第35話 停滞 〜根拠のない介護〜

介護技術かいごぎじゅつ向上こうじょうしない……ですか……。介護技術の向上……が、しない……。うーん」

 ウミは、介護事業所かいごじぎょうしょ管理者かんりしゃであるスワオンさんの言葉を反復はんぷくする。

 多分たぶん、このように思っているのだろう。

「ウミは、介護をやっていれば介護技術は上がる、と思っているんだね?」


「はい。同じことをやり続けるのですから、普通ふつうに考えたら良くなる一方いっぽうかと」


 そう言いながらハテナを頭上ずじょうかべるウミに、スワオンさんは肩をすくめて吐露とろした。

「それが……そうでもないんです……」


 ぼくは、スワオンさんの目を見てうなずく。

「スワオンさんの言う通り、それがそうでもないんだと思う。この事業所は、ご利用者が少ない関係で、介護サービスをする機会きかいもあまりないから、介護のデータが集まらない……。おそらくだけれど、スワオンさん自身も、合理的ごうりてきな介護とは何か、それが理解できていないから、感覚的かんかくてきな介護になっていたりするんじゃないかな」


 少しがあったものの、スワオンさんは机に目線を落として、小さく首肯しゅこうした。

 その反応を見て、ぼくは続ける。

「ぼくがいた日本という国では、科学的根拠かがくてきこんきょもとづいた介護というものが推進すいしんされてきています。それは何故か——」


「介護大国たいこくの日本ですら、合理的な介護をできていない事業所が存在するから、だったでしょうか?!」


 ウミが得意とくいげにバトンをわたしてくれる。うん、めっちゃ可愛い。というか可愛い。

 この子、得意げな表情ひょうじょうも可愛いとか、無敵むてきすぎじゃないか。どうみても可愛い、明らかに可愛い、一年中可愛い。

 ……おっと。ウミの可愛さは一旦いったんわきに置かないと。


 ぼくは、ウミのバトンを確かに受け取る。

「そうだね、惰性だせいでサービスをしている事業所ももあれば、非合理ひごうりなやり方を正しいと思い込んでいる事業所もあるんだ。……後者こうしゃをわかりやすく言うと、例えば、サービスの計画けいかくを立てること、サービス内容の見直しを行うこと……それらをはぶいてしまっている、とかかな……?」


 ぼくがそれとなく問うと、スワオンさんは「それなら」と言って、一度席を立つ。


 デスクの方へ足早あしばやえていくスワオンさんの背中を見て、ウミはふーっとため息を吐いた。

「私……介護のことを全然知りませんでした。リクさんからまなぶことがとても多くて……もっと勉強べんきょうしないといけませんね……」


「そんなの、ぼくだってわからないことだらけさ」


「……え?」


「もちろん、ぼくの考えが非合理とまでは思わないよ? そりゃぼくだって、それなりに失敗しっぱいかさねてきたけれど、その日々があったから、今やっと誰かに介護のことを教えられるんだ。だからウミも、あーでもないこーでもないってなやんで良いんだよ。結局のところ、ぼくらは、頑張れば頑張るほど、まわり道しかできないように作られているからさ。それでも、最後に勝っていれば、それで良いんだ」


 ぼくの瞳をじーっととらえるウミ。

 ……そんなに見つめられると、ときめくよ?! いやいや、もうときめいてるか。

 胸のおくがむずかゆくなったぼくは、この気持ちを誤魔化ごまかすように、

「ま……たいした話じゃないさ……」

 と黒くなった窓を見ながらつぶやいた。


 しかし。ウミはまだ、ぼくを見つめていた。そして、大袈裟おおげさなくらい大きくかぶりを振った。

「いいえ。私の心にはひびくお話でした。必ず……必ずっ、最後に勝ちましょう!」


「ウミ……。うんっ! 勝とうっ!」


 もっと自信を持て、ぼくっ!

 ぼくには、ウミがいる。

 ウミには、ぼくがいる。

 二人なら、勝てる……!

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