6:彼女はきっと、役に立ちたい一心で
目を覚ますと、ひとりだった。
「あれ。ノイス?」
返事はない。気配もない。
時計を見るとまだ朝早かった。食事の時間にももう少しある。
「……?」
ノイスがふらっとどこかに行くのは時々あることだったし、いいか。とベッドを出ると、身体がいつもより重い気がした。天気でも悪いのかな。と窓を見る。曇天と言うには、少々雲が少ない。
隣のベッドを見れば、ノイスの寝間着がきちんと畳んでおいてあった。
もしかして、一人で出かけたのだろうか。
あの庭に遊びにでも行ったのかな。
随分と気に入ってたようだし、すぐ帰ってくるだろう、とのんびり着替えてお茶を淹れる。
お湯を注いでる途中、指が取れそうになってるのを見つけた。後で縫い直さなくてはならない。
「お茶を飲んでから……いや、この指でカップ持って落としたらダメか」
温かいお茶は惜しいけれど、先に指を補強することにする。
関節の部分だと、絆創膏で済ませる訳にはいかない。とりあえず裁縫箱を探しだし、針と糸を取り出す。
と。
がちゃ。
「あ。お帰りノイス――……?」
帰ってきたノイスの表情は、憮然としていた。
「テオ。着替えてるわね。出かけるわよ」
「え。うん……どこに。っていうかどうしたのその服」
入り口で不機嫌そうに、上がった息で立っているノイスの服は、見たことがないものだった。
そんな服持ってたっけ。より先に、ノイスの趣味にはない服だな、と思った。
ノイスはふわっとしていてフリルのある、いわゆる「かわいい」服を好むのだけど。今彼女が着ているのはアイロンの効いたスカートにブラウス、白のカーディガンとジャケット。
彼女の服に比べると、制服のようだ。
「なんか……いつもと雰囲気違うね?」
「……着替えるわ」
褒めたのに気に入らなかったらしい。彼女はトランクから服を取り出してバスルームに籠る。
一体どうしたんだろう、と考えてる内に、着ていた服を抱えてすぐに出てきた。ベッドに服を投げ、シワを伸ばして畳み始める。
「出かけるわよ」
「え。どこに? って言うか指が。あとお茶が」
「指ならあとでなんとかするから。お茶は諦めて」
こんなにノイスが急かすなんて珍しい。きっと何かあったに違いない。
「わかったよ。とりあえず針だけしまうから待って」
そう言ってる間に、彼女が畳み終えた服を抱えて通り過ぎ――。
あの匂いがした。
「ねえ、ノイス」
声をかける。返事はない。
「……もしかして。ウィルと会った?」
「……」
ノイスは答えない、棚から紙袋を取り出して服を詰めている。不機嫌そうだ。こっちを見もしない。
「ねえ、ノイス」
「……会ったわよ」
ぽつり、と答えが返ってきた。
「会って、帰ってきたの?」
「そう」
「服を借りて?」
「……そう」
歯切れが悪い。表情も不機嫌そのもの。言葉少なに話を終わらせようとしているような気がして。
もしかして。と思った。
ノイスは、ウィルに会ったことで服を変えざるを得なくなったのでは?
それを訊ねたくて、袋を下げて玄関へ向かうノイスを止める。
「ノイス。何してきたの?」
「……」
「答えてよ」
しばらくの沈黙。不機嫌そうに目を逸らしている。もう一度問いかけようとしたところで、彼女の口が動いた。
「……会って、刺して。テオの魂を」
飲ませたの、という言葉はとても小さかった。
「……は?」
「だって!」
俺が聞き返すより先に彼女は声をあげた。
「だって……テオに身体をあげたかったの。身体をそんなにしたの、あの吸血鬼でしょ! それなら償わせたいし、テオだっていつまでもそんな身体――」
ぱぁん!
