崩れ、落下する可能性があるからだ。そうすればエリックは落下。それで終わりだ。
ゆっくりとペガサスを狙い撃つ。それでいい。
ラウエスは懸命に宙を舞った。まだ一度も被弾していない。
その背中に乗るエリックには、一つの考えがあった。しかし、それは究極的な背水の陣である。
「ラウエス」
ラウエスにだけ聞こえる声で呼びかけるエリック。返事こそ聞こえないが、ラウエスの耳には届いているはずだ。
「……という作戦でいく」
小声で話すエリック。その内容に、ラウエスは驚いた。すぐには賛同出来ないような作戦だったからだ。
しかし、エリックの言葉には、拒否することの出来ないような勇敢さが、力強さがあった。勝利を得るためにはリスクを負わなければならない。エリックの事が心配だったが、ラウエスは心を決めた。
アルジャーノの動きから察するに、エリックの射程が短いことは読まれているようだ。アルジャーノは、迂闊にラウエスに近づかない。炎弾でジリジリと攻めている。
今はアルジャーノが、ラウエスの上の位置を保っている。
飛ぶペガサス。対する飛竜。
アルジャーノは上から炎弾を吐き出した。
ラウエスはそれを回避。かなり際どい。
そして、今度は位置が逆になる。ラウエスがアルジャーノの上を取った。
「(クスハ……)」
エリックは、決着の時が近づいてくるのと同時に、クスハの事を思い浮かべた。ほんの一瞬。ほんの一瞬。
アルジャーノが上を向く。
ラウエスはその上から、アルジャーノ目掛けて突進した。
炎弾を吐いてそれを制しようとするアルジャーノ。
次の瞬間、エリックが宙に跳んだ。空中に身を投げ出したのだ。
ラウエスは左へ曲がり急降下。
真上から斬りかかるエリック。アルジャーノは考える暇もなかった。炎弾を、と思ったその時にはアルジャーノの首は飛んでいた。長い首。
時は動き出し、エリックは落下していく。
ラウエスは急降下してエリックを受け止めようと動いていた。射程内でなければ、斬りかかれないだろうという相手の読み。エリックが、自分の命を犠牲にしてでも、クスハのために敵を倒そうという決意を、読みそこねたアルジャーノだった。
エリックは上を向きながら落下していく。加速度を感じている。頭に浮かぶのはクスハのことだった。
彼女のため。
全ては彼女のためだった。彼女の笑顔が見られるなら、どんなに苦しい旅でも乗り越えられると思った。
愛していた。だから、一緒に人生を歩んでいきたかった。
しかし、このまま落下して死ぬという現実は変えられない。走馬灯のようにクスハのことが思い浮かぶ。
置いていってしまう。彼女を一人で置いていってしまう。
すまない……。
エリックは目を瞑った。
ラウエスは、エリックに追いつくことが出来なかった。
エリックは一直線に、地上へと落ちていった。
死は人を別つ。
避けられない、人間の営みである。
アトラクシアに鳥が飛んでいた。
かつての鳥が姿を変えて、飛んでいた。大きな鳥が飛んでいた。
神様の使いである、天秤の鳥が、大きな姿で宙を舞っていた。
「これが、私達の旅でした」
男の声が部屋に響いた。壁は木で出来ている。ベッドが一つあり、その周りに椅子が四脚置いてある。丸い椅子だ。いずれも人が座っている。ベッドの側には窓がある。明るい光が、そこから部屋に差し込んでいた。窓についたカーテンはピンク色。それは、ベッドで上体を起こしている少女の髪と同じ色だった。
その少女は、白いワンピースを着ていた。そして、白い肌が見える。『真っ白な白い両腕』が見える。
少女を囲んでいるのは、ローエンとシノ、それにラウエスとクアミルだった。
囲まれている少女こそ、エリックの彼女。クスハである。
彼女の病は、嘘のように無くなった。空咳は消え、腕の黒いアザも消えたのだ。
しかし、クスハは涙を流している。
「エリックはそこまで、私のことを……」
クスハの白い肌を、涙が伝った。それは、人の心が動いた証である、感動の涙だった。
「エリックはいつでも、あなたの事を考えていました」
そう語るのはローエン。ローエン達は、みんなで話を整理して、クスハに伝えている。
「私も、エリックを愛しています。しかし、エリックがそこまで私のことを想ってくれているなんて、思いませんでした。私は、病が治れば、彼とともに生きることができ、子供も作れると思っていました。だから、どんなに一人ぼっちでも、どんなに心細くても、彼をここで待とうと決めました。しかし、私は止めるべきでした。私の命の灯火が尽きるとも、彼を危険に晒さないべきでした。死ぬのは怖かったです。でも、エリックは自分の死も覚悟するほど……」
クスハは涙を流し続けている。
「エリックはいい彼女を持ったな」
呟くシノ。頷くラウエス。
「私は、エリックに救われました。毒を受け、死ぬ運命だった私を、意地でも助けてくれました。彼はとても勇敢で、優しい人間です。優しいのです。クスハさんは、エリックのことを誇りに思ってください」
クスハの手を握るラウエス。
「本当に、彼は正義感の強い人間でした。人を救うこと、人の命の重みを、彼には思い知らされました。私も、自分のすべきことを全うします。人生が変わったといってもいい」
クアミルは椅子から立ち上がった。
「彼と旅をした時間は、私が一番長かった。私には、みんなの逃げ場になるような街を作りたいという信念があった。しかし、人生を過ごしているうちに、人の命の重みを見失っていました。彼は、私を変えてくれた。彼ほどの心を持った人間には、会ったことがない。私は街を作ります。必ず作ります。エリックが教えてくれた心は、一生忘れないでしょう。彼は、素晴らしい人間です。情熱的で、正義感があって、正しかった。クスハさん、彼のことを誇りに思ってください」
ローエンは未来を見るような、遠い目をしながらそう語った。
クスハは、みんなの話を真剣に聞いていた。エリックを助けてくれた、旅の仲間たちの言葉を。
みんなの話を聞かせてもらった、クスハの表情が見える。
クスハは、とても嬉しそうに笑みを浮かべていた。
部屋のドアを開け、何者かが中に入ってきた。
その人物は、金髪に緑の瞳をしていた。足取りは重そうだった。
それでも、その人物はクスハの元へと歩いてくる。
家の真上を、白い鳥が飛んでいた。
神様の使いの、天秤の鳥が飛んでいた。
「ただいま」
「おかえり、エリック」
神鳥のラストフライト 夜乃 凛 @tina_redeyes
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