第68話「革命③」
翌朝、朝食をとってすぐに大結界の場所へと向かうことになった。とはいっても、ヴィエラは食事が喉を通らず、水だけ飲んだ状態だが。
目隠しをされた状態で馬車に乗せられ移動し、だいたい三十分ほどで馬車が停まった。
「ここから歩きます。ついてきなさい」
レーベンが冷たい声色で、ヴィエラに命じた。
目隠しを外され、手の鎖をグッと引かれる。彼女は大人しくついていきながら、周囲を確認した。森のど真ん中だ。足元は獣道かも怪しいほど、草が茂っている。
迷うことなくレーバンが森の奥に進んでいけるのは、彼が持っている羅針盤のお陰だろう。大結界の場所を示す魔道具に違いない。
そして同行しているのは、警邏隊の制服を着た男三名。
(外に出られたら逃げられるチャンスがあるかと思ったけれど……これでは無理ね)
両足を繋ぐ鎖は重くないものの短く調整され、歩けても走れない。道も悪いし、方角も分からない。不意を突いて飛び出したところで、いかにも鍛えていそうな男が近くに三人もいる。簡単に追いつかれてしまうのは、火を見るより明らか。
詰んでいる。
でも大結界を解除したくもないし、殺されたくもない。
「どうしよう」と何度も心の中で呟き歩いていると、森が拓けた。小さな畑一枚分の芝生が広がり、芝生が途切れた先には空が広がっている。崖の上のようだ。
そして芝生の中心には銀色に輝く、長方形の箱が設置されていた。縦横五十センチ、高さ一メートルほどの金属の塊だ。その上面には銅板と同じ魔法式が刻まれていた。
レーバンは魔法式の表面を撫でた。
「これが、国内にみっつある大結界石のひとつです。昔は銅板でしたが、現代は素材の耐久性を上げるために、特殊な金属で表面が覆われています。しかし解除の難易度はさほど変わりませんので、ご安心を」
レーバンは、ヴィエラに魔法石が付いたペンを手に握らせた。
「さぁ、いつでもどうぞ」
正確な時間は宣告されていないが、与えられた猶予は最大でも日没までだろう。ペンを持つ手が震える。
「……っ」
「ヴィエラ殿、早くしないと時間がなくなりますよ?」
ヴィエラの恐怖を見抜き、レーバンが追い詰めてくる。もちろん手の震えは酷くなる。
「――っ、私から距離を取ってください」
「なぜ?」
「東の地方の解除の話はご存じではありませんか? あの時、他の魔道具を巻き込んで魔力が浪費しないよう、皆様に距離を開けてもらっていました」
「そういえば、そうでしたね。魔力の影響は七、八メートルほど、念のため余裕をもって離れましょう」
レーバンの義足は魔道具だ。そして警邏隊たちも魔道具を身に着けていたのか、四人とも森のほうへ下がった。
それでも彼らが横幅を広げるように立っていることから、ヴィエラの逃げ道は崖の方角しかない。崖から落ちたらきっと……
(はは、震えが止まらないわ。本当、何か良い方がないかしら)
気持ちを落ち着かせるために、ペンを握っていない方の手をネックレスがある胸元に当てた。深呼吸をし、解除に向けて集中力を高めるふりをしながら、逃げる方法を諦めない。
(この手錠に雷撃の魔法を付与して武器にする……無理だわ。私も痺れる。ペンに刃効果を付与して……警邏隊の剣に先に切られるのがオチね。リーチが違いすぎる。ならペン先の魔法石を魔力爆弾にして……素材は水晶かしら……魔法式を書くには最高だけど魔力を溜め込むには不向き。くしゃみ程度の爆発にしかならない。残るは――)
胸元にある最高級素材のピンクダイヤモンドなら、大きい爆発が生み出せるだろう。レーバンたちはピンクダイヤモンドに気が付いていない。不意打ちも可能だ。
問題は、ピンクダイヤモンドで作った爆弾がどれだけ大規模になるかが分からないことだ。加減を間違えたらヴィエラ本人も巻き込まれて、逃げるどころではなくなる。それに敵とはいえ、人間であるレーバンたちを害する勇気もない。
(どうしよう。どうしよう……あぁ、どうしたらいいの?)
