5:うちの座敷童は自慢の子だから

「……どう、して」

「どうして?」

「なんで! お兄さんが……そこでっ! 倒れているんですか!」


 女の子が驚いた顔をするのと、ボクが飛びかかったのは、どっちが早かったか分かりません。

 ボクはその子の肩を掴んでお兄さんの隣から引き剥がし、床に叩きつけていました。

 ボクに、どうしてそれだけの力が出せたのか、動けたのかも分かりません。


 ただ。

 ただ。胸が苦しくて。

 辛くて。

 目の前の物を受け入れたくない。

 そんな。単なるワガママのような衝動だったのかもしれません。


「どうして! お兄さんが……倒れて、刺され、て……る、なんてっ! そんなこと……ある訳、ない! あるはず、ないんです!」

「ある訳ない、なんて……」


 女の子はボクの眼を覗き込んで言います。

 緑色の目に、ボクの影がぼやけていました。


「事実、そうじゃない」

「――っ」


 突きつけられた言葉に、一瞬どう答えたらいいか分からなくなった瞬間。

 身体が浮いて、勢いよく吹き飛ばされました。

 壁に叩きつけられた衝撃が、頭をぐらぐらと揺らします。


「残念ね。あなたの“お兄さん”はもう居ないわ。居るのは――私の“お兄さん”よ」

 と、女の子は嬉しそうに笑います。

「いえ……それは」

「本当よ」

 ほら、と落ちていたガラスの小瓶がひとりでに転がり、ボクの前でことん、と立ちました。赤黒く汚れた瓶の底には、同じ色の水滴がついています。

「魂の欠片を混ぜた血よ。これがうまくいけば、あの身体をテオのものにできる」

「――どう、して……?」

「どうして?」

 女の子はくすりと笑いました。

「テオにはね。新しい身体が必要なの」

「……?」

 どう言うことか分からない、と顔をしていたのでしょう。女の子は話を続けます。

「大事な人なの。物を動かして、音を立てる。その位しか能のなかった私を、恐がらずに受け入れてくれた」

 なのに、と女の子の視線が動きます。お兄さんの方を見たようでした。

「あの夜。あの人は帰ってこなかった。バラバラになって、道端に散らばってた」

「いったい、何の話……」

「私は必死になって身体を繋ぎ合わせたわ。でも、身体は所詮容れ物だもの。一度死んだ身体は、時間が経てば脆くなる。だからちゃんとした身体をあげなくちゃ。それなら――テオをバラバラにした本人に、責任を取ってもらうのが一番じゃない?」


 ボクには、この子が何の話をしているのか、全然分かりませんでした。

 ボクに分かることは。ひとつだけです。

 

 この子は、お兄さんの身体を乗っ取ろうとしている。


 ボクも、知らなかったとは言え同じようなことをしています。

 だから、責めることはできません。

 でも。

 ボクは座敷童だから。この家に住んでいる人を。お兄さんを。

 不幸にするような事は絶対にしたくありません。


 それなのに。

 なのに。なのに……!


「――ねえ。そんな事より、聞きたいのだけれど」

 首を傾げて、その人はぽつりと言いました。

「座敷童、って何?」

「え……?」


 ぐちゃぐちゃとしていた感情が途端に取り上げられて、ぴたりと止まりました。


「あなた、そうなんでしょ?」

「……」

「ねえ。あなたはこの家の餌じゃないと彼は言ってたわ。人間じゃないとも」

「……はい……」

「そうね……人間じゃないのは分かるわ。人間ならまだ寝てると思ったのに、目を覚ますし。でも、そこら辺の子供くらい弱そうだし」

 あなた、何なの? と、問う声は、心の底から不思議そうでした。

 座敷童を知らない、単純な疑問だったのでしょう。

 でも、ボクには、ボク自身の在り方そのものを問われているように感じました。

「座敷童、とは……家に、幸運を運ぶ存在です」

「具体的に何ができるの? 彼のように夜の眷属だったり、私みたいに物を自由に動かしたり?」

 ボクはふるりと首を横に振ります。

「いえ……そのようなことは……」

「そこに在るだけで幸運を呼ぶってことかしら……?」

 頷いたボクを見た彼女は「ふーん……?」と、首を傾げて。

「呪いの宝石みたいね」

 そう、言いました。

 言い返せませんでした。


 ボクは座敷童です。

 家に居て、そこに住んでる人の幸せを願って、不幸を遠ざけます。

 具体的なことは。目に見えるようなことは何もできません。ただ、幸せにして。崩れていくのを見ているだけの。


「そうかも……しれません」

 でも。は喉に詰まりながら出てきました。


 ああ、呪いの宝石。そうかもしれません。

 家の幸せを望んで。誰もいない家を後にする。

 もしかしたらボクは、座敷童だと言われるがまま信じ込んでいるだけの何かかもしれません。

 だってボクは作られた存在です。


 だけど。

 だから。


「ボクは……座敷童、だから。お兄さんは……」

 ぐっと、息を飲んで。言い切りました。

「むつきさんは、絶対っ、不幸になんか……させないんです!」


「――そうだね、さすが我が家の座敷童」


「!?」

 突然の声に、ボクと女の子は一緒に同じ方を見ました。

 いつの間にか、お兄さんが起き上がってこっちを見ていました。


 きっと、同じくらい驚いた顔をしていたのかもしれません。

 何があったのか分からない。

 目の前の物が信じられない。

 嬉しさか驚きとか、戸惑いとかが混ざってよく分からない。

 そんな顔だったのでしょう。


「2人ともそんなに驚かないでよ」

 身体のあちこちに刺さっている物を抜きながら、お兄さんは笑って言いました。


「吸血鬼が簡単に失血死とかしても困るでしょ」

 片手で持てなくなったものを横に置きながら、お兄さんの言葉は続きます。

「それに、しきちゃんの自称保護者に説教されるのはゴメンだし、他人に僕の身体を明け渡すなんてもっとだ」

 最後のひとつ、ミキサーの刃を抜いて床に転がすと、乾きかけた床の上で、かつんと音がしました。

「これでいいかな……うん」

 身体を一通り確認して、お兄さんはボク達の横へとやってきました。見下ろすようにボクを……いえ、女の子の方に目を向けました。

 お兄さんの青い目が、女の子をじっと見ています。

「あなた……ねえ、テオは――」

「君さ」

 言葉を遮ったお兄さんの目が鋭く光りました。

「テオと一緒に居た子でしょ」

「え、ええ……そうだけど」

 気圧されたのか、戸惑いがちに答える彼女に、お兄さんはにっこりと笑いかけます

 

「そう、じゃあ。この部屋ある程度片付けとくからさ。連れてきてよ」

「え」

「テオ、居るでしょ? だから」


 ちょっと話をしよう。

 

 そう言ったお兄さんの顔は。

 いえ、ボクもお兄さんの表情を多く知っている訳ではありませんが。


 お兄さんの顔は、とても楽しそうで。

 青い瞳は冴え冴えと冷たくて。

 なんだか背筋が寒くなりそうな、冷たい笑顔でした。

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