課題7:僕とボクの日常攻略
1:至極まっとうな疑問がそこにはあって
ぴんぽん、とチャイムが鳴ったのは僕が浴室から出てきた時だった。
濡れた頭をタオルで拭きながら台所の画面を覗くと、あの夜に見た二人が立っていた。
そして。
テオとノエル――本当の名前はノイスちゃんと言うらしい、の二人。
僕と、しきちゃん。
血液は全部どうにかしたけれど、まだ微妙に片付けきれてない部屋で、自己紹介を終えた四人がテーブルを囲んでいた。
「ええと、まずは――」
最初に話し始めたのはテオだった。
「すまない。ノイスの行動は俺の監督不行き届きだった」
ほら、とテオがつつくと、じっと俯いて座ってたノイスちゃんは視線を少し彷徨わせて、口を開いた。
「……ごめんなさい。その、あなたを刺したことと、彼女を傷つけたこと」
あの時の威勢が嘘のようにしゅんとした様子で彼女は頭を下げた。
うーん。こうして先手を打たれると、怒るに怒れなくなる。
曖昧に言葉を濁して、質問を投げてみることにした。
「まあ、僕も彼女も生きてるし……なんか怒る気削がれた。いつか怒りが再沸したら説教させて。ところで……テオ」
「何?」
「あのさ。君……どうして生きてるの?」
真っ当な疑問だと思う。だって僕の記憶の中で、彼はとっくに死んでいる。そうでなくてもざっと百年だ。人間なら大体死んでいる。
なのに彼は「ああ」と穏やかな笑みを浮かべる。
「そうだな。……あの夜のことは覚えてる?」
あの夜。
僕が彼と。ロンドンの夜を震え上がらせていた彼の別人格と出会った夜のことだろう。
忘れる訳がない。しばらく前に夢にも見た。
頷くと、テオは隣で俯いてるノイスちゃんの背中を軽く押した。
「あの夜、君は俺をバラバラにして……そのまま逃げていった」
「……うん」
バラしてしまって、我に返ったのだ。
友人を手にかけたことが。あいつの。テオの普段の笑顔が。僕を「仕方ないなあ」と笑ういつもの顔が。僕を責めるように見えて。
その場から、逃げたんだ。
そう、何もかもそのままに。
自分の痕跡を消すことも。
彼の血を飲むことすら忘れて。
「彼女――ノイスはうちに住んでた幽れ」
「ポルターガイスト」
俯いたままの彼女から、間髪入れずに訂正が入る。
「ん。ポルターガイスト。彼女が俺を見つけたんだ」
彼が言うには。
バラバラにされたテオを見つけて、それをつなぎ合わせて。血溜まりに座り込んでいたテオの幽霊――魂を詰め込んだのだという。
「なるほど……?」
首は微妙に傾いたけど、原理は分かる。
フランケンシュタインの怪物。死体を継ぎ合わせて生まれた11月の人造人間。
ああ。確かにあの日は冬も近い夜だった。
そんな偶然が生みだした、自分自身で作られた名前の無い怪物。
「君は……フランケンシュタインの怪物へと生まれ変わったって訳だ」
「あはは。そういう事になるかな」
彼はどこか照れたように頭を掻いた。いや、照れる所じゃない。
「……はあ。そういうことか」
溜息しか出なかった。肉体が死んだのなら、人間でなくなったのなら、人間としての寿命から解き放たれたようなものだ。
その身体の耐久性は問題だろうけど。と、テオの指に巻かれた絆創膏を見る。
「それで、二人ともどうして日本に?」
「それは。私が、行こうって言ったの」
俯いたまま、今度はノイスちゃんが答えた。
「私は……テオに、新しい身体をあげたかったの」
俯いたまま、ノイスちゃんはぽつぽつと話す。
存在が安定しても、彼はこのつぎはぎだらけの身体を気にしていたこと。
夜になれば、僕の名前をうなされるように呟いていたこと。
身体もかなり古くなってきたところで、遠い異国の地に僕がいると聞いたこと。
うなされて呼ぶのは、恨みからだろう。ならば、その恨みを晴らしてあげたいと。制裁を与えたいと。
代わりの器にしてやろうと。
そんな訳で僕を刺しに来たらしい。
「……なるほど」
彼女がテオを想う気持ちは伝わるけれど。こう。刺された側としてはなんとも言えない。
しかも身体を狙う刺客二人目とか勘弁して欲しい。が、正直な感想だった。