こんなとき頭に浮かぶのは、ルカーシュの姿だ。でも彼は謹慎の身で来られない。自分でどうにかしなければ道はない。
そうヴィエラが葛藤していると――
グサッ
突然、レーバンたちとのちょうど間に入るように、ボーガンの矢が地面に刺さった。その矢の中心には、筒が括りつけてある。
全員、一瞬だけ呆気にとられたそのとき、ピカッと筒から強い閃光が放たれた。
ヴィエラの目は光で眩み、何も見えなくなってしまう。
「なんだこれは!」
警邏隊の男の焦る声が聞こえたことから、相手も同じ状況らしい。まだ閃光は続いている。
よく分からないが、逃げるなら今だ。そう思って立っていた位置を頼りに方角を探る。
そうしている間に瞼の向こう側から、閃光が消えてしまった。
一か八か、崖の方角でないことを祈って走り出そうとした瞬間、ヴィエラの体が浮いた。体がくの字になるような持ち方をされていることから、肩に担ぎ上げられたのだとすぐに分かる。
でもここで逃亡を諦めるわけにはいかない。そう抵抗しようとしたが――
「ヴィエラ、もう大丈夫だ」
「――!」
聞きなれた声の持ち主が、そう告げてヴィエラを抱えて走りだした。
瞼をこじ開けると、光の眩しさで白くなっていた視界に色が戻り始める。揺れる闇のような黒い髪は艶やかで、丁寧に編まれた先には縹色のリボンが結ばれていた。そのリボンに刺繍されているオリーブは歪で、素人丸出しだ。
「逃がすな!」
レーバンの叫び声にハッとして、ヴィエラは顔を上げる。真後ろから、警邏隊の男たちが全力で追いかけてくる。
こちらは女性ひとり担いでいる一方で、相手は身軽。少しずつ距離が縮まってくる上に、進行方向は崖の先。間をすり抜けたり、進行方向を変えたりして逃げるという選択をするには手遅れ。逃げ切るには、崖から飛び降りるしかない。
でもヴィエラに恐怖心は芽生えなかった。
「舌を噛まないよう口を閉じろ。飛ぶ!」
「はい!」
しっかりと相手の背中の制服にしがみついた次の瞬間、ヴィエラを抱えていた人物は力強く崖から跳躍した。ほんの僅かだけ浮遊感を感じたのち、すぐに落ちていく感覚に襲われる。
「ひぃっ」
やっぱり、怖かった。
「キュル!」
けれど完全に落ちる前に、ふたりは大きな翼を羽ばたかせている広い背に受け止められた。何度も乗せてもらったことのある場所だ。
ヴィエラを抱えていた相手が、彼女が座りやすいようストンと横向きに下ろして、腕の中に閉じ込めた。この力強い腕の中も、大きなもふもふの背も、帰りたいと渇望した居場所。
「ルカ様、ティナ様!」
ルカーシュの胸元にぎゅっとしがみついた。ヴィエラを抱きしめる彼の腕に力が込められる。
「ヴィエラに会いたかった。本当に、会いたかった」
ルカーシュの声は小さく震えていた。そっと見上げれば今にも泣きだしそうなほどブルーグレーの瞳が揺れている。
それも数秒で、彼は瞬きひとつすると冷酷な眼差しへと変えて崖の先を睨んだ。
「犯人を捕縛する。少し付き合ってくれ」
「分かりました」
ルカーシュはアルベルティナに上昇するよう命じる。ふわりと、一瞬にして崖を見下ろす位置へと舞い上がった。
崖の先ではレーバンと警邏隊の三名が唖然とした表情を浮かべて、こちらを見上げていた。
「神獣騎士ルカーシュ・ヘリングが告ぐ! 王宮魔法使い誘拐の現行犯で、お前たちを拘束する。抵抗せず従え!」
「レ、レーバン様だけでも森の中に――」
英雄であっても、ルカーシュひとり相手なら逃げられると踏んだのだろう。すぐさま警邏隊の男が剣を向け、レーバンを庇いながら後退を始めた。
しかし機を狙ったかのように、逃げ入ろうとしていた森から抜剣した神獣騎士とグリフォンが二組飛び出してきた。二名と二頭は敵を囲むように等間隔に並んで、にじり寄る。
彼らが自棄を起こさないよう、アルベルティナも着陸して崖側の進路を断つ。
完全に逃げ道を塞ぐような位置取りに、レーバンたちは立ち尽くした。
軟禁されているはずのルカーシュだけでなく、神獣騎士がチームで現れたのだ。しかも、初めから計画を知っていたかのようにこの時間、この場所に寸分の狂いもなく、だ。
一瞬だけ、確かめるようにレーバンの視線がヴィエラとぶつかるが、彼女も何が何だか分からない。
「もう一度告げる! 拠点の屋敷はすでに押さえてある。抵抗は無駄だと思え。今すぐ剣を捨て、地に伏せよ!」
アルベルティナに乗ったままのルカーシュが、高い位置から彼らを見下ろしながら威圧的に命じた。
睨み合って数十秒後、レーバンが膝から崩れた。すると、警邏隊たちの手からも剣が落ちていった。
それからは早かった。あっという間にレーバンらは、神獣騎士たちによって拘束されたのだった。
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