第4話 園崎千春-3

「相葉達也?」


「そうそう、あの演劇の脚本書いてた人。」



 私が衝撃的な出会いをした翌日の昼休み、私は翔子に件の相葉君について聞いてみたが、どうやらあまり芳しい返答は得られそうにはなかった。



「あー、あのロミジュリの奴?一応読んだけどなんか気味悪かったよね。なんかすごいグロくなかった?あれ」


 私をつかんで離さなかったあの文章はどうやら翔子には不評だったようだ。元から分かってもらえるとは思っていなかったが、こうも直接言われると案外悲しい。



「千春、ひょっとしてその人の事気になるの?」


「いや、そんなんじゃなくて」


「怪しいなぁ、千春今まで浮いた話全然なかったもんね。ひょっとして本命?」


「だから、違うって。」


「え~どんな人なんだろう?名前的にスポーツマン系?いや、でも脚本書くくらいだしな……案外文科系なのかな?」


「だから翔子、話聞いてって。」



 興味がある、という意味では確かに気になってはいるが、本命などでは断じてない。否定はしたのだが、そこは華の女子高生、その他多くの例にもれず三度の飯より噂が好きな翔子は私の制止も聞かずに近くにいた大人しそうな女子にその「相葉達也」について聞いていく。だがニコニコだった翔子の表情は段々と暗くなっていった。


 やがて私の方に向き直ったが。その表情は5分前とは対極的で、曇っていた。



「あのさ、千春。」


「どうしたの、そんな暗い顔して。」


「私、千春の事かわいいって言ってる男子何人か知ってるけど、紹介しようか?」



 勘違いもここまで来たら訂正を通り越してため息すら出てくる。彼女なりの優しさなんだろうが、あまりに早とちりが過ぎる。悲壮感たっぷりの翔子を落ち着かせて、私はただ脚本の文章が中学生離れしていたから気になっていただけだと伝えた。まあ、脚本に魅入られた事は伝えずにいたが。



「だって…千春がバツ也とのとこに行くかと思うと私不安で……」


「だから行かないって、ていうかバツ也って何?」



 聞くところによるとバツ也とは一部女子の間からの彼のあだ名らしい。…略しただけの名前かと思いきやそんなことは無いらしい。話しかけるといつもおろおろとした雰囲気で、バツの悪そうな顔をすることからバツ也だそうだ。なんとまあ残酷なあだ名を女子はつけるものである。「真実は時に何よりも残酷」なんてことはよく言われるが、これがそういう例なのだろう。いや、違うか。



「千春に激寒な春が来たのかと思って心配したよ~」


「何よ激寒な春って……」



 冬眠する生き物をまとめて絶滅させる気なのか。ほう、と私に代わって今度は安堵のため息を翔子がつく。



「ていうか私その相葉君の顔すら知らないんだけど。」


「ああ、バツ也ならあれだよ、あそこで話聞いてる奴。」



 そういってクラスの後ろの方を指さす翔子。さっきまで知らないだの浮いた話だのと言っていたのに、もう手のひらを返してバツ也呼びである。そんな翔子の身のこなしに呆れつつも、私はあくまで彼女の指さす方を見る、どうやら件の相葉君はウチのクラスに遊びに来ていたようであった。


 そこには何というか……致命的なまでに、こう、オブラートを何重に包んでも、「おしゃれ」とは言えない男子がいた。髪はぼさぼさ、背も猫背、そして全身からあふれる自信のなさ。だが、私はショックよりも驚嘆のような感情を彼に抱いていた。あんなに素敵な文章を書く人はさぞ中身まで素敵な人なのだろう、当時の私は勝手にそんな幻想を抱いていた。


