第66話「革命①」


 大結界とは、王都を守るように周辺の街に設置されている特殊結界のことだ。通常の結界石に万一があったとき、大都市である王都に魔物の被害が及ばないように用意されたもの。


 その大結界の魔法式は、結界課の班長と副班長しか教えられない秘密事項。重要な守りの切り札であるため、敵国や犯罪者に知られないよう、設置場所もごく一部のものしか知らないとされている。

 元班長のレーバンなら、魔法式を知っていても不思議ではない。


 でも国防の要になっている魔法式を、真実を隠して平職員のヴィエラに開示する行為は、魔法局を引退したとはいえ情報漏洩で処罰されかねないものだ。

 それを解除させようとしているとなると……



「まさかっ」



 ヴィエラは口元を押さえ、思わず出そうになった悲鳴を堪えた。

 

 おそらくレーバンは大結界の管理をしている。彼が報告しない限り、大結界の異変は王宮の耳に入らない。

 密かに大結界が解除されてしまったら……同じタイミングで普通の結界石に何かあったら……街の中で魔物寄せの魔法式が発動されたら……魔物の大群が街を襲ったら……最悪の事態が起きると、勝手にヴィエラの想像が膨らんでいく。


 誘拐されて、悪いことを考えやすくなっているだけ。あれだけ優しそうで、国を守ろうと結界課で働いていた元王宮魔法使いが、その平和を自ら貶める行為をするはずはない。思い過ごしであって欲しい――とヴィエラは願うが、レーバンの潔白を信じ通すほどの判断材料がない。



(もし私の想像が正しかったら、王宮に連絡したってことも嘘の可能性が高いわね)



 あらゆることが、ヴィエラが自発的に協力するように仕組まれたもののように思えてきた。女性向けに整えられた部屋は、帰りたい気持ちが膨らまないよう快適に過ごせるよう、最初から準備されていたことになる。連れ去られたことも、もしかしたら――

 レーバンに知られずに誰かに相談したいところだ。



「まずは時間稼ぎをしないと……」



 単独での解除法に辿り着いたら、その魔法を記録し、そこから逆算式を求められてしまう。

 ヴィエラは借りたペンを握り、黒い羊皮紙に保護魔法を付与した。

 昼食後、それを見たレーバンはわずかに眉をひそめた。



「少し、魔法式に若干のブレがありますね。技術課の魔法使いらしくない」

「慣れないペンなので、まだ感覚が掴めないのです。練習を重ねれば、できるようになるかと」

「なるほど、それは仕方ありませんね」



 一瞬だけ冷たく聞こえたレーバンの声色が和らぐ。焦っている様子だが、機嫌は悪くなさそうだ。

 内心ドキドキしながら、ヴィエラはお願い事をしてみる。



「あの、まだ帰れないのなら、王都に手紙を送っても良いでしょうか?」

「手紙、ですか。ちなみにどちらに?」

「私の妹と婚約者です。レーバン様が連絡を入れたとはいえ心配しているでしょうから、私から直接無事の知らせをして、安心させたいのですが」

「ヴィエラ殿の婚約者は確か、神獣騎士の団長ヘリング卿だったかな? ヘリング卿は本当にすごい人ですよね。戦時中、彼の存在にどれだけの者が希望を与えられたか……!」



 レーバンは目を閉じ、思い出に浸るように語尾を強めた。

 ルカーシュは、ヴィエラの前では常に謙遜している。本当の英雄はジェラルド総帥だとか、作戦を考えた現副団長の方が凄いだとか、自分は偶然倒せただけだとか。

 だから自分の知らないルカーシュの話に、ヴィエラは思わず感心の呟きを零してしまった。


「ルカ様って、本当にすごい人なのですね」

「そりゃそうさ! グリフォンは力で勝るとはいえ、スピードは敵国の神獣ワイバーンに劣る。空中戦は本来、我が国において不利とされていたんだ。それをヘリング卿はひっくり返し、その上エースまで空から引きずり落としたんだから、疑いようもない天才かと」

「ルカ様の何が優れていたのか、詳しいことはご存じですか?」

「どんな旋回をしても失わない平衡感覚、急上昇にも耐えられる肺と鼓膜、隙を見逃さない動体視力と広い視野、振り落とされない強靭な肉体……そして優れた戦闘センス。欠点とは無縁のイメージがあります」



 詳しく聞けば、ワイバーンはグリフォンよりスピードで勝るが、契約者である人間を乗せると加減して飛ばなければならない。それはグリフォンも同じだが、まだ若いアルベルティナは小柄だったためどの個体よりもスピードがあり、ルカーシュはその全力の飛行についていける身体能力を持ち合わせていたらしい。

