6:僕のこれまでの話

 日本に来たのは、百年くらい前だったかな。

 お兄さんはそう言いました。


「名前も違ってさ。当時の名前はウィリアム。あー……ウィリアム=ストレイス」

 その発言はとても流暢でしたが、なんだか言いにくそうでした。

「……なんか、この名前言うの久しぶりすぎて実感がない」

 むつきの方がしっくりくる。とお兄さんはくすくすと笑っています。

「そうですね。ボクも……名前を聞いた時、なんだかくすぐったかったですし――あ」

 ふと。それで思い出しました。

「そういえばボクも。名前を教えていませんでした」

「へ?」

 お兄さんは不思議そうに聞き返します。そしてすぐにその意図を理解したのか、手のひらで言葉を遮りました。

「いや、良いよ。大丈夫。しきちゃんは、しきちゃんだし」

「そうですか。――では、もし。知りたい時が来たらいつでも言ってください」

 そう言うとお兄さんは「わかった」と頷いてくれました。


「ん。脱線したね。話を戻そう……僕はイギリスで生まれて、吸血鬼になった。地元では死んだ事になってたから、ロンドンへ逃げるように移住して、そこでずっと暮らしてきた」

 あんまり良い生活じゃなかったなあ、という声は、苦すぎる薬を飲んだ時のようでした。

「僕の居た国は外の世界をずっと見て、海に出て。色んな物を手に入れて――時には手放して。街はどんどん煤と霧で囲まれて。 僕は、そんなのを街の片隅でずっと見ては文句を言ってた」


 ボクはじっとその話を聞きます。

 海外の歴史については詳しくありません。

 せめて、お兄さんが居た国の本を読んでおけば良かった、なんて思います。

 ボクが知っているイギリスの本と言えば、ウサギの絵本に言葉遊び。穴に落ちた女の子の話。絵本に物語ばかりです。


 お兄さんの話は続きます。


「そんな僕にもね、友人と呼べた人は何人か居たんだ。正体を明かせる程親しくはなれなかった人も居たけど、みんな、良いヤツだった」

 その中にね。とお兄さんの声がふと、穏やかになりました。

「やたら僕の世話を焼いてくるヤツが居たんだ。僕が帰ってくると食事を用意してて。身の回りの事まで勝手にやって。自分だって仕事で忙しかったはずなのに。いらないって言っても聞かないで……なんでだろうね。どうしてそこまでやってくれるのか分からなかった」

 というか、今もよく分からないんだ。と、零れるように言葉が落ちました。

「まったく物好きだよね。でも。僕の事も話せるくらいの仲にはなった。それでも世話を焼きに来てさ。まあ、そんな物好きが死んで……」

 いや。とお兄さんは小さく首を横に振りました。


「僕が殺したんだ」

 それは。短いのに、鉛のように重い言葉でした。


「それで僕はあの街がすっかり嫌になってさ。遠くに行きたくなったんだ。日本は……そいつが好きだった国で。一度見てみたいと思って。それだけで選んだ」


 うん、来て良かった。と言う呟きは少しだけ嬉しそうでした。


「今の名前は、人につけてもらったんだ。その人に会ったのが一月の新月だったから「むつき」なんだって。苗字は、その人のをずっと借りてる」

 返せる日なんて、もう来ないけどね。なんてぽつりと呟いたのが聞こえましたが、それはボクに聞かせるためではない、ただの独り言のようでした。

「あとは、ずっと日本に居た。……日本に来てから生活とか、考え方とか。随分と変わったよ」

 ボクはその言葉に首を傾げます。


 百年前の日本とは、確かに海外の文化がたくさん入ってきた頃でした。

 でも、入ってきた色んな物が新しくて、珍しくて、強くて便利だった。そんな風に見ていたのを覚えています。

 だから、不思議でした。お兄さんにとって、新しかったり珍しかったりした物があったのでしょうか?

 首を傾げたのに気付いたのか、お兄さんも軽く首を傾げます。


「あ。ごめん、なさい。……その。日本で色んな物が変わった……というのが、少しだけ不思議だったんです」

 お話の続きを、と促すと、お兄さんは「そうだね」と少しだけ笑いました。

「僕が日本に来た頃は、世界中で色んな物が急成長してた時代だったから――なんというか、僕自身が置いて行かれそうな気がしたのかな。僕が見てきた中では、日本が顕著に映った。色んな文化を吸収して、自分の物にしていく」

 それが、と少しだけ切って続けた言葉は。

 

「なんだか――羨ましくなったんだ」

 とてもきらきらして聞こえました。


「当時の僕はどうしようもなく停滞しててさ。目が覚めたような気がしたんだ。それから色々勉強したよ。学校も通い続けて、文明の利器もこうして扱えてる」

 その知識が生かせてるかはさておきね。とお兄さんは笑います。


 難しい本を読んで、パソコンや携帯電話と向き合って。時々レポートに頭を悩ませて居るお兄さんの姿を思い出しました。

 時には課題に対して文句も言っていますが、思い出す姿はどれも楽しそうで、生き生きしていました。


「――そうして、日本で百年。戦争も、天災も、発展も。ずっと見てきた。その結果が今で。すっかり明るくなって、いい生活になったけど。僕らはすっかり疎外される側になった」

 ある意味では住みにくくなったね、と何かを憂うように呟きます。

「それは吸血鬼だけじゃない。人狼、口裂け女。座敷童もそうなのかな。人に危害を与えれば恐れられて、幸運を与えれば面白おかしく取り上げられる」

 そんなさ、と言葉は続きます。

「人のようでいて、人とは決して相容れない存在――それをそのまま受け入れてくれた方がずっと楽で平和なのに、人間はそんな未知を知ろうとする」


 まったく、この時代は生きにくいね。

 その声は、初めてお兄さんとご飯を食べた時の話を思い出させる声でした。


「で。僕はそんな世の中でも平和に暮らしていきたい。かつてないほどの課題だよ。手に入れられる限りの平穏と日常を謳歌していきたい。そんな事を考えながら、僕は今、ここに居る――以上、長くなったけど僕の昔話、おしまい」

 そう言って、お兄さんは話を終えました。

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