言葉より先に、手が出てしまった。
ノイスの髪が、はたかれた拍子に大きく揺れる。
俺の指が放物線を描いて飛んでいった。
「あ……ごめ、ん」
「……」
「ノイス」
「……」
「どうして、そんなことしたの」
「……」
「ノイス」
「……だって」
ぽつりと言葉が零れてきた。
「テオ、会いたいって。言ってた」
「言ったけど」
「テオは、その身体が不便だって言ってた」
「……うん」
「夜、どうしてってうなされてた」
「うなされて……?」
ノイスは目に涙を溜めて、俺へ叫ぶ。
「だからっ、私、テオは身体をバラバラにされたこと、ずっと恨んでるって知ってる……っ。アイツのせいだって。テオは言わなかったけど! ずっとずっと、その身体と、バラバラにされたこと、気にしてた! だから、テオに身体あげたくて……っ、アイツなら、きっとテオへの償いにもなると思って……」
「ノイス」
「だって、会うのってその為でしょ? 私は! テオの役に」
「ノイス!」
「……っ」
ぐ、っと彼女の喉が詰まる音がした。
随分と前に彼女が言っていた言葉を思い出す。
「すぐに、こんな処置が必要ない身体にしてあげるから」
その言葉の意味をようやく理解した。
彼女は俺がこの身体を不便に感じてると思っている。
俺の身体をバラバラにしたのがウィルだと思っている。
それはその通りだ。
だから、この身体の魂を他の身体に移し替えるつもりで。
その相手にウィルを選んだ。
そういう事だったのだろう。
「ノイス」
「……なによ」
「頬。大丈夫?」
「……テオの平手なんて、痛くないわ」
そう言う頬が赤いのは、俺のせいだ。
ごめんね、と頬を撫でると、彼女はぷいと顔を逸らした。
「俺はね。確かにこの身体は不便だと思ってる。でも、俺はウィルに何の恨みもないよ」
「え……」
ノイスの目が丸くなった。瞬きの拍子に大粒の涙がまつげに弾かれる。
「だって。アレは俺の自業自得だし。むしろ、ウィルはずっと悩んでたことを片付けてくれたんだ」
「でも。でも……ずっと探して、わざわざ日本まで……」
「お礼を言いたかったんだよ」
お礼、とノイスは繰り返した。
「そう。俺が生きてるってすぐには言えなくて。しかも人間じゃなくなって……あ。いや。そこはノイスに感謝してるんだ。あのままだと死んでたからね。こうしてようやく落ち着いてさ。なんとなく居るところも分かるようになって。会いに行く勇気もやっとでた」
随分かかったけどね、という言葉を、ノイスはむすっとした顔のまま聞いている。
「だからさ。とりあえず……そうだな。絆創膏ちょうだい」
「え」
「どこにしまったか忘れちゃって」
ノイスは無言で鞄から絆創膏を一枚取り出す。
受け取って拾った指に巻き付ける。
「縫おうと思ったけど応急処置でいいや。さ、ノイス。案内して」
「えっ」
「ウィルに怒られたんでしょ」
「……ええ」
「ウィルはね。普段のんびりしてるけど怒ったら怖いから。早く行かないと多分もっと怒られる」
ノイスはしばらく黙っていたが。
「……そのために帰ってきたのよ」
と、心底嫌そうに頷いた。
□ ■ □
ノイスの案内で、街を歩く。
近付くにつれ、気分が悪くなりそうなあの匂いがすると思っていたのだけど、土のようなあの匂いは、想像よりずっと薄くなっていた。
「ところでさ」
「何よ」
「さっきの服、どうしたの?」
放っておいた疑問を沈黙の合間に埋めてみたら、ぐっと声が詰まる音がした。
「……借りたの」
「借りた?」
ウィルの所にノイスサイズの女の子が居る、と言うことだろうか。あのウィルのところに? と少し不思議な気持ちになる。
「あの家にいた、座敷童に……私の服は、汚れてるからって」
「何したの……」
「……」
言いたくないらしい。そこは後で改めて聞くことにした。
「髪とか手も、きれいに拭いてくれて……洗濯したら返すって」
「へえ」
どうやら良い子らしい。そう思ってるとノイスが不機嫌そうに呟いたのが聞こえた。
「なんなのあの子。自分の傷じゃなくてアイツ刺したことの方に怒るし。そうかと思ったら私が汚れてるの心配するし……髪、きれいだって褒めて……くれたし」
全く分からない。分からないわ。
そう呟くノイスは、なんだか外見相応に見えて。
なんだか珍しくて。
これから怒られに行くというのに、ちょっとだけ笑ってしまった。
「笑ってる場合じゃないわよ」
「そうだね。ウィル怒ってるだろうなー……」
「……そうね」
その怒りを目の当たりにしたであろうノイスの口数はどんどん減っていく。
「ま、怒られるだけで済んでて良かったじゃない」
「そう……?」
「もしかしたら俺も一緒に説教されるのが本番かもしれないけどさ。荒れてた時期のウィルなら、その場で存在ごと吸い尽くされて、俺のところに乗り込んできたかもしれない」
ノイスはうーと唸って、口を尖らせる。
「ちゃんと謝るんだよ」
「……分かってるわ」
その態度に、少しだけ心配になる。
けど、まあ。ノイスは基本的には素直な子だし。脅しで言ってみたけどウィルもそこまで……厳しくはなかった、と、思う。
「ま、どうなるかは実際会ってからじゃないと分からないね」
途中で買ったケーキの箱を眺めてついた溜息は、そんなに悲観的じゃなくて。
少しだけ楽しみで。嬉しくて。
なんというか、複雑な重さだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます