幕間:彼に会うために必要なことは
夜遅い街は相変わらず眩しい。
ノイスは繁華街をテオと共に歩きながら、チカチカと光る看板に視線を上げる。
多少はこの国の言語も勉強したし、滞在も長い。
だから簡単な読み書きや会話はできるようになった。
それでも、見上げた看板に書いてある言葉の意味は分からなかった。
まず問題なのはノイス自身の語彙が少ないこと。
読めたとしてもそれが何を意味するのかは分からない。日本語という物はシンプルなように見えて複雑で、意味が多様で、おかしな位の情報をその中に秘めている。
本当に理解するためにはもっと触れる必要があるに違いない。
「あれは……なんの看板なのかしら……」
はて、と首を傾げて隣のテオに聞いてみようと振り返る。
と、テオはどこか別の所を見ていた。
「ねえ、テオ?」
声を掛けても彼は聞こえてないようだ。
「ねえってば」
振り向かない。もう一度――と、口を開いた瞬間、彼の口元が動いた。
笑顔だ。
背の低いノイスには、テオと同じものは見えない。テオだけに見える何かが嬉しいらしい。
「テオ、どうしたの?」
何か見つけたの? と袖を引くと、彼はようやく気付いた様子で視線を下ろした。
「ああ。すまないね」
「もう、テオったらいつもそう。興味深い物を見つけたら周りが見えなくなっちゃうのよ」
ただでさえ髪の毛で隠れてるのに、と頬を膨らますとテオは「そうだね」と笑った。
くしゃり、と頭を撫でたその手がそっと背に添えられる。
「今日はもう帰ろう」
「? いいの?」
時計を見ると、いつもより二時間ほど早い。
「うん、良いんだ」
帰ろう、とテオはノイスの背を押す。
そうして数歩歩くと、テオの手は背を離れた。
□ ■ □
宿に帰ってくると、テオはベッドの上で読書をし始めた。
「それにしても、今日は随分速く帰ってきたわね」
テレビのチャンネルを回しながらノイスが問うと「うん、まあね」とテオは本から目を離さずに頷いた。
「やっと見つけたんだ」
「――え?」
見つかったの!? と、思わずリモコンを放り投げ、テオのベッドへ飛び乗る。
読んでいた本を取り上げ、その視線の下に潜り込む。
「見つけたって。ずっと探してた彼?」
「そう。ウィル。なんか体調悪そうだったけど、あの土に染みたような血の匂いは」
間違いないよと頷いて「それにしても」と言葉を続けた。
「あの匂いだけはちょっとどうにかならないかな……。近寄りすぎると気分が悪くなる。あれじゃあしばらく近付けない」
でも、こういう場合の対処法って何かあったかな……と、テオは呟く。
「じゃあ私がコンタクトしてみる?」
「そうだね……それが良いかな。まずは、あの匂いの原因を絶たないと」
そうね。とノイスは考える。
彼の言う匂いが、彼の血に起因するのなら。
「血を抜いてしまえば薄まるかしら?」
「ああ、それは良いかもね」
テオはベッドに倒れ込んで言う。顔を覆っていた髪から、瞳が覗く。
「まずはウィルと話がしたい。でも、きっと彼は警戒するから――弱らせてからが良いな」
うん、それがいい。とテオはくすくすと笑った。
「ただ」
「ただ?」
「この辺が行動範囲内なのは分かったけど、詳細な場所までは分からない。だから――もう少し、絞り込まないとね」
「そうね。計画は周到かつ繊細に。行動は盛大かつ大胆に」
さっき放り投げたリモコンをふわりと浮かし、自分の手元へ勢いよく飛ばす。
それをぱし、っと受け止めて、ノイスはにっこりと笑った。
「大丈夫。うまくいくわ」
そうしてチャンネルを再び回しながら、ノイスは「そういえば」と話題を切り替える。
「この間、散歩でとっても素敵な教会を見つけたの。小さいけれどもお庭がとっても綺麗なの」
「へえ」
「ね。今度行ってきても良いかしら?」
ノイスの声はとてもうきうきとしていたのだろう。テオがくすりと笑ったのが聞こえた。
「ちょっと。そこは笑う所じゃないわ」
「いや、なんだか楽しそうなノイスは久しぶりだと思って」
「そうかしら?」
「そうだよ。日本に来て興味深そうな事は多かったけど、そんな声は久しぶりだ」
まるで。と一旦言葉を切って。
「そうだな。まるで――どこにでも居る少女みたいだ」
「あら。私、その通りよ? 失礼しちゃうわね」
頬を軽く膨らませると、「気を悪くしたらすまないね」という声だけが悪気なさそうに返ってきた。
「それで……教会だっけ。まあ。うん。良いんじゃないかな」
行っておいでよ。と言うテオの声は少しだけ眠そうだった。
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