36話 天才の薬師クアミル

 エリック達は歩んだ。草原が広がっているが、しっかりと道がある。その道を頼りに、先に進んだ。

 歩いていくと、看板が目に入った。木製の地面に突き刺さった看板。エリックが近づき、その看板の文字を読んだ。


『これより先 水の都アルカディア』


 険しい表情のままだったエリックの顔が、少し柔らかくなった。


「みんな!もうすぐアルカディアだ!急ごう!」


「もうすぐアルカディアです。生きてください。あなたは助かります」


 ローエンは女性に呼びかける。

 水の都アルカディアに辿り着いたとして、女性が助かる保証はどこにもない。それでも、言葉をかけてやるべきだと思った。必ず生きれるという希望を持たせるべきだと思った。エリックの懸命な態度が、ローエンを動かしたのだ。

 シノは後ろを警戒していた。野盗は追ってこない。自分の役目は障害を薙ぎ払うことだと、彼女は理解していた。


 歩んでいく三人の左側を、大きな川が流れている。どこかに繋がっているようだ。おそらくは、アルカディアに繋がっているのだろうとエリックは思った。水の都と呼ばれる所以があるはずだ。

 アルカディアに辿り着けば、女性は救われるのか?

 それはわからなかった。だが、エリックは見捨てておけなかった。目の前の女性が死んではならないと思った。

 人間には、体が一つしかない。だから、出来ることは限られている。一つの身体で多くの人を救うのは難しい。

 旅の目的は、クスハを救うためのものだ。しかし、エリックは女性を見捨てなかった。諦めなかった。襲いかかる死が許せなかった。身体の痛みを堪えながら、エリックは仲間と共にアルカディアへと向かった。


 看板の指し示した方角へ向かっていくエリック達。

 彼らの視界が、アルカディアを捉えた。水に囲まれた街。外から街へ対して橋がかかっている。正面と左右、そして後ろに橋があるようだ。計四つの橋。


 自然と、エリック達の足取りは速くなった。時間がないからである。もう、女性は息をするのも精一杯で、言葉を発していない。だが、その命の灯火はまだ消えてはいない。

 野盗の追撃もない。毒沼で力尽きたか。

 希望を信じて、エリック達はアルカディアの橋へと向かった。


 エリック達は橋を渡っている。アルカディアと外を繋ぐ大きな橋だ。下には川が流れている。太陽の光を反射する美しい川。その川のせせらぎと共に街が豊かに呼吸している。

 街の住人たちが、木製の籠を持ちながら、街の中を歩きまわっていた。正門は開いている。

 女性を担いでいるローエンよりも先に、エリックがアルカディアに入り、歩いている住民へと声をかけた。女性の住民は、茶色い毛の頭に白い布を巻き、黒い服を着ていた。


「すみません!!この街に優秀な薬師はいませんか!?」


 街の者たちは、何事かとエリックの方を見た。建物の窓からエリックを覗き見する者もいた。話しかけられた女性は驚いている。


「お怪我をなさったのですか?」


「毒です!猛毒にやられている方がいます。解毒薬でも治せない。薬師はいませんか!?時間がないのです!!」


 女性はエリックの言葉を受け、深刻な事態だと判断した。ローエンとシノも、エリックに追いついた。


「アルカディアで一番優秀な薬師は、クアミル様です。この街の二時方向の薬師ギルドに、クアミル様はいらっしゃいます。クアミル様の元へ急いでください」


「ありがとうございます」


 深く一礼したエリック。そしてローエンとシノの方を見た。


「行こう!」


 灰色の石畳を踏みながら、エリックは薬師ギルドへと走り出した。


 薬師ギルドは紫色の建物だった。その紫色の中には、薬師の叡智が宿っている。

 エリック達は、薬師ギルドに辿り着いた。エリックは迷わずに薬師ギルドの木の扉を開けた。

 ローエンが女性の様子を確かめる。息はしている。しかし、顔は苦痛に歪んでいる。長くは持たないだろう。


「クアミル様はいらっしゃいませんか!?」


 エリックが叫んだ。

 部屋の中には机が三つ。右側に一つ、その先の左側に一つ、さらに奥に一つ。入り口からみて正面には、受付らしきカウンターがあった。左手奥に、二階に上がる灰色の階段。部屋には六名ほど人がいた。皆座っていたが、勢いよく扉を開ける音に反応して、皆エリック達の方を注視した。手前の右側のテーブル、その周りにある椅子に腰かけていた薬師の男が立ち上がり、エリック達の方へやってきた。


