第32話 挫折 〜彼は悪くない〜

 人狼さんが気絶きぜつしているあいだ、ぼくはウミから彼の情報を聞いていた。

 スワオン・エスタシ、それが彼の名だ。スワオンさんを知る、昔の知人ちじんの話によれば、彼はまれに見るお人好ひとよしだったという。介護でご高齢こうれいの方に貢献こうけんしたいという野望やぼういだいていたのだとか。


 けれど、彼は変わった。その介護の仕事をして変わった。

 営業えいぎょうまちをまわるも、新規しんき顧客こきゃく獲得かくとくに手こずり、

 やっと契約けいやくが取れたと思ったら、やっぱり介護料金が高いと短期間たんきかんで終了してしまう。

 スワオンさんが夢にまで見た介護の世界は、きわめて現実的げんじつてきで、極めて残酷ざんこくだった。


 ぼくは、スワオンさんのあゆみを聞いて、胸が痛くなった。痛くて痛くて、仕方がなかった。

 共感きょうかんできない。何故ならぼくは、もっとめぐまれた環境かんきょうで介護をしていたからだ。ぼくごときが、共感できるわけがない。


 だが。それでも、ウミに手を上げようとしたことは、ゆるされてはならない。


 事業所じぎょうしょには、寝泊ねとまりをするためのベッドがあった。スワオンさんはそこで、目をじていた。


 ぼくは、休憩きゅうけいスペースの外から、スワオンさんの顔をずっと見つめていた。すると……。


「ヴヴウゥゥ……」

 小さくうなりを上げて、スワオンさんはゆっくりまぶたを開いた。


 ウミは、スワオンさんが意識いしきを取り戻したと気付くやいなや、ベッドにり、声をかけた。

「スワオンさん! 大丈夫ですかっ!」


「ここは……?」


「あなたの事業所じぎょうしょ休養室きゅうようしつですよ」


「……あ、そうか。だが、どうして……」


「それは……」

 それをウミに言わせるのはしのびない。


 ぼくは、ウミの後ろに立って、深いため息を吐いた。


あばれるものだから、ぼくが少しだけ頭をやしてあげたんですよ」


 言うと、スワオンさんはハッとして、

「……あっ! お前っ!」


「スワオンさん。ぼくには、そういったたぐいおどしはきませんよ」


「……」


 項垂うなだれるスワオンさん。そのまま、シーツを見つめて、顔をしかめた。


「どうすりゃ……どうすりゃいいんだよ……」


 この時、ぼくは初めて、彼の心が見えた気がした。

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