課題6:僕とボク、俺と私

1:ある朝の来客は包丁とともに現れた

 一日サボれば取り戻すのに数日かかる。

 誰がそんなことを言ったのか分からないけど、痛感する事は多々ある。


 今週がまさにそうだった。


 朝は夢から目を覚まし。しきちゃんを直視できないまま朝食を済ませ。

 学校で柿原に溜息をついて。先週聞き逃した分のノートと照らし合わせて授業を追いかける。

 昼はお弁当に手を合わせ、午後の予定を確認する。

 授業を受け、図書室で調べ物をして。「バスケやろうぜ」と誘われて何一つ役に立たなかったりした。力を制御してるとまあ、そんなものだ。

 そして夕方は、冷蔵庫の中身を思い出しながら買い物を済ませて家へ帰る。


 先日の夢のおかげ、いや、夢のせいか。しきちゃんへの態度は多少軟化したと思う。

 相変わらず色んな衝動はある。奪いたくなったり、優しくしたくなったり、不安定な事この上ない。そこは彼女にも「離れておくように」と言い含めているので何とかなっている。おかげで以前よりは、憂鬱じゃ……ないはずだ。


 少しだけ、夢に出る彼の事を話したりもした。


「しきちゃんは……あいつの事、知ってるの?」

 そんな質問に彼女は小さく「はい」と頷いていた。

「ボクはあの家をずっと見てきましたから、その人も、小さい頃から見てきました。でも、お話をしたのはあの人が大きくなってから……ボクが家から出て行ったあの日だけです」

「そっか」

「はい。あの人は……小さい頃から離れでひとりでしたから」

「……そっか」

 そんな会話だった。


 そうして過ごす一週間。平穏と言えば平穏。

 というか、これまでがキツかった分、緩和されたのを実感したような。

 そんな一週間だった。

 

 そして迎えた土曜日。


 休みの日はできる限り寝ていたい。

 本来夜型の僕だから、朝は苦手だ。

 苦手なんだけど。

 最近はちょっと事情が変わって。

「……6時半、か」

 すっかり朝早くに目が覚めるようになってしまった。

 正直もっと寝たい。が、身体のダルさがそれを許してくれない。

 

 夢の中では相変わらず灰髪が笑っている。

 起きたら顔は忘れてしまうんだけど。少しずつ、少しずつ。あいつは僕に似てきている気がする。

 それは立ち姿とか。曖昧な表情とか。ちょっとした仕草とか。

 また、外見を僕と同じにされたらと考えると、ちょっとゾッとする。


「毎朝最悪の目覚めをありがとうございますね……ったく」

 目覚まし時計に溜息をついて、僕は布団を出る。

 着替えて、ドアの前に立つ。

 ドアの向こうからは、かちゃかちゃと食器の音。それからこれは……味噌の匂い。

 深呼吸をひとつ。それからイメージをする。


 ドアを開けたら台所かテーブルの前にしきちゃんが居て、「おはようございます」と挨拶をしてくれる。

 僕も「おはよう」と返事をして、テレビをつけて。彼女の手伝いをする。


 よし。いける。多分大丈夫。

 根拠ゼロの自信に頷いて、僕はドアノブに手をかけ――。

 

 □ ■ □

 

 朝。

 外からちゅんちゅんと雀の声がします。

 カーテンの隙間から入ってきた日差しで目を覚ましたボクは、布団を畳んで着替えます。

 時計は6時を指していました。

 隣の部屋ではお兄さんがまだ寝ているはずです。

 だから、そっとドアを開けて、音を立てないように朝の支度をします。


 炊飯器の中身を確かめて、冷蔵庫から材料を取り出します。

 今日は土曜日なので、もしかしたら起きてくるのが遅いかもしれません。

 だから、温め直せるものを作ります。

 お味噌汁を作って。お魚はお兄さんが起きてから焼くことにして、とりあえず準備だけしておきます。

 一通り終えた所で。

 

 こん、こん。

 

 どこからか、ノックの音がしました。

「……?」

 部屋、ではありません。お兄さんはまだ起きてきません。

 どこからだろう、と耳を澄ませます。


 こん、こん、こん。


「……玄関?」

 どうやら廊下の向こうから聞こえます。その先は、玄関です。

 火がちゃんと消えてるのを確認して、玄関に向かいます。

 のぞき窓はボクの身長では足りません。チェーンはかかっているので、そのままそっと、ドアを開けてみました。

 