「どうかしましたか?」


「この女性を助けてください!!深い毒を負っています。解毒薬も効きません」


 毒と聞いた薬師は、すぐにローエンの担いでいる女性を見た。血の気の引いた顔。緑の髪。紫色に腫れ上がった手足。浅い呼吸。部屋にいた他の人物達も集まってきた。


「これは酷いな。誰か!ベッドに横にならせろ!俺はクアミル様を呼んでくる!」


「助かりますか?」


 エリックは心配だった。とても、心配だったのだ。


「クアミル様なら大丈夫だ」


 そう言うと薬師の男は、二階へ上がる階段を昇っていった。

 緑の髪の女性は、右手にある扉の方へ運ばれていった。そちら側にベッドがあるようだ。

 それを見届けたエリックは、ふらついて、その場に片膝をついた。


「エリック?」


 シノが心配そうにエリックの側にやってきた。


「大丈夫だ。野盗に一発殴られただけだ。とにかく、クアミルという人が治してくれるのを祈るしかないな」


「お前、傷を負っていたのか!大丈夫じゃない!お前も治さないとダメだ!誰か、この人の怪我を見てもらえませんか?」


 シノが集まってきていた周りの者達に声をかけた。集まってきていた人たちは皆、薬師達だった。流石は薬師ギルドということだろう。

 ローエンは考え込んでいた。自分に出来ることはあるだろうか?今はない。ただ、祈るだけしか……。


「君も怪我をしている!動けるか?ベッドに横になったほうがいい」


 周りの薬師の一人がいった。エリックはなんとか立ち上がり、頷いた。


「こっちだ」


 薬師の男が、エリックを部屋へ先導した。エリックはそれについていく。シノも一緒だった。ローエンは、クアミルという人物を待つためにその場に残った。


 薬師ギルドはざわめいていた。重症の患者の到来のためだった。勿論、枯れ木の廃墟で、毒に侵されていた女性のことである。薬師の者たちが、ベッドに横たわっている緑色の髪の女性の様態を見たが、事態は一刻を争うようだった。そして、彼女を治すことは、もはや不可能であると薬師達は思っていた。

 エリックも、女性の隣の白いベッドで横になっていた。服を脱ぎ、手当てを受けている。幸いにも骨は折れていないようだったが、まだアザが残るほどの強打を受けていた。

 薬師の一人が、エリックの身体に薬を塗りつける。一瞬、エリックは苦しそうな顔をした。


「あんたはこれで大丈夫だ。しかし隣の彼女は……」


 薬を塗ってくれた薬師は語る。


「クアミル様は?」


 エリックは、自分は大丈夫だといった様子で、隣の女性を心配している。そして、クアミルという薬師の到着を待っている。


「クアミル様なら治せるかもしれない。あの人は凄い人なんだ。昔、アルカディアで疫病が発生したんだ。俺たちはその時、何も出来なかった。しかし、アルカディアの外からふらりと現れたクアミル様は、街の状態を知り、街のために研究をしてくれた。研究にかけた時間、はそんなに長くはなかった。しかし、気迫が違った。クアミル様は3日も寝ずに研究を続けて、疫病への特効薬を開発しちまったんだ。あの人は格が違う。それに恩人だ。だから希望を捨てることはない」


 薬師は、エリックを安心させるように微笑んだ。

 その時、ドアをくぐり抜け、ローエンが入ってきた。後ろに誰かいる。

 後ろから来たのは、長い銀髪の女性。紫色の瞳をしている。華奢な体つきだった。肌の色は白く、紫色のワンピースを着ていた。

 その女性は部屋に入ってくるなり、毒に侵されている女性の元に駆け寄った。周りの者が目に入らないかのように。


「クアミル様、治りますか?」


 薬師の一人が銀髪の女性に話しかけた。どうやら、銀髪の女性がクアミルらしい。

 クアミルは、薬師の言葉に返事をしなかった。集中して屈んでいる。

 女性の手足を素早く観察。額に手を当てる。呼吸の頻度を確認。


「解毒薬は飲ませたのですね?」


 クアミルは、よく響く声で尋ねた。それにはエリックが答えた。


「飲ませました。しかし効果はありませんでした」


「飲ませた時の状態を教えてください」


「今と同じ様に、手足が紫色に腫れ上がっていました。呼吸も浅く、ギリギリ話すことが出来たくらいです」


「何故、毒にやられているのですか?」


「彼女は枯れ木の廃墟にいたので、おそらくは、そこの毒沼にやられたのだと思います」


 エリックが状況を説明。クアミルは、ギリギリ話すことが出来たという所で、顎に手をやった。

 彼女は考えた。治すには……。

 状態。

 調合。

 時間。

 即効。


「誰か!麻痺毒を持ってきて飲ませてください!通常瓶三本分!急いで!」


 クアミルは周りの薬師達に大声で話すと、誰も目に入らないかのように、部屋を出ていこうとした。

 薬師達は、クアミルの言葉に驚いた。


「クアミル様、さらに毒を盛るのは危険です!一本でも危ないのに、三本は流石に……」


「このままでは痛みで意識を失います!意識を失ったら死ぬ!私を信じて飲ませて!薬を調合してきます!」


 クアミルはそう告げて、部屋を出た。彼女は階段を上り二階へ。二階の廊下を右に曲がり、正面のドアを開いた。クアミルの部屋だ。

 部屋の中は散らかっていた。床には本が無造作に積まれ、左右の木製の棚には、薬品や素材が置いてある。真正面に調合用の机があり、その上には、調合に必要な道具が揃っていた。散らかった部屋だが、クアミルはどこに何が置いてあるかを全て記憶している。彼女の頭の中では、散らかっているという考えはない。


