第3話 園崎千春-2

 あれは確か中学三年生の時の文化祭だったろうか、私は受験勉強があるからと言って断ったのだが、確か翔子がどうしても行きたいところがあるとかで、ごり押しで引きずられるようにして来たんだと思う。その証拠が行きたい場所の一つに演劇があった。中学生の文化祭の演劇、なんてものは分かり切っているががひどくお粗末なものだ。役者は演技が上手い人ではなくクラスの中心人物、要は演技力より運動神経を基準にして選ばれてるようなものだし、音も英語のリスニングに使う3000円くらいのCDプレーヤーを使うからガビガビだ。


 正直役者の顔なんて私は3日で忘れてしまったのだが、翔子曰く、主演のサッカー部の男子がかっこよかった…らしい。その演劇では公演後に脚本を配っていて、その脚本を何気なく受け取ってその時初めてこの作品がロミオとジュリエットのリメイク作品だという事を知った。



「どんな形であれ自分の作品が残るのは嬉しいものなのかね。」


 と、夢見心地な翔子に聞いてみる。



「うん?あんな風にロミオがかっこよくなってるなら満足なんじゃない?」


 少し聞きたかったこととは違うような気がしたが、そんなもんかなと言ってその場は締めた。


 しかし風向きは私が部屋に帰ってから変わり始めた。そう、部屋に帰って脚本を読んだ時の事だ。その脚本は正直脚本としての体裁はあまりなしていなかった。地の文も存在しており、半ば小説のなりそこないのようになっていた。ロミオもジュリエットも原作の名言はすべて安易に書き換えられていて、それを読んだときは思わずツッコミを入れたくなった。


 だが、終盤も終盤の所で、ページをぞんざいに捲る手はピタと止まった。ジュリエットが死んでいるロミオを見て悲嘆し自殺するシーン、ジュリエットの体がだんだんと死に近づいていくシーン。数行で終わってもいいその描写は、綿密に綿密に、なんと見開き1ページにも渡って描写されていた。その過剰とも言える、いや、明らかに過剰なその描写は、




 ——————最高に、美しかった。




 私はそのページから目を話すことが出来なかった。ジュリエットの死は中学生が書くとは思えないほどグロテスクな筆致で描かれており、とても官能的であった。見るものすべてに死の認識を覆させるような、醜い美しさ、醜悪な美麗、心臓を優しくなでられるような不思議な心地よさが私を包み込む。一歩間違えれば気持ち悪いと受け取られかねないそれは、「ほら、こういうのが好きなんだろう」と言わんばかりに暴力的に私を掴み、そして離さなかった。なんなんだこれは、何度も何度もそのページを繰り返し読み、読むたびにその醜悪さに乱され、惑わされ、私はついに魅入られてしまった。



「ちーちゃん、ご飯よー。」



 そんな私の没入はママの呑気な呼びかけによってかき消された。

 はーいと返事をしたのだが、正直階下に降りるのは気が重かった。この快感を手離したくない、まるで天国から地獄に行くのと同じじゃないか。とはいえ呼びかけを無視するわけにはいかないので、足取り重く私はゴルゴダの階段の様にも思える実家の階段を下りながらママの待つダイニングへ向かう。


「ずいぶん降りてくるの遅かったね、お勉強中だった?」


「まあ、そんなところ。」


「さすがちーちゃん、偉いわ~。きっとパパに似たのね。ママはお皿洗ってるから、先にご飯食べてて。」


 私の気のない返事も意に介さず、そう言ってママはどこかの国旗がプリントされた洗剤をこれでもかとスポンジに出す。


 皆はママの事をおしゃれだなんだと言うが、私からしたらママは正直「ダサい」。確かにママは実年齢より若く見えるし、服だって周りのお母さんに比べたら今どきだし、実際似合っている。横を歩かれても二人で歩いてたらたまに年の離れた姉妹に間違えられる。その度にママは嬉しそうな顔をして訂正するが、そうやって間違えられるのは私もまんざらではない。


 問題なのはそれ以外だ。例えば洗剤、ボトルこそ海外のを使っているが中身は特売の業務用だし、それがおしゃれだと思っているのかパンをいつも一斤買いするから最後の方はダメにする。柄が気に入ったらしく海外で買ってきたお皿も見えやすいところに置くだけで、傷がつくのが怖いとかで最早装飾品の一部と化している。


 今日のご飯もきっと中はきっと出来合いの物だ、分不相応な皿に盛られたスーパー半額総菜は普段よりもちいさくなったようにも見える。きっとテレビに出てくるような海外のおしゃれな主婦を目指しているのだろう。だが、そういう真におしゃれな人たちは皿やパンがなくてもにじみ出る素敵さがあるんだろうし、絶対わざわざ知り合いの少ない隣町のスーパーまで移動して半額の総菜を買いに行くような真似はしない。


 憧れるのは勝手だが、ママはそういう人たちとは決定的に違う、詰めが甘い。肝心の所がダサい、すごくダサいのだ。普段はそんな晩御飯を見て少しは嫌な気持ちになったりもするのだが、その日は違った。私の頭は晩御飯中ずっと一人の少年の事を考えていた。




 ——————超新訳 ロミオとジュリエット  ~脚本 相葉達也~


 あの脚本が書けるのはどんな人なんだろう、一体どんな世界を普段見ているんだろう。その日は不思議と洗剤のまだ残っている白みがかったスポンジも目につかずに済んだ。

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