「朝早くに、ごめんなさいね」

 そこに立っていたのは、外国のお人形さんのような女の子でした。

 緑色のスカートに金色の髪がとても綺麗です。

「あ、あの。どちら様、ですか?」

 ドアから覗いたまま訊ねると、その女の子はぺこり、とお辞儀をひとつしました。

「ノエルといいます。スドウさんに、用事があって」

 日本語はボクが聞き取れるくらい上手で、ちょっとほっとします。

 ですが、朝早いこの時間。お兄さんはまだ寝ています。

「あの、お兄さんは……まだ、起きていなくて」

「そう、では、待たせてもらっても?」

「えっ」

 思わず声をあげてしまいました。

 こんなに朝早く、部屋に上げる訳にはいきません。でも、こんな……ボクより少し年上に見えますが、女の子を外で待たせるには、と考えてしまう時間です。

「ちょっと……聞いてくるので、待っていてもらってもいいですか?」

「はい」

 では、とドアを閉めて、お兄さんの部屋へ向かいます。

 お兄さんは起きていないでしょう。起こしても大丈夫でしょうか。


 考えながらドアを見上げていたボクは、気が付きませんでした。

 

 ちゃりん、というチェーンが外れた小さな音に。

 いつの間にか廊下に立っていた影に。

 ボクの頭めがけて飛んできた何かの塊に。

 

「――っ!?」

 ごすっ、ととても鈍い音がしたことだけは、分かりました。


 その衝撃で、頭が揺さぶられて立っていられません。

 膝をつくと、横に電気ポットが落ちたのが見えました。床にぶつかる直前、ぴたりと一瞬だけ浮いて、それから音もなく転がります。

「あ――」

 目の前が、真っ暗になってきて。頭がくらくらして。腕で支えられなくて。

 ボクは、そのまま床に倒れて――。


「こんな小さな子供を飼ってるなんて。さすが吸血鬼。予想外だったわ……」

 ぐらぐらして暗くなっていく意識の中。


 そんな声が、遠く、とおく。

 きこえたような。

 気が。

 しました。


 □ ■ □


 ドアを開けると、椅子に知らない少女が座っていた。

 長い金髪に緑のスカート。見覚えは……いや、見たことだけは、ある。

 夜の街でテオと一緒に居た少女だ。


 どうしてここに彼女が居るのか。しきちゃんは――。

 思考が彼女から離れたその瞬間。

 

 腹部に衝撃が走った。

 強く殴られたような感触と、焼けるような痛さが襲う。


「な……」

 手を当てる。硬く冷たい何かに触れた。生暖かい液体が手に流れてくる。

 視線を下ろす。


 そこには。一本の包丁が深く刺さっていた。


「……」

 無言で包丁を抜く。抜いた途端に血が一気に服を濡らす。

 べちゃべちゃした生暖かい肌触りが気持ち悪い。けれどもこの程度の傷なら、まだなんとかなる。とりあえず流れを止める。

 傷の手当は後回し。先に解決すべきは、あの少女だ。


「君……どうして、ここに居るの?」

「あら。やっぱり包丁一本じゃ駄目ね」

 彼女は僕の質問をきれいに無視して視線を下ろす。

「やっぱり――数に物言わせないと駄目かなあ」

「ねえ、質問に……っ!?」


 少女の目が僕を冷たく射貫いた。

 その周りに、包丁、ナイフ、フォークまで。キッチンにある、あらゆる刃物と食器が浮く。

 全てが僕への敵意を持って、刃先を向ける。

 少女は言葉を切らした僕に向けて、口の端を上げて笑う。


「はじめまして。それから――先にお礼言っとくわ。ありがとう。それじゃあ、さようなら」

 少女が指をすい、っと僕を指す。


 ドアを閉めるには、時間が足りなかった。


 包丁から手を離してドアノブを掴むまでの短い間に。

 キッチンばさみから包丁まで、次々に僕の身体へと突き刺さる。

 勢いと数に押されて、足がふらつく。ドアの端をつかんで、倒れるのは堪えた。

「ぐ……」

 さすがに、耐えきれない。

 骨も何カ所か削られている気がするし、庇おうとした腕にもミキサーの替え刃が刺さっている。

 身体を支えようと掴んだドアノブは、血で滑りそうだ。

 膝から崩れ落ちる。ノブを掴む手に力を込めて、座り込むだけになんとか留める。


 そしてようやく、僕は床に倒れ伏したしきちゃんに気付いた。


「し、きちゃ……」

「そんな状態なのに彼女の心配なんて。紳士ね、と言っておこうかしら」

「彼女に、なにを……した」

 ああ。自分の声も遠い。

 なんとか倒れるのは堪えているけれど、痛みが尋常じゃない。血が止まらない。止めきれない。


 少女は小さく溜息をついたようだった。

「その子は……とりあえず邪魔だったの。貴方に恨みはあるけど、人間に罪はないわ。殺してはないわよ」

 彼女の言葉に引っかかる単語があったけど、それよりも死んでないという事にほっとした。

 そして、彼女の勘違いを、切れ切れの呼吸で笑う。

「ざん、ねん……彼女は、違うよ」

「え?」

「うちの……座敷童、だか、ら……」

「ざしきわらし?」

 少女は首を傾げる。


 何かしらそれ、と言う声が聞こえた。

 が、僕にはもう答えるだけの力はなかった。

 手が、ドアノブから離れる。


 頭が、意識が。視界が霞む。

 とても、寒い。

 そして僕は、そのまま暗闇の底へ落ちていった。

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