 クアミルは、即座に調合に取り掛かった。多少の反動を受ける薬でも仕方がない。毒の排出を急ぐか、まず命を繋ぎ止めるかの判断。クアミルは迷うことなく、毒を抜くことを優先した。後遺症が残ってはいけないという思考。調合机の左側に置いてある素材入れから、いくつかの薬草を取り出した。草原で取れる薬草。通常、役に立たないような薬草ばかりだ。


「シギ草を3、ルメ草2が、カラ実4」


 クアミルは呟きながら、カラ実という木の実をすり潰している。その動きはとても速かった。


「まずは内臓」


 木の実をすり潰したクアミルは、今度は薬草をすり潰し始めた。これも高速。

 時間がない。患者があの状態で生きているのが奇跡だと、彼女はわかっていた。

 薬草をすり潰し終えたクアミルは、潰した素材を瓶に入れ、その瓶の中に青い液体を注ぎ込んだ。そして蓋をした。その瓶を高速で振って、液体が素材に染み込むように混ぜ終えた。完成した薬の色は水色だった。

 その瓶を持って、クアミルは急いで部屋から出た。本の間をくぐり抜けた。真っ直ぐ早足で移動し、左に曲がって、下への階段へ。そして降りて左へ。患者の待つベッドの元へ。ドアをくぐり抜け、患者の部屋へ到着。


「容態は!?」


「麻痺毒は飲ませました!まだ意識はあります!」


「よし。ありがとう」


 クアミルは、毒に侵された女性の側に駆け寄った。


「これを飲んでください。あなたは大丈夫です。治ります」


 手に持った瓶の蓋を開けるクアミル。

 運ばれた女性は、もう喋ることが出来なかった。しかし、言葉は聞き取れているようで、ほんの僅かに、頷いたように見えた。

 クアミルが女性の口に瓶を動かし、中の液体を口に含ませた。

 ここまでは良いと彼女は判断した。次。次は水。

 エリック達は、その様子を心配そうに見ている。


「だれか水を持ってきてください!たくさん!それと桶を一つ!」


 クアミルが叫ぶ。薬師達が慌てて水を取りに行った。女性は、クアミルが作った液体を飲み終えると、ゴホゴホと咳き込み始めた。エリック達の間に緊張が走る。

 麻痺毒の追加、それに謎の薬。どうなるのかまったくわからない。

 薬師達が、急いで水を桶に入れて持ってきた。それに、空の桶も。クアミルは僅かに薬師の方を向いて頷き、コップに水を入れて、女性に飲ませた。桶を女性の前に置く。


「辛いでしょうけど飲んでください。あなたは助かります」


 クアミルは優しい声色でいった。落ち着かせるかのように。

 女性をそれを信じて、水を飲んだ。飲んで数秒後、女性は桶に水を吐き出した。

 周りの薬師達は驚いている。水を吐き出しているから、心配だったのだ。

 しかし、その水には、ほのかに紫色が混ざっているように見えた。


「その調子です。辛いけど水を飲んで、吐き続けてください」


 緑の髪の女性は苦しみながらも、頷いた。たしかに頷いた。

 また水を飲む女性。クアミルは真剣な瞳で、女性の様子を見守っている。

 水を飲んでは吐き出す女性。桶の中に水が溜まっていく。その色はほのかに紫色。

 苦しそうな女性の顔。


「もう飲めません」


 緑の髪の女性は、苦しそうに涙目でいった。その言葉に、エリック達は驚いた。喋れるようになっている。


「手足は動かせますか?」


 クアミルが尋ねる。クアミルの頭脳は高速で回転している。全ては人を救うため。


「動きません」


「もう一杯水を飲んでください。信じて」


 クアミルは、毒に侵されている手など関係なしに、女性の右手を強く握った。毒が移る可能性もある。それでも、強く握った。


「はい」


 女性は苦しそうに頷いた。クアミルはもう一度、水を女性の口に含ませた。

 水を飲んだ女性。しかし、今回は吐き出さない。

 クアミルは拳を強く握った。

 良し。そう彼女は思った。

 死なせない!