 その結果、隣国の神獣騎士を乗せたワイバーンの機動力を越え、エース撃墜に繋がったというのだ。



「ヘリング卿は、『空の王者』という異名に相応しい本物の英雄だと思いますよ」

「ほぉ!」

「もちろんその才能を見抜き、的確な命令を下したジェラルド現総帥も素晴らしい人だ。騎士全員が彼の背についていった。信頼できる人が上にいる……実に羨ましいよ」



 レーバンは自身の右足に視線を落とし、服の上から撫でた。そこは失った本物の足の代わりに、義足が収まっている場所だ。

 ヴィエラは胸を掴まれたような苦しさを覚え、口を開けなくなった。



「ふっ、少し話過ぎましたね。邪魔になってもいけないでしょうから、私は執務室に戻らせていただきますよ」



 感傷を引きずるような笑みを浮かべられては引き留められない。ヴィエラはレーバンを見送ってから、重要な確認をし損ねたことに気が付いた。



「手紙の件……はぐらかされた」



 今まで知らなかったルカーシュの活躍が聞ける機会とあって、思わず夢中で食いついてしまった。



(だってルカ様は自慢話をするタイプじゃないし、公爵夫妻も戦争の話題は好きじゃなさそうだし……聞ける雰囲気じゃなかった。当然よね。勝利したけれど、犠牲者はいたんだもの)



 戦争当時ヴィエラは学生で、新聞に書かれていたことしか戦争について知らない。

 戦時中はどれもドレスティ王国の騎士が素晴らしく、奮闘中である。戦後は英雄の誕生についての華々しい記事ばかりの祝賀ムード満載の内容で、被害について目に触れることはなかった。

 レーバンも、国の栄華のために隠れてしまった犠牲者のひとりなのだろう。



「……って、同情している場合じゃない。悪いことは駄目。どうにかして外部に知らせる手段を考えないと」



 屋敷の周囲にいる警邏隊を掻い潜れる自信はない。協力者もなしに、『戦闘力ゼロ』『走る速さ平凡』『体力なし』のヴィエラひとりで逃亡できるとは思えない。何かしら第三者に連絡を取って、レーバンを疑うよう仕向け、助けを待った方が建設的だ。


 もしヴィエラの考えすぎで、無実のレーバンの名誉に傷がついたら五体投地で全力の謝罪をし、手を付けていない遠征の褒賞金で慰謝料を払うつもりだ。

 慰謝料が足りることを祈りながら手紙の話題を再度出そうとしたが……あれ以降レーバンは外出していると使用人に説明され、会うことはできなかった。使用人に相談もしてみたが、レーバンに確認をしてからだと口を揃えて断られた。

 どう考えても怪しい。嫌な予感が当たっている可能性が、どんどん高まっている。



「……寝れない」



 頭の中で疑惑がぐるぐると渦巻いてしまい、眠気が一向に訪れない。こういうときは魔法の本を読んで、頭を強制的に疲れさせるのが一番だ。


 だが部屋に本はない。ヴィエラは本を借りるために私室を出て、研究部屋は入ろうとしたが……扉と床の間から、光が漏れていることに気が付いた。

 誰かいるのか、話し声も聞こえてくる。ひとつはレーバンの声だ。

 ヴィエラは危険だと分かりつつも、吸い寄せられるように扉に耳を当てた。



「ヴィエラ殿はもう大結界の魔法式の構造を理解したようだよ。この練習で書かれた保護魔法、厳しい感想を伝えたが、初めてで慣れないペンなのにほぼ完璧な仕上がり。危険を冒してまで、東の結界石に魔物寄せの細工をした甲斐があった。ヴィエラ殿という、目的の才能の持ち主が見つかったのだから」



 レーバンの声だ。

 心臓に氷水が流し込まれたように、ヴィエラの体の芯から熱が奪われていく。

 そして彼の声に応えるのは、よく気にかけてくれる使用人の女性だ。



「ですがレーバン様、時間はそれほどありません。王宮の警備体制が整い、ヴィエラ様の行方を追う捜査範囲を広げるために騎士の人数が増える頃です。ジェラルド総帥は聡い方、陛下の意向の言いなりのままとは思えませんが」

「しかし良い情報もある。英雄ルカーシュ殿が監視付きの謹慎処分になったらしい。公にできないため、ごく一部の者にしか知らされていないようだが、団長がそのような状況では、神獣騎士の王宮外の出動指示は出されないはずだ。王宮騎士がこの街に着くまで二日ほどかかるだろうし、この屋敷を怪しむのはもっとあとだ」

「その前に、ヴィエラ様には解除できるコツを掴んでいただけるとよろしいのですが、もしできなければ……」



 使用人の言葉の続きを聞くのが怖くなり、ヴィエラは扉から耳を離した。

 レーバンは黒だ。しかも組織的なもので、王宮にも内通者がいる。信じたくないが、助けの希望にしていたルカーシュが、何かしらの理由で処罰を受けて動けない。



(どうしてレーバン様はこんなことを? 王宮の事情が筒抜けで、助けはまだ望めなくて、ルカ様が謹慎処分なんて何かの間違いじゃ……っ)



 現実が受け止めきれず、恐れるままに後ろに一歩引いたとき、背後に人の気配を感じた。慌てて振り向けば、ヴィエラを保護した警邏隊の男が立っていた。

 聞き耳を立てるのに集中しすぎていた。



「手荒なことはしたくないとレーバン様のご意向でしたが、残念です」

「――っ」



 警邏隊の手には短剣が握られ、ヴィエラに向けられていた。刃の先に震えが一切ない。歯向かったら、迷いなく害する覚悟があるのだろう。



「さぁ、研究部屋にお入りください」



 そう促されたヴィエラは、素直に従うしかない。そっと扉を開けると、レーバンは少し驚いたものの、すぐに笑みを浮かべて誘った。

「夜のお茶会でもいかがですか?」と。

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