そんな刺客一人目を送り込んでしまった隣、しきちゃんを見る。彼女は少し難しい顔をして大人しく話を聞いていた。
「ま、僕は別にいいよ。もしかしたら君達にお礼言わなきゃいけない方かもしれないし」
でもね。と言葉を続ける。
「しきちゃんは完全に巻き込まれた側だ。そこだけは、彼女の許しを得てね」
「うん……その。ごめんなさい」
彼女はしきちゃんを少しだけ見て。言いにくそうに、それから、という。
「洋服も。貸してくれて、ありがとう」
「あ……いえ。サイズ、合って良かった、です」
しきちゃんもなんだか落ち着かない様子で頷いた。
「ボクは、お兄さんが良いと言うのならそれで良いです。ボクは、もう痛くありません。大丈夫ですから」
そして彼女の視線はノイスちゃんからテオへと向いた。
「あと……テオドールさん」
「テオでいいよ。それで、何?」
「はい……。あの。貴方は、お兄さんに会ってどうするつもりだったんですか?」
そう問う声は固い。
そこでふと気付く。
もし、テオが僕に危害を与えると、ノイスちゃんと同じ目的だと答えたら、彼女はどうするんだろう。何が起きるのだろう。ちょっとドキドキする。
僕と同じ人外とはいえ、座敷童。攻撃力とか体力はほとんどない。普通の子供と変わらない。ただ、家を守るという点では最も優れている。敵意にはきっと一番敏感だ。
そんな彼女が家に迎え入れたと言う事は、敵意はないと判断された結果だとは思うんだけど。彼らに改めて目的を問うと言うことは、敵意がないことを言葉として証明してもらうつもりなのだろう。
……いや、ケーキの箱で先手を打たれたから、という可能性も否めないけど。
彼らを出迎えたのはしきちゃんだった。
ドアを開けてすぐに箱を手渡されたらしい。
「初めまして。俺はテオドール。テオドール=ノットワード。ノイスがお世話になったって聞いて」
ウィルは居る? という彼の問いに頷いてしまったのだと。
ケーキの箱を抱えて困った顔をした彼女は、お茶の準備を始めた僕の元に戻ってきたのだった。
なのに。敵意があったりしたら?
そんな僕の緊張をよそに、テオの答えは穏やかだった。
「うん。俺はウィルに礼を言いたかったんだ」
「お礼……?」
僕としきちゃんは首を傾げた。
彼女にはもちろん、僕にも心当たりがない。
「心当たりがさっぱりないんだけど。あと僕の名前、今は違うから。自己紹介したよね」
「ああ、ごめん。ええと。ムツキ」
「良し」
頷いた僕を見て、彼は話を続けた。
当時、彼自身もう一つの人格に悩んでいた。
やめたくて、止めてもらいたくて。僕に何度も言おうとしたけど、断片的にしか言えなくて。
ようやく言えたのが、僕が正体を話した時だったという。
「もし、俺がどうしようもない状態で君と出会ったら。その時は遠慮せず殺して欲しい。――この身体も血も、好きにしていいからさ」
そして僕は、冬も近付いたあの夜。それを実行した。
それでもテオは生きていた。生かされていた。
後悔した日々もあったけど、それ以来他の人格は出てきていない。身体さえきちんと動けば、日常生活を送るにも苦はなかったという。
しかし、生活が落ち着いた頃には僕は居なくなっていて。行方も分からないまま日々を過ごしていたという。
確かに僕も、テオのその後なんて知らなかった。
いや、知ろうとしなかった。
もう二度とやってこない友人の家を訪ねる勇気もなく、逃げるように国を出て行ったのだから。
そのまま平穏に暮らしていたテオだけれど。
一点、生前とは大きく変わったことがあったという。
「匂いをね、感じるようになったんだ」
「匂い?」
そう、と彼は頷く。
「魂の匂い。君のは特に分かりやすくてさ。それで、君が遠い東に。日本に居る事を知った」
それも相当時間がかかったけど、と彼は言う。
「だから、お礼を言いに来た。あの夜以降事件は起きていない。他の人格も静かだ。俺を止めてくれて。願いをきちんと聞いてくれてありがとう」
前髪に隠れた瞳が、笑った拍子に少しだけ覗いた。
それは久しぶりに見る、穏やかな榛色だった。
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