 だが実際はどうだ、ママの様におしゃれになろうとして却ってダサくなっている人とは違い、そもそもおしゃれになることを自分から諦めて自分から手離すようなタイプ。私は元々こういうタイプは好きじゃなかった、顔とか体型とか、生まれつきだからしょうがないだなんていう免罪符を体全面に貼り付け、大手を振って歩いているような奴ら、そういう風に考えていた。高校に進めば彼らには「セミ系男子」という栄えある名前をつけられるのだが……しかしそれは先の話。


 話を戻すと、その時確かに私はあの暗い引力を持つ文章を書いた陰気そうな彼はを少しは見直していた。しかし翔子はそんな私の思惑とは異なり、その私の驚嘆の表情に悲痛なものを読み取ったのだろうか。



「ねー、別にディスるわけじゃないけど、なんか暗いっていうか、変っていうか…」



 変、ね……。それならあのジュリエットの死で興奮する私も十分変だろう。なんだか自嘲気味な気分になりながらも翔子の言葉には答えぬまま、私はぼんやりと彼を見つめていた。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆








「———————と、いうわけなんだよ。」


「長い。もっと短くまとめろ。」



 時を戻して、現在。誰もいない教室に芝居がかった私の声にかぶせるようにして短く低い声が響く。残念ながら私の出会いの話はあまり彼———相葉達也のお気には召さなかったようだ。



「え~、そんなつれないこと言わないでよ。出会いのエピソードだよ?普通気になるもんじゃないの?そんなんだから————」


「そんなのどうでもいいから、早く、返せ。」


 

 私の言葉をぴしゃりと言い放つ少年に、少したじろぐ。その目は私こそ見ていないが私の手元にあるノート、「脚本ネタ帳」と書かれた本に鋭く注がれていた。この視線が直で私に向けられた可能性を考えると身震いしてしまう。誰だよバツ也とか言った奴、全然はっきり喋るじゃないか。そんな誰かも分からない相手に文句をつけて自分を奮い立たせる。大丈夫、この本がある限り私は負けないし、よし、芝居は続行だ。



「え~、流石にタダって訳にはいかないなぁ。」



 明らかに何か文句を言いたげな彼の目を見ないようにして、私は話を続ける。



「あのさ、相葉君。私と取引しない?」

 ガタッッという音とともに彼が立ちあがる。

「ふざけんな。人のもの盗んどいてよく取引だなんて言えたな。」

 私が押し黙ったのを見てか、バツ也は言葉を重ねる。


「どうせちょっと読んだだけだろ、こんなの読んでドン引きしたん————」


「私は、本気だよ。」


 私はじっと彼の目を見つめる。こうしてみてみると、案外澄んだ目をしていることに気づいた。



「私は、本気。だから、取引して。」


「————ッ、」



 先ほどまでの芝居がかった表情からは豹変した私に今度は彼の方がたじろぐ。彼にしたらこの本を取り返したいだけなのだろうが、私は違う。私にとってこの本はあくまで手段、通過点でしかない。彼とは本気さが違う。


 私が一切引くつもりがないことが伝わったのか、バツ也はため息をつきながら再びゆっくりと席に座った。



「で、俺は何をすればいいんだよ。」


「うんうん、理解が早くて助かる!」


「その嘘くさい演技も辞めてくれ、気持ち悪い。」


 男子はこういう感じの女子が好きだと聞いていたが、どうやら不評のようだ。大人しく里香に判断を仰いでおけばよかっただろうか。いや、それはそれでいつぞやの翔子みたいな誤解をされそうだからしなくて正解か。などと、事態の重大さに反して、案外私の頭はさえていた。



「あのね、相葉君。」



 さあ、準備は整った。私は脳内で何度もシミュレーションした言葉を紡ごうとする。しかし、さっきまでペラペラと喋っていた唇は重く、張り付いたように開かない。動け、話すんだ。これはゴールじゃない、まだスタートだ、こんなところで止まっちゃいられない。あくまで余裕そうに、なんてことなさそうに話すんだ。









 ————————相葉君、私を殺して、傑作を書いてみない?

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