 女性の手足は紫色だったが、その色がどこか薄くなっている。

 顔色も悪いが、運ばれたときよりも、だいぶ良くなっている。

 周りの薬師達とエリック達は、一言も発さず見守っている。それしかないと思ったからだ。

 クアミルは自然治癒力を高める薬、それもかなり強力な薬を作った。それを飲ませ、水を飲ませ吐き出させることで、無理やりに、身体深くまで染み込んだ毒素を排出させる。そのためには、女性が意識を失っていないことが必要だった。だから、麻痺毒を飲ませ意識を維持させた。苦しみを抑える効果もある。


「私、助かるのですか?」


「助かります。あなたが耐えたおかげです。よく頑張りましたね。もう一杯水を飲んでください。動けますか?」


 女性は、クアミルが差し出しているコップにゆっくりと手を伸ばした。そしてそれを飲んだ。

 周りの薬師達は、心底嬉しそう表情で、よし!と叫んだ。

 エリック達も、胸が高鳴るようだった。初めて会ったのに、このクアミルという人物に任せておけば、絶対に大丈夫だと思った。

 女性が水を飲み終えるのを見ると、クアミルは解毒剤の瓶を取り出した。エリック達が持っていたのと同じ形状のものだ。


「これで最後です。さあ、これを飲んで」


 緑色の瓶の蓋を、クアミルが開けた。そして、それを女性に手渡し、受け取った女性はそれを飲み干した。

 飲んで数十秒後。女性の手足の紫の腫れが嘘だったかのように、白い肌へと変わっていった。


「生きてる……」


 緑の髪の女性は、信じられないというように自分の手を見つめた。彼女の両手に、違和感はほとんどない。


「やった!!」


 エリックは自然と声が出た。今までは治療の邪魔にならないように静寂を保っていたが、緊張の糸もほつれ、笑顔になった。

 助かってよかった。生きていてくれてよかった。彼は心から思った。


「あ、あの、ありがとうございます薬師様。なんとお礼を言ったらよいのか……」


 女性はクアミルに、深く、深くお辞儀をした。


「お礼を言われるほどのことはしていませんよ。私より、そこの金髪の旅人さん達に感謝しないといけませんね。彼らが、あなたをここまで運んできたのですよ」


 クアミルにそう言われ、女性はエリックの方を向いた。ベッドに座っている金髪のエリック。


「意識がほとんどありませんでしたが、確かに……あなた達が私を運んでくれました。もう、なんと言って良いのかわかりません。絶対に死ぬと思っていました。助けてくれて、本当にありがとうございます。私の名前はラウエスといいます。あなた達は、私の命の恩人です」


「助かって本当に良かった。クアミル様のおかげです。俺はエリックといいます。枯れ木の廃墟を通る際に、あなたを見かけたのです」


「何故、助けてくれたのですか?私は、確実に死ぬと思っていました。そんな私に、何度も声をかけ続けていてくれて……どうしてですか?」


「どうして……?助けたかったからです。当たり前のことではありませんか?人を助けたいと思ってはいけませんか?」


「普通は、見ず知らずの人のためにそこまで出来る人は、いないと思います。それに、私は完全に諦めていて、死を覚悟していました。何故そこまで出来るのですか?」


「あまりにも酷い状態だったので、私とシノは諦めていましたね。しかしエリックが諦めなかった」


 ベッドから離れていたローエンがいった。


「何故かと問われれば、命はかけがえのないものだと思っているからです。そして、俺は自分の行動は正しかったと信じています。俺の恋人も一生懸命、命を守っています。俺には、全ての人を救う力はありません。しかし。あの場で貴女を助けることは出来た。あそこで貴女を見捨てたら。俺は一生後悔したでしょう。偽善でも自分の心を信じたい」


「優しいお方ですね。本当に……ありがとうございます。恩人です。薬師様も」


 ラウエスは再びお辞儀をして、クアミルの方を向いた。


「お礼なんて言われることはありませんよ。勝手にやったことですからね。ところで、何故あんなに毒を浴びていたのですか?毒沼に浸かった?」


「はい……理由は説明できないのですが」


 ラウエスは歯切れが悪かった。


「ふむ。詮索はしません。さて、落ち着いた所で……。エリックさん、あなたはどうして怪我を負ったのですか?」


 クアミルはエリックの方を向いた。エリックも怪我をしているのだ。


「俺ですか。俺は野盗との戦いで、少し不覚を取りまして……それで怪我をしただけです。骨が折れていなくてよかった」


「野盗ですか。枯れ木の廃墟ですね。まったく、野盗共は飽きもせず……アルカディアに、何か用でもあったのですか?」


 その言葉に、エリックは真顔になった。ラウエスを助けることにいっぱいいっぱいだったが、アルジャーノを探すために、アルカディアに来たのだから。

 ラウエスは助かった。アルジャーノを探す時だ。

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