44話 あるいは最後の夜

「話せることは、これくらいか」


 エリックが、カップをテーブルに置いた。液体の飲み干された、白いカップのみが残る。


「そうでしょうね。後は目的地で判断するしかないでしょう。もう、今出来ることは、休むことだと思います」


「そうだな、ローエン。明日に備えてみんな休むべきだろう。すまない、ラウエス。長に、すぐにでも会いに行きたいだろうに」


「いいえ。私がアトラクシアから離れて、少しだけ時間がありましたし……長、オルベンはきっと、生きている気がするのです。希望は捨てません。明日、必ずアトラクシアを救います」


 ラウエスは透き通った瞳をしながら答えた。未来を見つめる瞳。

 集まった五人の人間。その中でも、エリックとラウエスの想いは強かった。

 恋人を救うため。故郷を守るため。譲れない想いがある。

 ローエンとシノ、それにクアミルにも秘めたる思いがある。

 しかし、全てはアルジャーノに勝つということが必要だ。

 五人の人間は解散した。翌日の、人生で忘れられない戦いに、想いを馳せながら。



 その日の夜。エリックは、ベッドで上半身を起こしていた。宿屋の一室だ。エリックが一人で使っている。煉瓦造りの壁に張り紙がしてある。何かのメニュー表のようだ。


 彼は眠れなかった。

 身体の調子を確認する。悪くはない。野盗に殴られたダメージも薄まっており、安心した。

 彼の睡眠を妨げているものは、たった一つだった。恋人、クスハのことだ。

 前に顔を見たのは、いつだっただろうか。旅に出て、どれほどの時間が経っただろうか。

 しかし、時が流れようとも、エリックはクスハの顔を鮮明に思い出せる。笑顔を思い出せる。苦しんでいた顔を、思い出してしまう。

 アルジャーノさえ倒せば。

 倒せば未来はある。クスハと共に手を取って歩いていける。

 頼もしい仲間の顔を思い出す。最初に浮かんだのは、ローエンの顔だった。

 エリックは思った。ローエンは、いつだって冷静だ。いつも、自分を助けてくれた。そして、皇帝の棺という幻想が消えた今でも、共に旅をしてくれている。なんの見返りもないのに。それが、どれほど頼もしいことか。

 エリックは、ローエンは理想を叶えられると信じていた。莫大な財宝が無くても、ローエンは必ず理想の街を作り上げるのだろうという確信があった。旅の途中で感じたことだ。ローエンは仲間思いで、信念がある。

 その頼もしいローエンに、エリックは全力で頼る気持ちだった。こんなに頼れる仲間はいない。シノにしてもそうだ。確かに、砂の都ノーバイドで、穏健派の手伝いはした。だが、彼女が旅の仲間にまでなる必要はないはずだ。クイナの命令とはいえ。

 シノの影渡りは、必要な戦力になる。それに、シノは言葉に棘があるが、根は優しいのだと感じていた。


 ラウエスとクアミルも、ついてきてくれる。二人のことは、まだほとんどわからないが、目的地は一致している。

 新しい人物と会うのが、斬新だった。そして、出会った人に恵まれた。ラウエスも、クアミルも、優しい人間だ。

 一人きりで、砂の都ノーバイドへ向かっていた自分を思い出すエリック。

 皇帝の棺に囚われ、なにもわからなかったエリック。旅で出会った人たち、そして、天秤の鳥がエリックを導いてくれた。


「寝ないといけないな」


 エリックは低く呟いた。寝なければならない。明日で全てが決まるのだから。

 みんなはもう、眠っているだろうか。

 そんなことを思いながら、エリックはベッドに横たわった。

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